――分かりました。では続きをどうぞ。
はい。
とにかく生徒達が真剣すぎました。しかも、どう見ても薬草摘みに夢中になっているわけではなく、もっと他のものをがむしゃらに探しているのです。私の右隣にいた子は爪を立てて地面を掘り返しておりましたし、私の左隣にいた子は動物のように四つん這いになって辺りを徘徊しておりました。その時私の視界に映った全ての生徒が、なにしろ形振り構わず死に物狂いで何かを探しているのです。しかも、何の前触れもなく唐突に。
瞬間的に私の脳裏に浮かんだのが、敵襲という二文字でした。
それしか考えられなかったのです。今の今まで一緒に楽しくお喋りし、好きな男の子なんかの話をしつつ薬草を摘んでいた生徒達が、急にそんな状態になるなんて。しかも一斉にですよ?
私は敵襲だと思い込みました。そしてすぐさまクナイを取り出し、木ノ葉のくノ一としてアカデミー教師として、そして子供達を愛する里の一員として行動を開始したのです。
どんな術であってもそれが広範囲に影響を及ぼしている点からして敵は余程の手練か複数です。生徒達を一人一人見ている暇などありませんから、根源を断つために私はすぐに敵の居所を知ろうと動きまわりました。木の枝に飛び乗って用心深く周囲を探り、敵の姿や痕跡を発見しようと必死でした。生徒達は既に人質同様です。私は全力を尽くして敵を探しまわったのです。
にも拘らず私は生徒以外に不審なものを発見できませんでした。どこもかしこもそれらしい気配はなく、結界が張られている様子も見当たりませんし不穏なチャクラも感じません。私は小さく舌打ちをしてから更に動き、シダレ先生を発見するとすぐに自分のチャクラを送り込みました。シダレ先生は、その、ちょっと呆然となさっていたので、生徒達と同じく幻術か何かに掛かっていると思ったのです。しかしシダレ先生は「大丈夫です。幻術には掛かっておりません」とおっしゃいました。その目はしっかりとしておられましたので、私も安心しました。
シダレ先生と合流すると私も少し落ち着きを取り戻すことができました。私は普段おっとりしているタイプだと思うのですが、敵襲、しかも生徒達が人質同然と判断した瞬間やけに好戦的になっていたように感じます。絶対に、間違いなく生徒達を守り抜く。愛する子供達を必ず守り抜くといったとても強い気持ちが、私を攻撃的な気分にさせたのかもしれません。
落ち着きを取り戻した私はシダレ先生と一緒に状況確認をしました。はい、二人で全て確認致しました。全て、です。それでも子供達以外どこにも問題はなかったのです。
その後シダレ先生が緊急の式を作り火影様に向けて飛ばしました。そして他の生徒達が無事かどうか、そもそも人数が足りているかどうかを調べるために一旦私とシダレ先生は別々になりました。
その時の森は、気味が悪いくらい静かでした。何故小鳥の囀りまで途切れてしまったのか本当に不思議です。私はその時もまだその状態を引き起こしているものが敵忍だと思い込んでおりましたから、どんな術なのか、そして何故子供達だけにその術が有効で私やシダレ先生には無効なのかを考えておりました。子供以外どこにも問題がなかったと分かっても、どう考えたって敵忍の仕業としか思えなかったんです。
生徒達がどこにいるかを把握した後、私はイシノ薬草園の中心地に戻りました。暫くするとシダレ先生、それからケイ先生が生徒三人を抱えて戻って来ました。私達は再度状況確認をし、それから子供達の様子を詳しく見ることになりました。しかしやはりよく分かりません。
一旦生徒達を一ヶ所に集めましょうかと私は提案しました。どう考えてもそれは普通ではなかったし、しつこいようですが私は敵の襲撃という線を捨ててはおりませんでしたから、すぐに火影様や暗部の方達が来るにせよ生徒達が散らばっているのは良くないと思ったのです。そういう時は絶対に後手後手に回ってはいけません。
シダレ先生は少し悩んでおられましたがそれでも結局私の提案を受け入れ、私達は生徒達をその場、つまりイシノ薬草園の中心地に集めることにしました。そして私、ケイ先生、シダレ先生、三人バラバラに散りました。
私は東に向かい、見かけた生徒は片っ端から回収しようとやっきになっておりました。まずケイ先生の受け持ちの生徒を発見し、すぐに強引に中心地まで連れて行きました。それが起こった直後のように、私はやけに攻撃的になっていたような気がします。やけに悪い予感がしていたのです。
次に自分の受け持ちの生徒を発見しました。アゲハさんとオキタ君でした。(注: ヨシモト アゲハ 参照資料D-786-A-4588 オキタ 彗 参照資料D-786-A-4591
アゲハさんは私の子供の話を聞き付け、祝福をしてくれた生徒達の中の一人です。花を編んで首飾りを作ってくれたのが、アゲハさんなんです。その子が草木を掻き分けて髪に蜘蛛の巣が張った藪に頭を突っ込んで何かを探しているんです。私の愛しい愛しい生徒が、優しい優しいアゲハさんが形振り構わずそうやってわけの分からないことをしてるんです。私はもう、何と言うか見ていられなくてすぐにアゲハさんの襟首を引っ張って無理矢理立たせました。そして、アゲハさんが酷く暴れたので気絶させようと私が手を上げた瞬間です。
私の中で、何かが決壊したかのように。
上手く言えません。とにかく私は絶望の中に放り込まれたのです。絶望に飲まれたのです。
気付いた時、私はアゲハさんを抱き締め信じられないくらいの涙を流しておりました。
そしてアゲハさんも、傍にいたオキタ君も私と同時に声を上げて泣き始めたのです。
――その時、何かあったわけではなかったのですね?
ええ、何か切っ掛けがあったわけじゃないんです。生徒達が突如として変貌したように、私に訪れた絶望もまた何の前触れもなくやって来たんです。
その悲しみと痛みが何なのか私には分かりませんでした。今も理解できません。ただそれが凄まじいものだったことは確かです。そして恐らく、子供達が泣いていた理由も私と同様の悲しみと痛みからだったと思うのです。
私は左手でアゲハさんを抱き締めながら、右手で自分のお腹を擦っておりました。赤ん坊を宥めるように必死で擦っておりました。
あの時本当に泣いていたのは私ではなく、私のお腹の中にいる赤ちゃんだったような気がしてなりません。
――生徒達の昏睡が始まった時、貴方は?
不思議なことに、ピタリと涙が止まりました。赤ちゃんを擦っていた私の手も止まりました。
何だかわけが分からなくて放心しておりますと、暗部の方がやって来たのです。
――その後貴方の体調に何か変化はありませんか? 生徒達の様子も合わせてお聞かせ下さい。
生徒達が病院に運ばれると私も念のためにと色々と精密検査をさせてもらいましたが、私も赤ん坊も全く問題ありませんでした。お腹は特に念入りに検査して貰ったのですが、大丈夫でした。
生徒達の様子にも変わったところはありません。気味が悪いくらいに元の生活に戻っております。あまりに呆気なくて、まるであれは夢じゃなかったのかしらと思ってしまうくらいです。まだ復学していない子がおりますが、その他の子はみな元気一杯に授業を受け、歌ったり笑ったり食べたりして生活しております。
――では最後に、この件に関する葉ノ紀中忍の所感を述べていただけますか?
それが起こった時の私は子供達を守らねばという義務感と教師としての責任感、それに言いようのない怒りみたいなものまでありました。私の可愛い生徒達に何か悪いことをした敵がいる、私の愛する生徒達が危険に晒されている、生徒を絶対に守り切るし敵は絶対に許さない。そんな思いで一杯でした。
私達教師はみな、子供を心から愛しております。里の子ですもの、当然です。
中には私達教師が子供達に甘すぎるのではないかと思う方もおられるようです。生徒達の親御さん達の中にも、もっと厳しくしてくれと言ってくる方がおられます。ですが私達は厳しく修行をさせる前に、もっと大事なことがあると思っているのです。
子供は、いえ人間はひとつの器です。器を満たしてやるのは忍術や体術ではありません。それを極めて自信をつけても、それだけで器を満たすことはとても難しい。幾ら上忍になれて多くの任務を遂行し、極端に高い成功率を誇ってもです。
良いですか? その器に最初に流し込んでやらねばならないのは、愛なんです。
愛情こそが全ての人間の礎を作るのです。まず大きな愛情を注ぎその器を安定させねばなりません。少し位押しても叩いても動じないように、愛情をたっぷり入れてやらねばならないのです。それから目標を持たせ、仕事や友情、夢や希望、経験などでどんどん器を満たしていけば良いのです。
最初に愛情を入れないと、器が弱り穴が開くこともあるのです。そうすると、何を入れても器は永遠に満たされないことになるでしょう。それほど恐ろしいことはありません。
私達教師はそれを知っています。だから全力で生徒を愛しております。何かあった時は全身全霊で生徒を守ろうとしております。
そして、生徒はそんな私達の愛をちゃんと受け取り、愛を返してくれています。一度アカデミーに見学に来てくださればイハヤ上忍もきっとお分かりになるでしょう。生徒と私達教師がどれほどの信頼関係を築いているのかを。
中には「葉ノ紀先生の子供になりたい」なんて言うくらい懐いてくれている子もいるんですよ。嬉しいじゃありませんか。みんなの母親になりたいくらい私も生徒を愛していますから、喜んで「いいよ」って言いましたよ。
そんな私が、私達が、何もできなかった。
私はそこに例えようのない恐怖を感じるのです。
子供達の間で重大なことが起こったのは確かなのに、私達教師は何ひとつできなかった。こんなに愛しているのに、何が起こっているのかすら理解できなかった。私は、私達大人では理解できないくらいの子供達の奥底で、とんでもなく深刻なことがあったような気がしてならないのです。
それからあの日の夜に、私はあることを思い出しました。この件とは全く関係ない話ですが。
私は若い頃、知留特別上忍の下で働いていたことがあります。(注: 知留 コトオ 参照資料D-786-A-4601
ある特殊な粘菌の生態を調べる仕事でした。その粘菌の生態は謎に包まれており、木ノ葉に近い二つの洞窟に生息しているのが確認されているだけの超希少種でした。驚異的なほど同調性に富んでおり、思考能力どころか心までをも持ち得ているような粘菌です。私はその粘菌の採取を成功させ、一時期、知留特別上忍の下で働き続けようかと思ったほど研究に夢中になりました。
ですがある日、私のミスで研究所の粘菌が全滅してしまったのです。一夜にしてその粘菌は死にました。弱っていたことは分かっていたのですが、本当に些細なミスで死んだのです。落ち込む私に知留特別上忍は優しくしてくださって、「また採取してきてください」と言われました。ですから私はその日、すぐに自分が採取に成功した洞窟に向かったのです。
ところが、その洞窟にはもう生きた粘菌が存在しておりませんでした。研究所の粘菌と同じく、全て死滅していたのです。干乾び、朽ち果てていたのです。
偶然かもしれません。私のミスは何も関係ないのかもしれません。しかし粘菌の最も顕著な特性である同調性を考えると、私は自分がその洞窟全ての粘菌を殺してしまったような気がしてならなかったのです。
私はその日を境に研究所を離れ、その後アカデミー教師となったのですが。
とにかく、それを思い出したのです。その粘菌を。
一夜にして一斉に死んでしまった粘菌を。
私は恐ろしい。これほど愛しているのにまだ手が届かないような子供達の深みで一体何が起こったのかを考えると、喚き出したくなるほど恐ろしい。いてもたってもいられないほど恐ろしい。
私は夜になるとその恐ろしさで涙が出ます。
怖いのです。
恐ろしいのです。
あの時あの森の中で、何か取り返しのつかないことが起こったのではないのかと。