昼に同僚から貰ったうどんの乾麺が鞄の中に入っている。油揚げは冷凍したのがあるし、鶏肉も同じく冷凍庫にあるはず。卵もあるし蒲鉾もある。葱は問題ない。イルカは近所の八百屋で今晩の献立に必要な白菜と椎茸を買い、アパートに向かう。
堤防で現教え子と元教え子に会い立ち話をしていたのに空にはまだ日の光が薄らと残っており、日が随分と長くなっているのを実感させる。それでももうじき夜の帳が下りるだろう。すっかり意気投合した二人を残して先に帰って来たが、黒髪の青年は少年を家まで送って行くと言っていたので問題はないはずだ。
それにしても、青年が少年を可愛がる様子は見ていて心が和んだ。青年が少年に昔の友人を重ねているとしてもそこにある真心は嘘偽りのないものであるし、元来面倒見の良い彼のあの可愛がりようからして実際に修行にも付き合ってやるのだろう。少年は元々筋が良いし、それでまたぐんぐんと伸びることになる。青年があの子を構うということは、すぐに青年の友人である残りの二人とも既知の間柄になるし、少年の友人である残りの二人もそこに加わることになる。
そうやって輪が広がって行く。新しい繋がりを作っていく。
そしてその繋がりが、絆を生む。
イルカは喜ばしい絆の予感を胸に抱きながら機嫌良く鼻歌まで歌いながら階段を上った。
「ただいまかえりました」
ドアを開けると目の前にカカシが待っていて、ニコニコと両手を広げていた。
「イルカの足音聞こえたから」
「今日ね、受付なくなったんですよ。そんでカカシさんを驚かそうと思ってそのまま帰って来たんです。でも気配消して来れば良かった」
そうしたらもっと驚かせたのに、と続けながらその胸に飛び込んで頬に口付けを貰い、イルカもまた愛しい恋人の頬に口付けをする。胸一杯にカカシの匂いを入れて幸福を味わい、甘えるように鼻先をうなじや銀髪に擦り寄せた。
カカシに腰を引き寄せられ、ペロリと頬を舐められる。
「今日はごはんもお風呂も後で良いよね?」
腰に回されたカカシの手が不穏な動きを始めたので、イルカは慌ててその腕を持って拘束する。
「俺は腹ぺこです。お風呂も入りたいです。ごはんが先で次にお風呂。その後ちょっと腹を休ませて、それからカカシさんと勝負です」
「えー」
「えーじゃない。だって俺、本当に腹ぺこですから」
腹が減っては戦も楽しいこともできませんと言いながらイルカはサンダルを脱ぎ、不服そうなカカシの横をするりと通り抜けて部屋に上がった。しかしすぐにカカシが追い掛けて来て、いつものように居間でイルカの脚絆を外す。普段と何も変わらない、どうということのないカカシのそれら一連の言動がイルカを満ち足りた気分にさせた。
二人で台所に立ち、鍋焼きうどんを作る。今日の任務がキャンセルとなったカカシはスタミナが有り余っているようで、途中で「味噌煮込みうどんにしよう」と言いだし、イルカがそれを承諾すると「じゃあ餅がいる」と言って、あっと言う間に餅を買いに行きあっという間に戻って来た。それからグリルを使って楽しそうに餅を焼いた。
出来上がると二人でそれを食べる。冷蔵庫にあったはずの卵は昨日カカシによって捨てられていたが、こんがりと焼き目のついた餅を入れると鍋は大盛り状態になり、全く問題はなかった。
「餅って精力つくよね」
箸で餅を摘まみ上げニタリと笑いそう言うカカシを見て、イルカは呆気にとられた。カカシが餅を買って来たのはそこに餅を入れるのが一般的だからではなく、どうやら精を付けるためであったらしい。
「アンタどんだけヤる気なんですか」
「そりゃもう、イルカが……」
そこで言葉を区切り、卑猥な顔を躊躇い無く晒してデレデレと笑うカカシを見て、イルカは頬を引き攣らせた。
写輪眼のカカシと二つ名まで持っている、ビンゴブック級の上忍。里一番の稼ぎ頭。普段は顔のほとんどを隠しているが、それでも垣間見える美しさと漂う色気でくノ一達からの人気も高い。そんなカカシがセックスが楽しみで楽しみで精力を付けようといそいそと餅を買いに行き、デレデレと頬を緩ませて餅にかぶりついているのだ。
「イルカもお餅、食べてよ?」
「何でお餅なんです? スッポンとか鰻という選択肢はなかったんですか?」
「本当は受付終わる頃にイルカを迎えに行って、鰻食べに行こうかと思ってたんだよね。でもイルカ早く帰って来たし、うどん作り始めたし」
浮かれ切っているカカシはまるで遠足前日の子供だった。しかし馬鹿な子ほど可愛いとはよく言ったもので、イルカは結局そんなことで心を弾ませているカカシも愛しいと思うのだ。
うきうきと夕食を食べるカカシに催促されてイルカも苦しくなるまで餅を腹に収め、勃起率が悪くなると真顔で言うカカシに咎められて酒も飲まず、夕食の後片付けを済ませると風呂の用意をした。珍しく持ち帰りの仕事もなかったので、カカシの頭を膝に乗せて風呂が沸くまで二人で話をする。
依頼主の金銭的な理由で任務がキャンセルとなったカカシは余程暇だったのか「今日は待機所でイチャパラを読んで座っていただけの日だった」と、たった一文で報告を終わらせた。だからイルカが代わりに自分の一日を詳しく語った。銀色の美しい髪を梳き、隙があればイルカに不埒な悪戯を試みようとするカカシの器用な手をたまに叩いては窘める。
風呂が沸くといつものように二人で入った。互いの身体を隅々まで洗い合い、もうすぐ始まる歓楽に期待して意味もなくクスクスと笑い合う。深い口付けをすれば今にもそれは始まりそうで、それが分かっている二人は触れるだけのキスを繰り返してはまた笑った。
身体を洗い終えると湯船に浸かる。先に入ったカカシの膝の上に腰を下ろすと湯船の湯が溢れた。力を抜いてカカシに背を預けると、後ろから腕が回されそれがイルカの腹の前で交差する。
イルカは幸福に包まれながら目を閉じ、ゆったりと唇を開く。
『この心には時間も距離もないんだよ。深海の底みたいに、月の向こう側みたいに』
それは本当に偶然だった。
何の前触れもなく心に浮かんだその曲を、その曲のそのフレーズだけを歌ったのに、完全に同じタイミングでカカシもその曲を、その曲のそのフレーズだけを口ずさんだのだ。
二人はその素晴らしい偶然に酔いしれるように口を閉ざした。
腹の前で交差していたカカシの腕が上がり、イルカはゆったりと抱き締められる。そして背中に唇を押し当てられた。敬虔な口付けだった。
「心が重なったね」
暫くしてからカカシがひっそりとそう言った。
イルカは微笑みを浮かべる。
「凄いですね」
「もう俺、イルカと一心同体の気分。挿れてないのに」
「俺もです。カカシさんのこと全部分かる感じです」
「ほんと?」
「はい。カカシさんがそろそろ茹だって来たことまで分かります」
イルカが腰を浮かすと、カカシは苦笑しつつ「ビンゴ」と言って湯船から上がった。
カカシが髪を乾かしている間、イルカは肩まで湯船に浸かって一日の疲れを取る。今日の思い出はどれもこれも良いものばかりで、これから続く一日の締めくくりもそれは素晴らしいことになる予感で一杯だった。明日も明後日も、これからもずっと、カカシさえいれば、生徒達さえいれば自分はこうして幸福に満ちていられるだろうとイルカは思う。どんなことがあろうともカカシさえ傍にいてくれたならば、生徒達の笑顔さえそこにあるのならばと。
愛しているから。カカシを、生徒達を。里の人々を。
イルカが湯船から出ると、カカシが脱衣所でバスタオルを持って待ち構えていた。髪の水分を優しく拭き取られ、身体に水滴が残っている状態で抱き締められる。
「そろそろ限界でーす」
わざと明るい声を出したカカシだったが、その目は淫らな欲望でギラついていた。刺激しないようにちゅっと軽く頬にキスをしてやり、イルカはニッコリと笑顔を向ける。
「じゃ、そろそろ勝負を始めますか」
「やった!」
両手を上げて喜ぶカカシが可笑しくてその身体に腕を回すと、不意にカカシの表情が強張った。
カカシがすっと寝室の窓の向こうに視線を送る。
何だろうとイルカも同じように視線を向けたが、何も分からない。
「何ですか?」
「なんでもなーいよ」
へらりと笑うカカシを訝しみながらも、イルカは大人しくカカシに抱えられて寝室に運ばれた。カカシがそうであるように、イルカもまたこれから始まる行為に期待を膨らませてペニスを僅かに勃起させている。ベッドに下ろされると、どうやって銀髪の恋人を悦ばせてやろうかと思う間もなく貪るようなキスが始まった。
熱い舌がねっとりと口内に侵入してくる。押し合うようにそれを絡め合い流れ込んでくる唾液を喉を鳴らして飲み込むと、本格的に愛撫を施そうとカカシの指先がイルカの身体をなぞった。爪の先で、そろりそろりとイルカの肌を這いまわる。
だがその時、窓の外で意図的に出された気配によって貪るようなキスもカカシの指先も、それからイルカの小さな吐息も止まった。
身体を起こしたカカシが凶悪な目付きで乱暴にカーテンを開け、怒気を全開にしてそれにぶつける。ビリビリと空気が震えるほどカカシの怒りは強かった。
「仕方ないですよ。いってらっしゃい」
「俺は絶対に行かないよ」
唾を吐き捨てそうなカカシの身体に腕を回し、宥めるように擦りながらイルカは内心溜息を吐く。イルカとて気持ちは同じだ。これからと言う時に邪魔されたら誰だって頭に来る。しかし自分もカカシも忍であり、しかもカカシはその実力が故に突然任務を振り当てられることも多い。里がカカシに頼っているのにセックスしたいから嫌ですとは言えないのだ。
「カカシさん、俺明後日もアカデミー休みだから」
ギリギリと歯を食い縛るカカシの髪を梳きながら穏やかな声を出したが、カカシの怒りは収まらなかった。
しかし無視し続けても窓の外の気配が消えることはなく任務を優先して欲しいとイルカもやる気を失ったことを知ると、漸く諦めて渋々身体を起こす。カカシは名残惜しそうに何度もイルカの身体に口付けを落とし、「絶対にすぐ帰って来るから」と繰り返して、怒気を纏ったまま用意を整えアパートを出た。
カカシが瞬身で屋根の上に飛ぶと、うんざりするほど良く知っている暗部隊長が待ち構えていた。
「この貸しは相当デカイから」
カカシは怒気を殺気に変え、それを全て暗部隊長にぶつけてそう言った。