いい加減に目を覚ましてくださいよと起こしに来たイルカをベッドの中に引き摺りこみ、じたばたと暴れるその身体を抑え込んで愛しい恋人の匂いや感触を楽しんでいたが、睦まじく戯れ合う朝の一時はぐるぐると色気もくそもない恋人の空腹を報じる音によってあっさりと終わりを告げた。
甘い空気をぶち壊すその腹の虫に思わずからかうような視線を送ると、イルカはそそくさと顔を逸らし「俺が腹ぺこなのは誰のせいでもありません。強いて言うならばカカシさんが早く起きないからなのです」と言った。そしてまたぐーと腹を鳴らす。
「イルカは明日はアカデミーお休みだよね?」
朝の生理現象として勃起しているペニスをそっと押しつけると、イルカは顔を逸らしたままそれでも素直にこくりと頷いた。心なしか顔が赤い。
「じゃ、今晩は期待して良いよね?」
「また勝負しますか?」
目線だけを動かしてカカシを見遣り、イルカがニタリと笑う。前回の口淫はいつの間にか暗黙のうちにどちらがより相手を射精させるかという勝負になっており、それにイルカは勝利している。
イルカの余裕の笑みにカカシは内心舌なめずりをした。その余裕の笑みをどうやって悩ましげな表情に変え、股を開いて尻を振り早く欲しいと強請らせようかと淫らな想像が一気に膨らむ。楽しみでならない。
「良いねぇ。勝った方に何か良いことある?」
「俺、一日ご主人さましたいです。日曜日はカカシさんが掃除洗濯炊事、ぜーんぶやる」
「もう俺が負けるの決まってるみたいじゃないの」
前回の勝利がよほど嬉しかったのかそれとも自分の性技に自信を強めたのか、イルカは自分の勝利を少しも疑っていない。その様子が可愛くてカカシは更に淫猥な想像を膨らました。
「カカシさん、俺日曜日はご主人さまです」
「はいはい。でも俺が勝ったら日曜日はイルカは俺のオモチャね。すっごいヤラシイこと一杯してやる」
低い声で囁きながらイルカの耳朶を舐めてみたが、イルカはクスクスと笑うばかりで全く気にしていない。それどころか「日曜日は俺、ご主人さまだ」とまるでそれが決定しているかのように無邪気に目を輝かせ、カカシがイルカとは全く違う淫靡な笑みを口元に浮かべていたのにも気付かなかった。
夕暮れが世界を赤く染めていた。
電柱や擦れ違う人々の影は長く伸び、空には塒へ帰ろうとする烏がゆったりと飛んでいる。河の流れは穏やかで、時折心地好い風が吹いては堤防に植えられた桜の枝を柔らかくしならせる。どこからか魚を焼く匂いがしてきて、母親が子供を呼ぶ声が聞こえた。小さくともかけがえのない温もりを求めて、仕事を終えた人々は家路に急ぐ。
赤く染まった雲を見上げ歌を口ずさみ、イルカもまたかけがえのない温もりのある場所へ帰ろうと堤防を歩いていた。
スケジュールでは今日、イルカは受付業務が入っていた。アカデミーの仕事を終えるとそのまま受付に向かったのだがそこで同僚に呼び止められ、今日は自分が受付をするから来週の自分の休みを代わってくれないかと頼まれたのだ。何でも同僚は最近彼女ができ、その彼女が来週任務から帰って来るのだと言う。そういうことであるならばとイルカは快くその願いを受け入れた。
カカシの本日の任務が依頼人によってキャンセルされたことは既に知っている。家でイルカを待ち侘びているだろうカカシに今から帰りますよと式を飛ばそうと思ったが、カカシの驚く顔が見たくて結局そのまま帰ることにした。
悪い予感の欠片もない平穏で美しい夕暮れの堤防を歩いていると、自分の方へ向かってくるパタパタと小さな足音が聞こえてイルカは振り向く。
「おー。今日は一人か? 犬の散歩か?」
飛び込んできた小さな身体を抱き締めると、犬の散歩の途中だったらしい黒髪の少年は嬉しそうにコクコクと頷いた。それからぎゅっとイルカのベストの裾を握り、少しはにかみながらイルカを見上げる。
「せんせ、もう帰る?」
「帰るぞ。一緒に帰ろうか?」
誘うときゅっと目を細め、黒髪の少年は何度も頷く。それからおずおずとイルカの手を持ち、やっぱり少しはにかみながらその大きな手を握った。
少年の手にはまだ昨日の事故による包帯が巻かれているので、イルカはあまり力を入れずその手をやんわりと握り返し、少年の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。
少年は自分の犬の話をした。とても賢い犬だということ。生まれてからずっと一緒にいるのでもうお爺さんのはずだけれど、とても元気だということ。昔は背中に乗せてもらったということ。それから、自分が風邪をひいた時は必ず寄り添ってくれる優しい犬だということなどを。犬好きなのか動物好きなのか、少年の口調はどこまでも愛情に満ちている。
イルカがチラリと少年に寄り添っている犬を見遣ると、犬もまたイルカを見上げたところだった。中型犬の雑種のようだが、非常に賢そうな顔をしている。
「イルカ先生も、犬、好き?」
イルカの視線に気付き、手を繋いでない方の手で少年は犬の頭を撫でて訊ねた。
「好きだよ。実は今も傍にいるぞ?」
「どこ?」
ぱっと顔を輝かせて少年は周りを見渡す。
イルカはクスクスと笑いながら、大きな犬か小さな犬かどっちが良いか訊き、大きな犬が見たいと少年が答えたのでブルの名を呼んだ。
一瞬にしてブルが黒髪の少年の前に現れる。
「おおきい!」
歓声を上げた少年は、強面のブルに臆することなく手で頭を撫でる。ブルは無表情に少年を見詰めていたが、少年が飼っている犬には興味を示してフンフンと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。
「大きいな。背中に乗らせてもらえる?」
少年はブルの機嫌を窺うようにこっそりと訊ねてみたが、ブルはあまり気乗りがしないようだった。忍犬は主人に頼まれない限り自分の背に人を乗せたがらないので、仕方ないとイルカは苦笑する。そして、ブルの代わりにと言うように少年の両脇に手を入れて抱え上げた。再び少年の歓声が上がり、擽ったそうな笑い声が弾ける。
本当に子供は千差万別だ。これがナルトなら、仮令本当は嬉しく思っても「子供扱いしないてくれってばよ」とイルカの腕から逃れようとするだろうに、この少年は躊躇うことなくイルカに抱っこされて嬉しいと全身で伝えてくる。ぎゅっと足をイルカの腰に巻き付け、はしゃいでイルカの首元に自分の顔を埋める。
少年が笑うと少年の犬も喜んで、楽しそうに尻尾を振った。
「イルカせんせー」
背後から呼び掛けられイルカが少年を抱いたまま振り返ると、黒髪の青年が顔の横で手をひらひらさせてにこやかに近付いて来るところだった。
「お、また会ったな」
「うん。あ、お前もまた先生と一緒なんだ」
黒髪の青年はイルカの前で立ち止まると腰を屈め、ブルの頭をそっと撫でた。
それから身体を起こし、少年に視線を送る。
「俺の生徒だよ」
イルカはそう紹介して一度腕に力を入れて少年の身体を抱え直し、「俺の元教え子。お前の先輩だよ」と促すと、黒髪の少年は顔を少し赤らめてペコリと青年に頭を下げた。
「この子えらく可愛いねー。先生の隠し子?」
「馬鹿言え!」
「写輪眼と子供まで作ったの?」
にーと笑う青年を小突いてやろうと思ったが、両手が塞がっていてできない。イルカはとりあえずコホンと空咳をして視線を彷徨わせたが、青年はそんなイルカが可笑しいのかずっと笑っていた。
少年がもう一、二学年上の女の子であれば今の会話だけで色々とやっかいなことになるが、そっと少年の様子を窺っても有難いことに少年はとても純粋でそういった会話には何も反応を示していなかった。アカデミーでも性教育は行うがそれはまだ先の話だし、ともすると少年は「赤ちゃんはキャベツ畑から生まれる」とでも言い出しかねない雰囲気すらある。そういった面でこの少年は本当に幼かった。
しかしその幼さに救われ、イルカはほっと胸を撫で下ろす。同性同士の付き合いを恥じてはいないが、色ごとを匂わす話など生徒に聞かれたくはない。
「それにしても本当に可愛い子だね。俺もちょっと抱っこしたい。おいで?」
ギロリとイルカに睨まれ、慌てて青年が話を逸らし少年に手を差し伸べる。
少年は一度イルカを見上げたが、イルカがにっこりと微笑んでやると素直に青年に手を伸ばした。まず青年の肩に手を置き、体重を傾けて青年の腕に包まれる。怖々と言った感があることはあったが、従順な性質なのでそのまま大人しく青年の腕に抱かれていた。
怖くないよと囁きながら青年がトントンとその背中を軽く叩いてあやしてやると、少年はこっそりと視線を上げて青年を窺う。
赤ん坊のように純真無垢なその瞳を見詰め、青年は慈しむように目を細めた。
「この子、似てるね」
青年の呟きにイルカは頷く。
顔はそれほど似ていないのだが、纏っている雰囲気がよく似ていた。それから、その黒い髪とどこも穢れていないような無垢な瞳も似ている。とても優しくておっとりしている性格も、目立たないが非常に優秀な部分も似ている。
青年は一度ぎゅっと少年を抱き締めてその黒髪に頬を擦り寄せた後、少年と額を合わせて明るい声を出した。
「兄ちゃんが何でも教えてやる。勉強も、忍具の扱いも体術も忍術もぜーんぶ教えてやる。その他のことだって全部ぜーんぶ教えてやるよ。だから友達になろう」
突然の申し出に少年は驚きキョトンとしていたが、すぐに満面の笑みを見せて「いいよ」と返事をした。