味噌汁を啜ろうとしたカカシがふと顔を上げ、箸でお椀の中を掻き混ぜた。
妙に念入りに具材を調べ、箸で摘まんでは匂いを嗅いで首を傾げる。
「イルカ」
眉間に皺を寄せ低い声で名を呼んだが、イルカは皿の端でカンカンと卵を割りその中身を納豆に投入しただけで返事はしない。しかし俺は何も聞こえていません早く納豆食べたいなぁとでも言いたげなその表情が、まだ言葉にもしていないカカシの質問を実にはっきりと肯定していた。
「腕の良い敵の毒にやられて死ぬのとイルカの毒で死ぬのって、どっちが納得できる死に方なんだろう」
「大袈裟な! ちょっと賞味期限切れてたお豆腐を入れてしまっただけでしょうに!」
「で、そのちょっと賞味期限が切れてた豆腐が今この味噌汁の中に入っていないと言うことは、味噌汁に豆腐を投入した後、恐らくプラゴミ分別しようと容器を洗っている時に容器に付着していたシール、その三割引シールに目がいき、ああそう言えばこれは賞味期限が切れるギリギリに購入したんだった、どれどれ大丈夫だったかなと日付をチェックし、思いっきり切れているのが分かると大慌てで鍋から取り出そうとしたが後の祭り。水遁が得意なアンタのことだ、わざわざ忍術まで使って味噌汁に埋没していた豆腐を取り出して、これならカカシさんも文句は言わないだろうと何事もなかったかのようにお椀に盛った。こんなところですかね」
「なっがーーーー! カカシさんがベラベラ喋るってめずらしーー! しかも横で見てたのかってくらい当たってるのは、やっぱ写輪眼のカカシだからですか?」
「だまらっしゃいおばかのイルカ」
深く溜息を吐き肘を突いて片手で顔を覆ったカカシを見て、イルカはケラケラと屈託なく笑った。それから元気良く納豆を掻き混ぜ始める。
イルカは基本的にとても真面目な人間だが、同時に男らしいと言うべきか、かなり大雑把な面も持っていた。しかも貧乏性なので賞味期限が切れた食べ物でも、余程のことがない限り食べてしまうことが多い。カカシがそれを非常に嫌がるので二人で暮らすようになってからはそれは随分と減ったのだが、しかしたまにこういったことをしでかす。
そしてイルカが可愛がっていたナルトも同じ傾向にある。初めてナルトの家に訪れた時に賞味期限が切れた牛乳を見かけたが、カカシはそれが誰の影響かすぐに分かった。
忍は身体が丈夫だ。何もない僻地や戦場では草の根を食べ泥水を啜らねばならないこともあるので、内臓が強いことは良いことではある。
「カカシさんは戦場長かった割にはこういうのうるさいですよね。カカシさんレベルになると、食事は優先的に良いものが配られてたんですか?」
「なわけないでしょ。イルカだって俺の食事用意してくれてたから知ってるじゃない。みんなと一緒だよ」
カカシは匂いが届かないように味噌汁をできるだけ遠くに置き、箸を持ち直して食事を再開させる。お新香を一切れ取って口の中に放り込み、鼻の奥に残っている腐った豆腐の匂いを追いやった。
「今度からは作り直してよ?」
「神経質ですねー。お腹、弱いんですか?」
「不必要な悪食をして味覚と嗅覚が馬鹿になるのが嫌なだけ。因みに俺が普段から薄味のものを好むのも同じ理由」
そう答えるとイルカは「はー」と感心して尊敬の眼差しをカカシに向けたが、すぐに元気良く朝食の続きを始めた。勿論イルカは味噌汁も飲む。あまつさえカカシが卓袱台の隅に置いた味噌汁にチラリと視線をやったので、それも飲むつもりなのかもしれない。
「イルカ。アンタ昨日の俺の言葉聞いてたよね?」
先ほどと同じように深く溜息を吐き、カカシは箸を置いてイルカを見据える。
「勿論ですよ」
「昨日の今日でこれですか」
「これは毒ではなく、味噌汁です。俺が作ったものを毒呼ばわりするなんて酷いじゃないですか。もう何も作ったげませんよ。カカシさんの好きな茄子の味噌汁だって作ったげませんよ」
「そういうこと言ってんじゃないの。味覚と嗅覚の繊細さはイルカも知ってるでしょう? 一度馬鹿になるとなかなか治らない。相手は毒物に長けてるんだから、ちゃんと自衛なさいよ。命を狙われてる自覚を持たせた方が良いと踏んで昨日打ち明けたんだから」
「すみません。茄子の味噌汁は作ります」
しょんぼりと項垂れたイルカを見てカカシもそれ以上は言わなかった。反省しきりなのか活発に動いていたイルカの箸も進みが遅くなり、イルカはしゅんとしてのろのろと納豆やごはんを食べている。
そんなイルカを見ているとカカシも食欲を失い、一日の始まりがあまり良い雰囲気ではなくなってしまった。
食事を続けたい気分ではなかったが、身体が資本の忍としては朝食は抜けない。食べられる時に食べるのは鉄則だし、第一味噌汁以外も残すなど食事を作ってくれるイルカに悪い。カカシはイルカと同様にのろのろと箸を進める。
「イルカが好きだから言ったんだよ。愛してるから」
特に強い口調になってしまったわけではなかったが、結果的に説教じみたものになってしまいイルカをしょんぼりとさせてしまったことが気になってカカシはそう言ってみた。
「分かってます」
「せっかく作ってくれたのに、ごめんね。今日は俺が洗いものするから」
優しい声でそう提案し、雰囲気を変えるためにさくさくと食事を終わらせる。そして手を合わせて「ごちそうさま」と言い、食器を持って台所に向かった。
イルカに作ってもらっておいて文句を言うのは良くなかった。だが言わねばならなかった。暗殺に使われる毒物は無味無臭に近いので、味覚と嗅覚は常に最善な状態にさせておかなければならないし、カカシほど耐毒性のないイルカの体調も同じく最善の状態でキープしておくべきなのだ。万が一の時にほんの少しでも生存率を上げるために。
自分の分の食器を洗い終えると、残りの味噌汁が入った鍋の中身を捨てそれも洗う。ついでに冷蔵庫を開け、他に危険そうなものがないかをチェックした。
そろそろイルカも食べ終えただろうと居間に戻ると、イルカは自分の味噌汁を名残惜しそうに眺めているところだった。
「念の為、今日から俺の忍犬全部アンタの監視に回します」
「え! 今はただ、食べ終わったからこれシンクに持って行こうとして、それでああ豆腐入れなきゃ良かったなぁって物思いに耽ってただけであって俺は決して食べたいなんて思ってませんよ!」
慌てて必死で言い募るイルカの様子が可笑しくてカカシは笑った。