イルカはカカシを受け入れる。抵抗せずゆったりと笑みを浮かべ、カカシの気が済むまで行われるセックスも決して拒まない。そしてカカシが任務で里を離れている時は長い長い恋文を認める。アカデミーでの出来事や他人の名前は一切出さず、カカシをどれほど想っているのか、その激しい心をどれほど愛しいと思っているのかを書き綴り、美しい銀髪や均整の取れた身体を誉め讃える。お土産をまた買って来て欲しいと強請ってみたり、早く会いたい、早く帰って来て欲しいと情熱的に訴えてみたりもする。それはイルカの試行錯誤の愛がそのまま表れている恋文だった。
暗部であるカカシの任務は秘匿されており式にして飛ばすことができなかったので、イルカはいつもその恋文を卓袱台の上に置いていた。任務が終わるとすぐさまイルカを抱えて帰宅しそのままベッドに直行してイルカを抱き潰すカカシだったが、恋文の存在にはちゃんと気付いており、それはカカシが次の任務に行くまでには必ず消えていた。
返事は一度もなかったが、イルカはカカシが任務先でその恋文を読んでくれていることを知っていた。間違いない。イルカしか見えていないカカシがその恋文を日々の糧として大切に保管していることも間違いない。それをイルカは知っているから、毎日毎日カカシに恋文を書き続けた。
しかし、カカシの病にも似た怯えは酷くなる一方だった。
会えないことが不安を呼び、不安は新たに不吉な想像を抱かせる。不吉な想像はカカシを更に苦しめ、カカシは成す術もなくその想像に巻き込まれては混乱していった。このままいけばイルカは自分を見捨てるだろう。自分はイルカに見捨てられても仕方のないことをしている。しかしどうしても信じきることができない。イルカは今何をしているのだ。自分以外の者のことを考えているのではないのか。自分以外の者と親しげに話しているのではないのか。自分以外の者に意識を向け、その眼差しを向けているのではないのか。そうしていつしか自分以外の者のことばかり考えるようになり、最後には自分を捨て、他の誰かを選ぶのではないのか。
信じきれない。いくら恋文をもらっても、そこにある言葉がカカシを喜ばすものばかりであっても、信じきれない。
会えないから。
会えないことから生まれる恐怖を少しでも払拭したくて、カカシはイルカに忍犬を付けるようになった。イルカの一日を監視させ、いつどこで誰と合い、どんな会話を交わしたのかさえ報告させる。最初はイルカに気付かれないようにこっそりとそれは行われたが、当然すぐにばれた。
監視という行為は、イルカを憤らせた。忍犬によって報告される他人との会話は全てやましいことなどひとつもない気軽なものであったのに、カカシはそれすら嫌がりイルカを責めるのだ。俺は貴方以外の人間と会話もできないのかと、イルカは吐き捨てた。一度不満を口にすると後は堰を切ったような詰り合いが始まった。
何故監視までされる必要があるのか、何故そこまで疑うのか、俺はそこまで軽薄に見えるのか、それを何度も何度も問うた。これだけ愛しているのに、何故分かってくれないのかと泣いたこともある。何を言っても何をしてもこの想いが伝わらないなら、一体俺はどうすれば良いのですかと。
俺だけを意識してとカカシは答えた。貴方だけを意識しているとイルカは叫んだ。
だが、伝わらなかった。
泥沼に嵌った二人は足掻いても足掻いても沈んでいくしかなかった。
イルカが反論したことによってカカシは酷く苛立つようになり、信じられないような些細なことでも嫉妬するようになった。他人に微笑んだ、愛想を良くしていた、他人の仕事を手伝った俺以外の者の身体に触れた親しげにしている親切にした食堂で同じ席に座った。馬鹿げた嫉妬は笑えないものばかりで、その上カカシはイルカを脅迫めいたことまで口にするようになった。
今度アイツと喋ったらアイツ、どうなっても知らないよ。今度あの女に優しくしたらあの女、酷いことになると思うよ。
カカシはそんなことを口走っては嫉妬に狂ってイルカを抱いた。セックスはいつの間にか強姦めいたものに戻ってしまっていた。
常軌を逸したカカシの束縛が加速し周囲に殺気をぶつけるようにまでになると、イルカは大人しく忍犬による監視を受け入れることに決めた。周囲も次第に事情を察し、イルカに話しかけなくなった。
イルカは夜中に一人で泣くことが多くなった。淋しいとか辛いとかそんな理由ではなく、カカシが苦しみ続けていることが悲しかったからだ。真っ直ぐに、それしかないかのように真っ直ぐにカカシはイルカを求め、自分を求めさせようとしている。その必死さが強引さとなり嫉妬を呼び込み、不安を煽っている。カカシは自分が間違っていると分かっている。それなのに止められない。イルカがいつか自分から離れて行くのではないかと怯え、束縛することを止められない。束縛すればするほど呆れられるのではないかと不安が増すと分かっていながら。
「俺から離れたら必ずアンタを殺すから」
何度も何度もそう呟くカカシが悲しかった。カカシは心を、魂を投げつけてくる。どんなものにも守られていない剥き出しの魂をイルカに投げつけてくる。俺から離れたら必ず俺は死ぬからと泣いている魂。あまりに痛々しい剥き出しの魂。
それがあまりに悲しくて、愛しくて、イルカはカカシが自分を信じるまで待ち続けた。
恋文を綴る日々。カカシが帰って来れば荒れ狂うその激情をひたすら受け入れる日々。
そんな日々を送っている内にイルカも担当クラスを持つようになった。同僚の教師達とは無駄な会話はできなかったが、それでもできることを誠意を込めて精一杯行い生徒達を慈しみ続けた結果が認められた瞬間だった。
担当クラスには問題児であるナルトと、ナルトとは全く種類の違う問題を抱えたサスケがいた。二人とも扱いが難しい子供であり、サスケは一見手がかからないように見える分やっかいで、ナルトに至っては本人の意志とは関係なく里全体の問題をその小さな身体で一方的に受け止めなければならない状況にあった。勿論二人だけに構っていれるわけもなく、他の生徒にも目を配らねばならない。どこの子も大小様々な問題を抱えているのだ。人間なのだから。
イルカが受け持ちの生徒を持つと、カカシは目も当てられない状態にまで陥った。イルカの意識が以前にも増して生徒達に向くようになったことによる恐れからだ。
カカシはイルカに強姦のようなセックスをしているか、神経質に貧乏ゆすりを続けてコツコツと指先で机の上を叩いているかどちらかになった。喋らない。話し掛けても返事すらしない。イルカから目を逸らす。
ある日、アカデミーに残って残業していると任務から帰って来たカカシが現れた。いつものようにアカデミーに直行したらしく暗部服には血痕が付いており、まだ殺気すら微かに纏っている状態で。
職員室に残っていた他の教師は一瞬ぎょっと目を見開いたが、すぐに嫌悪感を露わにして視線を逸らした。穏やかな空気が固まり重い沈黙が落ちる。そんな中、カカシはズカズカと職員室の中に入り無言でイルカの身体を抱える。イルカは素直にその身体に手を回す。
カカシに抱えられてぼんやりと里の夕暮れを見詰めていると、イルカは公園に生徒達が屯っているのを見つけた。ナルトを取り囲むように輪になっている。嫌な予感がした。
「止まって下さい」
声を掛けたが無視された。それどころかカカシはイルカを抱えたまま移動スピードを上げたので、公園はすぐに視界から消えた。
「ちょっと待って下さい。カカシさん、ちょっと待って」
カカシの背中を叩いたがやはり無視される。しかしナルトの様子が気になった。とてもじゃないが仲良く遊んでいるようには見えなかった。放ってはおけない。
暴れると漸くカカシが立ち止まる。
「なに」
「ナルトがいて。……ちょっと様子がおかしかったので見てきます。すぐに戻りますから」
「嫌だね」
「カカシさん、お願いです。すぐに戻りますから」
「俺は嫌だと言っている。アンタ、俺のもんでしょ?」
久々に聞いた台詞だった。と同時に猛烈に腹が立った。カカシだけを愛している。カカシだけに恋をしている。だが、それとこれとは別だ。
同僚達が楽しげに飲みに行くのを黙って見送る淋しさに堪えてきた。親切にされ「ありがとう」と感謝の言葉を述べることすら躊躇う日々に堪えてきた。新年会も忘年会も出席できなかった。職員室で隣に座っている同僚がボールペンを落としても、それを拾うことすらできなかった。
全てはカカシのため。カカシの不安を取り除きたいがため。その魂に安らぎを与えたいがため。
イルカはカカシのために様々なものを堪えてきたのだ。
しかし、これは堪えられなかった。生徒を、ナルトを見捨てることはできない。カカシを見捨てることができないように。
「アンタ、俺のもんでしょ? 俺が命を助けたんだから」
歪んだ笑みを作ってそう言うカカシを突き飛ばし、イルカはカカシの身体から降りた。そしてカカシの顔を拳で殴り付け、ナルトの元に向かった。
カカシは追っては来なかった。どんな顔をしていたのかも知らない。振り向かなかったから。
悪い予感が当たったようで、イルカの姿を見ると子供達は蜘蛛の巣を散らすように逃げて行った。ナルトだけがポツンとそこに立ち尽くし、怒りを向ける対象が分からぬまま地面を睨んでいる。
男の子としての誇りを傷付けるつもりはなく、イルカは何も訊かなかった。ただナルトの視線に合わせるように腰を屈め、その顔にあった掠り傷の手当てをしてやった。それから手を繋いで二人で一楽に行き、ラーメンを食べた。ナルトは最初こそ悔しさで口を噤んでいたがすぐにいつもの笑顔を見せ、イルカにおかわりを強請った。そして楽しそうに、元気一杯にラーメンを啜りイルカに火影になる夢を語ってくれた。
イルカがアパートに帰ると、カカシは怒気やら殺気やらを撒き散らしてクナイを投げて来た。クナイはイルカの首の皮膚を鋭く掠め壁に刺さる。
「俺から離れたら必ずアンタを殺すって言ったよね?」
カカシの目は本気だった。本気で、取り返しのつかないことをしようとしている。
身も凍るような殺気に包まれて、イルカは腹を括った。このままいけば遅かれ早かれ今以上のことが起こる。もしカカシのためにイルカがアカデミーを辞めたとしても、必ず惨事は起こる。どれだけ愛していても、どれだけ恋をしていても、どれだけ尽くしても。
「話し合いましょう」
できるだけ静かな声を出した。
「なにを? 命乞いなら無駄だよ」
「そんなことしません。俺は貴方を愛しているから」
「じゃあ服、脱いで」
「セックスして何が分かるんです? 心が繋がらない状態のセックスに何の意味があるんです? 俺はアンタの性処理の相手じゃない」
「ほら、嫌になったんだ。やっぱり嫌になったんだ。離れたいだけでしょ? 俺と別れたいだけでしょ?」
カカシの顔が醜く歪み、気味の悪い声でクスクスと笑いだした。
魂が壊れる。
そう感じたから、身体が動いた。イルカが愛してやまない裸の魂を守るために、カカシを自害に追い込まないために。
思いっきり殴った。
「座りなさい」
殴られた衝撃で壁に激突したカカシに、自分の足元を指差して命令する。
カカシの瞳がゆらゆらと揺れていた。憎しみと、恐怖と、怒りと、狂わんばかりのイルカへの愛に。
「正座ッ!!」
腹の底から怒鳴り声を上げてもう一度自分の足元を指す。
そして動かないカカシの身体を掴み無理矢理正座をさせると、イルカは恋人として、教師として、親として友人としてイルカ個人として、カカシに凄まじい大説教を始めた。
カカシはイルカと出会った頃からずっと、ただの子供だった。忍としてのセンスが良すぎたために六歳で中忍となったカカシは、恐らく他人から説教されたことなど数えるほどしかないはずだ。任務をこなせば誰からも文句を言われない忍社会において、それはカカシに致命的な欠陥を与えることになった。忍としても一流、顔も良い、さぞかしチヤホヤされて育っただろう。しかも師匠は四代目ときている。エリート中のエリートであるカカシに逆らう者などいやしない。しかしだからこそ叱ってやれる誰かが必要だったのだ。
幸いイルカは「叱る」と「怒る」の違いを明確に区別できる。担当クラスを持ったことによって教師としての自信もついてきた。そして里有数の忍であるカカシの殺気を当てられても立ち向かえる根性と、カカシに対しての絶対的な愛を持っていた。
イルカはカカシの殺気や怒気に真っ向から立ち向かいながら説教を続け、カカシが口応えする度に容赦なく拳骨を落とした。カカシの魂が壊れる寸前で漸く分かったのだ。漸く踏ん切りがついたのだ。
受け入れるばかりではこの人は信じないと。
生徒達を見て分かった。生徒達ひとりひとりに、それぞれに合った接し方がある。導き方がある。
カカシも同じなのだ。カカシには、イルカの全部をぶつけないといけない。カカシが自分の全部をぶつけてくるなら、それに応えないといけない。中途半端にではなく、本当に全部をぶつけなければならなかったのだ。
拳骨を落としまくり、正論を吐きまくり、ありったけの誠意を込めて正面からカカシに説教を続けた。自分の拳が痛くなると新聞を丸め、それでカカシの頭をビシビシと叩いた。傲慢で臆病で淋しがり屋でどうしようもなく子供で信じられないくらい我儘なカカシは、それでも「だって」と「でも」を連発したが、その度にイルカは徹底的に論破し駄々をこねるカカシを叱った。
効果は拍子抜けするほどすぐに現れた。
カカシがイルカの目を覗き込んでいる。
そこに何があるのかじっくりと確かめるように、手を伸ばすように、掴もうとするように。
そして喜んでいる。今までに見たこともないほど手放して狂喜している。イルカが自分を見ている。自分のことを考えているのだと実感している。ついにイルカの意識を全て奪うことに成功したのだと実感し、その幸福に狂喜している。
カカシの「だって」や「でも」は、構って欲しいから。イルカの真心が詰まった拳骨が欲しいから。もっと構ってもっと自分を見てもっと相手をして欲しいから。この幸福をもっと実感したいから。貪欲に、貪欲に。
だからイルカもそれに付き合い、説教を続けた。
出会ってから今までこれほど長く見詰め合ったことはなかったくらい、互いの瞳を真っ直ぐに捉えながら。
カカシはその日以降も悪い想像に悩まされることはあったけれど、感情のブレは次第に減っていった。
イルカに叱られることも減っていき、監視の忍犬も置かなくなった。
元々とても賢い人間なので一度良い方向に向かうと後は一直線であり、ナルトがアカデミーを卒業する頃になるとイルカが惚れぼれするような良い男になっていた。勿論外見的には元からなので、内面的な意味で。
成熟したカカシは非の打ち所もなく、イルカの誇りだった。
そしてイルカもまた、カカシの誇りだった。
どうしようもない自分を見捨てず、ずっと手を握ってくれた人。決してこの手を離さないでいてくれた人。自分を導いてくれた人。一生涯自分が心から愛する人。一生涯自分を心から愛してくれる人。
一生涯愛し合える人。
二人が手を繋ぎ出口のない暗い迷路から這い出ると、そこは眩いばかりの幸福と愛に満ちた楽園だった。