手負いの獣だ。
 どうやってカカシと接すれば良いのか分からず、暫くカカシを観察してみたイルカの出した結論はそれだった。
 イルカに嫌われていたこと、また嫌われるようなことをしてしまった自覚がカカシを傷付けカカシを追い込んでいた。それ以上傷口が開かないよう、これ以上傷が増えないよう、自分を守るためにカカシはイルカの言葉を信じない。イルカの言葉を恐れ、恐れを怒りに変えて牙を見せ威嚇をする。
 それなのにイルカが欲しい。イルカを求める。怖い。欲しい。怖い。愛されたい。せめぎ合う自分の心がカカシを更に追い詰める。
 見ていられないほどカカシは痛々しかった。
 すぐにどうこうできる問題ではないと察したイルカは、時間をかけるしかないと思った。言葉でも態度でも信じてもらえないが、胸を切り開き心と呼ばれるものを取り出し提示することができない人という生き物は、結局言葉と態度でしか自分の心を示せない。根比べしかないのだ。
 カカシに何をされても何を言われても、イルカは心を込めてカカシに自分の愛情を訴えた。心配しなくても良い、俺は貴方が好きですよとカカシに訴えた。強張るその身体にそっと寄り添い、すぐに背けようとするその顔を優しく撫でた。真っ直ぐに目を見て愛を囁き、常にカカシの身を案じカカシを想っていることを語って聞かせた。
 最初は優しく接すれば接するほどカカシはイルカを疑った。疑い、怯え、自分を嫌っていると信じ込んでイルカに辛く当った。「早く飽きて欲しいんでしょ」と歪んだ笑みを見せ、暴力のようなセックスをした。そしてセックスを終えると逃げるように立ち去り、暫く顔を見せないのが常だった。
 それでも次にカカシが訪れれば、イルカは必ずカカシの訪問を喜んだ。「おかえりなさい」とその身体を抱き締め、任務で負傷していれば丁寧にその手当をして労いの言葉を掛けた。イルカは何をされても決して抵抗しなかったし、決して拒まない。断固としてひたすらカカシを受け入れる。
 二人とも里外の任務が入るのでそんなにちょくちょくと会えていたわけではなかったが、それでも教員採用試験に合格するとイルカの方は日帰り、もしくは二、三日で帰れる任務が多くなった。まだ面接が残っていたが、無事教員になれた時のことを考えイルカは暇があれば里内を見て回った。現在の里や子供達の様子、雰囲気、里がどういった方向を目指しているのか、何が必要でどんな悪習が残っているのかを知りたかった。自分が生まれ育った里なのに、そういった目で見てみると様々なものに気付かされる。それからアカデミーに出向いて見学もさせてもらった。そしてイルカがアカデミーを卒業してから特に長い年月が経っているわけでもないのに、既に驚くほどカリキュラムが変更されていることを知った。そこからアカデミー教師達が「いかに分かりやすく実用的で効率的に、個々の才能を潰さずバランスの取れた教育を受けさせることができるか」という命題に日々取り組んでいるのかがよく分かり、イルカを感動させた。
 イルカが里外に出ることが少なくなるとカカシと擦れ違うことが必然的に減り、丁度閑散期とも重なったようでカカシは三日に一度、少なくとも週に一度はイルカのアパートを訪れるようになった。カカシとの根比べはまだ続いていたが、イルカは粘り強く受け入れ続けた。
 カカシはむっつりと黙りこくったままの日もあったし、何もかもを受け入れるイルカに対し「早く飽きて欲しいからそんな態度を取っているのだ」と一方的に断定しイルカを悪しく罵り続ける日もあった。
 教員試験合格者の面接がある前夜は後者の日だったらしく、カカシはやけに荒れていた。イルカを傷付ける言葉を口にすればするほど自分が傷付いているのに気付かず、悪い想像に飲み込まれては足掻く。足掻きはまた余計な言葉となってカカシ自身を苦しめる結果となる。自虐的な笑みは端正な顔立ちを醜く崩し、それでも虚勢を張って口を閉じない。混乱したカカシが行き着くのはいつもと同じくイルカを力尽くで犯す行為。
 ろくに解されもしない後口に無理矢理ペニスを捻じ込まれる苦痛は慣れるものではなかった。しかし逃げる素振りさえ見せないイルカの身体に爪を立てて押さえつけ、髪を鷲掴みにして拘束しようとするカカシの方が余程辛そうで、イルカは自分の肉体の痛みではなくカカシの心の痛みを想って泣いた。イルカが泣くとカカシは更に怯えて混乱する。どうしたら良いのか分からなくて、もっと手荒くなる。ケダモノのように息を荒くしてイルカを貪ることしかできなくなる。酷い夜だった。
 目覚めると、ただの暴力としか呼べないセックスは終わっていた。いつの間に気を失っていたのだろうと瞬きを繰り返し、小さく息を吐いて時間を確かめようと視線を動かすと部屋の隅にカカシがいた。
 気配、いやむしろ生気すら感じられず、まっとうな生き物とは思えぬほど凝り固まり動かない。顔を伏せるように深く俯き呼吸すらしていないようなカカシは、まるで放置され続け誰からも忘れられた人形のようだった。
「カカシさん」
 イルカは穏やかに呼びかける。こんな酷く抱かれた日は必ずイルカが目覚める前に逃げるカカシが、そこにいる。
 嬉しいから、それを伝えたい。
「カカシさん、ここに来て下さい」
 腕を上げて手招きしたいが、酷使させられた肉体は思うように動かなかった。どこもかしこも痛くて重い。きっと身体中痣だらけになっている。
「俺、動けないんです。カカシさんが、来て」
 思わず猫を呼ぶように舌を鳴らしたくなった。チチチと、警戒する猫を呼ぶように。
 そんなことをしたら怒るだろうか。またごねるだろうか。でもカカシさんは素直になれない淋しがり屋の猫みたいだから。
 クスリと笑うとカカシが動揺した気配があった。イルカが何について笑ったのか分からなくて心が揺らめいている。
「カカシさん、おいで。おいで」
 指先だけを動かし、シーツの上をトントンと叩いた。静かな部屋にその音が優しく響くと、カカシは俯いたまま漸くのろのろとイルカに近寄る。ぎゅっと握られた拳が暗部とは思えぬほど頼りなさげで、愛しかった。
 イルカの中にはカカシを愛しいと思う気持ちしかなかった。カカシを知れば知るほど愛しくなる。強張った表情の奥に隠されているものが見えるから、堪らなく愛しいと思う。どんな言葉を投げつけられてもどれほど苦痛を伴うセックスを強要されても、そこにある魂に惹かれる。今にも泣きだしそうなカカシの魂を守りたくなる。
「アンタは俺のもんだよ。俺が命を助けたんだから」
 聞き取れないほど小さくて、不自然に固い声でカカシがそう言った。
 自分がしでかしたことに怯えるとすぐにその言葉を口にするカカシに、イルカは思わず笑った。みっともない言い訳とカカシ自身も分かっているのに、その言葉を口にしてしまう不器用さが子供のようだ。本当はイルカをまた傷付けてしまった罪悪感と後悔で一杯なのに。
「そうですよ。俺はカカシさんのものです。だからちゃんと傍にいてくれないと駄目じゃないですか」
 疲労で痙攣する腕を何とか伸ばしてカカシの手首を掴むと、胸が締め付けられるほどカカシは冷たくなっていた。きっと我に返って自分のしでかした行為に慄き後悔し、どうすることもできずずっと部屋の片隅で佇んでいたんだろう。そして今もイルカからどんな酷い言葉を投げつけられるかとびくびくして、緊張している。
 手首を掴んだまま引っ張ると、カカシは少しだけ眉根を寄せる。本当にイルカの傍に行っても良いのか分からなくて迷っている。恋人のようにその隣に寝そべって良いのかどうか分からなくて、困っている。
 臆病者め。
 イルカはまた笑う。図体ばかりが大きくて中身は本当に臆病で小さな子供の相手をしているようで、やけに楽しかった。
 もう一度引っ張ると、今度は素直に倒れ込んできた。イルカは力を振り絞って体勢を変えカカシと向き合う形にすると、その銀色の頭を両腕でしっかりと包み込む。そして何度も何度もその銀髪を梳き、頬を撫で、目の上を走る傷やその冷たい唇を啄ばんだ。
 そうしながら、イルカはゆっくりと、穏やかにカカシに語って聞かせた。
 カカシをどう思っていたのか、どう見ていたのか、あの戦場で何を感じ何が切欠で心境に変化が現れたのか、全てを包み隠さず語った。途中、イルカがカカシを軽蔑していた辺りでカカシがぐずり出したが、降り注ぐような口付けを与え上手くあやしながら話を続けた。全部を曝け出すことでカカシに安心感を与えたかった。だから詳細に、念入りに、取り零しのないよう記憶を丁寧に探って語り聞かせた。
 イルカはその日一睡もせずに面接に挑んだが、自分で納得できる受け答えができた。落とされても悔いは残らないだろうと思えるほど、里や子供達について熱く語ることができた。子供達に確固たる信念を持たせるためには、まず自分が揺るがない根を持たねばならない。引き裂かれても切り取られてもへし折られても決して負けず大地に張り続ける根を持たねばならない。しかしイルカはそれを持っていた。面接試験を受ける者の中で最年少でありながら、イルカは誰よりも強い根を持っていた。
 面接を終えてアパートに戻ると、カカシが待っていた。
 休日だったわけではなく、日帰りの簡単な任務があったらしく手には土産が握られていた。イルカは無邪気に喜んでカカシを部屋に上げ、土産の饅頭を頬張りながら二人で茶を飲んだ。カカシは相変わらずイルカから目を逸らしていたけれど、苛ついた様子もなく借りてきた猫のように大人しくしていた。
 その日から、カカシは必ず手土産を持って来るようになった。二人で食事をするようにもなったし、抱きあって一緒に眠るようにもなった。たまに悪い妄想に襲われてイルカを酷く抱く時もあったが、そんな時も以前のように逃げることはせず、許してもらいたい一心でイルカの意識が戻るまで部屋の片隅に身体を冷たくして佇んでいた。
 一次面接が終わり二次面接も無事に終了し、季節が変わる頃になるとカカシの内面は比較的落ち着くようになった。頑なに強張ったままの表情が和らぎ、たまに微笑んだりもする。イルカが任務で帰ると既に部屋で寛いでいることすらあった。
 カカシが落ち着くとセックスにも変化が現れた。一方的で無理やりだったセックスから、できるだけイルカを傷付けることのないように努力するものへと。
 いくら優しくしようと努力しても結局カカシは抱え込んだ心の激しさをそのまま表すようなセックスしかできなかったが、それでもイルカはその激しさの中で時折掠める快感を目聡く見つけ拾い上げた。カカシの指や唇やペニス、イルカに触れるあらゆる部分から良いと思える感覚を拾い上げた。拾い上げるものが増えると熱が生まれ、初めて触れられた時はあれほど不愉快極まりないと思ったカカシの指の感触はいつの間にかイルカに快感をもたらすようになり、凶器のようだったペニスを挿れらても苦痛はほとんどなくなって、代わりに言いようのない淫らな悦びが生まれるようになった。
 イルカが悦ぶようになるとカカシは更にイルカに溺れた。イルカの身体に夢中になり、喘ぐイルカを無防備な瞳で見詰めながら陶酔するようになった。
 あれほど怯えていたのに。あれほどイルカから目を逸らしていたのに。
 もう少しだ。
 もう少しでカカシさんは自分を信じ傷を癒す。
 そう思っていたのに、上手くはいかなかった。
 イルカは一発で教員試験に合格し、史上最年少の若さでアカデミー教師となった。すぐに担当クラスを持つことはできないので、最初は助教諭として授業の補佐をしながら経験を積むこととなった。葉ノ紀先生と呼ばれる直属の上司は物腰の柔らかい優しい女性で、とても面倒見が良くイルカに様々なことを教えてくれたし、実際に教員職に就いてから知った理想と現実のギャップに苦しんだ時も、生徒達の笑顔がイルカを救ってくれた。
 イルカは満ち足りた日々を送れるはずだったのだ。
 しかし、カカシが今までとは違う面でイルカを悩ませた。
 嫉妬だ。
 それまではイルカの話に耳を傾けてくれていたのに、イルカがアカデミーの話をしても嫌がるようになった。内勤となった以上毎日同じ名前が出るのは仕方のないことだったし、アカデミーを仕事の場としているのだからアカデミーのことが話題の中心になるのも当然だ。しかしカカシは機嫌を悪くする。
 子供なんてどうだった良いじゃない。何で俺のことだけ考えてくれないの?
 ねぇ、何で俺だけに意識を向けてくれないの?
 ハッキリとは言わないが、カカシは明らかにそういった態度を取る。少しでもカカシを安心させたくてアカデミーの話題を口にしなくなると、今度は「最近アカデミーの話をしないのは俺にやましいことをしているからでしょ」などと詰ってくる。同僚に嫉妬するならまだ分かるが、カカシはイルカが生徒に意識を向けることすら嫌がった。俺だけを見て、俺だけを意識してと訴える。
 その上カカシの任務が忙しくなり、頻繁に会うことができなくなってきた。
 自分の知らない所で、自分の知らない人間とイルカは毎日合っている。自分のことなど忘れて楽しそうにしている。
 カカシは不安に飲み込まれ、強引になった。
 里に戻るや否やどんな時でもイルカを無理矢理連れて帰る。自分が里にいる間は決してイルカを離そうとせず、平気でアカデミーを休ませようとする。抵抗すれば不機嫌になり、強引さが増すだけだった。
 里に戻ると一目散にアカデミーにやって来て自分が畏怖の対象である暗部であることを良いことに理不尽にイルカを連れ去るカカシは、瞬く間に他の教師達に嫌われるようになった。イルカしか眼中にないカカシは彼等にどう思われようが興味はないらしく、尊大な態度で横柄な口の利き方をし、彼等が勇気を出して抗議しても鼻で笑って聞く耳を持たない。
 イルカもただ手をこまねいていたわけではなく、様々な説得を試みた。カカシが任務から戻る度に連れ出されそのまま仕事を放棄させられるなど言語道断だったし、周囲に迷惑をかける行為は何としても止めさせたかった。確かにアカデミーの仕事はカカシが請け負う任務とはまるで違う。命を削り血にまみれるようなものではない。しかし、里の子供達を導く大切な仕事なのだ。
 誇りを持って仕事をさせてくれ、周囲に迷惑が及ぶような行為は慎んでくれ、自分の立場のことも少しは考えてくれ。
 イルカは何度も説き伏せようとした。しかしカカシはその度に機嫌を悪くする。
 俺のこと好きじゃないわけ? 俺に会えて嬉しくないわけ? 早く会いたいって思ってなかったってこと?
 そう言ってイルカを責める。
 その内イルカの話もロクに聞かなくなり、会話を拒否するかのようにカカシはイルカの身体だけを求めるようになった。イルカを掻っ攫い「ただいま」も「おかえりなさい」もないまま抱き潰すまでヤるだけ。イルカの説得から逃げ、それでもイルカを繋ぎ止めておきたいから身体で縛ろうとするだけ。強引な自覚があるがそれを止めることができず、カカシはどんどん我儘になった。
 アカデミーでは他の教師達に苦言を呈されることもしばしばだったが、中にはカカシがその地位を使ってイルカに無体を働いているのではないかと心配してくれる者もいた。しかしどちらにしろイルカは謝罪を口にし頭を下げ続けるしかなかった。まともな恋人関係とは程遠いながらも、イルカはカカシが愛しかった。何とかしてやりたかった。イルカが口を開くのを恐れ身体で繋ぎ止めようと必死になり、やけになって我儘ばかりを言うカカシを見捨てるつもりはなかった。そしてイルカは説得を諦め、会話の回復を辛抱強く待つこととなった。周囲に迷惑をかけているのは重々承知の上、それでもイルカはカカシを取った。
 カカシがイルカを信じるまでの長い根比べが再度始まった。
 



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