一楽が混む前にと、早めの夕食になった。
 イルカの右横で黒髪の青年がラーメンを啜り、その更に右横で長身の青年が餃子をタレに付けている。イルカの左横には赤い髪の女の子が髪を縛り、ラーメンのスープをレンゲで掬っていた。
 自然と話は彼等が赴いていた戦場の話となる。
 地下資源を巡りだらだらと諍いをしていた火の国の南の国境が完全に戦争状態と化したのは三年前のことだ。当初は木ノ葉を擁する火の国の圧勝かと思われたが、隣国が大金を注ぎ込んで霧隠れの忍を大量に雇い戦況は悪化。二年前に一度休戦されたが終戦へ向けた交渉が決裂し、たった三ヶ月で戦争は再開された。その後隣国が更に大金をかけて岩隠れの忍を雇い戦場は熾烈を極めたが、結局は霧隠れと岩隠れという二つの里に木ノ葉が上手く偽情報を流し内部から崩壊させた。
「勝ったは良いけど、あの地はまだまだ諍いが絶えないと思うよ」
 黒髪の青年がチャーシューを嚥下してから、大人びた口調でそう言った。
「資源がある限り仕方ないのかもしれない。随分昔からだらだらと戦争してるから怨嗟の根も深いだろうし。そもそもあの地は終戦したことがない、とも言われているしな」
「停戦しかないって言われてるね。今度も停戦なんだ。結局。どうせすぐ開戦される」
 黒髪の青年のやさぐれたものの言い方にイルカは心を痛めた。
 忍であるならば誰でも通る道だ。命を懸けて戦っても、それがどんな結果になろうがまた次の戦争が始まる。誰の命を懸けようが、誰の血が流れようが誰の金が湯水のように使われようが関係なく、戦争と呼ばれる化け物は発生しのさばり続ける。嫌気が差すのは当然で、投げ遣りな言葉を吐きたくなるのも当然だ。
 それでも忍は戦わなくてはならない。戦争の道具として。
「戦争を始めるのは簡単だ。だが終わらせるのは難しい。国や個人、そして俺達忍のプライドやメンツが戦争を加速させ、止まらせない。でも仮令お前達の働きの結果が終戦ではなく停戦であったとしても、その停戦状態が十年、二十年保てば良い。百年、二百年保てば良い。千年だったらもっと良い。俺はそう思うよ」
 箸を置いてイルカはそう諭し、黒髪の青年の頭に手を置いた。
 青年はじっとイルカの瞳を見詰めた後、ヒョイとイルカの丼からチャーシューを盗む。
「ひで! 最後の一切れだったのに!」
 イルカの声に青年はケタケタと笑った。
「それはそうとイルカ先生、さっき式を飛ばしてたでしょ?」
 左隣の女の子が、スープを入れたレンゲの中に麺を入れてレンゲで小さなラーメン丼を作りながらそう訊ねる。
 どんな女の子でもたまにこんなことをするよな、とイルカは思った。ズルズルと啜るのが嫌なのは理解できるけれど、そうこうしているうちに麺が伸びてしまう気がして仕方ない。どんな子でも、忍であっても、女の子という生き物は何故か一様にラーメンを食べるのが遅い。
 返事をしないイルカに、その子は補足をする。
「私達が先生を校門で待ってる時に見たんだけど、先生アカデミーの職員室の窓から」
「ああ、うん。式飛ばした」
「誰に?」
「え?」
 思わぬ問い掛けにイルカは思わず声を詰まらせた。もう子供ではないにせよ自分の元教え子だし、相手が相手なので少し言い難い。別に自分達の関係を隠しているわけではないので里にいれば彼等も自然にその関係を耳にすることになるだろうが、それでもイルカは躊躇った。
「もしかして、恋人? かな?」
 疑問形でありつつもどこか確信めいた口調で訊ねられ、女の子という生き物はこの手の匂いにつくづく敏感だとイルカは苦笑した。アカデミーでも女の子の方が色ごとにとことん鋭い。
「ないない! それはないって!」
「イルカ先生だぞ。ミズキ先生じゃなくて、イルカ先生だぞ?」
 爆笑しながら否定する青年二人にどういう意味だと怒ったふりをしながら、イルカはこっそりと胸を痛める。この三人はミズキのことを知らない。里から離れていたから仕方ないが、ミズキの名を出されるとどうしてもイルカは塞ぎこむことが多かった。酒を飲み交わし夢を語り合ったこともある同僚であり仲間でもあったミズキ。そのミズキもまたイルカと共にこの三人の成長を見守ったのだ。
 三人がいない間に、様々なことがあった。ミズキは里を裏切り、木ノ葉崩しがあり、三代目が、多くの忍が里を守るために戦い散っていった。
 イルカをからかうのに夢中な三人の相手をしながら、イルカは時の流れを感じる。
 この三人も今では立派な木ノ葉の忍だ。アカデミーに在籍していた時はまだまだ小さな子供だったのに。
 当時教師に成り立てで担当クラスも持っていなかった若造のイルカに、子供達はよく懐いた。イルカ先生イルカ先生と、どこに行っても子供達は群がった。この三人も例外ではなく、いやこの子達は特によく懐いた。教員職に憧れ夢が叶ったと浮かれていたイルカにとって現実は厳しいものであったけれど、それでも毎日が頑張れた。失敗しても叱責されても、子供達が元気を分けてくれたから。
 今イルカが教師を続けているのは、イルカ自身のたゆまぬ努力と子供達のおかげである。
「あ、なんかイルカ先生がじーんとしてる」
 黒髪の青年の声に、イルカは慌てて目頭を押さえた。
「年取ると涙脆くなるって、ムギ先生が言ってた」
 長身の青年がポツリとそんなことを言う。
 ムギ上忍は三人の上忍師で、初老の婦人だ。非常に涙脆く情に厚いことで有名な人だったが、腕は確かで特に育成能力に優れており、彼女が師につくと部下の上忍になれる確率が飛躍的に上がると言われている。
「そう言えば、今度の上忍試験どうするんだ?」
 ムギ上忍の名前が出たことで、イルカはふと黒髪の青年を見て訊ねた。ずっと戦場にいたから試験を受ける機会はなかっただろうが、この三人はアカデミーに在籍していた頃から後々木ノ葉を背負って行くことになるだろうと教員の間でも噂されていたほど筋が良かった。
「俺。俺は受ける。もうムギ先生に推薦状出して貰った」
 黒髪の青年が元気に挙手をしニヤリと笑った。自信があるのだろう。
「後の二人は?」
「もう少し待ちなさいだって。私はまだ感情がセーブできない部分があるからって。ムギ先生に言われるとヘコムけど」
「俺ももう少し待てって言われてる。上忍試験を受けるにはまだ幻術に弱すぎるからだって」
「ムギ上忍は凄い人だ。あの方の言う通りにしてればお前達、絶対上忍になれる」
 少し拗ねた二人を励ましたが、赤い髪の女の子はまだ少し不満があるようだった。もうすっかり伸びきったラーメンを箸で摘まんではレンゲに乗せ、ブツブツと不平を漏らしている。
 イルカは彼女の赤い髪に手をやり、優しく撫でてやった。
「ムギ上忍、良い人だろ? お前のことを思って、まだ、と仰っているんだ」
「分かってるわ。ムギ先生は本当に良い人だもん。お母さんみたいに、すっごく優しいもん」
「お母さんって言うよりはお婆ちゃんだけど」
 黒髪の青年の言葉に、イルカは笑った。
 それから三人は口々にムギ上忍についてイルカに様々なことを教えた。どんなに優しい人なのか、どんなに愛してくれるのか、どれほど忍として優秀なのかを。
 ムギ上忍は結婚し子供を産んでから一度忍を引退しているとイルカは聞いている。その後九尾の件の時に夫と実の子を一度に亡くされ、酷く落ち込んだらしいことも。しかし彼女はその後見事に立ち直り、くノ一として忍の世界に舞い戻った。そして強い心と愛を胸に抱き、今ではこうして上忍師として高名を馳せているのだ。
 彼女の部下となった者は残らず彼女の人柄を誉め讃え、その愛情の深さに感謝し、そして彼女の愛に報いるために修行をする。
 素晴らしい連鎖だとイルカは思う。
「愛されてるな、お前等」
「ムギ先生には本当に愛して貰ってる」
「うん」
「すっごく愛して貰ってる。ムギ先生の愛情の深さってホント凄いよ。何て言うかさ、こう、満たしてくれるんだ」
 黒髪の青年が胸を張り誇らしげにそう言うのを見て、イルカは心の底から嬉しく思った。


 伸びたラーメンをだらだらと食べていた女の子が漸く丼の中の麺を空にすると、イルカと三人は一楽を出た。
 空には煌々と輝く満月があり、寒くもなければ暑くもないとても良い夜だった。
 アカデミー時代の話をしながらイルカと三人は歩く。あの時はああだった、あの時は笑えた、あの時の悪戯の真犯人は実は。そんな話がとりとめもなく続く。
 坂を上り、小さな公園に出た所で黒髪の青年がふと足を止めた。
「ねぇイルカ先生。アイツ、見かけることってある?」
 長身の青年も赤い髪の女の子もその一言で足を止め、真っ直ぐにイルカを見る。
「ない。一度も会ってないんだ」
 イルカの返事に、三人は肩を落として沈黙した。

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