申し訳ありませんでした。もう大丈夫です。

――では続きをお願いできますか?

 はい。
 雨野先生の緊急の口笛が聞こえまして、私はその場を離れました。正直ほっとしました。私はそこから動くことができなかったものですから。
 行方が分からなくなっていたのは、私の受け持ちの生徒でした。イシノ薬草園から少し離れた場所にいて、やはり他の生徒同様懸命に何かをしておりました。こう、地面を、こう。何か探すような仕草です。
 そこはイシノ薬草園の中心から離れておりましたし、そんな事態ですから目に届く場所に置いておこうという話になりまして、私と雨野先生はその子達を運ぶことになりました。コチ君だけが酷く暴れましたが、その他の三人はむっと顔を顰めただけで、比較的大人しかったです。
 雨野先生が一緒にいてくださることで私も落ち着き、生徒に触れることができました。まぁ、どうしても少し怖かったですが。不可解な生き物に触れるのに恐れを感じるようなものです。
 班は三人構成でしたから、コチ君が暴れていると運べません。コチ君は普段は本当に、それはそれは大人しくて優しい子です。この子は本当に忍として生きていけるのかしらと思うほど優しい子です。優秀な忍犬使いの一家の末っ子なのですが、お兄さんの忍犬が死んでしまった日は学校でもずっと泣いていたほどです。自分の忍犬ではなく、お兄さんの忍犬ですよ? そういう子なのです。
 そのコチ君が、酷く暴れました。雨野先生に噛みつかんばかりにです。ですから、これでは運べないと判断した雨野先生によってコチ君はワイヤーで縛られることになりました。そうして雨野先生は両脇に生徒二人を抱え、私は一番大人しくしていた一人を抱え、イシノ薬草園の中心地に戻ったのです。
 そこで葉ノ紀先生とも合流し、私達は子供達の状態を調べることになりました。しかし術にかかった様子はありませんし、何かの中毒といった感じでもありませんでした。集団で熱中症にかかったのかもしれないとも思いましたが、それも違いました。子供達の体温も、チャクラの流れも、瞳孔も、脈拍も、全て正常だったのです。
 その状況に対し理解することも対応することもできなかった私達ですが、とりあえず生徒達を一ヶ所に集めることになりました。雨野先生が火影様に式を飛ばしたとのことでしたから、直に暗部や医療班が来るのは間違いなかったのですが、その間に何が起こるか分かりません。せめて私達の目の届く場所に、という雨野先生のご判断でした。
 三人で手分けをして、生徒達を中心地へ集める。暴れたら気絶させる。私は気を落ち着かせて何度も自分にそう言い聞かせ、イシノ薬草園の西へ向かいました。
 その時私は、比較的近場にいる子達は後回しにしようと思っていました。遠方にいる子から順に回収しようと思っていたのです。しかしその時。
 あ、ちょっと待って下さい。その前に、はたけ上忍を見かけました。

――はたけ上忍? 間違いないですか?

 はい、間違いないです。銀色の髪に暗部服を着て我々の周りをうろつく人間ははたけ上忍しかおりません。一瞬見かけただけですが、あれははたけ上忍です。
 はたけ上忍は西へ向かう私の前をさっと通り過ぎました。ちらりと私の顔を見たかもしれません。あまりに速くて良く分かりませんでしたけど。

――どの方向から来て、どの方向へ向かってましたか? また不審な様子はありましたか?

 はたけ上忍ですか?
 あの方は北西からやって来て、私の前を通って東南に向かっていたようです。ぎょっとしましたけど、あの方は暗部ですから、あ、暗部が来たのかもしれない、と私は思いました。
 不審な様子と言われても、見かけたのは一瞬でしたので何とも。

――分かりました。続きをどうぞ。

 はい。とにかく私は遠方にいる子から順に回収しようと思っていたのです。
 ですが、すぐに足を止めました。
 印を結んでいる子を見かけたからです。
 その子のことはよく知っておりました。葉ノ紀先生のクラスの子で最も目立つ、いえ、普段からアカデミーの中で最も目立つ子達でしたから。
 腕白で明るく、しょっちゅうイルカ先生に悪戯をしかけている子で、昼の休憩時に虹玉で遊んでいたグループにも入っていましたね。それに、アカデミーで最も将来を期待されている生徒でもありました。
 黒羽シズクという名の子です。(注: 黒羽 シズク 参照資料D-786-A-4599)
 生徒達はこぞって何かを探すような動作をしておりましたが、それは手を使ってこう、掻き分けたり、掘ったり、掬ったり、手の平で地面の表面を撫でたりといった、そういう動作がほとんどでした。
 そんな中、黒羽君は印を結んでいたのです。
 アカデミーの生徒は簡単な印しか結べない子がほとんどです。大きな術を使うにはまだチャクラの量が足りませんし、危険ですので我々も教えておりません。それでも出来る子は、特に黒羽君のようにチャクラ量もありセンスも良い子は自分で巻物を購入したりしてどんどん術を習得していきます。
 黒羽君はその時、土遁の印を結んでおりました。大きな術です。いくらチャクラ量が他の子よりも多いとは言え、発動には危険が伴う術です。私は大慌てで黒羽君の元に降り立ち、印を結ぶその手を遮りました。そして止めなさいと大きな声で叫びました。自分を鼓舞するために出した声でもあります。
 黒羽君は一瞬だけ呆気に取られていました。何が起こったのか分からないような感じでした。それから私の顔を見て、次に驚くような素早さで攻撃してきたのです。
 私は飛び退き彼の攻撃を躱しながら説得を試みました。とにかくまずは攻撃を止めて欲しいこと。その術を使うにはまだチャクラが少なすぎて、貴方が危険だということ。何か探しているものがあるのなら、先生も一緒に探すから落ち着いてほしいこと。
 先生は味方だよ、先生はみんなの味方なんだよと私は幾度も幾度も繰り返しました。
 しかし黒羽君に私の言葉は届きませんでした。言葉の通り、届いていないのです。彼は怒りにまみれておりました。全身の血肉を全て怒りに明け渡し、ケダモノのように息を荒くし、目をぎらつかせ、その怒りを全て私に向けていました。まるで怒りの塊なんです。 私は必死でした。黒羽君の攻撃はアカデミー生とは思えないほど凄まじく、容赦もなく、恐ろしいものだったのです。それは何かに乗っ取られているというよりも、彼の中のリミッターが完全に外れているような感じでした。
 これは私の手には負えないと、雨野先生か葉ノ紀先生を呼ぼうかと思った時、それは起きました。
 黒羽君の近くにいた子が一人、泣きだしたのです。

――詳しく聞かせて下さい。

 まず、私が黒羽君の攻撃を受けている時にその場にいたのは、私、黒羽君の他に、黒羽君と同じ班のクルタさんと神無月君でした。
(注: クルタ ミキ 参照資料D-786-A-4572 神無月 大輔 参照資料D-786-A-4595)
 この三人はいつも一緒におりますからよく知っております。
 黒羽君が印を結ぼうとしている時、あとの二人は他の生徒同様、こう、這い蹲って何か探す動作をしておりました。その時は気付きませんでしたが、今思えばあの三人は他の生徒よりも、よりがむしゃらだったような気がします。それで、私が黒羽君の印を遮り攻撃を受けてからも、クルタさんと神無月君は自分達の作業というんですか、その、探す動作を止めなかったし、私と黒羽君のことなど眼中にないような感じでした。
 それなのに急にクルタさんが泣き始めたのです。それは丁度、黒羽君の攻撃を避けることが精一杯だった私が初めて隙を見つけ、手刀を彼の首筋に当てようとしたけれど失敗してしまった時です。すっと避けられましてね、私の手刀が彼の肩に当たって彼が顔を顰めた時です。
 クルタさんが本当に突然、赤ん坊のように激しく泣きだしたんです。
 全身で泣いているみたいでした。どうして良いのか分からなくて、成す術もなくて、悲嘆に暮れて、絶望の淵に追い込まれて泣いているみたいでした。
 私はあの年頃の女の子が、あれほど激しく泣いているのを見たことがありません。一種のヒステリー状態と言うよりも、魂の悲鳴みたいなものを感じました。小さくて柔らかい女の子の魂が、何かの強い力によって引き裂かれているような悲鳴です。今思い返しても耳を塞ぎたくなるような悲鳴です。
 そして、それと同時に黒羽君の攻撃も止まりました。
 何かを一心不乱に探していた神無月君の行動も止まりました。
 神無月君はその場で蹲り、あの大きな身体を小さく小さくして蹲り、身体を震わせていました。黒羽君はその場で立ち尽くし、拳を力一杯握って大地を睨みつけておりました。
 見つからない、と。
 見つからないと、クルタさんが絶叫しました。怖いくらいの絶叫でした。
 それから見つからない見つからないと壊れたように繰り返し、また泣きじゃくるのです。赤ん坊のように顔をグシャグシャにして泣きじゃくるんです。
 小さく蹲っていた神無月君が顔を起こし、感情をぶつけるかのように頭を地面に叩き付けました。何度も何度も、そうしました。拳で地面を殴り付け、頭を叩き付け、それまで一度も声を上げなかった彼が、普段おっとりして声を荒げることもない彼が、声を限りに叫びました。それは絶望の咆哮のようでした。
 そして黒羽君は。
 ……私は、あんなに沢山の涙を見たことがありません。あんな涙を見たことがありません。貯水池のダムが決壊したかのような、あんな涙を見たことがありません。
 あんなに静かに、あんなに大量の涙を流す人間を、私は見たことがありません。
 私はまた世界から取り残されていました。私にはどうすることもできないことが目の前で起こり、どうすることもできないまま、彼等は糸が切れたように倒れ昏睡しました。

――子供達は翌日全員覚醒したわけですが、その後何か変化はありましたか?

 ございません。少なくとも私のクラスの生徒達に変化はございません。
 アカデミーが再開された日は少し動揺を残しておりましたが、それは初めて入院したことや、知らない大人達に根掘り葉掘り色々と訊かれたこと、何か凄いことが自分達の身の上に起こったらしいことに対する興奮でしかありませんでした。
 何か良くない噂や憶測が流れることもありませんでしたし、自分達の記憶が一部欠落していることに対して恐怖を抱いている様子も見当たりませんでした。
 生徒達はどこか無神経なほどあっけらかんとしていて、直ぐにその件を「珍しい思い出」として過去へ追いやり、元の生活に戻ったのです。私の存在している、私の知っている世界へ生徒達は戻って来たのです。

――では最後に、この件に関するカンム中忍の所感を述べていただけますか?

 私は根っからの子供好きです。子供の頃から自分より年下の子を世話するのが好きでしたし、何かを教えるのも好きでした。ですから教師は天職だと思っておりました。子供の頃から何の疑いもなく、大きくなったら自分は教師になるのだと思っておりました。そのために努力しましたし、万が一の時に子供を守れるよう修行もしました。教職に就けた時は本当に嬉しかった反面、当然だとも思ったくらいです。
 しかしこの件で、私は全ての自信を失いました。子供を恐れ、身動きも取れず硬直していた私は教師としてもくノ一としても失格なのだろうと。
 冷静に考えてみると、あの時私ができたことは実際は何もなかったのかもしれません。
 しかしそれは問題ではないのです。
 できることがあったかなかったか、それは関係ないのです。
 あの時のカゴメさんやアカネさん、黒羽君、クルタさん、神無月君のことを思い出すと、私は未だに少し恐怖を感じるのです。
 子供達に何が起こったのか分かりません。私はソレが起こってから、ずっと慄いていただけですから。
 ソレは本当に、本当に、悪い夢のようでした。
 私が心から愛している子供達が一瞬の内にどこか遠くへ行ってしまった、そんな恐ろしい夢のようでした。

――有難う。ご協力感謝します。それから、私はカンム中忍は良い教師だと思っておりますよ。

 有難うございます。私は自分が教師失格、くノ一失格と分かっているのに、まだ教師を続けていきたいと思っているのです。
 私は子供が好きなんです。
 これだけの失態を晒し、今もこれだけ子供を恐ろしいと思ったと散々言っておいて何をとお思いかもしれませんが、アカデミーが再開され教室に行った私を迎えてくれたのは笑顔の子供達でした。私はそれを見て、本当に涙が溢れてしまった。
 私は情けない教師だし、情けないくノ一です。
 でも、それでも、子供が愛しい。
 生徒に囲まれて日々を過ごしたい。立派な忍になりたいという生徒達のために、全力を尽くしたい。今度は、何があっても生徒達を守りたい。この気持ちに偽りはない。
 私は教師として生徒達を全力で導きたい。
 生徒達を全力で愛し続けたい。
 
 私、本当に子供が大好きなんです。

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