No.15432zzgLD-324-1227 ****年06月03日
総合責任者:イハヤ キリト
文書製作者:キクザト リョウ
付帯資料 別途添付 D-786-A-4542〜D-786-A-4618
05・26 D-423-115地区児童集団昏睡事件
アカデミー教諭 カンム ケイ 参照資料D-786-A-4546
どこか変わったことがあったかと訊かれれば、「なかった」としか言いようがありません。生徒達はとても楽しそうでしたし、森の空気に不穏なものなどありませんでした。小動物などもちょくちょく顔を見せておりましたし、特別な匂いやトラップの痕跡などは一切ありませんでした。間違いありません。
私の受け持つクラスは葉ノ紀先生のクラスの前方を歩いておりました。大抵仲良しグループで固まっておりましたね。女の子は女の子同士、男の子は男の子同士といった具合です。中には班構成のまま、男女仲良く歩いている子達もおりました。はい、そういう子達もおりますよ。その手の子供達は基本的に親同士仲が良く、子供達が幼馴染である場合がほとんどです。そしてアカデミーを卒業してもそのまま班を組むことが多いですね。イハヤ上忍もご存じの通り、小さな時からずっと一緒にいる子達のコンビネーションは素晴らしいものがありますから。
勿論、グループ同士少し仲が悪かったりすることもあります。あの人達とは気が合わない、話が合わない、なんてことは大人でもありますように、子供にだってあるのです。敵対とまではいきませんが、好んで一緒にはいない感じですかね。私のクラスで言うと、アカネさんのグループとカゴメさんのグループはあまり仲良くありません。(注: アカネ 沙織 参照資料D-786-A-4568 トキ カゴメ 参照資料D-786-A-4574)
しかしああいった女の子達にはあの年頃の女の子達しか分からない特殊で小さな社会を作っておりまして、些細なことで喧嘩をしてみたり仲直りをしてみたりを繰り返すものなのです。それに私は苛めは許しませんし、私の生徒達もそこまで馬鹿ではありません。そこまで幼稚でもありません。適度な距離を保つことくらいはできる子達です。
ですから、その時も彼女達のグループは少し離れ、別に喧嘩をすることもギスギスとすることもなく歩いておりました。
ああ、そうですね。あの年頃の女の子は皆そうですけど、特にアカネさんとカゴネさんは汚れることを極端に嫌がっておりましてね、泥が付いたりすると凄く騒ぐんです。汚い汚いって。とてもお洒落に気を使う子達ですから。
それで、汚れるのが嫌なのはお互い知っておりますから、先に歩いていたのがアカネさん達だったのですが、草に隠れて一見普通に歩けそうな足場でも実はぬかるんでいた、なんて場所があれば立ち止まってカゴメさんに教えてあげてましたよ。ここ、足場悪いから気を付けた方が良いよって。
そういったものなのです。男の方では少し理解に苦しむ部分もあるでしょうけど、ベタベタと異様に慣れ合ってるかと思えば変に険悪になったりもする。サバサバしている所もあれば、こちらが吃驚するほど気を遣える部分もある。女の子ってそんなものですからね。
アカネさん達とカゴメさん達は仲良くないんですけど、別に意地悪し合うこともありませんし、共通の敵、大抵は男子ですが、共通の敵ができると凄まじい結束力を見せますしね。それで、その日はその敵が泥だったわけですよ。
そういった面も含めて、いつも通りだったのです。いえ、むしろ皆楽しげでした。どの生徒ものびのびとしておりましたし、とても沢山の笑顔がそこら中で見られました。普通の授業ではそうはいきませんからね。
途中で歌も歌いましたよ。後方、つまり葉ノ紀先生のクラスの生徒達が歌い出したんです。その歌が聞こえると私のクラスの生徒達も歌いだしましてね。流行歌を数曲歌って、最後は木ノ葉の歌になりました。男の子も女の子も、皆歌っておりましたよ。私も生徒達と手を繋いで歌いました。
天気が凄く良かったです。木々の合間から見える空の青さは感動的なほどでした。前日に降った雨の雫を乗せた葉がそこかしこで輝いていて、新鮮な空気が私達を覆っておりました。私達はそんな中、皆で歌を歌って歩いていたのです。
私は……私は、できるならその光景を、木ノ葉の忍全員に見せたいと思いました。戦地に赴き激戦を繰り広げている者、単独で暗殺任務を遂行しようとしている者、死にかかっている者、今まさに子を産まんとしている者、全てに見てもらいたいと思ったのです。
貴方達の里がどれほど美しいか、貴方達が命を懸けて守っている里がどれほど豊かで愛に満ちているか見て下さいと。知って下さいと。そして私達の里の子供達がこんなにのびやかに育っているのは、貴方達のおかげなのですよと感謝し勇気付けたかった。
それほど幸福な一時でした。
イシノ薬草園に到着してからもそれは変わりません。生徒達は楽しげに薬草摘みをしておりました。イシノ薬草園には野生のハクリハが群生している場所がありますから、蝶が飛んでおりましたよ。生徒達は薬草摘みをしながら蝶を追いかけたりリスなどの小動物を観察したりしておりました。そこかしこから生徒達の和やかな声が聞こえました。
途中で生徒が一人見当たらなくなって雨野先生と探しに行きましたが、すぐに見つかりました。その子は薬草摘みの間に始まったらしい鬼ごっこに夢中になってしまって、イシノ薬草園から少し外れた場所まで行ってしまっただけでした。雨野先生が拳骨を落としても笑ってましたから、意図的に抜け出したわけではなかったようですね。その後はちゃんと薬草摘みに精を出しておりましたし。
皆、どこにも問題ありませんでした。雨野先生が集合をかけるとさっと集まりましたし、お弁当を食べている時も、どの子の顔もとても楽しそうでした。
天気が良く、蝶がひらひらと飛んでいる森の中、生徒達は幸せそうにお弁当を食べている。
なんだか満ち足りた遠足みたいでした。
――抜け出した生徒の名は?
奈野アサリ。(注: 奈野 アサリ 参照資料D-786-A-4591
私のクラスの子です。お弁当を食べている時に私のところに来ましてね、あれからちゃんと薬草取ったよって言って見せてくれましたよ。
――昼食後、何か変わったことは?
ございません。昼食後の休憩では生徒達は思い思いに時間を過ごしておりましたが、特に変わったことはありませんでした。元気の良い男の子なんかは普段通り森の中を走り回っておりましたし、女の子達は大体固まってお喋りしておりましたね。
一応授業に関係ないものは持って来てはいけないことにはなっているのですが、やっぱり何と言うか、みんな毎年この日はちょっとはしゃぎまして、遠足気分で色々持って来ちゃうんです。女の子なら雑誌、男の子なら遊び道具です。
まぁ余程のものでない限り私共もそういったものに目くじらを立てるわけではありませんから、皆そういうもので普通に遊んだりお喋りしておりました。
長閑なものでしたよ。ブラシで髪を梳く女の子や、元気に走り回っている男の子達がいて。
ああ、そうですそうです。私、はたけ上忍を見ましたわ。あの、イルカ先生に付きまとっているはたけ上忍です。
見かけた、と言いますか、何と言いますか。
その時私は丁度お弁当箱を仕舞って、お茶を飲んでいたんです。両手でこう、コップを包んで、ほっと一息吐きながら生徒達を見ていたんですね。確か葉ノ紀先生の受け持ちの生徒達がいて、ボールで遊んでおりました。知ってます? あの、今子供達の間で流行っている綺麗なボール。虹玉って呼ばれているもの。あれです。あれ、ビー玉みたいに綺麗で弾力性もあってよく跳ねるじゃないですか。あれで遊んでいたんです。みんなで円になって三個のボールを木の枝で弾き合っていました。
その円の中にイルカ先生も混じっていたんですよ。
イルカ先生は生徒達から大変人気がありますから、からかわれて集中攻撃されてましたね。面白かったですよ。三個のボールをいくら弾いても、生徒達は皆イルカ先生に返すんです。で、イルカ先生は大慌てで別方向から飛んで来るそれぞれのボールを弾き返すんですけど、またみんなでイルカ先生に返すんです。もう見てるだけで笑っちゃいました。
面白そうでしたし、動体視力と反射神経を鍛えるのにはもってこいです。今度授業で使ってみようかしら、生徒達もさぞ喜ぶだろうな、なんて考えていた時にはたけ上忍がやって来ました。
やって来たと言うか、風のように瞬く間にイルカ先生を攫って行ってしまったんです。
生徒達は何が起こったのか分からなかったみたいですね。キョトンとしてました。しかし私の目には暗部装束と銀色の髪がはっきり映りましたから、ああ、またはたけ上忍が来たんだと分かりました。
恋人として付き合っているとはたけ上忍はおっしゃっておられますが、実際のところは知りません。あの方は嫌になるほど横暴で勝手な方ですから、イルカ先生に交際を強制しているだけなのかもしれません。ともかく、あっと思った時にはもうイルカ先生は連れ去られた後でしたから、私にはどうすることもできませんでした。
そうしたことはちょくちょくあるのです。そしてその度に私達他の教師は、はたけ上忍の勝手さに辟易するのです。
その時も私は深く溜息を吐き、今度こそ火影様に訴えてやろうと思いながら生徒達のところに行きました。そして、イルカ先生は急用ができただけだから心配しなくて良いわよ、と言いました。まさかはたけ上忍に連れ去られた、なんて言えませんからね。本当にはたけ上忍は困った人です。
生徒達は得心がいかない様子でしたが、それでも暫くするとまたボールで遊びはじめました。
――分かりました。では昼食後、ソレが起こった時の様子を詳しく聞かせて下さい。
はい。まず、昼食後の休憩が終わると一旦生徒達を集合させ、雨野先生から再度注意事項の確認をしてもらいました。お互い声が届かない場所には行かないこと、危険そうな動植物を見つけても手を触れないこと、何かあったらすぐに先生達を呼ぶこと、等ですね。
それから薬草摘みが始まりました。
親しみのない森に慣れたのか、生徒達は午前中よりも比較的落ち着いておりました。はしゃいでいる子は見当たらず、いえ、元気そのものでしたけど、何と言いますか、皆とてもリラックスしているようでした。虫を苦手としている女の子などがたまに声を上げたりはしていましたが、それくらいです。
私は生徒達と一緒に薬草を摘んでおりました。薬草の中には棘がある種類もありますからそれに注意を促してやったり、見慣れない花に興味を示している子にそれが何か教えてあげたり、クシの実をもいでいた子に、それは食べられないのよと教えてあげたりしていました。ほら、クシの実は一見とても美味しそうにじゃないですか。毎年こっそり食べてみようと試みる子がいるんですよね。まぁ食べても害はないし、苦いだけですけどね。
途中でカゴメさんが泥濘に嵌ったとかで泣きついて来ました。滑って手を付いたらしく、足の甲や膝、手の平が泥だらけで可哀想でしたので、洗ってあげようとしたところ雨野先生がみえまして、私の代わりにカゴメさんを水辺まで連れて行ってくれました。
その後は生徒に乞われて野鳥の説明なんかもしましたね。忍は鳥をよく使うし、親しみがありますよね。虫嫌いな子はいても鳥嫌いな子は滅多におりません。あの辺りは里付近では見られない小鳥も多いので皆興味津々で聞いておりましたよ。
で、その説明も終わりまして、また薬草摘みに戻ってからです。
それが始まりました。
それは私の知らない間に始まりました。
私はその時、いつの間にか服に付いていたオナモミを取っておりました。あの、棘があるオナモミの果実です。森を歩いていると知らない間にくっ付いている小さな実です。それが右腕にも左腕にも付いていて、それから腰にも付いていたので、それを取っておりました。ですから、生徒達から目を離したのはほんの少しです。手でささっと取っていたわけですから、一分もかかってないはずです。
それなのに、オナモミを取り終えて顔を上げると、そこは……そこは……まるで異世界のようになっていたのです。
その時の状況を上手く説明できる自信がありません。とにかく、異世界のようだったのです。
私の知らない、私なんて存在しない並行世界に一瞬にして飛ばされたような感覚でした。私がそこにいること自体間違っているような、何かとんでもない間違いが起こって私という存在がそこに紛れ込んでしまったかのような感覚でした。
私はその世界の異物だったのです。
そこにある景色を見て、誰もが一瞬でそう感じるかと言えばそれは微妙かもしれません。一見、生徒達は薬草摘みの最中のようにも見えましたから。ですが私には分かってしまったのです。何故かは分かりませんが、瞬時に理解してしまったのです。ここは私のいるべき世界じゃないと。それは本能的なものだったのかもしれません。
身体が硬直し、全身に鳥肌を立て、私は何もできずただ呆然と立ち尽くしておりました。よく分からない、凄まじい恐怖が私の中にありました。説明不可能な恐怖です。何に対してのものか分からない、しかし確実に私の存在を脅かす恐怖です。
生徒達は一様に何かをしておりました。黙々と作業をしているようにも見えました。ですが、それはあまりに異常でした。
上手く言えません。上手く説明できません。申し訳ありません。
とにかくそれは異常だったのです。間違いなく異常な光景だったのです。
人は言葉には説明できない部分を、空気で感じることができます。例えば、貴方と私はこうしてお話をしておりますね? 私がここで沈黙したとします。どうやって説明しようかと言葉を探し、口を閉じたとします。しかし貴方は私が言葉を探している、必要なことを思考しているのだと、何故だかお分かりになるでしょう? 逆に私が突然別のことを考え出して口を閉じても、やっぱりお分かりになるでしょう? ああ、思考が脱線していると、お分かりになるでしょう? 同じ沈黙なのに、人はその差をどこかで察することができるのです。
その時の私も同じです。さっきまで薬草摘みをしていた生徒達が全く別の。何て言うか。……そこにいた生徒達が完全に別の生き物になっていた。見た目は同じなのに中身が何か私の知らないものになっていた。ああ違う。上手く言えない。あの時もしかしたら子供達の中身は正常で、私だけがおかしかったのかもしれない。私だけが取り残されていたような。
……ああ、ごめんなさい。やっぱり説明できません。
とにかく私は酷いパニック状態に陥りました。教師として恥ずべきことですが、その光景は私のくノ一としての思考も経験も全てを吹き飛ばしました。これでも戦場に赴いたことはあります。アカデミーの生徒をどんな事態からも守るためにそれなりの訓練も受けました。しかしその経験は全て活かされなかったのです。
どれほどの時間自分が茫然自失としていたか分かりかねますが、雨野先生がやって来て漸く私は教師として、くノ一としての自分を取り戻しました。恐怖に慄いていた私は雨野先生に酷くみっともないところをお見せしてしまったと思うのですが、雨野先生は現在自分が把握している状況を、冷静に、そして簡潔に私に教えてくださり、それで漸く落ち着くことができたのです。
見当たらない生徒がいるので探して欲しいと言われ、私は頷きました。雨野先生とは別々に探すことになったので、私は森へ駆けて行ったのです。
生徒達の人数を数えながら森を進んで行くと、カゴメさんの班と、その少し離れた所にアカネさんの班を見つけました。そこはイシノ薬草園内でしたから、行方不明になっているのは彼女達ではないと分かったのですが、私は足を止めました。
怖かったからです。
あれだけお洒落に気を使うカゴメさんとアカネさんが、少し汚れるだけで酷く騒ぐ彼女達が、体術の授業が終わると同時にすぐ髪を整えに行くようなあの子達が、執拗に草を掻き分け、泥を掬い、舐めるように何かをしているのです。両手両膝を突き、獣や虫のように地を這うような格好で。
あの子達の衣服は汚れ、長い髪は枯れ木や泥にまみれておりました。普段なら汚れるし虫もいるからと嫌がるのに、這い蹲ったまま藪の中へ頭を突っ込んだりしているのです。無言で、ただ一心不乱に何かをしているのです。
まるで何かに取り憑かれたように。
私は怖かった。怖かったんです。あの子達に声を掛けることもできないくらい、怖かったんです。
私は教師失格です。子供に怯える教師なんて。子供を守ることもできない教師なんて。私は教師失格なんです。くノ一としても、私は、私は。
あの子達に近付くことさえできなかった。
(補足 カンム中忍の状態を見てイハヤ上忍が聴取を中断。カンム中忍が落ち着くまで暫く休憩が入った)