「あ、イルカ先生だ」
夕飯の食材を求めて商店街を歩いていると声が掛かった。
「おー、お前等か。今からどっか行くのか?」
「いや、久し振りの里を見て回ってるところ。俺達暫く休暇貰ってるんだけど、正直暇で」
黒髪の青年がそう言うと、長身の青年がうんうんと頷いた。
「また長期任務が入るかもしれん。今のうちに木ノ葉を堪能しとくと良いぞ」
イルカは里を、自分達が帰る場所をしっかり覚えておいて欲しかった。帰りたい場所として、彼等の心に刻んで欲しかった。
戦忍として将来を期待されている彼等には、経験を積ませるためにきっとまた外回りの仕事が回って来るだろう。いつか本当に辛い思いをした時に、それでも里に帰りたいと思う気持ちがあれば最後まで諦めることなく足掻くことができる。その足掻きが彼等の生還率を高める。
「ねぇイルカ先生。里、色々変わっちゃったんだね。アカデミー裏のツツジは無くなっちゃってるし、キリ婆の駄菓子屋も無くなってた。近所のクリーニング屋さんは潰れちゃってたし、あの、商店街の西側なんてまるっと全部建て替えられてる」
赤い髪の女の子が少し淋しげにそう言う。
木ノ葉崩しの時に里に大きな被害が出た。その時多くのものを、人を失った。
「お前達も戦場で色々あっただろ? それと同じように里も色々あったんだ。でも、変わらないものもあるぞ? 絶対に変わらないものがこの里にはある。分かるか?」
イルカは言葉を選び、彼等の教師として語りかける。
もう彼等の目を覗き込むために腰を屈める必要はなくなった。だがイルカは当時と同じように、慈愛に満ちた瞳で彼等一人一人を順に見詰めていく。
「分かるよ」
黒髪の青年が力強く頷いた。長身の青年も赤い髪の女の子も、目を輝かせて頷く。
「イルカ先生が、万年中忍だってこと!」
「また長期任務が入って帰って来ても、きっとイルカ先生は中忍だってこと!」
「何度それを繰り返しても、イルカ先生はずっと中忍に違いないってこと!」
「おーまーえーらーなー」
頬を引き攣らせると三人から爆笑される。イルカは小さく溜息を吐きつつ、それでもこの三人が本当は自分が言いたかったことをちゃんと分かってくれていると確信していた。
木ノ葉も酷い時代はあった。忍界大戦中は殺伐としていたらしいし、カカシの父親のような悲劇も生んだ。それでも一歩ずつ木ノ葉は変わっていったのだ。まだまだ問題はあるが、確実に前へ前へと進んでいる。霧隠れの里のように生徒同士が殺し合う悪習などないし、九尾を腹に抱えるナルトを受け入れる者も徐々に増えている。誰もが里を愛し、里を誇りにし、里の宝である子供達を慈しんでいる。そしてそうした心が繋がりを生み、子供達を中心とし更に多くのものを繋げていく。
木ノ葉の見かけがどのように様変わりしようと、その繋がりは絶対に切れない。
「イルカ先生は今から買い物?」
「ああ。今日は何食べようかなって悩んでたところ」
「私達今日はどこかに食べに行こうって話してたの。イルカ先生、一緒に行かない?」
赤い髪の女の子が誘う。じゃあ一楽、と言い掛けたがすぐに却下され、平和な木ノ葉商店街の一角でイルカと三人はあれこれと案を出し合った。イルカはまだ酒も飲めない彼等を居酒屋に連れて行くわけにもいかず無難に定食屋などを提案してみたが、どうにも決まらない。と言うのも、そもそも三人の意見や希望がまるでバラバラだったからだ。
しかし業を煮やしたイルカが、面倒臭いからうちで鍋でも囲むか、と言うと、何故かあっという間にそれで決定してしまった。「もう暑いのに鍋なの?」と言われたので「じゃあカレーにするか?」と訊いてみたが、三人は揃って「鍋が良い」と答えた。イルカも鍋が良かった。大勢で食べるには鍋が一番手っ取り早いし、用意も後片付けも楽だ。それに、やっぱり特別楽しい。
トンと音を立て、イルカの足元にブルが降り立った。
「あれ? この子イルカ先生の忍犬?」
黒髪の青年が腰を屈めてブルの頭を撫でる。
「いや、人から預かってるんだ。強面だけど優しい子で、とても優秀な忍犬だよ」
自分を見上げるブルにイルカは微笑みかける。ブルが何を言いたいのかは分かった。カカシのいない間にイルカの自宅に人を呼んで良いのか、と訊いているのだ。面倒なことにならないか、と。
しかしイルカには疚しいことはひとつもないのだし、これでカカシの真意もハッキリするだろうと思った。本当にまた不安に駆られてイルカを束縛しようとしているのか、それとも他に意図があるのか。
「んじゃ、行くか。鍋の締めはうどんが良いか雑炊が良いかー」
「絶対雑炊! 卵落として、ふわふわにして。あと餅も入れて」
「私はうどんが良いなぁ」
「俺はイルカ先生が楽な方で良いよ」
ガヤガヤと賑やかにイルカ達は歩きだした。
その後も何鍋にするのかで多少揉めたがそれも無難に寄せ鍋に決まり、材料を買ってイルカのアパートに到着する頃には日も暮れていた。午後に少し寝た分疲れは取れていたし、赤い髪の女の子が下ごしらえを手伝ってくれて思った以上に楽ができ、イルカはとても楽しく鍋を囲むことができた。
これは何の罰ゲームだ、などと言いつつ皆で汗をかいて鍋をつつく。思い出話に花を咲かせ、彼等が戦場にいる間に起こった里の出来事を話してやる。そして彼等が里を離れどんな経験をし、どんなことを感じたのか、殺伐とした戦場の中であった他愛もない遣り取りや面白かった出来事などを聞いてやる。勿論武勇伝も。
黒髪の青年はアカデミー時代から常にリーダー格だった。人を引っ張って行く力を持っており、明るく何事にも前向きだったし、忍としてもかなりの素質を持っていた。チャクラ量が多く忍具の扱いにも長け、イルカが彼と出会った頃には既にアカデミー教師の間から一目置かれていたほどだ。明朗な性格だが頭のキレも良く、状況判断の的確さはずば抜けていたし、物事を行う思いきりの良さにも定評があった。仲間からの信頼も厚く、面倒見も良い。その上、彼は勇敢だった。
戦場でも随分と活躍したらしい。彼等の師であるムギ上忍もここ最近は彼に全てを任せ、自分はサポートに回っているようだった。
長身の青年は、見た目の通り体術に長けていた。普段は幾分のっそりしている感がなきにしも非ずだが、戦闘になると驚くほど俊敏に動く。当時からチャクラ量はそこそこあったが若干コントロールに欠け複雑な術は苦手だったのだが、どうやらそれはまだ克服できていないらしい。性格は穏やかで、とても優しい子だ。自分から何かを強く主張することは少ないが、曲がったことはしない。ただし人の意見をよく聞き理解しようと努め、納得すれば全力を尽くす。根っからのサポートタイプなのかもしれない。
彼等を知らない人間が彼等の話を聞けば、この長身の青年は戦場ではたいした活躍をしていないように思うかもしれない。しかしイルカは話のそこここに長身の青年の尽力を感じた。
赤い髪の女の子は、アカデミー在籍中は三人の中で最も凡庸と思われていた。勉強はよくできたが体術はそこそこ。チャクラコントロールは良かったが、一般的に男の子よりも女の子の方がそれは優れており、同じ年齢の女の子に比べると彼女は平均より少し上、といった程度だったからだ。
彼女の両親は忍ではなく一般人だった。忍の両親を持つ子は帰宅してからも修行を見て貰うこともできるが、彼女はそれができなかった。その上彼女の両親は蝶よ花よと彼女を可愛がっており、家で忍具を使うことを嫌がっていた。彼女がアカデミーに通い始めたのは彼女の強い希望だったからで、両親は危険だからとずっと彼女が忍になるのを反対していたくらいなのだ。しかし彼女は中忍試験に合格すると自活を宣言。泣いて止める両親に、自分は忍になる、死んだと思ってくれて結構だと言い放ち家を出た。
その後ムギ上忍の元で修行を積み、彼女は腕を磨いた。凡庸かと思われた彼女は、中忍試験後その才能を開花させた。
毒物のスペシャリストとして。
元々勉強のできる子で、知識に貪欲な部分があった。ムギ上忍はそこに目を付けたのだろう。くノ一のムギ上忍もまた毒物は得意分野だったので、良い後継者が出来たと喜んでいるらしい。
「ねぇイルカ先生、信じられる? 戦場だよ? 戦場で、頭にきたからって、味方の俺達に下剤入れたんだよ?」
黒髪の青年が呆れたような声を出しながら鍋から豆腐を掬う。
「バッカねー。戦場だから一瞬たりとも気を抜いちゃ駄目なんでしょ。ムギ先生も言ってたじゃない。味方が作ったモノだからって毒見検分しない方が悪いって」
ねー?とイルカに同意を求めて微笑みかける赤い髪の女の子に、イルカは苦笑する。
蝶よ花よと可愛がってくれた両親に「自分はもう死んだものと考えてくれ」と言い放ち忍の道を選ぶほど、彼女には苛烈な部分があった。普段は奔放で明るい子だが、手に負えないほど感情が昂る時がある。
「腹、痛かった」
長身の青年がボソリと言う。
「痛かったよなー。あれは酷かった。腹痛って体力の消耗激しいんだぞ?」
黒髪の青年が今度は白菜に箸を伸ばす。少なくなった具材をイルカが足し、赤い髪の女の子が卓上コンロの火を少し強めた。
「そう言えば、アカデミーにいた頃にも俺達だけ腹が痛くなったことあったじゃん。ほら、野営訓練した時。あれもお前の仕業だったんじゃねー?」
「あれは違うわよ。あんた達が拾い喰いでもしたんじゃないの?」
「ちげーよ!」
「アオイがたまたま薬持ってたんだよな。確か」
イルカが記憶を辿ってそう言うと、三人が懐かしそうに目を細める。
それから夜が更けるまで、ずっとアカデミー時代の話が続いた。イルカがまだ新米教師だった頃。彼等がまだ小さかった頃。
よく覚えている。
イルカも、三人も。
当時の子供達の笑顔。小さな手。初めて先生と呼ばれた時の面映さ。空の色。生徒達を愛しい、大切にしたいと心から想った気持ち。
大好きな先生達。馬鹿騒ぎ。他愛もない悪戯。アカデミーの古い柱や机の木目。悪い予感の欠片もない未来。とても仲の良かった友達。
木漏れ日のように輝く記憶の数々。