43号が持ってきた瓶ビール3本は綺麗に洗われ、小さな小さな台所の窓際に並べられた。 トミコらヴ103号がその瓶を捨てなかったので、瓶は小さな煙突のようだった。
 それからトミコらヴ43号はぱたりと行方をくらました。そしていつしか、同じワルダーでさえ彼のことを忘れていったのだった。

 トミコらヴ103号は、なかなか就職できないままだった。職安に行っても対応は冷たく、彼は他のワルダー同様いつも貧しい生活を送っていた。
 トミコらヴ103号は腹が減って眠れない時、よくトミコ様のお言葉を読んだ。 それはワルダー本部に送金すると礼状と共に送られてくる小冊子に掲載されているものだ。
 この小冊子には最近のワルダーの仕事ぶり、例えば、今月はこれだけヨイダーの任務を妨害したかとか嫌がらせをしたかとか、どこそこに支部ができたとか、資金不足で苦しいが今月もトミコ様のために頑張ろうとか、まぁそんなことが載っているわけだ。そして決まって最後に、トミコ様のプロフィールと今月のお言葉が書かれてある。
 しかしここにこそ、世間から悪の味方と呼ばれているワルダーというモノの全てが縮小されていた。まず、トミコ様のスリーサイズがいつも違っている。何を考えているのかウェストが82センチと書かれている時もあったし、更に酷いときは血液型が変わることもあった。そして普段トミコ様直筆のコピーが載る「今月のトミコ様のお言葉」コーナーが、たまにではあるが明らかに別人の筆跡の時があった。そんな時の「お言葉」コーナーは酷い有様で、ひたすらに金をもっと寄越せといった感じであったり、またはいかにも一般男性に受けるようにと色事を匂わせるものがあったりした。
 しかしトミコらヴ103号を含め他のワルダーたちは、ワルダー上層部にクレームをつけることはなかった。彼らは全て承知の上で、それでもなおトミコ様を愛しトミコ様の兵隊でいるのだ。
 その日もトミコらヴ103号は腹が減って眠れなかったので、今月の小冊子を捲ってトミコ様のお言葉を読んでいた。お言葉と言っても、その月によって日記じみたものだったり今月の目標一行だけだったり、はたまた美味しい牛丼の作り方だったりと様々だったが、今月は日記だった。
 ページの先頭に日付が入っている。その横に太陽と雲の絵が手書きである。日記の内容はたいしたものではなかった。
 先日おやつに食べようと思ってチョコレートレーキを買ったけれど、あまりにデコレーションが可愛かったのですぐに食べるのが勿体無くなり、誰か来たときに見せてあげようと思って冷蔵庫の一番奥に隠しておいた。それで、今日は念願の来客があったのでケーキを見せてあげたのだけれど、賞味期限は切れていた。
 そんな内容だった。
 しかしトミコらヴ103号は何度も何度もその日記を読んだ。腹が減っている上に日記はチョコレートケーキの内容だったので余計空腹を感じたが、トミコらヴ103号は黒い覆面の下で目を細め、何度も何度も読み返した。

 ある夜、トミコらヴ103号が仕事から帰って来ると、玄関の新聞受けに運送会社の不在届けが挟んであった。電話をしてみると、今日はもう無理だから明日にしてくれと言われた。
 しかし翌日、新聞配達から戻った途端に派遣会社から急な仕事が入り、トミコらヴ103号はまたもや配達物を受け取ることができなかった。
 3日目にしてようやくダンボールを受け取ると、田舎の母からであることが分かった。小さなダンボールの中には乾麺と少量の野菜と透明のビニールに入った米があった。それと、水色のタッパがひとつ。母親は自分が夕方に荷物を送れば翌日の朝に息子はそれを受け取るだろうと思っていたようで、クール便でもないのに、トミコらヴ103号が学生だった頃に使っていた水色のタッパの中に、 自分が作った炊き込み御飯を入れていた。
 自分の実家の方角に深々と頭を下げてから、ダンボールの中身をひとつひとつ取り出していくと一番下に封筒があり、その中から一通の手紙が出てきた。手紙には、『正月に貴方のお兄さんが子供達を連れて帰省するとのことです。教育に悪いので、子供を貴方に会わせたくないとお兄さんのお嫁さんが言っています。もし正月に帰省するつもりならば、お兄さん達が来る前か、来た後にして欲しいです』ということが、気を使いながらかなり遠まわしに、そして申し訳なさそうに書かれてあった。
 トミコらヴ103号はなんとかタッパの中の炊き込み御飯を食べようとしたけれど、それはもう完全に腐っていた。
 その夜トミコらヴ103号は、台所のゴミ箱の前でなかなか捨てることができない炊き込み御飯を持ったまま突っ立っていた。
 じっとゴミ箱を見ているトミコらヴ103号の横の窓際に、煙突のようなビール瓶が3本あった。

 冬になると、トミコらヴ103号はアパートから少し離れた古くて小さなアイスクリーム工場で働くことになった。
 トミコらヴ103号は古いヨレヨレのコートを着て、中古で買った錆付いた自転車にまたがり通勤をした。
 仕事の内容は、流れてくる白いアイスに手で持つ平べったい木の棒を差し込むだけの簡単な作業であったが、最初のうちはなかなか難しく木の棒を真っ直ぐ差し込むのに苦労した。時折斜めになったり、真中からずれた場所に差し込んだりしてしまうのだ。
 従業員は少なく、そして皆無口だった。
 作業場はあまりにも寒く、仕事が終わって外へ出ても木枯らしが舞っている。アパートへ帰っても部屋には暖房器具はなく、トミコらヴ103号は震えが止まらなかった。風呂に入って温めても眠るころにはまた体が冷え切っており、古ぼけた埃っぽい布団にくるまって白い息を吐く。
 布団からは、ずっと以前にこぼしてしまった塩味のカップラーメンの匂いがまだ混じっているような気がした。





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