クリスマス・イヴになった。
 トミコらヴ103号が仕事を終えた頃には、外は雪が降っていた。仕事場も外も同じように寒く、同じように静かな夜だった。
 トミコらヴ103号は雪で覆われた歩道を自転車を手で引いて帰った。1時間近く歩いたところで自動販売機で缶コーヒーを買い、そしてもう30分歩いた。
 アパートの部屋に着いた時には膝の関節が寒さで痛み、手の感覚は全くなくなっていたが、トミコらヴ103号は何とか風呂を沸かして体を温めようとした。だが、何故かいつまで経っても彼の体は温まらなかった。
 風呂から出て見ると玄関の新聞受けに紙が挟まっているのが見え、取って見てみると明日のワルダー出動要請だった。
 トミコらヴ103号はその紙を丁寧に折りたたんでゴミ箱に入れ、それから部屋中に貼ってあるトミコ様のポスターを剥がした。
 一枚一枚丁寧に剥がし、それからそれを布団の上に重ね、まるで恋人と添い寝をするように自分も布団に横になった。
 横になってから、今まで触れたことのないトミコ様の髪に触れた。それはただの紙の感触しかなかったが、トミコらヴ103号は何度も髪を梳くようにその部分を撫でた。それからトミコ様の頬にも触れた。指は寒さで震えていたが、愛しそうにトミコ様の頬と輪郭を、その整った鼻を、瞼を、腕を、指輪のない部分の指を、鎖骨を、そして最後に唇に触れて目を閉じた。
 トミコらヴ103号は、そのまま飯も食べずに眠った。
 寒くて寒くて、凍えそうな夜だった。

 クリスマス、トミコらヴ103号は大きな紙袋の中身を落とさないように胸に抱えて朝8時55分に集合場所に指定された駅前広場へ行き、大佐から今回の任務を聞いていた。今日はヨイダーがクリスマス・イベントを開くので、それを出来るだけ陰険にぶち壊してやれとのことだった。
「ベストを尽くして闘え! トミコ様に全てを捧げよ!!」
 胸にトミコバッチをつけた大佐は、その場に集まったワルダーのメンバー一人一人にそう告げてから黒塗りの高級車で去っていった。
 それから皆でゾロゾロと電車に乗り、3つめの駅で降りてからイベント会場である市民球場まで歩いた。入り口に立っている警備の人に各自頭を下げて挨拶しながら中に入ってみると、そこにはすでに何台かの中継車とテレビクルー達が待ち構えていた。
「今日も派手にやられろー!」
 先に来ていた一般客からヤジが飛ぶ。テレビのスタッフが目を輝かせ、幾分興奮気味にカメラに向かって喋っている。
 トミコらヴ103号はそんな中、紙袋を胸に空を見上げていた。今日は天気が良かったのだ。
 イベントの開始時間が近づくにつれてスタンドは一般客で埋め尽くされ、それに比例してヤジも増えた。彼らは、ワルダーが嫌いとか、ヨイダーの活躍が見たいとか、その両方だとか、そんなことはどうでも良くなっているようだった。
 トミコらヴ103号は、ぼんやりと空を見上げながら何となく色んなことを思い出していた。子供だったころに学校の友達と一緒にポコペンをして遊んだことや、学生時代に気の合う仲間とジャズコンサートへ行ったこと。そしてトミコ様を始めて見た日のこと、ワルダーに入った日のこと、自分の周りにいた人々のこと。あとは先週、アイスクリーム工場から貰った給料のことなどを。
 突然パンと音が鳴り小さな打ち上げ花火が何発か上がると、ヨイダーがワルダーを取り囲むようにして現れた。
「世界の平和を守るため、悪いヤツラをぶちのめす、そんな俺達正義の組織!」
 ヨイダーの声に、わっと歓声が上がる。それから彼らはいつも決り文句を口にし、資金援助の呼びかけた。
 その間、ワルダーは黙ってそれが終わるのを待っている。この間は待たなくてはならないのだ。誰が決めたかは知らないが、そう決まっているのだ。
 多分、ワルダーの本部とヨイダーの本部の間で全ては決められているのだろう。ワルダー本部は当初トミコ様親衛隊として発足されたのだが、いつの間にかトミコ様を置き去りにし、彼女の影で金儲けに専念するようになった。そしてヨイダーはヨイダーで資金繰りのために人気取りに走り、ワルダーを利用していた。両者とも、とにかく金が欲しかったのだ。
 レッドがいつもの台詞を言い終えると、ワルダーとの戦闘が始まる。歓声が大きくなり、誰もかもが目をギラギラさせていた。
 そんな中、珍しくトミコ様が現れた。どこから入ってきたのか、大佐の運転する黒塗りの車でマウンドに降り立った赤いドレスの彼女はあまりにも滑稽だったし、今日もまた手に拡声器を持っていた。
「レッドを傷つけてはダメ! でもとことん嫌がらせをしてやるのよ!!」
 勝手なことを言いながら、トミコ様はキンキン声を上げる。しかし、トミコ様が現れたことで奮起したワルダーも、 結局はいつもの如くヨイダーには手も足も出ないのだ。
 球場は異様な興奮に包まれていた。悪の親玉とされるトミコ様の登場。正義の組織ヨイダーの活躍。悪の味方と言われるワルダーの見事なやられっぷり。スタンドからは興奮した一般人がワルダーに向かって空き缶やメガホンを投げ、テレビクルーは忙しそうにその様子を中継していた。
 球場を包む熱気が最高潮に達した頃だ。バラバラになっていたヨイダーが中央に集まり、最初からそこに止めてあった彼ら専用のバイクに各自乗ろうとしていたが、ワルダーの誰かがそっと嫌がらせをしたのだろう。シートにはセロハンテープで無数の画鋲が刺してあり、特種スーツを着ているヨイダーもさすがに画鋲が尻に刺されば痛かろうとベリベリとセロハンを剥がしていた。
「もっとよ! もっとレッドを苦しめて!!」
 トミコ様の声が響く中、トミコらヴ103号は大きな紙袋を胸に抱えたままとぼとぼとヨイダーに近づいた。そして、胸に持った紙袋の中から、一本のビール瓶を取り出し、瓶の口からはみ出している布キレにライターで火をつけた。
 そして僅か一部の人間がそれに気がついた時、トミコらヴ103号は火がついた瓶をヨイダーに向けて投げたのだった。
「止めてーーーッ!!」
 トミコ様の悲鳴が掻き消されるほど、その時球場は人々が発する怒号に揺れた。しかし瓶はレッドのバイクにぶち辺り、粉々に砕け散りながら炎を上げた。
 突然の出来事にその場にいたワルダーは言葉を無くしていた。しかしトミコらヴ103号は何事もなかったかのように歩き出し、そしてトミコ様に近づくと紙袋からもう一本のビール瓶を取り出した。
 先ほどのように瓶の口に火をつけ、瓶を振り上げた瞬間だった。
「止めてくれッ!!」
 聞き覚えのある声に、トミコらヴ103号の手が止まった。その声は、いつかテレビに出演していた青年の声だった。
『僕達、トミコ様が笑ってくれるなら何でも良いんです』
 彼はそう言っていた。そしてトミコらヴ103号は繰り返し何度もその言葉を聞いた。しかしその時トミコらヴ103号は違う言葉を思い出した。
『僕達、馬鹿ばっかりなんです』
 彼のこの言葉がトミコらヴ103号の脳裏を掠めたとき、手に持った瓶の口から独特の匂いを発する液体が漏れ、トミコらヴ103号の手を伝い腕まで垂れた。それと同時に、トミコらヴ103号のヨレヨレのコートに火がついた。
 瓶が宙を舞うとすぐにトミコ様の悲鳴と横にいた大佐の罵声が聞こえたが、トミコらヴ103号はそのままくるりと向きを変え、腕を燃やしたまままた歩き出した。そして彼がもう一度足を止めたとき、もう誰も声を発しなかった。
『僕達、馬鹿ばっかりなんです』
 青年の言葉を思い出しながらトミコらヴ103号は最後の瓶の瓶口に炎をつけ、冬の晴天の中、静まり返った球場の中、中継カメラに向かって火炎瓶を投げる。



end




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