その日の晩、時間とともに痛みが酷くなる自分の体を休めながら、トミコらヴ103号はテレビを見ていた。鼻血はさすがに止まったが、念のためと思い両方の鼻の穴にティッシュを詰めながらカルキの味がする水を飲む。
ニュースが始まり、「本日のヨイダー」のコーナーに移る。ワルダーをとっちめるシーンとモジラとの戦闘シーン、そして勝利のインタビュー。
「俺たち、今日も皆さんのおかげでワルダーとモジラに勝利することができました。いつも応援本当にありがとう!」
レッドチャージの爽やかな笑顔と白い歯が見える。
結局最後までトミコらヴ103号の姿やトミコ様の姿は一度も映らなかった。いつもこうなのだ。トミコ様があの台詞を吐くと、いつも。
ニュースでカットされるばかりではなく、実況中もトミコ様があの言葉を口にしようとするや否や途端にCMに入る。それはレッドチャージの印象を落とさないようとのテレビ側の配慮なのだろう。しかし隠し通せるわけもなく、かなりの一般人がトミコ様とレッドの関係を知っていた。
トミコらヴ103号はテレビを見終わると、今日の戦闘の記念として貰ったトミコ様のポスターを、指紋や爪などで絶対に汚さないよう傷つけないよう、細心の注意を払いながら壁に張り付けた。
今回のトミコ様は、赤いチャイナドレスだった。指にはいつものようにキラキラと輝いている指輪が嵌められ、左端の上には今回も黒い明朝体で『今日はご苦労様。またヤツラをとっちめてネ!』と書いてある。
トミコらヴ103号はその晩、体中の痛みで一睡もできなかった。
だから、新しくもらったポスターの、トミコ様のとびっきりの笑顔を一晩中眺めていた。
それから程なく、トミコらヴ103号が働いていた外国メーカーの自動車部品工場が潰れた。この不況で大幅な縮小をしたらしく、小さな工場は真っ先に閉鎖に追い込まれたのだ。
派遣会社に行って次の仕事を見つけようと思ったが、世間では最近更にワルダーへの風当たりが強いため、回ってくる仕事はどんどん少なくなった。
トミコらヴ103号は何とか新聞配達のバイトを見つけ、それと時折やってくる日雇いの仕事で生活をした。生活はどんどん苦しくなり、外を歩くときは下を向いて歩いた。どこかに金が落ちていないか、探しながら。
生活は苦しかったので、トミコらヴ103号は食事をどんどん切り詰めていった。毎日インスタントラーメンだけだったし、ささやかな贅沢であった月に一度の居酒屋の飲み会も断るようになった。そして、少しでも金が余るとその全てをワルダーの本部に送った。そして壁にいるトミコ様を眺めるのだ。
ある夜突然、トミコらヴ43号がやってきた。
両手に溢れてしまいそうなほど食料が入ったビニールの買い物袋をぶらさげ、石鹸の匂いとシャンプーの匂いをさせながらやってきたのだ。
「邪魔するよ」
43号は勿論黒い覆面を被っていたので表情は分からなかったが、声は明らかに明るかった。
43号はワルダーの中でも年長の方だった。確かな年齢は知らないが、その出っ張った腹や話す内容から、40代後半だろうと予想されていた。去年の末に職を失い、それ以来ホームレスをしている。いつも身なりは汚く、しかもその体からは何かが醗酵しているとしか思えないような極めて強烈な匂いがしていた。
それが今日、洗濯したらしい服を着て身なりを整え、シャンプーと石鹸の匂いをさせて訪れてきたのである。
「メシ食ったか?」
43号に尋ねられ、トミコらヴ103号は首を振る。
「んじゃ、まず乾杯しよや。グラスあるか?」
トミコらヴ103号の部屋には、ビールグラスというものがなく、また必要もなく、しょうがなしに湯のみでビールを飲むことにした。43号が買ってきたビールは、大瓶3本だ。
「俺はね、昔からビールは瓶じゃねーと嫌なんだよ。缶だとなぁんかねぇ」
43号は湯のみにトクトクとビールを注ぎ、そしてトミコらヴ103号の縁の欠けた湯のみにも同じようにビールを注いだ。それから彼はビニールの買い物袋からつまみになりそうなものを取り出し、トミコらヴ103号にも自由に好きなだけ食えとそれらを勧め、そして乾杯をした。
久々に飲むビールは最高に美味く、途中でトミコらヴ103号が43号の買ってきた野菜を刻んだり肉を焼いたりして、夜は更けていった。
「トミコ様はね、やっぱ良いよ」
口からアルコールの匂いを漂わせながら、43号は部屋の壁に貼ってある様々なポスターを眺めそう呟いた。
「そこにいるだけで良いんだよ。存在自体が。俺たちは、トミコ様さえいれば何でも良いんだ。そうだろ?」
43号は同意を求めながら、気持ち良さ気に畳に寝転び天井を見上げる。酔ったのだろうか、随分と眠そうだった。
「俺たちさ、俺たちばっかさ、トミコ様が好きだよな。俺たちばっかりトミコ様が大好きなんだよ。トミコ様は俺たちなんて好きじゃねーもん。俺たちだけ、トミコ様が好きなんだ。でも良いんだよな、それで。それでも全然良いんだ。例えさ、ワルダー本部に送った金で上層部の人間がひでー贅沢してもさ、その何割かはトミコ様んトコに行くんだよ。それで、トミコ様はちゃんとどんどん綺麗になってくんだ。綺麗になってくトミコ様見てるだけで、俺は泣けてくるね。俺はトミコ様大好きだから」
一人納得するように頷きながら43号はゴロリと体を反転させ、うつ伏せになったままビールが入った湯飲みに手を伸ばした。
「俺さ、今日ガキ5人くらいに襲われたんだよ。最近、若いヤツラの間でワルダー狩りってあるだろ? あれに遭遇しちまって。んで、慌てて近くの交番駆け込んでさ。でも全然相手にしてくれねーんだよ。ワルダーなんだし、しょうがないんじゃない? みたいなこと言われてさ。交番出たらまたさっきのガキに追いかけられるしさ、踏んだり蹴ったりだったんだよ。ところがだよ、俺が掴まって数発殴られたとき、近くで火事がおきたんだ。んで、ガキたちはすぐにそっちに興味移して野次馬に行ってくれたわけだけど、気がついたら俺の横に財布が落ちてたんだよ」
そこまで聞いて、
トミコらヴ103号はビールの入った湯飲みを落としそうになった。
「これは絶対に俺を狩ろうとしてたヤツラのだって思ってさ、中覗いてみたら、驚くじゃねーか。俺の日雇いの仕事の1週間分はあったぜ」
43号は一度怒ったようにフンと鼻で笑いビールを飲んだが、トミコらヴ103号はビールの入った湯飲みを畳にそっと置いた。
「もしあの時火事がおきなかったら、俺はどうなってたか分からん。警察は何もしてくれねーし、俺は実際、ざまみろと思ったね。あ、勿論金抜き取って財布は捨てたよ。だから安心して飲め。ジャンジャン飲め! ざまーみろだ!!」
43号は最後にそう叫び、そして黙った。トミコらヴ103号も黙った。
43号が寝息を立て始めた時、彼の持っていた湯飲みはカタンと音を立てて倒れ、中に入っていたビールが小さな泡を立てながら畳に吸い込まれていった。