目が覚めれば4時だった。
俺は薄ボケた頭で残り時間を数える。
「…あと5時間だ」
俺の声にジャックも目を覚ました。眠そうに目を擦りながら俺を見る。
「夢を見たんだ」
「どんな?」
「アキと会った夢」
「へぇ」
「吊り橋の上で会った」
また吊り橋だ。コイツは昨日もそんな事を言っていた。
「何だよ、その吊り橋ってのは」
俺が訊いてもジャックは何も言わなかった。気になったが俺もそれ以上訊かなかった。
それから俺達はベッドの上でダラダラしながら時間を潰した。手のひらを合わせて大きさを比べたり腕相撲したり、好きな音楽の話しをしたりして。
そしてそのうち、かなり穏やかなセックスが始まった。
どちらともなく始まった2度目のセックスは、1つ1つを忘れないように、忘れさせないようにゆっくりと進めた。
俺はジャックの肌を撫でながら考える。
あと少し。
俺は9時になったらコイツに何か言わなくてはならない。また会う為に。
とにかく、もう一度会う為に。
「――っ」
ジャックが息を飲む。
俺は焦らして焦らして事を進める。ジャックの身体中にキスをして痕を残し、今が永遠に続けばいいと思いながらこの男を抱き締める。部屋には俺達の息遣いだけが響いていて、俺はここがどこで何をやっているのかどうでも良くなってきた。ジャックの足の付け根に舌を這わせそこで止まる。
「咥えてって言えよ」
「……バカ」
生意気そうな声が聞こえ、俺はそれに満足する。楽しくなってペニスを根元から舐め上げ、舌を絡めながらできるだけ奥まで咥える。そのまま後ろに指を這わせて指を入れた。
解すだけ解し舐めるだけ舐めまわす。
俺もジャックも我慢できなくなるまで。
先に限界が来たには俺だった。ジャックの足を抱えて後ろに当てる。
「…んッ」
「入れてって言えよ」
「言うわけ…ねーだろ」
俺はこの男があまりにも愛しくなって、堪らず抱き締めて挿入する。ジャックが苦痛に声を上げる。
それを見ながらも、俺はこのまま永遠にコイツとセックスしていたいと思った。同時に俺達を撮影している人間を意識しながら、こんなセックス早く終われせてしまいたいと思った。
俺はグシャグシャになりながらジャックを揺さ振る。
いっそ俺の下で喘ぐこの男を壊してしまいたいと。
「――あッ」
うねる中が俺に纏わり付き、俺を溶かすように熱くなる。
「――…キ」
このままでいられたら良いのに。
「――アキ」
潤んだ目が俺を見詰める。
俺はコイツのこの瞳に惚れた。
馬鹿な俺はこの瞳に、恋をしたんだ。
絶対このままでは終わらせない。
「……オマエに惚れた」
マイクに入らないように耳元でそう囁き、ジャックのペニスを扱いてやる。ジャックは俺の背中に爪を立てて声を上げた。
「――アキ…アキ、アキ、アキッ!!」
俺を呼びながら果てるコイツを見て、不意に目頭が熱くなった。自分の中の何かが、ついに溶けてしまったように感じた。
俺は奥歯を噛み締めてその衝撃をやり過ごす。
このままじゃ終わらせない。
絶対にだ。
コイツが嫌がっても、これで済ますわけにはいかない。
まだ痙攣しているジャックを抱き上げ服を拾った。
「どこ行くの?」
「帰る」
「まだ時間は残っているわ」
「煩い」
「報酬は払えなくなるわよ」
「結構」
俺とエイが睨み合う。
「貴方はそれで良いかもしれないけれど、この子はお金が必要なの」
ケイがドアの前に立ちはだかって言う。
「どけよ」
「時間は30分。場所は浴室、もしくは隣室。私達が妥協できるのはここまで」
「どけ」
「この子が必要としている金額は貴方には払えない。それを考えて返事をしなさい」
腕の中でぐったりしているジャックを見て、俺は目を閉じる。
コイツは金が必要。まだ親の小遣いで遊んでいる俺には払えない金額が。
コイツがこんなバイトまでやらなくてはならない程深刻な金の問題。それがどんな問題なのかは分からないが。
どうするべきか。
ここで今俺が勝手にコイツを連れて帰ったとしても、それが深刻な問題ならば深刻な程、コイツは俺を許さないだろう。そして報酬の為にまたこんなバイトを引き受けるのかもしれない。
大体俺はこれからコイツを背負ってどこへ行けば良いのか。
どうするべきか。
「…分かった」
俺が大きく息を吐いて返事をするとケイがドアを開けた。
「30分して出て来なかったらカメラ持って乗り込んじゃうわよー」
浴室へ向かう俺の背中にエイの能天気な声が聞こえた。
「……オマエ、どうしたんだよ」
浴室のドアを開けると、ジャックがだるそうに訊いてくる。俺はそれを無視してコックを捻りシャワーを出す。エイとケイが聞き耳を立てているとは思えなかったが、それでも外に声が漏れるのが嫌だった。
「何か怒ってるのか?」
眉を顰めて訊いてくるジャックを浴槽の縁に座らせ、俺は屈んで視線を合わせた。
「アキ?」
「アキじゃねーよ」
ジャックの目はさっきの余韻でまだ潤んでいた。
俺が惚れた、濡れた瞳で俺を見る。
「俺はアキじゃなくて、アキサダテツオだ」
ジャックがビクリと震えて俯いた。
「オマエは?」
俺は俯いたその顔を両手で挟んで持ち上げる。
ジャックは固く目を閉じた。
「俺を見ろよ」
「俺はジャックだ」
「目を開けて俺を見ろ」
「俺は…」
「――オマエは?」
軽くキスをしてやって額をコツンと合わせる。
「オマエは?」
俺がもう一度尋ねると、ジャックはゆっくりと目を開けた。
それは縋り付くような瞳で、俺は愛しくてたまらなくなる。
「……俺は」
「うん」
その唇をついばむ。
「…俺は」
「うん」
頬を寄せる。
「ヤギ」
「……」
髪を撫でて瞳を覗き込む。
「…シンジ」
「ヤギシンジだな」
シンジが小さく頷く。
それから俺達は今までで一番深いキスをした。
キスをしながら俺はシンジの身体を弄り、そしてまたキスを繰り返す。シンジの身体を抱き上げて、まだ熱を持っているそこに入れて俺達はセックスをする。
シンジは俺の首に腕を絡ませて泣いていた。
俺が辛いかと訊いても首を振って答えない。だから俺は止めなかった。シンジを揺すってシンジを泣かせてシンジをもう一度絶頂に導く。
頭から熱いシャワーが落ちてきて俺達の身体を濡らす。
俺達が出す汗も唾液もシンジの涙も、そして精液も流れ落ちて行く。
それでも俺は、ただただシンジの身体を感じていた。
30分が経ちエイが呼びに来たので俺はまたシンジの身体を抱いて部屋に戻った。
エイもケイも何も言わなかったし、俺達も何も言わなかった。
ベッドにシンジを下ろすと、俺は壁に凭れて残り少なくなった煙草を吸って時間を潰した。シンジを引っ張って俺の膝の間に座らせ、ずっと後ろから抱き締めていた。シンジの肌を感じていたかったから服は着せなかったが、これ以上コイツの肌を誰かに見られるのは嫌だったからシーツを掛けてやった。
俺はシーツの下でシンジの肌を撫でながら、時々濃厚なキスをする。
シンジは何も言わなかった。
そして俺も黙っていた。
それから撮影が終わるまでずっと、誰も口を開かなかった。
こうして俺の運命の24時間が終わった。
「お疲れ様。9時よ」
沈黙をエイが破る。カメラの男が身体を伸ばした。
シンジが動いたので俺は目を閉じて手を放す。シンジは服を着ているようだったが、俺は目を閉じたままだった。カメラの機材を片付けている音とケイとエイの囁き声が聞こえる。両手で額を抑えじっとしていると、シンジの意識が俺に向いた気がした。シンジはベッドに寄って静かに何かをしているようだった。
俺はそれを感じながらとにかく何かを言おうと思ったが、結局何も言えなかった。
ケイが呼び、シンジが隣室へ消えて行く音がする。
小さく息を吐き目を開けると部屋には誰もいない。
自分のズボンをのろのろ穿いていると、玄関の方から物音がした。
ふうともう一度小さく息を吐き、ベッドを見てみる。
俺はこの撮影が終われば何かを言わなければならないと思っていた。しかしいざ終わってみても結局何も言えない。言うべき言葉が出てこない。言うべき言葉が見当たらない。
…シンジは今何を思っているだろうか。
そんな事を思いながらシンジと24時間を過ごしたベッドをぼんやりと見ていると、突然凍りつくような不安が胸をよぎる。
弾かれたように寝室を出た。
「エイ!」
隣室にシンジの姿がなかった。すっと背中に冷や汗が出る。
「アイツどこ行った?!」
エイとケイが黙ったので俺はそのまま玄関に走り裸足のままで外に出た。
「――シンジ!!」
エレベーターに乗り込もうとしているシンジが俺を見た。俺は全速力でエレベーターまで走りドアが閉まる寸前でその隙間に指を入れて抉じ開けた。
「シンジ!」
「なんだよ」
腕を掴む俺を見てもシンジは無表情だった。
「どうして黙って帰るんだよ」
「だってバイト終わったじゃん」
シンジはそう言って1階の表示を押す。
俺は何も言えなくなった。バイトが終わったから――そう言われると返す言葉も見つからないが、この腕を放したくはなかった。しかし何を言えば良いのか分からない。何を言えばまた会うことができるのだろうとあの部屋でずっと考えていたのに、それはいまだに答えがでていない。明るく「また会おうぜ」とでも言えば良いのだろうか。そんな事を言ってシンジが俺と会うだろうか。金の為にゲイビデオに出演し、その誰にも知られたくない秘密を知っている男に、しかも自分を抱いた男に会うだろうか。絶対拒否されるに決まっている。
「放せよ」
エレベーターが1階に着き、シンジは俺の手を払おうとする。それでも放さない俺を見てシンジは諦めたように動きを止めた。
開いていたドアが閉じて俺達は黙ってお互いを見詰める。
シンジが苦笑した。
「オマエ、セックスの最中にも言ってたような気がするけど、もしかして俺に惚れた?」
生意気そうな声で訊いてくる。
「惚れたよ」
俺は正直に答えた。もう行く所まで行こう。
「バカじゃねーの?」
「バカだよ」
「ダセー。単純すぎるぜオマエ。ホント、バカ丸出し」
自分でもそう思っていた。本当に俺は単純。でも俺はコイツを放したくない。
行く所まで行こうと、俺の中の誰かが背中を押す。
「ヤギシンジ。俺はオマエの秘密握ってんだぜ?」
自分の声が他人のように聞こえた。
「なに?脅迫?そんなんしてまで俺をオンナにしたい?俺の身体そんなに良かった?」
シンジが冷えた目で俺を見て笑う。
エレベーターの中は俺達の声だけが響いていた。
「脅迫なんてしたくねーけど」
「あのさぁ、そんな事言っても無駄だぜ?オマエ、ケイさんから何も聞いてないだろ。ビデオは絶対に外部には漏れない。それにあの人はオマエみたいな馬鹿野郎から俺を守ってくれるって約束なんだ。オマエあの2人に携帯番号教えたろ?オマエさ、金さえ払えば携帯番号から本名は勿論、住所から生年月日からクレジット番号まで分かるって知ってた?オマエがこれ以上俺にくだらねー事言うんだったらそれなりの覚悟しとけよ。オマエの局部写真が住所氏名実家の電話番号付きでそこ等中のネットの掲示板に公開されることになるぞ」
「関係ねーよ」
「……大体ヤギシンジっての、本名だと思うか?」
シンジがクスクス笑って言った。
それは俺の予想外の科白だった。
「シンジ…」
「だから俺はシンジじゃねーってば。俺はジャック・サマースビーなの。ジャックはジャックのまま死ぬの。
オマエの中で、そして俺の中で、ジャックとしてセックスしてジャックとして死ぬんだよ」
シンジはそう言って皮肉っぽい笑い方をした。
俺はもう何も言えずにそこに突っ立っていた。
「手、放せよ。俺はもう二度とオマエに会わないし、オマエみたいな奴とは二度と会いたくない」
シンジの言葉に俺はその腕を放した。
本当は、本当はシンジが嫌がればここでコイツを強引にでも拉致って、どんな事をしてでも手放さずにいようと思っていたが、もうそんな気にすらならなかった。
セックスしながらコイツの瞳に惚れたと思った。
たった24時間で惚れたと思った。
でもこれは恋じゃないのかもしれない。
そう思ったらこれ以上醜態を晒す気にもなれなかった。
コイツの言う通り、コイツは金の為にジャックとして俺に抱かれ、
ジャックとして終わるんだ。
シンジはエレベーターの開閉ボタンを押し、振り返りもせず去って行った。
ただ小さく
「俺達は吊り橋の上で会ったんだ。だから……」
とだけ呟いて。
部屋に戻るとケイとエイが煙草を吸って俺を待っていた。
俺は予定通り報酬を現金で貰い、上半身裸のままだったので服を着て財布と携帯を持つ。
黙って部屋を出ようとした時ケイが俺を呼び止めた。
「もしビデオの評判が良かったら、ボーナスは口座に振り込んでおくからね」
ニッコリ笑ってエイが言う。俺は口座番号なんて教えた覚えがない。どうやらシンジの話は本当みたいだった。
「アイツの本名、ヤギシンジじゃないのか?」
俺が訊くと、ケイは上を向いて煙草の煙を吐き出した。
教えるつもりはないと言いたいらしい。
「アイツの本名教えてくれ」
「言うわけないでしょ?もし偶然あの子に会っても変な事言わないでね。貴方達はもう他人。もしあの子に何かあったら許さないわよ」
ケイが真剣に言う。慣れているのか迫力がある言い方だった。
俺はこの女達を殴ってでも聞き出そうと思ったが、結局何も言わずにマンションを出た。
外を歩きながら俺は考える。
シンジはジャック・サマースビー。
ジャックはジャックのままで死ぬ。
俺の中で。そしてシンジの中で。
俺は街灯をぼんやり見ながら、煙草を吸おうと思いポケットを探る。確か1本だけ残っていたと思ったが、煙草の箱自体をあのマンションに忘れて来たようだった。
自販機を探して小銭を入れる。
煙草は無くなれば新しいモノを買えば良い。
恋だって同じだ。
また新しい女でも作れば良いんだ。
大体俺はシンジに本当に惚れていたのか怪しいもんなんだ。あの状況で頭がイカれてただけかもしれない。
もし恋だとしても、恋だとしても、それはハシカみたいなモンで……。
煙草の封を切りながら、俺は立ち止まってマンションを振り返った。
そうだ。考えてみれば俺は子供の時からハシカにかかった事がない。
アレはハシカだったんだ。
「――ハシカだったんだ」
口にするとやけに笑えてきた。どうしても笑えてしょうがなかったので腹を抱えて笑った。大体俺が男に惚れるなんてありえない事だったんだ。アレはハシカだったんだ。
通行人が笑い転げる俺を不審そうに見ている。
それでも笑いが止まらなかった。笑って笑って腹が痛くなるまで笑って、笑いながら煙草に火を吐けようとした。でもそれは笑っているせいかどうしても上手く点けられず、煙草を箱ごと道路に投げ捨てた。そして車のタイヤがそれを潰すのを見てまた笑った。
散々笑って気が済むと
俺は路上のゴミ箱を思いっきり蹴飛ばした。