第3章 世界で唯一の自然


 それから俺達はまた移動を再開した。
 鬼達が次に何処を狙うのかは分からない。だが、地形をとにかく知っておきたかったのだ。どうやらこのC地区は、入り口から東西に走る大通りと、最初にライとファーがいた一番大きなビルの西側にある南北の道路以外には大きな道はないらしかった。あとは細々とした小道がビルの隙間に沿って走っている。俺達はそれを確認しながら移動を続けた。
 移動途中でアーティの奴等がいたらとっ捕まえようと思っていたが、アーティは見つけられなかった。しかしライとファーには会えた。俺達はビルの中で少し情報交換をし、鬼の行動パターンについて考えた。だが鬼は完全にランダムでビルを爆破しているらしく、次に狙うビルはさっぱり分からない。
「ライ。今回の鬼の力量、どう思う?」
「やばいよありゃ。俺も今回は逃げるので精一杯だと思う」
 ライが珍しく真剣に言う。最初に捕まえたアーティは本当に幸運だったらしい。アーティも今回は慎重だ。俺達は結構動いたのにも関わらず、奴等は今回鬼から徹底して逃げる作戦を取っているのか俺達に挑発もしてこない。鬼はそれだけの力を持っているってコトになる。
 ライ達と別れると、俺達は俺が選んだビルに入って時間を潰した。アーティが動いていない以上俺達だけがウロウロするのは良くないと思ったのだ。向うはすでに1人捕まっているからそのうち動き出すだろう。地形はライ達の情報で少しは理解できた。
 窓から外を見ると、遠くに俺達が住んでいる街の明かりが見える。あの街は不眠不休で働く機械のようだ。俺達人間の快楽と喧騒と、そして空を飲み込む為に作られた街。
――空。
 俺達が住んでいる場所には空がない。
 そこにあるのは、かつて空と呼ばれていた残骸だった。土もない。川もない。
 そして、海もない。
 俺達が子供の頃、汚れきった海を放置していた政府に一部の過激なNGOが怒りをぶつけ、永田町のそこかしこに爆弾を仕掛けたのだ。その騒動以来、日本の海岸は全て一般市民立ち入り禁止地区に指定されてしまった。
「トワ。今度生まれ変わったら何になりたい?」
 ぼんやりと街明かりを吸収する嫌な色の空を見ながら、俺は何気なく後ろで座っているトワに訊いてみた。
「生まれ変わったら?スイはreincarnationを信じてるのか?」
「何だよそれ」
 トワは俺の言葉にクスリと笑った。
「スイは何になりたい?」
「俺は…。分かんねぇけど、テレビなんかで時々やってる青い海や青空や星が見れる場所で生まれたい。そこで生まれることができるのなら、人間じゃなくてもいい」
「じゃ、俺も同じ。スイと同じ場所で生まれて、スイと同じ生物として生まれたい」
「ナメクジでも?」
「ナメクジでも」
 今度は俺が笑った。
 それから俺は少しだけ、トワに輪廻の事を教えてもらった。トワの膝の間に座って仏語が沢山出てくる話を聞くのは新鮮だった。
「トワは運命を信じる?」
 話が終わると、俺は窓から覗く何も見えない夜空を見ながら訊いてみる。いつ見ても灰色の空は、大きなコンピューターの一部のように見えた。そして俺を包む後ろに感じるトワの体温が、この世界で唯一の自然のようだった。
「分からないな。運命も宿命も、信じているとも信じていないとも言えない。スイは?」
「俺も分からない。でも…」
「でも?」
 俺は振り返ってトワの顔を正面から見る。
「…そんなんあってもなくても同じのような気がする」
 トワは黙って俺を見た。見慣れているはずのその瞳は、俺の知らない俺を見ているようだ。
 その時俺は、運命があってもなくてもトワは俺を求めるのだろうと思った。

 結局最初の1時間で5つのビルが破壊された。次の1時間でまた5つ。次の1時間では6つ。前半戦で16棟だ。途中でアーティがもう1人捕まったと鬼が拡声器で叫んでいるのが聞こえた。相手も名高いアーティ11。すんなり捕まるとは思えないのだが鬼達はやはり余程腕が立つのだろう。
 後半戦に入ると鬼のビル爆破はパタリとなくなった。 どうやらここからが本当の鬼ごっこらしい。
 俺達も移動を開始した。3時間もじっとしていたから身体が鈍ってきたからだ。
 ビルを出てさらに西へ向かう。
 C地区の北西は思っていたより更に建物が少なかった。俺達はその中で最も新しそうな7階建ての小さなビルに入る。ここはまだ他の建物より廃ってはなく、古い型の機材なんかも残っていた。1つ1つ部屋を確認しながら上っていくと、4階でトワの足が止まった。
「誰かいる」
 トワが呟く。俺は勘は良いのだが、トワは耳が良い。聴力が並じゃないのだ。俺達ネイGはネイの中でも特別で、ファーは視力が良くてナツは嗅覚が凄い。それはDNA操作を施されているとしか思えない程なのだが、それでも俺達はネイのメンバーなのだからただの特異体質なのだろう。
「靴の音は?アーティ?」
「分からない。でもキーボードを叩いてる音がする」
 キーボード?
 普通腕の携帯はPCとして使う時、立体映像式を出してから特殊端末リングを指に嵌めて操作する。その動きを携帯が読み取るのだ。だがそれには微量の電波を飛ばして行う作業の為、この電波妨害があるC地区では使用不可能のはず。しかもディスプレイ自体が3Dなので立ち上げることすらできないのだ。 もしも普通の家庭用PCがこの廃ビルにあるのだとしてもC地区に電力は通っていない。
 俺はここに入る前に念入りに自分の勘と相談した。鬼じゃない…とは思うのだが。
「行ってみますかぁ」
 アーティだったら捕まえようと思い階段を上る。
「何階くらい?」
「一番上」
 7階まで慎重に上り、西側奥の部屋のドアの前で俺は深呼吸をする。ドアの隙間から僅かな光が漏れていた。
 トワが視線で訊いてくる。俺の勘は動かない。
「大丈夫。仲間だ」
 俺はドアを開けた。
 暗い部屋の中には何処からか引っ張り出された数台のケーブル監視カメラ。そのカメラの中心にボンヤリと浮かび上がっているのは、古いタイプのデスクトップPCと格闘しているイナだった。
「イナ、お前どうして…」
 チラリとこちらに視線を向け、イナは黙ってまたキーボードを叩きだす。凄い速さで指が20本あるみたいだった。イナはPCで何かをしている時、外部からの接触を酷く嫌う。それだけの集中力を使っているからだろう。俺達はそれを知っているのでそっと近付いて何をしているのか覗いてみた。腕の携帯をスロットに差してプログラムを作っている。何のプログラムか俺には早くて分からない。トワがイナの入力画面を読んでいる間に、俺はこの部屋を見て回った。
 俺達のゲームは常に監視されている。行動心理学、遺伝子学、人類学、その他諸々の学者達に監視されているのだ。いつもは俺達に見えないようにそこ等中に監視カメラが設置されているのだが、今回は電波を飛ばせない為にケーブルカメラを使っているらしい。そしてイナはそこに目を付けた。廃ビルの中に捨てられていた旧式のPCの電力をケーブルから分けてもらい立ち上げると、自分の腕の自作携帯と接続。メモリが足りないノロマな旧式は使わず、ディスプレイとキーボードのみを借りているのだ。
「スイ、ウチのメンバー誰か捕まった?」
 手を動かしながらイナが訊いてくる。
「アーティが2人捕まっただけ」
「上等」
 暫くしてダウンロードが開始される。
「イナ、お前良くアーティに捕まらなかったな」
 こんな場所で隠れもせずに堂々とPCを弄っているんだ。 暗闇の中では僅かな光でも目立つのに。
「この部屋は窓がないから外からは見えない。それにさっきまでナツがいたの。アーティが来たから大喜びで捕まえに行ったけど」
「んじゃ、2人目はナツが捕まえたのか」
「多分違うわね。あのアーティ逃げ足速そうだったし」
 ここでダウンロードが終了し、イナはまたカタカタとキーボードを叩きだす。何を作っているのか訊こうとした時、不意に俺の勘が動いた。
「イナ、トワ、誰かここに入って来た。仲間じゃない」
 俺が小声で言う。イナの手がこれまで以上に素早くなる。
「もう少しで完成なのに…。どんな感じ?」
「分からない。でもヤバイかも」
「ジープの音は聞こえなかったけど…でも後半戦に入って車は使ってないかもしれないしね。とにかくアーティだったら好きにして。鬼だったらそこから天井へ上って隠れていればいいわ」
 イナはここで口を閉じた。トワが目を閉じて耳をすましている。
 トワが物音に集中している間に、俺は監視カメラのケーブルを引っ張り出す為にイナが開けたらしい天井タイルの穴から上に上ってみる。余りにも暗くて周りが見えないから、支給されたサーベルをスタンガンオンにする。パチパチと鳴りながらも微量な光を出すサーベルを掲げて、辺りを確かめようと少し奥へ進む。もしここに空気ダストや他の部屋に逃げるだけのスペースがないのなら今のうちに場所を移動しないといけない。こんな場合袋のネズミ状態が一番危険なのだ。常に逃げ道を…と考えているとトワがジャンプしてやって来た。
「鬼だった?」
「間違いないだろう。靴が市販されているモノじゃない」
「ちょっと待てよ。ここ、もしもの時逃げられるかどうか…」
 俺が最後まで言う前にトワが俺のサーベルをスタンガンオフにする。
「何かオカシイ。奴等1つの階をロクに調べもしてない。もうすぐここまで来る」
 トワの言葉を聞いて、俺達は取り敢えず柱の影まで移動した。
 1つの階をロクに調べもしない。つまり自分達の能力に相当の自信をもっているのだ。人の気配を探る能力、もしくは俺やジオのような第六感、トワのように優れた聴力、ナツのような嗅覚。……どれだろう。もし気配を探る能力以外のモノだったらお手上げだ。俺とトワはネイGの中で最も完璧に気配を消せるが、呼吸音や体臭なんぞは消せない。
 俺とトワは目を閉じ、意識を遮断し闇に溶ける。
 脳に浮かぶモノ全てを流し去り、電源をパチンと切ったPCのようにただのモノになる。
 キーボードを叩く音。
 小さく靴音。
 その靴音が近付いてくる。わざと足音を殺さないで歩いているようだ。
 暗闇の中にイナのキーボードを叩く音と鬼達の足音だけが響いている。
 この階に到着。
 近付く靴音。真っ直ぐこの部屋まで来る。
 ドアを開ける音。
 入って来た。
 キーボードの音は止まらない。
「認識票を読ませてもらう。それを外しなさい」
 淡々とした男の声。
「ちょっと待っててね。今ギリギリ終わったの」
 イナの楽しそうな声。キーボードの音が止まる。
 沈黙。
「何をしている。早くしなさい」
「私肉弾戦苦手なのよ。そんな事してたらお嫁に行けないじゃない。だから暇潰しして遊ん…」
――早くしなさい」
 もう1人の嗄れ声。
 沈黙。
「終わった」
 イナの小さな呟き。
 カチッと携帯を外す音。
「どうぞー」
 イナの楽しそうな声。
 イナの自作携帯独特の変わった音から、続いてピピピと鬼の携帯らしき音。
 カチッと双方を接続した音。
 長い沈黙。
 一瞬にして空気がズシリと重くなる。
「何だね?これは」
 淡々とした低い男の声。
「さっきも言ったんだけど、私肉弾戦苦手なの。それで今日はヤル気なかったんだけどね、良く考えてみれば何で貴方達に合わせなくっちゃいけないんだろうって思ったの。私は私なりに楽しもうかなーなんて考えちゃったわけ。だって6時間も暇だろうし、運良く誰にも邪魔されなかったし、貴方達もこのビルは爆破しなかったし」
 クスクス笑うイナの声。
 沈黙。
 カチッと携帯を外す音。
「とにかく私のを元に戻してもらおうか」
「貴方が私の携帯に接続した時点で貴方は私の土俵に足を踏み入れた。このプログラムを解除したければ自分で解除してみれば?」
「解除しなければ実力行使するだけだが」
「ここに並べた監視カメラは何の為だと思ってるの?貴方達はアーティみたいな子供ではなく役人でしょう。私の身体に触れるのならそれ相応の覚悟をする事ね。それに私はゲームを自分の土俵に移しただけよ。鬼ごっこをしたければ相手をしてあげる。ただし電子レベルの鬼ごっこだけどね」
「最後の忠告だ。これを今までのゲームと一緒にしない方が良い。解除しなさい。10秒以毎に指を一本づつ貰っていく」
「私にブラフは通用しない」
 空気が張る。
 沈黙。
「キミはどのくらいでコレを制作したのかね?」
「2時間よ」
「キミの2時間は我々の半日に値するな」
「冗談。貴方達の一週間以上よ。私が何をしていたか確かめもせずに自分の携帯を接続するなんてとんだ素人じゃない。ウィルスじゃなかった事、感謝して欲しいわ」
「反則技スレスレだな」
「そうかしら?ルールはC地区から出ない、携帯を手放さない、それだけだったし質問は受け付けてくれなかったわよ」
「それを仲間にインストールしないように。それがコチラの条件だ」
「分かった。私もちょっとセコイ手使ったからね」
「……次官に宜しく」
「次官ならそのモニターでご覧になってるわよ」
 イナの声とカツカツという足音。
 ドアが閉まる音。
 遠くなる足音。
 イナの優越感に満ちた笑い声。
 俺とトワは沈めていた意識を引っ張り出す。
 トワの合図で俺は身体を動かし、床を這って下へ降りた。トワがそれに続く。
「イナ。お前何したの?」
 身体をコキコキさせながら俺はイナに近付く。イナと鬼のやりとりは聞こえていたが、何の事かさっぱり分からなかった。
「別に。ただ私の認識票にアクセスするとシステムロックして、ついでに相手の携帯も自動ロックして、ついでのついでに私のパパからの熱烈なメールが流れちゃうようにして、ついでのついでのついでにそのメールが本物だと分かるように細工しちゃっただけ」
「お前のパパって?」
「ノーコメント」
 イナはクスクスと笑いながら答えた。どの省庁の次官かは知らないが、イナに引っ掛かるとはそのパパとやらも大変だろう。
「結構楽しかったわ。私はゲームが終わるまでここにいるから、貴方達がんばってね。それと鬼は強そうだったわよ」
 イナは1人上機嫌だった。
 それから俺とトワはこのビルを出た。
 イナのおかげでネイGが全員捕獲される事はなくなったが、それにしてもイナは恐ろしい。暇潰しに自分の愛人まで出して相手を脅すとはなんて嫌な女だ。しかし本当に味方で良かったと思ってしまう。
「そろそろ本格的に動こうか?」
 トワの言葉に俺は頷いた。







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