第6章 木星

 身体が痛い。
 どこかから差し込んでくる光が眩しいけど、このジクジクした身体を外側から乾かしてくれているような気がして今は動きたくない。それにここは暖かい。
 背中が痛いけど、ここはどこだろう。下が固いからベッドじゃないな。
 今は何時だろうか。いや、それより今日は何日だろうか。ずっとあの部屋にいたからもう時間の感覚がなくなってる。寝ても起きても永司に抱かれ、身体が壊れる寸前までヤられてるんだ。もう脳味噌もちゃんと動かねぇ。
 あ、どこかのドアが開く音。
 水の音。
 永司、シャワーでも浴びてたんだろうか。
 近付いてくる。

「おはよう春樹」
 永司の声。
「目を開けて俺を見て」
 俺の瞼が勝手に開いて声の主を探す。
「良い子」
 永司が微笑んで俺の髪を撫でた。
 俺はバスローブを羽織ってリビングの床の上に横たわっていた。窓からは光が差し込み、この身体を照らしている。
「お腹空いた?何か食べようか」
 立ち上がった永司がチッキンへ向かう間も、永司が1人で何かしている最中も、俺はずっと目で永司を追っていた。何をしているのか分からない。ただ、永司が鍋に水を入れたりしているのを、俺は意味もなくただじっと見ていただけだった。
 キッチンから戻って来た永司の手には、スプーンと小さめの皿、水が入ったコップがあった。
 永司に身体を起こしてもらって、床に座ったまま食べさせてもらう。俺は人形のように永司が口を開けろと言えば口を開き、飲み込めと言われると口の中のモノを飲み込むという動作を繰り返し食事をした。
 食事は粥だった。味と状況から言ってレトルトだったのだろう。
 半分も食べないうちにもう食べることができなくなったけど、それでも飲み込めと言われれば飲み込むしかない。かなり辛かったけれども、永司はそんな俺の状態を分かっていたのか4分の1程残して食事を終えてくれた。
 食事を終えると今度は水だ。上手く飲むことができなくて口元から水が零れたが、それを見て永司が口移しをしてくれた。少しづつ流れ込んで来る冷たい液体を飲み込むと、俺はまた目を閉じた。



 背中が痛い。まだリビングの床の上で寝ていたんだ。
 瞼の裏から差し込む光の強さで、もう昼過ぎなのだと思った。
 俺はまだ寝ている。バスローブ1枚だが、床も暖かいし日差しが身体を照り付けているしでそんなに寒くはない。
 永司はどこにいるのだろう。
 目を閉じたまま気配を探ってみても、よく分からなかった。ただ、日差しが気持ち良い。
 浅い眠りの中を彷徨っていると遠くで音楽が聞こえ始めた。知っている曲…いやこれは多分、俺が持っている数少ないクラシックCDの中の1枚だ。ホルストの惑星。その中の木星。
 美しい調べが身体を包み込んでくるようだ。
 うつらうつらとしていると、大きな手で頬を撫でられる感触に目を覚ました。永司が覗き込んでいる。
「起きた?」
 うん。
 返事をしたと思うけど自分の声は聞こえない。
「今日は天気が良い。暖かいだろう?」
 耳の横でコトンと音がしたので見てみると、そこにはいつも使っている小さなボトルに入ったローションが置いてあった。
 俺の胸元に手を滑り込ませながら、永司が反対の手で遮光カーテンを少し引く。永司は光が眩しいようだったが、俺は光に当たっていたかった。
 永司の身体が完全に影の中に入り、俺の首元まで影が来るとそこでカーテンを引く手が止まる。眩しさはなくなったが、俺の身体には斜めに入って来る光が当たっていてまだ暖かい。
「愛してるよ。…綺麗だ」
 永司は愛しそうに目を細めながら俺の身体に触れている。フローリングの上にバスローブ1枚で横たわっているこの身体が、一体どんな風に映っているのかは分からない。ただ永司はその深い瞳の奥が、いつもよりずっと激しく揺れているような気がした。
「春樹。右の中指で自分の唇を撫でてみろ」
 突然の言葉にも関わらず、その意味も理解できないまま自分の手が動き出した。


「もっとゆっくり。指の腹で唇の膨らみを確かめるように、もっとゆっくり。
 ……上唇も撫でてみろ。そう、そうやって。
 指を口の中に入れろ。舌先を撫でてから、ゆっくりと奥に入れていけ。
 唾液を指に含ませてから、内頬を撫でるように口内を掻き回して…もっとゆっくり。
 じらすように指を舐めながら吸い付いてみろ。舌を絡ませながら。
 ……そう、良い子だ。
 指をゆっくりと引き抜いて、もう一度唇を撫でてみろ。
 そのまま指を下げて…顎に向かって…そのまま首に。上手だ。春樹は良い子だね。
 鎖骨を往復して…バスローブをはだけて手を中に入れろ。もっと肩までずらして。
 もっと俺をそそるようにやれよ。腰のローブを外して…全部見えるように。
 よし。指の腹でさっきみたいに身体を撫でてみろ。腰から…脇腹…胸元まで……」

 言われるがままに指が動いていく。
 視線を下に向けると、フローリングに寝そべった褐色の肌の上を自分の指が滑っていくのが見えた。柔らかな日差しが肌に辺り、肌が日差しをしっとりと吸い込んでいるようだった。

「もっと指を寝せて、手のひらが触れるか触れないかくらいで…そのまま、胸元まで。
 中指の腹で、それを上に持ち上げるように。
 指の腹で軽く抑えたまま今度は下へ押すようにして…もう一度上に力を込めて押し上げろ。
 上手だ。硬くなってきたのが自分で分かるか?気持ち良い?
 ヤラシイ子だ。
 それじゃもっと気持ち良くしてみろ。硬くなっている部分だけを、汗ばんだ指で転がせ。
 滑らないぶん快感が増すだろ?指とそれとの抵抗感が良いんだろ?
 声を殺すな。そのまま出せ。
 中指と人差し指で挟んでみろ。もっと強く。…もっと。
 そのまま軽く動かしてみろ」

 それから俺は永司の声に従い、右手はずっと胸を弄ばせたまま左手で足の付け根を撫でていく。性器に触れるなと言われたのでその通りにし、内腿を爪で撫でていけと言われたらそれに従う。
 ただひたすらに身体の奥のどこかから汚れた水が滲み出ているような、深く傷つけられた傷口が酷くジクジクしているようなそんな感覚があり、そしてその傷口の痛みが何故か異常な程の性欲を掻き立てていた。
 永司の声に逆らう事もなく自分の身体を愛撫していきながら、すでに勃起している部分に触れたくてしょうがなかった。最初から随分とぼやけていた思考回路はすでに止まっていて、永司の声に導かれて快感を追うだけだったのだ。
 どんなに永司の声がハッキリ聞こえようが、自分の声だけは聞こえない。
 ずっとその状態のままだったから、もう何を言っているのか自分でも分からない。ただ、身体が求めるがままに何かうわ言のように口を動かしていた気がする。

 永司に言われるがまま身体を横にして小さく丸まり、手にローションをたっぷり塗ってもらって自分の後ろに触れた時、その冷たさからか見られている羞恥心からか思わず目を閉じた。

「目を閉じるな」

 途端に永司の声がして、俺は息を止めて瞼を開ける。

「絶対に目を閉じるな。何があっても俺を見ていろ」

 強く言われるともう逆らえない。この世でたった一人の俺の支配者は、永司だからだ。
 目を開け、異様に熱を漲らせているその瞳を見詰めながら指示されるがままに自慰を再開させた。解して、指を入れて、動かして。
 永司の視線は俺を酷く興奮させ、その興奮が羞恥心を汚く喰い散らかしながら自慰に没頭する事を要求してくる。俺はその要求に応えて、ただひたすらに永司を見ながら指示に従い自慰をした。

「そんなに気持ち良い?」

 薄く笑いながら永司が腕を伸ばし、後ろを弄っている俺の手を撫でる。中に入れた中指以外の指を一本一本撫でていき、それから俺の中指に添って永司は自分の指を入れた。自分の指と永司の指という、普段とは全く違う感触が妙に生々しい。そして蕩けるほど悦んでいる自分の身体。

「好きなように動かせ。思うがままに、感じるままに」

 永司の指は俺の指にぴったりと張り付いたままで全く動かなかったが、俺は自分の指を快感のままに動かし始める。足を少し持ち上げられ、「扱け」と言われたので空いた手でそのまま扱き出す。扱く手にも永司の手が添えられて同じように刺激され、隅々まで視姦され、快感は途切れることがなかった。

「そんなにココが好きなのか」

 薄く笑う永司を見て、中に入れたまま動かそうとしない永司の指は、俺の指の動きを探っていたのだと思った。
 そして身体の外だけじゃなく内側さえも全て見られていると感じた途端、俺は激しく射精した。





 頭がぼんやりしている。薄い膜が1枚張り付いたような感じだ。
 でも、いつからか物音がはっきりと聞こえるようになっていた。永司の声、足音、猫が餌を求める鳴き声、エアコンの音、テレビのスイッチを入れた瞬間に聞こえる電子音、自分の呼吸、自分の鼓動。これだけはっきり聞こえるのに、いまだに自分の声だけが聞こえない。
 視界も良好だ。
 遮光カーテンの隙間から漏れてくる光、目の前にある机の脚、白い壁、コンセントから伸びているコード、床に散らばっているCDケース。
 五感が鋭くなっている。
 羽織っているバスローブの肌触りもはっきり分かるし、床の冷たさや硬さも貼り付くように強く感じる。
 なのに何故。
 どうしてこんなに頭がぼんやりしているのだろう。

 隣の書斎で永司が立ち上がった気配すら感じることができる。またこっちに来て俺を求めるんだ。そして俺は今日も永司の指示に従って自慰をするんだ。
 昨日もそうだった。一昨日も、その前もその前も。
 俺は永司の好きな時に、好きなように、好きな格好で自慰をした。やれと言われれば何でもやった。そして、自慰の後は必ず抱かれた。

「春樹」
 永司の声にだるい身体を起こす。
「今日も俺を愉しませろ」
 永司の手が胸元に伸びてきて、バスローブが床に落ちた。



「もっと奥まで飲み込め。咥え込んでみろ」
 ソファーに浅く座って身体を倒している永司の上に跨り、性器を飲み込もうとしている俺の身体は、途中まで上手くやったものの完全に腰を下ろしきることができない。下半身を覆う圧迫感とジリジリとやってくる疼きが一体になって襲って来るようだった。
「咥え込めよ。いつもみたいに」
 薄く笑いながら促す永司の声にもう一度腰を下ろそうとしたが、どうしても途中で止まってしまう。今まで散々自分の指と永司の指で弄ったその部分は、別の生き物のように息づいて吸い付こうとしていたが、これ以上飲み込むとそのまま射精しそうだった。
 額から流れた汗が目にしみて思わず目を閉じると、永司が汗を拭ってくれる。
「まだイクなよ」
 永司は全部見通して意地悪く笑う。
 永司の肩に手を置いて身体を支えている自分の腕が、小さく震えているのが分かった。
 早く挿れたい。早くイキタイ。
「まだイクな。早く全部咥え込め」
 永司が俺の手を払った。
 カクンと身体が落ち、待ち構えていたように永司の性器に吸い付く自分の下半身が大きく揺れた。ジンと目の奥まで響く衝撃が全身に広がる。
「まだイクなって言ってるだろ」
 永司は笑いながら溢れた精子を指で掬って、俺の唇に塗りつける。
「腰を動かせ。愉しませろ」
 言われるがままに、痺れている身体が勝手に動き始めた。内壁に擦りつけるように、敏感になっている周りの皮膚までも強く押し付けるように。

「もっとイヤラシクやれよ。もっと。
 身体を反らせろ。もっと全部見せろよ。目を逸らすな。
 そんなもんじゃねぇだろ?感じてるんだろ?
 ちゃんと喘げよ。
 声、殺すな。
 叫べ。
 喚け。
 泣け。
 もっと苦しめ。
 まだイクな。まだまだイクな。俺の許可なくイクな。
 愛してるって言え。言いながらやれ」

 自分が何か喚いているのが分からない。
 永司はイクなと言いながら、俺の性器を指で擦って刺激する。

「イクなよ春樹。我慢しろ。もっと虐めてやるからまだイクな」

 ヒクヒクと収縮を繰り返していたその部分が永司の性器をむしゃぶりつくようにして飲み込み、一本の光が身体を駆け抜けた。

「イクなと言っただろうが。悪い子だ」

 永司は薄く笑みを浮かべながら力の抜けた俺の身体を肩に担ぎ、寝室へ向かった。
 されるがままになりながら、俺はこれから始まるであろう執拗なセックスを想像し身体を震わせていた。
 嬉しかったのだ。
 今日も泣き叫ぶまで抱かれるのだと思うだけで。





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