第6章 きっと余りにも必死なんだ


 9月も半ばに入った。楠田と上村は相変らずだ。毎日一緒にいる。
 しかし楠田の心には霧がかかっている。 楠田はそれを取り除こうとするだのが、上手くできない。
 上村は上村で悩んでいる。
 楠田に少し触れられるだけでいまだに震えてしまう。上村は自分の腕で身体を抑える。楠田を傷付けたくなかったから。しかし震えは止まらない。楠田の身体が離れるまで。

「由子ちゃん。私の事重荷になってる?」
 夕暮れの教室で楠田は上村に訊いた。
「そんなコトないわ。楠田さんと一緒にいると楽しい。本当よ」
 上村は優しい顔で言う。
「私の気持ちは本当に重荷になってない?」
「なってないわ」
 上村はハッキリ答える。楠田の目を見ながらハッキリと。
 しかし楠田の心には霧が立ち込める。その霧はどんどん広がって行くような気がした。
「私は人を好きになれて良かったって思うの。私は同性愛者で同じ女の子しか好きになれないけれど、それでも人を好きになれる。それは本当に感謝すべきことだと思っているの。そして由子ちゃんを好きになって、私はまた感謝しているわ。何に感謝しているのか自分でも良く分からないのだけれど、とにかく感謝しているの。由子ちゃんは私にとって、とても大きな存在なのよ。こんなに激しくて、穏やかで、深くて優しい恋は初めてなの。由子ちゃんは私に沢山の事を教えてくれたし、与えてもくれた。私はこの恋がどんな結末を迎えても後悔だけはしたくない。私の中で最も素敵な恋だったと思いたい。だからお願い。もう少し私に時間をちょうだい」
 楠田は自分に言い聞かせるように言う。
 上村は何を言えば良いのか分からない。だが、楠田がこの恋がもう終わりに近付いているような言い方をするのが悲しかった。
 上村は楠田を好きになれると思っていたのに。本気でそう思っていたのに。
「私は楠田さんが好き。それは楠田さんの好きとは違うかもしれないけれど、私も楠田さんとお付き合いしている事を後悔したくないわ。私はいつか、自分が楠田さんに恋をすると信じているの。今も、信じているの」
 上村はそう言って楠田の手を握った。
 上村から楠田の身体に触れるのは初めてだった。

「私達、きっと余りにも必死なんだわ」

楠田は小さく呟いた。





 9月も後半に入った。
 真田は最近機嫌が悪い。理由は当然岬杜である。学校に来ないのだ。全く来ないのだ。
 1学期の後半も随分休んではいたが、それでも時々顔を出していた。それが今回は、全く登校していないのだ。
 真田は余りにも暇なので、学校に大量の漫画を持ち込んでそれを読んでいた。この学校の教師は滅多に真田を注意しない。数学の藤沢すら注意しない。理由は多々あるのだが、とにかく真田エリアは無法地帯なのだ。本人もここは治外法権が適応されていると(勝手に)思っている。
「暇だな」
 眠い目を擦って空いている岬杜の席を見る。
 目の前の入来は真面目に授業を受けていた。
「つまらぬ」
 大きく欠伸をして自分の3つ右隣の苅田の席を見る。苅田はいない。ついでに廊下側の深海もいない。
「センセー!ちょっと激しい肋間神経痛がするので保健室に行って来まーす」
 真田はそう叫ぶとスタコラ教室を後にした。

 苅田と深海は案の定屋上にいた。
 深海が苅田に膝枕してもらって寝ており、緋澄は苅田の肩に頭を乗せて空を見ていた。
 音を立てずに近付いたつもりだったが、深海が気配に気付いて目を覚ます。
「よぉ真田」
「よぉヒジキ」
 真田は苅田の前に座ると煙草を取り出し火を点けた。
「珍しいじゃん。永司いないのにぃ」
 深海が眠たそうに話し掛けてくる。
 真田はじっと深海を見る。
「ヒジキは寝てればいいよ。今日は駅弁に話があってな」
 煙草を吐き出しながら真田が言う。低いが、優しい声だった。

 それは深海には理解できない、真田だけがもっている何かで自分に話しかけているようだった。イルカやクジラの鳴き声みたいに。

 深海は不思議そうに真田を見ていたが、やがて目を閉じた。

「本当に珍しいじゃねぇか」
 深海が熟睡したのを見計らって苅田が口を開いた。真田はもう4本目の煙草を吸っている。それまで何も言わなかった。真田も苅田も、勿論緋澄も。
「目の保養君がいないのなら、こんな暑い場所なんぞわざわざ来たくはなかったのだがな……。それよりいい身分じゃねーか、駅弁。両手に花だ。プチ・ハーレムみたいだぞ」
 真田は深海が起きないように低い声で話す。苅田がニヤリと笑いながら、胸のポケットから煙草を出し火を点ける。
「……で?俺に何の話があるんだ?」
 苅田も低い声で訊く。笑ってはいるものの、その目は真剣だった。 だから真田も真剣に言った。
「今回は長びきそうなのか?」
「何がだ?」
「目の保養君の話に決まっておろうが」
 苅田がフフンと鼻で笑う。
「俺にそんな事分かるわけないだろう」
「ヒジキとつるんでいるんだ。何となく分かるだろうが」
「真田はどこまで深海ちゃん達の事を知っているんだ?」
「全然知らん。だが岬杜永司が深海春樹を見ていたように、私も岬杜永司を見ていた。 それだけだ」
「……なるほど」
 苅田は目を細めて真田を見た。
「それで、目の保養君は当分登校しそうにないか?」
「ああ。深海ちゃんの様子を見ている限りではそんな感じかな」
「そうか。それではのんびり待つとするか」
 真田は煙草を消して立ち上がった。
「もしかして、話ってそれだけか?」
「勿論だ」
「そんなん深海ちゃんに訊けば良かっただろうに。俺はまた何の話かと思ったぜ」
「ヒジキに何を訊いても無駄だろうが」
「…そうだな」
「それともう1つ。お前はヒジキの料理の仕方を知っているか?ヒジキはな、甘いと不味いんだ。それなのにお前は砂糖を入れすぎる。ケーキや饅頭を作るみたいに砂糖を入れる。まるで生クリームの上にアンコを乗っけるみたいに甘くする」
「俺は甘党でな」
 苅田が深海の髪を撫でながらニヤリと笑う。
「……バカめ」
 真田も同じように笑った。

「龍司、真田は最後何が言いたかったの?」
 真田が屋上からいなくなると、緋澄がボンヤリとした口調で訊いてきた。
「あぁ、深海ちゃんをあまり甘やかすなってさ」
 苅田は苦笑しながら答えた。

当の深海は苅田の膝枕で静かに寝息を立てている。





 9月の終わり、入来は楠田と話をした。
 楠田は最近、常に何かを考えているように見えた。入来はそんな楠田が気になってしょうがなかった。入来には楠田が遠く感じてしょうがなかったのだ。
 楠田が上村と付き合い始めてからは、入来は楠田と滅多に会話をしなくなった。だがそれは悪い雰囲気ではなかったのだ。楠田は入来の、入来は楠田の気持ちが分かっていたのだ。だから話さなくても以前ほど苦ではなかった。
 しかし最近、入来は楠田の気持ちが分からない。何を考えているのか。
 だから楠田と話をしようと思ったのだ。
 入来が楠田に近況を訊いても、楠田は何も変わったことは言わなかった。入来は躊躇しながらも上村の事を訊いたが、楠田はこれもたいした返答をしなかった。上村と喧嘩でもしたのだろうかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。
「最近の那馳を見ていると不安になる」
 入来は正直にそう言った。楠田が不安に見え、そして楠田の気持ちが分からない自分も不安になる。
「私はね、入来。私は由子ちゃんに恋をして、由子ちゃんと付き合って、大きく変わろうとしている。人を好きになる事の喜びと悲しみが私を変えようとしているの。由子ちゃんは私の心を温める甘いミルクみたいな存在だった。でも温かくて甘いミルクは余りにも優しくって、私は泣きたくなる。きっと私達はお互い必死すぎるの。必死すぎてとても重要な事を置き去りにしている。私はそれを思い出さなくちゃいけないの」
 入来は楠田の話を理解できなかった。そして楠田をさらに遠く感じた。
「アタシは那馳を応援している。那馳の幸せを祈っている。那馳が何かを思い出さなくてはいけないのなら、それが正しいのだと思っている。那馳、頑張れ」
 楠田は少し微笑んで頷いた。
 悲しそうな微笑みだった。


「真田。最近那馳の様子が変なの」
 入来は真田が注文したハンバーグを焼きながら呟いた。真田はリビングでテレビを見ている。NHKのドキュメンタリー番組のようだった。
「那馳は、私達は必死すぎてとても重要な事を忘れていると、そしてそれを思い出さなくてはいけないと言ってた。アタシは良く分からなかったが、とにかく那馳は……」
 ハンバークがジュウジュウと音を立てている。
「アタシには分からないのだが、那馳はどこか遠い所に行ってしまいそう」
 ハンバークを引っくり返す。両面良く焼かないといけない。
「真田、聞いてる?」
「ちょっと待ってろ。今良い所なんだ」
 真田の低い声が聞こえた。

 入来は黙って添え物の人参のグラッセを作る。真田は人参が少ないと煩いので、普通の2倍の量を作る。真田はブロッコリーも好きなので、ブロッコリーも大量に茹でてやる。
 順調に料理が出来上がり、ハンバーグをもう一度引っくり返し焦げ目をつけた後、皿に盛り付けてテーブルに並べた。
「できた」
 入来の声に、真田がだるそうに立ち上がり椅子に座った。
「ビール取ってくれ」
 入来は冷蔵庫を開けてビールを取り、真田に渡してやる。
「お前は最近良い女になったな」
 ビールを飲みながら真田が呟いた。入来は今までそんなふうに言われたことはない。他の誰にも。相変らず貧乏で、相変らず身形に金をかけない。
「そう?良く分からないが礼を言う」
 入来が淡々と答えた。
 真田がビールを飲んだ。
「楠田はな、今しゃがんでるんだと思うぞ。 私も良くは分からん。楠田には元々興味がないからな」
「しゃがんでるってなに?」
「そのままだ。しゃがんでる。しかし悪い意味じゃない。ジャンプする時に膝を曲げるだろ?あんな感じだ。力を溜めてるって言えば良いかな。楠田は何かを飛び越えようとしているのかもな」
「何を?」
「そんなこたぁ知らんわ」
真田はそう言ってハンバーグに箸を伸ばした。

 入来はその夜眠れなかった。
 真田の言葉は相変らず分からない。だが、楠田が何かを飛び越えようとしているのは分かった気がした。
 自分だけが置いていかれそうな気分だった。
「真田、もう寝た?」
「いや」
 同じベッドで寝るようになってから2ヶ月、真田は入来より先に寝たことがない。何故かは分からないのだが、とにかく真田はベッドに入ってもすぐには寝なかった。
「アタシは今まで不安を感じた事などなかった。毎日生きていくので精一杯だった。それなのに今、とても不安を感じる。不安とは、こんな感情だったのかと思ってしまうほどに。真田は不安になる事がある?」
「ない」
「本当に?」
「どうだろうな」
「何それ」
 入来が文句を言うと真田はクツクツ笑っていた。
「入来は良い女になった」
 真田の呟きが聞こえた。





 楠田は上村と会うのが辛かった。
 上村は常に優しく楠田に接する。それが楠田を辛くさせた。
 楠田は自分の中の霧が日に日に濃くなっていくのを感じる。それは楠田の心を隠し、上村の心を隠し、2人の何かを隠していった。
 楠田はそれに気付き、隠されたモノの正体を思い出そうとする。





 10月の始め、真田は屋上に上がった。
 持ってきた漫画は、真田の大嫌いな「余りにもくだらなく意味のない痴話喧嘩と仲直りが永遠と繰り返される恋愛モノ」だった。それに、いまだに岬杜は登校していない。岬杜の似顔絵はもう何十回も描いて飽きてしまった。学校の授業なんか何言っているのか皆目分からない。
 とにかく暇だったのだ。

「よぉ真田ぁ」
 深海の元気な声がする。
「よぉヒジキ」
 真田は不機嫌そうに深海の前に胡座をかいて、エンジのズボンのポケット探る。しかしそこには煙草はなかった。真田は今日の昼休み、トイレで最後の煙草を吸ってしまったのだ。
 不機嫌な顔を更にしかめて深海の吸っている煙草を見る。
「ヒジキのそれ、なんだ?」
「バージニア。すっぱいヤツ」
 真田はメンソールが嫌いだ。
「駅弁は?」
「ラーク」
「そっちの美形君は?」
「コイツは吸わない」
 緋澄の変わりに苅田が答える。しょうがないから苅田のラークを貰った。マイルドじゃないだけマシだ。真田はどんな銘柄でも「マイルド」と名の付く煙草が苦手なのだ。
 いつもと違う味がする煙を肺に吸い込みながら、真田は空を見上げた。
「ヒジキ、なんか面白い話しろや」
 真田はとにかく不機嫌そうだ。
「面白い話なんてないぞ。それより、お前今日何で漫画読んでないのぉ?」
「読んじまった。そしてつまんなかった」
 深海は「ふーん」と言いながら真田と同じく空を見上げた。
 深海と真田は同じように空を見上げている。
 良い天気だった。
「今真田が見ている空の青さと、今俺が見ている空の青さって同じ青色なんかなぁ」
 深海が苅田の肩に頭を乗せ、そしてまた空を見上げる。
「きっと違うのだろう」
 真田のハスキー・ボイスを聞くと、深海はいつも不思議に思う。この声はどこから発せられ、自分のどこに届いているのだろうと。
 空に小さな飛行機が飛んでいた。
「真田ってどうして勉強しないの?」
「私はあまり賢くない」
「そんなん分かんないじゃん」
 深海はふと真田を見た。真田はまだ空を見上げている。
「小さな頃、私は字が書けなかった。読めるのだが書けないのだ。なぜかは分からん。両親の話によると、私は言葉を覚えるのも遅かったそうだ。私は幼い頃から人にバカにされて育った。だが私は、なぜ自分が人からバカにされるのか良く分からなかった」
 真田は真剣な声で話し始めた。
 真田自身、なぜこんな話を深海にしているのか分からない。今まで自分がなぜ勉強しないのかを他人に話したことがなかったのだ。
 しかし深海と空を見上げていたら、突然話してみたいと思った。
「小学生の頃、国語の時間に図書館に行った。私はそれまで図書館で本を借りた事がなかったし、絵本以外のモノを読んだ事もなかった。図書館に入った事もなかったのだ。生徒は皆自分が読む本を決め教室に帰って行っても、私はまだ何をどうすれば良いのか分からずにウロウロしていた。その時、そのクラスで一番賢かった少女を見つけた。私はその少女を見ていれば、本の借り方が分かると思った。少女は私が見ているのを気付かずに、じっと図書カードを見ていた。ただじっと。少女の図書カードは私の真っ白なそれと違い、沢山本を借りた形跡が残っているようだった。そして少女はそのカードを見て、1人で楽しそうに笑った。私はあの顔が忘れられない。それは明らかに優越感に満ちた笑い方だった。本当に、反吐がでそうなほどムカツク笑い方だった。その時私は決めたのだ。私は一生本を読まないと。どんなに大人になっても読まないでおこうと。お前もテレビで見たことがないか?何かの専門家で、自分の後ろに大量の本を並べて自慢げに喋っている大人を。アレは一体何なんだ。アイツ等は自分が大量の本を読んでいる事をそんなに自慢したいのか?どれだけ真剣に話していても、その顔は私が図書館で見た少女と同じに見えるんだ。
音楽でも同じ。中学の頃やたらとジャズに詳しい男子がいた。彼は他人が聞いている音楽全てをバカにしていた。そして、自分が聞いている音楽がどれほど高尚なモノかを他人に押し付けていた。アレも同じだ。自分がどれほど音楽に精通していて、どれほど他人とは違うのか、そればかり気にしている。それから私は音楽を聴くのをやめた。
私はな、自分がどれほど多くの小説やら専門書やらを読んだか、どれほど多くのジャズやらロックやらを聴いたか、そしてどれほど多くの知識をもっているか、どれほど自分は他人と違うのか、どれほど自分は優れた存在なのか、そんな事を気にしている人間を見ると吐き気がする。勉強もそうだ。知識を持つ事は良い事だと思う。しかし、それだけだ。学校の勉強は大事なのかもしれんが、私はそんなのいらないし、したくない。私は多分本当に頭が悪い。本気で勉強しても無駄だろう。しかし私は勉強ができなくても生きていけるし平気だし元気一杯だし勉強できない人間を笑うコトもしない。勉強できなくて見えてくるモノがあるならばそれで良いと思っている。知識があっても、自分がどんな顔で他人を見て笑っているのか知らない連中よりずっとマシだとも思っている」
 真田はそこで話を終えた。
 深海も苅田も、勿論緋澄も黙っていた。
 4人で空を見上げていた。
「ヒジキ、私の言いたい事分かるか?」
「分かると思うよ」
 深海は自分のバージニアを取り出して、火を点ける。
 真田も2本目を苅田に貰った。
「ヒジキは何も言わないな」
「何を?」
 煙草を吐き出して真田は笑う。
「突込みどころは沢山あるだろう?本を読んでも音楽を聴いても、そんな奴ばかりではないだろうとか、だったら自分はそんなふうにならなければ良いだけの話だとかさ」
「そんな事思わないよ」
 深海も笑った。
 そしてまた4人で空を見上げた。
「良かった。もしヒジキがそんな事言ったら、私はお前が大嫌いになっていたろう。そーゆう事言う奴は、私が最も嫌いなタイプだからな」
「そうなの?」
「そうだ。そんな事言う奴に限って『世の中いろんな人間がいるからね』なんて、いけしゃあしゃあと言うんもんだからな」
 深海と苅田がクスクス笑う。
「本当さ。私は極論うんこ女だが、そんな事言う奴だって結局極論うんこ野郎なんだ」
 真田は大きく背伸びをしてコンクリートに寝転んだ。
「俺、真田の身体に触ってみたい」
 目をキラキラさせて深海が言う。
「いいぞ。どこでも触れ。しかし乳と股座触るのなら最後までヤれよ」
 深海がクスクス笑いながら真田の手に触れた。
 深海の手は少し冷たくて、男の子らしい大きな手だった。そして男子高校生特有のセクシャルな雰囲気を全然持たない、非常に稀な手だった。
 深海は、苅田のように存在するだけで性的な匂いのする人間とはかなりかけ離れた場所に位置するのだろう。
「真田って、もしかして俺と同族?」
「なんだそれは?」
「いや、なんでもない」
 深海は不思議そうな顔をして手を握っている。
 暫くそうしてから、真田は深海の能力を少し理解した。
 しかし真田には関係ないモノだと思った。
「苅田。真田ってやっぱ面白いわ」
 深海は手を放さない。
「だろ?真田はオモシロイ」
 苅田はニヤニヤして言う。
「真田は分からない。真田は苅田みたいに俺を必要としない。 表面に凄く厚い氷が張っている」
 深海が目を閉じて言う。
 真田は深海の突然の言葉に少し驚いた。
「ヒジキは占い師かなんかか?」
「その厚い氷の下に何があるのか俺には分からない。でもきっと……。やっぱ真田は俺と同族だ。その下にはきっと深い海があると思うもん」
 深海はそう言ってから、やっと真田の手を放した。
「ヒジキの同族だったら、私はワカメとかモズクとかアオノリになってしまうではないか。お断りだぞ、そんなんは」
「断るなよ。それにお前の海には海藻なんてないのかもしれない。もっと全然違う生き物が住んでいるのかもしれない。 俺が見ているこの青空と、真田が見ているこの青空が違っているように」
 深海はそう言ってまた空を見上げた。
 真田も同じように見上げる。
「真田、お前はエウロパに似ているなぁ」
「エウロパって何だ?」
「木星の衛星。青くて綺麗だぞ。俺が一番好きな星なんだぁ。厚い氷の下に、海が広がっていると言われてる。その海は、地球の海よりずっと深い」
 真田は黙って深海の話を聞いていた。
 煙草の煙がユラユラと消えていくのを見ながら。

「ヒジキの中に海があるとしたら、その海は今濁っているぞ」
「何で?」
「お前が自分で濁しているからさ。誰も潜れないように」
 真田がニヤリと笑った。







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