第5章 透明な河
「こんなとこで何してんだよ」
苅田の声に熱い身体がピクリと動く。さっきまで完全に街から隔離されていたはずなのに、急に呼び戻されたような感じがした。
苅田は今日も口元に笑みを浮かべている。紺野とは違う、余裕のある笑みを。
「お前何してんだ。紺野は?」
何か言おうとして息を吸い込んだが、言葉は何も出なかった。苅田の視線に気付き、殴られた頬を髪で隠すように俯く。
「血、出てるぜ」
苅田がしゃがみ込み、緋澄の頬に手を伸ばす。撫でられるとそこに熱が集まってくるような感じがした。髪に隠された顔を持ち上げるように顎を持たれると、苅田の親指が唇の左端に触れる。鈍い痛みが走り、ようやく唇を切っていたことに気付いた。そういえば少し鉄の味がする。
「何してんだ?」
先程と同じことを訊ねる苅田の声はまだ笑っていた。
緋澄は答えられない。何をしていたのかと訊ねられても、緋澄はいつだって何も答えることができない。だが苅田は辛抱強く緋澄が答えるのを待ち、それに根負けするように緋澄は小さく声を出した。
「サンタクロースを待ってる」
適当に答えた緋澄の言葉に、苅田は目を細めた。
タクシーの中はほどよく暖められてはいたのだが、緋澄にはそれが熱くてたまらなかった。先程まで身体を包んでいた眠気はなく、意識が妙にはっきりしている。酸素の薄い汚れた街から急に解き放たれたような感覚だった。
タクシーから降り、手を引かれて歩く。苅田の手は紺野よりも大きくて紺野よりも冷たい。紺野のように饒舌でもなく、紺野のように必死でもない。
空を見上げると星が見えた。
その部屋にはキングサイズのベッドがあった。清潔なベッドではあったが、僅かに甘く、そしてどこかわざとらしいほど冷たい匂いがするベッドだった。
緋澄をそのベッドの上に座らせると、苅田は隣の部屋に行き冷蔵庫の中から缶ビールを二つ持ってきた。苅田はひとつを黙ったまま緋澄に手渡し、自分は音を立ててプルトップを引く。そしてベッドの上に大人しく座っている緋澄を見ながら、立ったままゴクゴクとビールを飲み干した。緋澄もそんな苅田を黙って見ていた。ビールを飲む込む度に動く喉仏が、同じ中学生とは思えぬほど男というものを連想させる。
飲み終えた缶を片手で軽く握り潰すと、苅田は一息吐いて緋澄の隣に腰を下ろした。手を伸ばし、顔を隠している緋澄の髪を持ち上げる。緋澄は呼吸が一瞬止まった。
「紺野にやられたのか」
タクシーの運転手に行き先を告げてからずっと無言だった苅田が、ボソリと訊ねた。それが切れた唇のことだと分かりつつも緋澄は何も答えない。
「紺野はバカだな」
苅田は笑っていた。それは口元だけの笑みで、目は笑っていなかった。
頬に触れられた手がゆっくりと動き出し、緋澄は小さな吐息を漏らす。苅田の匂いは苅田のベッドと同じように、僅かに甘く、そしてどこかわざとらしいほど冷たかった。
普段はあるのかないのか分からないほどの存在である緋澄の心臓が、トクンと小さな音をたてる。
苅田の愛撫は紺野の愛撫と全く違っていた。
眠ったように静かな緋澄の神経をひとつひとつ呼び覚ますように指が動く。苅田の指と唇で触れられた場所は今まで長い間眠りについていた自分の知らない感覚が目覚め、肌の下で生々しく息づいていく。
それは覚醒に似ていた。
今までどこかで深い眠りに落ちていたもう一人の自分が揺り起こされる。身体の芯から熱が漏れ、その熱がポタリポタリと流れていくようだ。
切れた唇を舐められ、痛みに思わず眉を顰める。紺野の初めて抱かれた時ですら無感覚だった自分の胸が、その痛みに反応した。目を開けて自分の腕を見る。手を開いて指を見る。
「……ナマモノ」
緋澄の呟きに苅田は動じることなく、白い身体に舌を這わせていく。その舌の感触にまた身体がドロリと溶けていく。
自分の呼吸の音がする。まるで生きているかのように、自分の呼吸が弾みだす。まるで生きているかのように、心臓が大きく音を立てていく。まるで生きているかのように、苅田が触れる場所に神経が集中する。まるで自分は……。
「生き物だ」
震える緋澄の声に苅田が顔を上げた。薄く笑う口元。
緋澄は苅田の目を見て、今自分がどんな状況に置かれているのかをようやく完全に理解した。苅田の目は笑っていない。その目は、今まさに血がしたたる獲物の肉に牙を剥き出し喰らいつかんとする凶暴で貪欲なケダモノの目だった。
自分は喰われるのだ。この男は自分を喰らうために自分を「イキモノ」に変えたのだ。自分の呼吸の音すら分からなかった自分を、イキモノに。
笑みを浮かべたままの苅田の唇が首筋に落ち、そこに喰いつくように歯を立てられた時、緋澄は声を上げた。下半身に苅田のペニスが入ってくるともう一度声を上げた。身体を揺すられるとその圧迫感と溢れ出る快感にまた声を上げた。
緋澄は初めてセックスに酔った。初めてセックスで声を出し、初めて男に抱かれて射精を繰り返し、初めて我を忘れイキモノの自分を解放した。
雪が降っている。
窓から見える外の世界は必要以上に美しく、そこに映画のセットのような違和感を覚えた。
「メシは? 腹減ったか?」
シャワーを浴びてきた紺野が首にバスタオルをかけて近付いてくる。
「ああ。雪、降ってきたか」
窓の外を一瞥してから紺野は緋澄の腕を取り、そこにある青い痣に唇を押し当てた。
クリスマスの朝、苅田の家から戻ると自分の家の前に紺野が座り込んでいた。そして、今度はそのまま紺野のマンションに連れて行かれた。
どこに行っていたのかと問われ、黙っていると殴られた。服を剥ぎ取られ、白い身体の上に散らばっている赤い痕を見られるとまた殴られた。
身体中に痣が出来た。顔が腫れた。鼻血が出たし口も切った。髪を掴まれ、壁に打ち付けられたので頭からも血が出た。それから紺野に抱かれた。
紺野はあの日から緋澄を離そうとしなかった。家に帰らずとも緋澄の父親は何も気付かないだろう。紺野の親も時折姿を見せたが緋澄の姿を見ても何も言わず、黙ってリビングのテーブルの上に金を置きまたどこかへ去って行った。
二人だけで生活していた。金はあったので毎食はデリバリー、紺野の気が向いた時に洗濯をし、簡単に掃除をし、紺野の望むままにセックスをし、眠りたい時に眠って長い夢を見る。そんなふうにずっとこの家の中で時間を過ごした。今日が何日なのか分からなかった。テレビの正月番組は終わっているので、冬休みは終わったのかもしれない。
引っ張り続けたゴムが収縮性を失っていくように、時間が伸びきってしまっているようだった。
「今日、何日だろう」
緋澄の問いかけに、紺野は僅かに顔を顰めた。
「知らねー」
最近気がついたこと。
紺野の口元から、笑みが消えていること。
引き伸ばされた時間。
溶けていく意識。
細く丸められたアルミホイル。
安っぽいライター。
セックス。
汗。
紺野の手。
「どんどんダメになる」
無意識に言葉が出た。
隣で寝ている紺野はその声に眉を顰めつつ何も言わない。紺野は緋澄が何を言いたいのか分かっているようだった。
「最近眠れないんだ」
言い訳するように紺野が話し出す。紺野の声はいつからこんな弱くなったのだろうかと思い、緋澄は昨日の紺野の声を思い出そうとした。しかしよく分からない。もうずっと紺野はこんな声を出しているような気がするし、今初めてこんな弱い声を出したような気もする。
「お前の夢を見る」
緋澄は黙って紺野の声を聞いていた。
「夢の中の俺とお前は、真っ暗で古ぼけた建物の中で彷徨ってる。俺はお前を見つけようと歩いているけど、気を抜いたら穴に落ちるから俺はいつも緊張してる。お前は俺より上の、どこかの階にいる。俺はお前を迎えに行こうと階段を探すけど、真っ暗で何も見えねーし、そもそも階段なんてない。お前は暗い建物の中で彷徨い、俺はお前を見つけようと歩き続ける。お前が落ちてこればいい。お前が落ちてきたら、俺はお前を受け止める。でもお前の足元には落とし穴がないんだ」
紺野の指が頬に触れ、そこから首筋に落ちて鎖骨を撫でる。緋澄はその手を持って自分の指に絡めた。
「俺も夢を見る」
緋澄の言葉に紺野が少し驚く。
「俺は紺野と砂漠を歩いている。二人とも裸足で歩いている。紺野は足が熱いと言うけど、早くしないと流砂に飲まれる。空には灼熱の太陽があって、俺達は汗だくになりながら歩いている。空に鳥が飛んでいるけど紺野はそれに気付かない。汗まみれになって歩いていると、知らないうちに流砂に飲まれてる。二人とも、流砂の中に埋まってしまう。そして灼熱の砂の中で流れ続ける」
「流砂に飲まれたら、どうなるんだ?」
「分からない。流れてるだけ」
「二人で流れてるのか?」
「うん」
「一緒にか?」
「うん。紺野は俺の手を離さないから」
「…ならいい」
紺野は小さく息を漏らし、少しだけ笑った。
「それならいい」
もう一度ゆっくりとそう言うと、紺野は目を閉じて眠りについた。
緋澄も目を閉じる。絡まったままの指だけが小さく緋澄に話し掛けていた。
先が見えないまま二人で眠る。蜃気楼のように実態がない現実の中、手を繋いで。
緋澄はずっとそうやって暮らしていくのかと思っていた。紺野と二人で、無感覚なまま生きていくのだと。果てしなく続くと思われる長い長い一日を、紺野がしたい時にセックスをして食べたい時にモノを食べ、シャワーを浴びて服も着ずにダラダラと時間を過ごす。時折よく分からないことで紺野を怒らせ、殴られ、またセックスをして。
その日、緋澄はまた殴られた。紺野の下の名を書けないからだった。タカオという呼び方は知っていたのだが、漢字は知らなかった。紺野はそれに激怒し、緋澄は髪を掴まれ壁に叩き付けられた。殴られた時に内頬を切り、口の中に鉄の匂いが溢れた。
紺野は口を抑えて蹲っている緋澄を見て一人でシャワーを浴びに浴室へ向かった。そして雫を垂らしたまま出てくると、急に学校へ行くと言い出した。
「多分、この部屋がダメなんだ」
殴った言い訳をするようにそう言いながら緋澄の分の衣服を用意し、それを丁寧に着せてやる。
「タカオのタカは鳥の鷹。オはオスの雄」
何かを後悔しているような口振りの紺野に、緋澄はされるがまま服を着せられていた。靴下を履いてシャツのボタンをはめてもらう。口にティッシュを当てられたのでそこに口に溜まった血を吐き出す。
「鳥の鷹とオスの雄」
緋澄がそう呟くと、紺野が強く抱きしめてくる。紺野が何かとても重要なことを言っているような気になり、緋澄は出来るだけ慎重に耳をすましてみたが、紺野は何も言葉を発していない。緋澄は何も分からないまま紺野の背に手を回した。
それから二人で長く静かな口付けをした。
学校へ着くともう午後の授業が始まっており、二人で揃って生徒指導室に呼ばれて冬休み明けからの不登校について少し小言を言われた。学年主任の教師は紺野と目を合わせようとせず、緋澄の出席日数について何かモゴモゴと口にしていたが緋澄は小さな欠伸を連発し、それを見て紺野はクスクスと笑い続けた。
学校にはライブハウスのような澱んだ空気があるわけではなく、ましてやボーカルが何を歌っているのかよく分からない音楽が流れているわけでもない。ほとんど全裸の状態のままで一日中過ごしていた紺野のマンションとも違うし、紺野の気が済むまでキスを繰り返すこともない。しかし学校へ登校しても、それはやはり緩んだ時間の一部なだけだ。気が向いた時に学校へ向かい、気が向いた時に帰るのだろうと緋澄は思っていた。
ずっとそうやって生きていくのかと思っていたのだ。紺野と二人で。
しかしそれは何の前触れもなく起こった。
放課後、誰もいない教室の隅で紺野と肩を並べて座り込んでいる時に苅田が現れたのが始まりだった。
「最近学校にも来ねぇし携帯にも出ねぇし、どっかでのたれ死んでんじゃねーかと思ってた」
苅田は相変わらずだった。口元に笑みを浮かべ、少し顎を上げて二人を見下ろす威圧的なその態度も、冷えている目も。
「何してたんだ」
苅田の口調はどこか詰問じみており、今日もまた紺野に殴られたのだということを隠すように緋澄は俯いて腕で自分の口元を覆った。
「お前にゃ関係ねぇだろ」
苅田の口調が気に入らなかったのか、紺野が苛立った声を出す。
窓の外からは野球部の声がし、正面に見える廊下を誰かが走っていくのが見える。教室の時計は刻々と時を刻み続け、夕日はだらしなく沈もうとしている。
緋澄は唐突に、以前よく見ていた透明な河に流されている夢を思い出した。所々に渦を巻いている河で、浮き沈みを繰り返しながら死体のように流れる自分の身体。
その夢を思い出した。
苅田が近付く。腕を取られる。腫れた口元を見られる。
見ないで欲しいと思った。その目で見て欲しくないと。
「紺野」
苅田の低い声が聞こえる。
しかし緋澄はまだ夢の記憶が頭から離れない。
透明な河。深い河。流れが速くなる。
「紺野」
「んだよ。潤に触るな」
紺野の手が伸び、緋澄の身体を抱き寄せる。
緋澄は片腕を苅田に掴まれたまま、紺野の胸に抱かれる。紺野は紺野で、自分が傷つけてしまった緋澄を苅田に見られたくないかのように、緋澄の顔を自分の腕で抱く。
僅かな沈黙が滑り込む。
「紺野」
「だから何だよッ!!」
紺野の苛立ちが頂点に達した時、緋澄は苅田を見た。
苅田の口元に笑みはなかった。ただ、あのイヴの夜のように凶暴で貪欲なケダモノの目がそこにあった。
「……緋澄は俺が貰う」
苅田のその言葉に弾かれたように紺野が立ち上がった。
窓の外では野球部が白球を追っている。教室の時計は時を刻み続けている。緋澄の頭からは透明な河の流れが離れない。
「苅田。オメー何言ってんだ」
「緋澄は俺が貰うって言ってんだよ」
強く握られた紺野の拳が怒りで震えた。ギシギシという音が聞こえそうなほど歯を食いしばり、紺野は目の前の男を睨みつける。
「何だよ急に。バカじゃねぇの?」
紺野の声が上ずっている。緋澄にはそれが泣きそうで泣かない強情な子供の声のように聞こえた。
「バカはお前だよ紺野。お前はガキな上にこれ以上なくバカだ」
強く握られた紺野の拳が苅田の頬骨に当たったのが見えた。苅田は足を一歩引いたものの倒れず同じように紺野の顔を殴る。殴られた紺野は後ろの窓に身体をぶつけ、激しい音を立てながらガラスが割れた。苅田も紺野もそれに構わず殴り合っていた。
緋澄は座ったまま呆然と二人を見ていた。今まで流れていた時間が、急激に変わっていくような気がして目を閉じることができなかった。頭上で繰り広げられている殴り合いが自分にどんな意味を持つのかも分からないまま、まだしつこく粘りついている透明な河を頭のどこかに思い浮かべて。
流れが急に変わる。渦があるんだ。透明で深い河。紺野と二人で流れていた河が。
「なんで潤なんだッ!!」
紺野の怒号が響いた時、生暖かい血が降ってきた。紺野の血だった。
「テメーこそ、何で緋澄なんだ」
苅田の声は低く、やたらと静かだった。
教室には紺野の荒い呼吸音だけが響き、外からは沈む太陽が壊れる音が聞こえるようだった。
「潤!」
それは悲鳴のような声。
「潤! お前は俺を選ぶだろ? お前は俺のモンだろ? お前は苅田なんて嫌いだよな? お前は俺といるんだよな?」
紺野の鼻から、口から、額から、側頭部から次々と血が流れていく。流れていく。流れていく。それは緋澄の透明な深い河の中に沈降していく。
緋澄は生まれて初めて他人の血を、ここまで流れる他人の血を見た。
何か言わなくてはいけない気がした。紺野に、何かを。
しかし言葉は何も出てこなかった。懸命に探しても、何も出てこなかった。頭に浮かぶのは紺野の血が混じった透明な河の映像ばかりで、どうしても言葉が出てこない。
「紺野。緋澄の意思は関係ねーんだよ。俺が、緋澄を貰うと言ってるんだ」
紺野の血で汚れた拳を軽く振り、苅田は緋澄を見下ろす。
緋澄はまだ言葉を探していた。紺野に何かを言わなくてはいけないと思っていた。胸のどこか遠い場所で、重い重い痛みを感じる。紺野に何かを言わなくてはと思うほど、その痛みは強くなる。
重い重い痛みが言葉を乗せているような気がした。だが一瞬で透明な河に混じってどこかに流れ、紺野の血と共にどこか別の場所へ消えていく。
「夢を見た」
額から流れる血を拭うこともせずその場に崩れ落ち、紺野はポツリと呟く。
「……お前が俺を見てくれる夢。暗い建物の中でお前が落ちてくるのを待つ夢。そんな夢をただ繰り返し繰り返し見た」
紺野の声は、最後まで子供のようだった。
苅田が床に散らばったガラスの破片を手にし、緋澄の前にしゃがみ込む。
「緋澄、俺を見ろ」
苅田は射通すような視線で緋澄を見る。緋澄は言われるまま苅田の目を見る。
教室の時計がひとつ、またひとつと次々に時を刻む音がした。
「お前は俺も見ねぇんだな。紺野の気持ちも分かるような気がする」
呟きながら苅田が笑った。どこか苦味のある笑みを浮かべ、そして暴力的な視線を放つ。
「一度だけだ。一度だけお前を傷つける。
今やっとかないと、俺も紺野のようになる」
緋澄には苅田のその言葉が何一つ理解できない。しかし自分の身体の中に流れている透明な河が氾濫しそうなほど荒れ狂っているような気がした。
苅田は手に持ったガラスの破片を緋澄の左目に近づけた。ナイフの切っ先のようなそれに緋澄は息を飲み、それでも縛り付けられたように苅田から視線を外せない。
左目のすぐ上。こめかみの近く。
ガラスの先が当たり、そこにゆっくりと食い込み、
肌を裂き肉を掻っ切っていく。
苅田の目の奥がケダモノのように光っている。緋澄はその光に戦慄しながらも、同時に酷く惹かれた。一瞬だったのか何十秒だったのか、緋澄は流れの止まった時の中で苅田だけをひたすらに見つめた。
自分の頬に生温いモノが流れ、我に返る。手で拭うと真っ赤な血だった。
苅田は呆然としている緋澄をそのまま抱きかかえ、同じように呆然としている紺野に言った。
「紺野、さっきの訂正する。俺もガキな上にこれ以上なくバカ。それでも緋澄は貰うけどよ」
いつまでも続くと思っていた幻のような時間は、簡単に崩れた。