結局俺達は桜が散るまで毎日花見をした。たまに苅田と緋澄が乱入してきたが、それはそれでかなり楽しかった。
その日も4人でビールを飲んでだらだらしていると、同年代の頭の悪そうな軍団に絡まれた。時代に必死で逆らおうとしているような服装。…と、その思想。どーでも良いけど奇抜さが足りないんだよね。
困ったチャン達の何が頭悪いかって、相手の力量を測れない所だ。俺は見てくれが温厚だし細いから舐められても良いけど、苅田と岬杜、特に苅田の身体と雰囲気を見て「こいつには敵わない」って分かんない程喧嘩慣れしてないんだったら、人に絡んじゃ駄目なんだ。ってか、喧嘩慣れしてても相手が自分より弱いか強いか分かんないんだったら、才能ないんだよなぁ。
なんだかんだと因縁付けて来る困ったチャン達に、苅田はうんざりしているようだった。困ったチャン達はどうやら金が欲しいみたいだ。「お金がないので少し恵んでください。そのかわり中国雑技団並みの曲芸とコロッケよりも面白いモノマネをします」とでも言えば面白いのに。
「苅田、いいよお前やらなくてもぉ」
俺が笑って言うと、苅田も笑って手を上げた。「どうも」の意味か「ご苦労」の意味か「好きにしてくれ」の意味か。まぁ俺には何でも良いのだが。
ニコニコ笑いながら相手に近付こうとするのを、腕を掴んで引き止めたのは岬杜だった。
「あのね、岬杜。俺の実験材料取らないで欲しいのぉ」
「ほっとけよ」
「だから彼等は俺の大事な実験材料なのぉ」
過保護な苅田も好きにさせてくれるのに、岬杜は心配症だ。俺は何だか可笑しくなって笑った。岬杜は納得いかないようだったが、苅田が引き止めてくれてようやく俺は困ったチャン達の相手をしてやれる事になった。
なにやら大声で喚く迷える子羊達。数えてみると6人。リーダーらしき子羊君はナイフを手に持っている馬鹿者だ。どうせ上手く使えないくせに。すたすた距離を縮めてやるだけで動揺する。こいつら10人いても田村亮子ちゃんに傷1つつけらんねぇんだろう。
面倒だからリーダー君ににこやかに近付いた。下からナイフが来る。少し円を描いて。でも俺はそれを止めちゃうんだよ、残念だね。その手を掴んだまま右の子羊君に右上段蹴りを一発。ジャストミートだ。リーダー君の腕を捻ってナイフを落とさせると、右ストレートを突き出してくる左の子羊君に向き合い、にこやかに右手を交わしてそのまま後ろに回り込み、腹を抱えて後ろに倒れるように投げる。
「おっ、バックドロップ炸裂!!」
はしゃぐ苅田の声が聞こえる。
「バックドロップじゃなくて、裏投げのつもりだったんだけどぉ」
ポンっと立ち上がりながら呟いた俺の声が聞こえたのか、苅田のバカ笑いが聞こえる。
もう一人に近付いて側腕で首の頚動脈に当てたからリングアウト。唖然としていたリーダー君が、生意気にも蹴りを入れてきたので左手で止めて間合いを詰め、そのまま耳裏に拳を当てる。三半規管をやられてふらふらした所を軽く鳩尾。苦しそうだ。
「キミはもうちこっと待っててねぇ〜?」
後の2人のうち、一人は素早く足を引っ掛けてまたもや後ろに倒れる。
「河津落しとはお前、社長の隠れファンだなー!!」
馬鹿苅田がまた嬉しそうにチャチャ入れてくる。因みに俺は故ジャイアント馬場さんのファンではない。
最後の一人は取っといた。だって実験材料だから。
「よっ!」
真っ青になっているかわいそうなモルモット君の胸に右ストレート。相手は驚いて痛そうだが俺が望んだ効果はない。
「ありゃ?失敗失敗」
もう一度、
「おりゃ!」
心臓めがけて右ストレート。今度も失敗。角度が悪いのか、力加減が悪いのか。
「ふん!」
3度目の挑戦も駄目だった。
「深海ちゃん、何してるんだ?」
観戦していた苅田が訊いてきた。
「心臓打ちぃ〜」
「ハートブレイクショットってやつ?お前一歩ファンだったのか。どうでもいいけど素人の心臓止めたら駄目だよ」
「一瞬だから大丈夫なのぉ……多分ね」
大声で喚きながら抵抗してくるモルモット君で何度も実験してみる。
「っかしいなぁ。アレはタイミングと角度さえ合えば、
本当に一瞬心臓止まる筈なんだけどぉ…」
ブツブツ言いながら何度も殴っていると、モルモット君が鬼の形相で反撃してきたので、これ以上実験するのはさすがに可哀想になった。だから足払いをしつつ、相手を腰に乗せるようにして払い腰。すかさずモルモット君とクロスするように両腕で相手の腕を引っ張り、両足を相手の体に乗せる。腕ひしぎ逆十字固めなんぞ久し振りだ。
「深海ちゃんはヒクソン・グレイシーのファンなのかっ?!」
苅田の声に俺は誰のファンでもねぇぞと答えた。モルモット君が必死で手をバタバタさせたので解放してやる。
鳩尾に入れたリーダー君がヨロヨロと起き出した。軽く当てただけだからねあのままくたばってもらっちゃ困るさ。持っていたナイフをひょいと取り上げると気絶しない程度に爪先で胃を抉る。リーダー君が胃のモノを吐いた。
「汚いなぁまったく。リーダー的存在ならそれらしい事しろよ。たけし見習え馬鹿者!」
ナイフを見ると、なかなか高価そうなサバイバルナイフだった。
「ねぇ子羊君、キミがこのサバイバルナイフを持って俺に挑んだ時点で、キミは殺人未遂罪。だから俺はキミを成敗しちゃうぞ?」
俺は笑って言ったが、リーダー君は真剣な眼差しで俺を見ていた。
「この子達、キミの友達だろ?俺がこの、キミが持っていたナイフでこの子達を傷付けてあげよう。キミは何も分かってないみたいだからねぇ」
「止めろっ!!」
リーダー君の掠れた声が聞こえた。ぜいぜいと肩で息をしている。
「キミがこのナイフで俺を襲ったんだ。止めろはないだろうよぉ」
「止めてくれ」
「もう二度としない〜?」
「しない」
「約束するぅ?」
「する」
リーダー君の目は激しく動揺し、混乱していた。
俺は目を閉じリーダー君の髪を撫でてやる。金色にブリーチしてある、パサついた髪を撫でてやる。
そっちは崖なんだよ、リーダー君
目を開けるとリーダー君はまだ真剣に俺を見ている。仕返しとか復讐は考えてないようだ。
俺が心を鎮められない連中、例えば意地と見栄で頭が一杯で俺の声すら心に届かない連中だったら、ここで苅田を呼ぶ。俺は仕返しの気が無くなるまで痛めつける事なんてしたくないからだ。それに比べて苅田は、人の肉体的な痛みにはかなり容赦ない。リベンジの気が完全に失せるまで徹底低にやる。
「武器は持つな。モノに頼れば喧嘩が弱くなる。キミがどこかの秘密エージェントとかならともかくだがねぇ」
俺が笑って顎をしゃくると、ゆっくり起き上がったリーダー君は、呻き声を上げるお友達を起こしてヨタヨタと帰って行った。
軽い頭痛がしたので額を抑える。深呼吸してリーダー君のナイフを苅田に渡した。
「深海ちゃん惚れ直しちゃうよ」
ナイフをしまいながら苅田は笑って言った。俺が闘っている最中も刈田はけらけら笑っていた。あの子羊君達にはかなり屈辱的だったろう。
「俺は研究熱心なんだもん。今日は失敗に終わったけどぉ」
「怪我は?」
それまで不機嫌そうに黙って見ていた岬杜が俺の手を引き寄せた。
「ないよ」
「本当か?」
「ん。軽い頭痛がするけどいつもの事だし」
岬杜の手に俺は思わず緊張してしまう。
気持ちが伝わってくるので力を止めた。
「深海ちゃんはインファイト苦手だと思ってたけど、そうでもないんだ」
「俺は接近戦苦手だよぉ。特に刈田みたいなのとは出来ないもん」
苅田相手に投げ締め系ができるわけがない。
「俺は特にインファイト得意だしな。しかし深海ちゃんの関節は始めて見たよ」
「できるよ。滅多に使わないけどぉ〜」
「何で?」
俺の手をいつまでも握っている岬杜に苦笑いしながらも、俺は少しだけ握り返してやった。
「関節技がどれ程痛いのか良く知ってるんだぁ」
「お前何か格闘技やってたのか?それにしてはスタイル決まってないようだが」
「俺喧嘩は自己流。もしかして変な癖ついてる?」
「いや、綺麗なもんだ。才能だろ」
喧嘩の上手い苅田が言うのなら安心だろう。俺は結構気にしていたんだ。一旦変な癖がつくと直すのが面倒だから。
「良かったぁ。それだけが心配だったから。あ、俺の母ちゃん関節技得意なの。昔、人の体の仕組みを、身をもって教えて貰った事がある。ってか、強引に叩き込まれたぁ」
「凄い母ちゃんだな。レスリングとか柔道とかやってたのか?」
「違う。俺の母ちゃんは何でもできる。空手も柔道も拳法も、多分気孔もできると思う」
苅田が爆笑した。今まで反応の無かった緋澄までもが少し笑っていた。岬杜は真剣な目で俺を見ている。
「深海ちゃんの母ちゃんは凄そうだなー!深海ちゃんはマザコンだから、どんな人かと思っていたんだがな」
苅田は笑いながら言う。こいつ信じてないな。
「俺は喧嘩じゃ負け知らずだ。何故なら俺の勘がヤバイと感じた相手には手を出さないから。いざとなれば逃げるし。それは母ちゃんに叩き込まれたんだ。俺は今まで母ちゃんより強いと感じた人間には出会った事がないよ。姉ちゃんも強いがタイプが違う。苅田、お前でも俺の母ちゃんには触れる事すら出来ないだろう」
苅田の眉がひょいと上がる。口元は笑っているが目は真剣だ。
「深海ちゃん、それマジで言ってる?」
「大マジだよ、苅田。俺の母ちゃんは美人だけど、きっと誰よりも強い。俺の力が10だとすれば母ちゃんは100以上だ。ってか、強さが読めないんだ。本物なんだよ。俺が母ちゃんに喧嘩を教わらなかったのは、純粋に怖かったからだ」
苅田は俺の目を覗き込みながら聞いていた。
岬杜がやっと俺の手を開放し、俺を自分の隣に座らせるとさっきコンビニで買っておいたビールをくれた。新しいモノだった。
「深海ちゃんの家族って何やってんの?」
苅田は俺の家族に興味を示してきた。俺の苦手な話題だったりする。
「親父はいない。母ちゃんは、この前電話した時『私は今、世界征服を企むゴキブライヤー達と戦っている。なかなかしぶとい』って言ってた。姉ちゃんは『貴方の知らない世界で腐った実を食べている』って言ってたぁ」
真面目に言う俺を見て苅田はまた爆笑し、岬杜は不思議な顔をしていた。
「深海ちゃんはいつも掴めない。でもそれは母親譲りなのか。で、結局何やってんの?」
「知らなぁ〜い」
「ホントに?」
「ホントだもん」
昔からこの手の質問は嫌いだった。本当に知らないのだから、これ以上言い様がない。実の息子に言えないような職業なのかと訊いた事もあるのだが、「いつか教えてやる」の一点張りなのだ。そんなんだったら嘘でもついときゃいいのに、仕事にこだわりでもあるのかそれらしい嘘は吐かない。適当な事を言われ続けて育ってきたのでもう完全に諦めていたのだが、こうやって人に訊かれる時のバツの悪さは堪らなかった。俺はもう高校生なのに、親の職業を知らないのは何だか小さな子供みたいだ。
実際、今も苅田が俺の横でクスクス笑っている。
「苅田ぁ〜、お前馬鹿にしてんだろぉ!」
俺がプクーとむくれながら睨むと、この馬鹿は余計楽しそうに笑った。岬杜と緋澄は黙っている。頭に来たので、苅田のビールを取り上げて全部飲んでやった。
「ビール買って来よぉ」
俺はむくれたまま公園を後にした。岬杜がついて来る。
「苅田ってばあんな笑う事ないのにぃ」
ぶちぶち言いながら歩いていると、岬杜まで少し笑っていた。
俺はさっき握った岬杜の手の感触を思い出した。
大きくて、綺麗な手。長い指。そして、そこから岬杜の感情が伝わってきた。俺はその感情を全部受け取る前に止めたが、それが俺を熱くさせるモノなのは分かった。
ビールを買って帰ってみると、苅田と緋澄が何やら話しこんでいる。緋澄は普段あまり話さない。行ったら悪いかな?っと視線で岬杜に訊くと、苅田がこちらに気付いた。
「買出しご苦労っ!」
呑気な苅田の声にほっとしながらベンチに座る。
それから俺達は新しく冷えたビールを飲みながら馬鹿話を続けた。岬杜と緋澄は、俺が話題を振ると少し答える程度しか喋らない。
「そぉ言えば龍司の司と永司の司って同じ漢字だなぁ。お前等性格全然違うのにぃ」
本当に全然違う。
「権力好きの親が考えそうな字だよな」
苅田が笑って言った。その言葉に、岬杜も苦笑していた。岬杜は俺以外の人間の言葉に反応する事はない。珍しい光景だ。
司る、かぁ。別に権力好きな人間が好む漢字だとは思わないんだがなぁ……良く分からん。
はらはらと舞う桜の花びらが岬杜の綺麗な髪に落ちたのを、俺はぼんやり見ていた。
次の日から雨だったので、花見は無しだった。
雨が止むともう葉桜で、俺と岬杜は夜まで最後の花見を楽しんだ。
岬杜はいつも俺が飲むビールを買ってくれ、俺がどんなに言っても金を受け取らない。その日も岬杜はビールを買ってくれ、俺達は公園のベンチに腰掛けてそれを飲んでいた。
「うう淋し、もう花見終わりだねぇ〜」
今日は最後に体育があったのでそれを受け、放課後に数学の藤沢に呼ばれて授業態度の事で説教されてから花見に来た。だからいつもより遅くなったし、のんびりしていたらいつのまにか日が暮れていた。
「深海はどんな食べ物が好き?」
「お?何か食わせてくれるのぉ?」
まだ肌寒い空気を吸い込みながら俺は大きな欠伸をした。
「いいよ。何でも」
本当に何でも良いんだろうなぁと思う。コイツの家は相当金を持っているらしい。良くは知らんし、岬杜家の財政なんて興味もないが。
「俺は食べられない物ないよぉ。苦手なのは高級フランス料理みたいなの。いや、食った事ないけどさ、あーやってチビチビ料理が出てくるの大嫌いなんだぁ。だから反対に、大皿にもりもり料理が乗ってて種類もやたらとある中華料理とか好きかなぁ。焼肉も好き。でも屋台のラーメン超好きぃ。おでん屋も。自分で作るおにぎり大好物。それとカレーには目がないよぉ。蕎麦はマジ好き。でも、なんだかんだ言いながら食いモン目の前にすればどんなでも全部美味そうに見えるし、実際美味い美味いって食うからお得な人間なのぉ〜、俺って」
岬杜はぺらぺら喋る俺を食い入るように見ていた。
「行こうか?今から」
「どこへ?」
「どこでもいい。今日は何食べたい?」
少し笑って誘いながらもその深い目は真剣で、緊張しているようにも見えた。
いつもの、強い視線。深い瞳。
――俺は何て答えようか?
ふと思った。普段なら何も考えないで即答する。「行く!」と。苅田相手ならフカヒレ食わせろだの特上ステーキ食いたいだの我儘言うだろう。
――が、俺は今、何を思っただろうか?
岬杜にはいつもビールを買って貰う。「いつも煙草貰うから」そう言ってツマミも買ってくれる。なのに今更、どこでもいいよと言われて、ただそれだけの事に俺はどうして黙っているのか。
最初に桜を見に行こうと誘われて以来、それからは当たり前のように俺が「行こう」と声をかけてきた。岬杜は何気なく頷き、俺について来た。でも何気なく頷く顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。俺のチャリに乗って、俺の肩に手を乗せて、公園に着けばベンチに座り、2人でくだらない話を沢山した。
なのに突然岬杜の視線が重く感じられた。いつもの強い視線がたまらなく重かった。
「深海、別に……」
「あのさぁ、突然変な話していい?」
岬杜の言葉を強引に遮った。
少しの沈黙。
俺は桜の木を見ながら、自分でも良く分からない事を話だした。
「俺の母ちゃんは鳥と仲が良い。私は鳥と話ができると言ってた事があるけど、俺は本当だと思っている。それほど仲が良い。餌付けしているわけじゃないのに、母ちゃんが呼ぶと鳥が寄って来る。雀からカラスから鷲まで、自由自在に操れる。その中でも一番仲がいいのが鷹だ。母ちゃんは鷹匠でもないのに、一羽のとても大きな『セリ』という名の鷹と大親友だった。俺は物心ついた頃からそれがとても羨ましかった。小さな頃から俺は何故かあらゆることに無欲であまり執着心もなかったのだが、母ちゃんの鳥と友達になる能力だけはとても羨ましいと思っていた。
俺が小学4年の時、翼を傷めて弱っている若い鷹を山で偶然保護した。とても印象的な目を持つ、小柄で美しい鷹だった。本当は動物病院に行って、その後もそれなりの知識がある人に頼まなくてはいけなかったのに、俺はそれをしなかった。翼の傷を、激怒する母ちゃんに必死で頼み込んで治療してもらった。俺はその若い鷹と友達になろうとした。生まれて初めて俺が欲しいと思ったモノ、それはその若い鷹の心だった。最初の翼の治療以外、全ての世話を自分1人でしようとする俺に、母ちゃんの怒りは物凄かった。あの鷹は絶対無理だと叫ぶ母ちゃんに、必ず親友になってみせるからと頭をついてお願いした。それでも母ちゃんは俺を殴り飛ばし、鷹を連れて行こうとした。俺は母ちゃんの足にしがみ付いて噛み付き、鷹と共に3日間部屋に閉じ篭った。そして、母ちゃんは諦めた。
それから俺はさっそく大きな図書館まで足を運んだ。本で知識を得て、鷹の足に革紐を付け、皮の布を何枚も腕に巻きつけ、自分の腕に無理矢理乗らせた。若い鷹は俺を傷付けた。嘴で。爪で。皮の布を何枚重ねてもその爪は俺の腕に血を流せる事が出来たんだ。それでも、俺は親友になれると思っていた。
でも、その若い鷹は絶対に俺に懐かなかった。俺は大抵の動物と友達になれるのに、その若い鷹は全身全霊で俺を拒否した。俺が与える餌を、決して口にしなかった。15日間、その若い鷹は何も口にしなかった。俺は毎日泣いて頼んだ。食べてくれと。鼠が嫌なのかと思い、鳥の雛を与えてみたりもした。友達になってくれたら何でもしてあげよう、そう思いながら。それなのに、俺がどれだけ尽くしても、どれだけ心から頼み込んでも、その若い鷹は餌を口にしなかった。15日目の夜、さんざん泣いた後でその若い鷹の瞳に生命力がない事に気付いた俺は、ようやく決心して母ちゃんの所へ行った。助けてやってくれと。
結局次の日にその若い鷹は死んでしまった。餓死だった。母ちゃんの手から少し餌を食べたんだけど、遅すぎたんだ。その日、俺は生まれて初めて激しい自己嫌悪に陥った。
俺は本を読んで知っていたんだ。野生の鷹は滅多に人間からは餌を受け付ける事はしないと。それは人間の手に落ちる事なのだと鷹は知っていると。人間から餌を貰う事は、野生の鷹にとって、野生を捨てる事だと。そしてほとんどの野生の鷹は、屈辱的な生を選ぶ事よりも、誇り高い死を選ぶ事を。
俺は知っていたんだ。
なのに俺は、自分だったら絶対にあの若い鷹と親友になれると信じていた。学校の友達からも周りの大人からも誰からも愛されて育った俺は、あんなにあからさまに自分を拒否されたことがなかったんだ。
死んでしまった鷹を見て、母ちゃんは何も言わなかった。俺はそれがとても嫌だった。母ちゃんは鳥と話ができる。俺が無理矢理腕に乗せた時や、時折叫ぶように鳴いていた若い鷹の悲鳴を、母ちゃんはどんな思いで聴いていたんだろう。
きっとこうなる事を知っていたに違いないと思った。そして、知っていたのに俺に何も言わなかったんだと母ちゃんを恨んだ。友達だといつも言っている鳥を見殺しにした母ちゃんを恨んだ。
最初に酷く反対された事を思い出しても。激怒された事を思い出しても。普段俺を寵愛している母ちゃんが、俺を殴った事や激しく怒鳴られた事を思い出しても。あの若い鷹は絶対無理だと言われた事を思い出しても。
それでも俺は母ちゃんを恨んだ。
次の日の朝、庭に鷹の墓を作っていると姉ちゃんが来て、その鷹を山に返してきなさいと言われた。俺はそれに従った。俺は歩きながら、今まで自然の中で生活してきたのに何も学んでいなかった事を酷く後悔していた。
死んでしまったその若い鷹は山にいた。だから山に返した。山の大きな楠の根元に穴を掘った。掘り終えると、硬くなった鷹を抱きながら、俺はこの若い鷹と山に謝った。どうしようもなく涙が出てきたので、涙が枯れるまで泣いて、それから鷹を埋めた。
夕方、家に戻って母ちゃんに謝った。母ちゃんの事を酷く恨んだ事も白状して謝った。
そして、あの若い鷹を心から尊敬した。目の前の餌を拒否し、餓死を選んだあの若い鷹を絶対忘れないと心に誓った」
分かっている。この話を今するのはとても馬鹿げた事だったんだ。俺は普段じゃ考えられない程残酷だった。この話を聴いて岬杜がどんな顔をしているのか、見なくても分かる。岬杜は俺を餌で釣ろうとしていたわけじゃないのを知っているのに。なのに、何で俺こんな話したんだろう。俺はいつもの冷静さを完全に失っていた。
「変な事言ってごめん」
桜の樹が少し怒っていたように見えた。どうしようもなく嫌な気分になったので、俺は素直に謝った。人に真剣に謝らなければいけないような事を言ったのは久し振りだった。
空を見上げると、月も星も何もない、暗くて嫌な空だ。
岬杜を見ると、その瞳は真っ直ぐ俺を映していた。辛そうに揺れている瞳だった。
「マジ、ごめん」
もう一度謝ると、岬杜はやっと気付いた。互いに暫く黙っていると、
「その鷹が羨ましい」
と岬杜が低く呟いた。何が羨ましいかは訊かなかった。
「そうだぁ、今日は俺が何か奢ってやるぅ!!」
突然叫んだ俺を見て岬杜は驚いていたが、
「でも俺は赤貧チルドレンだからマックねぇ」
と言うと、少し笑って頷いた。
「来年も花見しようぜぃ!」
足をバタつかせながら言う俺を眩しそうに見る岬杜の瞳に、いつもの強さは感じられなかった。
それからも俺達は屋上で授業をよくフケた。岬杜は屋上以外の場所では俺と話をしない。教室では話し掛けてもこない。俺が級友とふざけている時も、一人でいる。こっちから話し掛けても、あまり会話にならない程口を開かない。だけど俺が午後から屋上へ上がり昼寝をしていると、後から必ずやって来ては俺の煙草を欲しがる。そして、ここでやっと会話が成り立つのだ。何故クラスメートの前で喋らないのかは知らない。
岬杜は基本的にあまり喋らないようだったので、俺が五月蝿くない程度に話題を振り、その反応を確かめながら話を進める。スカした奴だと思われそうなその容姿とは違い、岬杜は意外にも俺のどんな話にもちゃんと耳を傾けた。強い視線を俺に向けながらも、かなり感じが良かった。最初は、こいつ無趣味なんだろうか?と思ったものだが、岬杜は俺の話を何でも興味深そうに聞く。そしてその話を、どんな些細な事でも忘れなかった。俺が何気に岬杜を観察しながら馬鹿話を続けると、俺が笑うと岬杜も少し笑う事に気付いた。
まぁ、なんとも言えない微妙な、俺の心に引っ掛かる笑い方なんだけど。