その朝、永司の声と額に当てられた熱いタオルで目を覚ました。腕を動かすのも億劫な程身体が重く、そしてひたすら眠い朝だった。
閉じてしまいそうな瞼をゴシゴシと擦りながら、身体を動かす。
「おはよう」
頬にキスをされたので、欠伸をしながらコクコクと頷く。だるくて起きたくなかったのでベッドの中でグズグズしていると、永司が俺を抱えて浴室へ連れて行ってくれた。
熱いシャワーを浴びながら今日の事を考える。そうだ、今日は新生祭。早く行って皆の手伝いをしなくちゃいけない。
シャンプーに手を伸ばし、白い液体を手で泡立てる。すっきりしない頭と身体に苛々しながらも、髪を洗おうと両手を上げる。しかし、そのうち立っているのも辛くなってきた。
「エージ」
大声を出すのも辛い。でも永司はちゃんと来てくれた。
「どうした?」
「髪の毛洗ってぇ」
浴室のタイルの上にペタンと座り込んでいる俺を見て、永司が服のまま入ってきた。服濡れるぞって言いたいけれど、それすらも面倒臭い。
「身体の調子悪いの?」
永司が俺の顔を両手で挟む。ここで調子悪いって言ったら、「学校休め」って言われるかもしれなけど、今日は新生祭だし…ぐだぐだと回らない脳味噌で考えながら重たい瞼を何度も擦っていると、永司は何も言わずにサクサクと髪を洗ってくれた。俺はその間にシャコシャコ歯を磨く。
浴室から出ると身体を拭いてもらい服を着た。
永司がドライヤーを持って来たので俺は逃げる。
「春樹。コッチ来なさい」
「やだもん」
ただでさえ身体だるいのに、ドライヤーの音が耳元でしたら頭まで痛くなりそうだった。
「今日はちゃんと乾かそう」
「やだ」
「良い子だから言う事きいて」
「良い子じゃないもん」
「そんな事言ってたら風邪治らないよ」
俺は返事をせずフラフラと歩いてキッチンへ向う。
冷蔵庫から牛乳を出してコップに注ぎ、レンジで温めていたら永司が来た。
「微熱あるんじゃないのか?」
大きな手が額に触れ、訊いてくる。
「ない。大丈夫なの」
喋るのも億劫だが、とにかく学校へは行きたかった。
永司が何か言おうとするのを視線で止めさせ、俺はレンジで温めた牛乳と気休めのビタミン剤を飲んだ。
学校へはいつもと同じ時間に到着した。
俺は扉の前で深呼吸し、気合を入れて教室に入る。
「おっはよ〜!」
「深海君遅い!!」
入った途端女子に怒られた。そういや当日は早く来いって言われてたんだっけ。
騒ぐ女子の真ん中に紺色の着物を着ている緋澄が眠そうに突っ立っていた。その隣にニヤニヤした苅田がいる。
俺は砂上と藍川に手を引かれて着替えをさせられた。長襦袢を着てから着物を着て、それから藍川が持って来た雪駄を履く。教室は暖かいので羽織はなしで、着物は着流しだった。
「さぶいですぅ」
「私は暑いくらいよ?」
同じく女子で唯一着物を着ている砂上が、俺の各帯を締めながら言う。外はカラリとした良い天気だったし、確かに教室の空調は俺と緋澄と砂上の為に暑いくらいに設定してあった。
俺の着物は緋澄と同じくシンプルな紺で、砂上のは深い緑の生地に薄紅色の菖蒲がある大人っぽいモノだ。これも着付けは藍川だった。アイツは何でもこなす女だ。
「岬杜君を誘き寄せてね」
「無理。アイツは表には顔を出さないよ」
「だから貴方に頼んでいるの」
砂上がニヤリと笑って言う。あの頑固者をどうやって誘き寄せろと言うんだろう。
調理担当長はやはり何でもこなす藍川だった。自活している貧乏人入来も料理は得意のようだったので、藍川の手伝いに回る。
クラスの女子は入来以外お嬢さん揃いなのだが、かと言って料理ができる女は少ない。できる奴は手の込んだ料理でも菓子でも何でも来い!的凄い腕前なのだが、できない奴は包丁にも触れた事がないようだった。見合いする時はどんな嘘を吐くつもりなんだろうと思うと笑える。
男は力仕事に回されていたが、いざ新生祭が始まるとほとんどが用無しになった。
学校関係者以外の者がうろつき始め、ウチのクラスにも客が入りだす。
「いらっしゃいまし〜」
客が女の場合は俺、男の場合は砂上が案内をする。
昼までウェイターとして働き、客に愛想を振り撒いていると身体の調子も良くなってきた。砂上が教師の相手をし、緋澄がVIP席でウツラウツラと舟を漕ぎ、女達はここぞとばかりに緋澄の隣に座って記念写真なんかを撮っている。俺も何枚か撮られた。途中で暁生が乱入し、何もしないけれどウロウロして一部の隠れファン達が歓声を上げさせたりしていた。本人に自覚はないだろうが、暁生は確かにカッコイイんだ。
昼過ぎに休憩を取り、飯を食っているとカラオケが始まった。この学校の生徒ではないらしい女の子が2人で歌っている。
砂上が進行役をしているのでそれを隠れて見ていると、隣に永司が来た。
「お前午前中何やってたの?」
永司は料理ができないし、ウェイターとしても働かない。ついでに誰かと一緒に他のクラスの催し物を見に行くなんてことは絶対しない。
「苅田と一緒にいた」
その苅田は俺と同じく休憩に入った緋澄と一緒に飯を食っていた。
「お前午後からどうすんの?暇だろ?」
「春樹見てるから良い」
ずーっと俺を見てるつもりかよ…。
ちょっと呆れながらも藍川が作ってくれた評判の良いAセットを食べた。
「身体は?」
「調子良くなった」
モグモグとトーストを食べながら永司が食べている入来のカレーに手を伸ばす。これも評判が良い。そして評判通りの味だった。
朝の分まで昼飯を食うと洗面所に行って歯を磨き、崩れた着物を藍川に直してもらってもう一度教室に戻る。今度もまたこの学校の生徒ではない女の子が流行の歌を歌っていた。
「深海君、もう休憩終わり?他のクラス覗いてこれば?」
砂上が気にして声を掛けてくれたので、俺は永司と一緒に少し遊びに行こうと思った。砂上はやっぱり気の利く女だと感心したが、そこはやはり砂上。俺を着物のまま廊下に放り出し、クラスのビラを持たせ、ついでに永司にも同じビラを持たせて「しっかり宣伝して来なさい」と、にこやかに命令口調で言うと自分は教室にさっさと戻って行った。
廊下だって暖房は利いているが、それでもちょっとだけ寒い。せっかく調子良くなったのにと思いつつも、俺は永司と歩き出した。
廊下ですれ違う友達が俺のこの着物をからかう。俺だってこんなん着たくなかったんだと言いながら、それでもちゃんとクラスの宣伝をしながら学校を回った。永司のファンが隠れて写真をバシャバシャ撮っていたが、永司は気にしなかった。そのかわり俺が写真に撮られるのを不機嫌そうに見ていた。俺だって好きで撮られているわけではないのだが。
他のクラスの出し物や催し物も結構面白かった。
着物展示会とか三味線・琴演奏会とか「あーこの学校らしいね」ってのも良かったけれど、制作映画や廃品アートをやっているクラスもそれなりに良かった。他にも俺の友達がやっている「未確認飛行物体非科学研究会」とか「人間科学と哲学の道同好会」とか、他の生徒が「そんなんあったの?!」って驚くようなトコロのが面白かった。因みに俺はこの「未確認飛行物体非科学研究会」は冷やかしでよく顔を出すし、「人間科学と哲学の道同好会」では特別会員になっている。実はどっちも何をやっているのか良く分からん。
永司は俺が友達と喋っているのを隣で聞いているだけだったが、それでも結構楽しそうだった。俺達は広い校内をグルグルと歩きながら、知り合いや他学校の生徒にビラを配った。永司は配ってないけれど。
「――?」
特別教室が並ぶ廊下を歩いていると、何だか勝手に身体が動いて振り返る。そう言えば最近もこんな事があったなぁと思って廊下を見ていると、階段の踊り場から石塚が顔を覗かせた。
「やぁ深海君。ウチのクラス問題ないかい?」
石塚は手に持った紙束に目を通しながら俺に聞いてくる。
何だったんだろう、今の違和感。
「問題ありますぇん。問題起こって欲しいって暁生と苅田がぼやいてたくらいだからぁ」
石塚が俺を見て少し笑う。いつもの変なタイミングで。
『生徒会長の石塚正君。直ちに生徒会室までお願いします』
校内放送が響いて、石塚は俺に手を上げて消えて行った。
俺はそれを見送り、永司と共にまた歩き出す。もうそろそろ教室へ戻らないといけない。
「その着物、似合う」
永司が言いながら軽くキスをしてくる。
「お前も藍川に作ってもらえば良かったのに。そしたらお揃いだったんだぞ?」
「そうだな」
誰もいないシンとした廊下に永司の低い声が響いた。
それから俺達は廊下の真ん中で濃厚な口付けを交わした。永司の手が着物の裾から入ってきたのでそれを摘み上げ、「エロオヤジ」と囁くと永司はクツクツと楽しそうに笑った。
その時もう一度違和感がして俺は振り返る。
が、やはりそこには誰もいない。
「なに?」
「いや、なんでも」
俺は小首を傾げながら、永司と教室に向って歩き出した。
「深海君、ちゃんと宣伝してきた?」
「してきました。そして皆に笑われました。
『きょうびカラオケ喫茶はないだろ〜』だってさぁ」
「深海君の提案じゃない」
「喫茶じゃなくてカフェにすれば笑われなかったかなぁ?」
「同じコトでしょ。さぁ接客してちょうだい。貴方目当ての女共が待ちかねてるわ」
仕切られた向こう側の教室を見てみると、確かに仲の良い女生徒が客席に座っている。俺はもう一度藍川に着物を整えてもらい、スキップしながら客席に戻った。
カラオケ大会の参加者はほとんどが飛び込みの部外者だった。しかも女の子が多く、男は砂上と楠田の2人にベッタリでカラオケなんて聞いてもない。俺は笑顔を絶やさずニコニコと支給をし、女の子ちゃん達と写真を撮り、何故だか野郎達とも写真を撮り、日が暮れるまでウェイターを続けた。カラオケ大会の優勝者には豪華な賞品が渡され、砂上が明日の参加を呼びかけていた。
着替えて掃除や明日の準備やらを終え、何か手伝う事はないか調理場の方を覗くと簡易調理場の前に石塚が立っていた。他の生徒は皆仕事を終えて客席の方でくつろいでいるようで、調理場には石塚しかいなかった。
石塚は以前見た時のように、ただじっと自分の手を見ている。
イヤな感じがした。
「何か手伝う事ある?」
声を掛けると、石塚はピクリと肩を震わせ俺を見る。
ゾッとするような暗い瞳だった。
「ご苦労様。もう何もないよ」
石塚はそう言って少し笑う。珍しく、いかにもって感じの作り笑いだった。
「何してるの〜?」
俺は警戒心を持たれないようにごく普通に話し掛け、ゆっくりと近付く。隣に並んでニカっと笑いかけてみた。
「深海君には不思議な力があるとクラスの連中が言っていたが、本当だね」
「何がぁ?」
「君はいつもここぞとばかりのタイミングで現れる」
石塚の暗い瞳が少し揺れ、深く息を吐きながらその目を閉じた。
俺はこの男が何かとんでもないモノを抱えているような気がして、そっとその開いた手のひらに触れてみる。
――足りないのなら与えてやる。
溢れるのなら宥めてやる――
胸の中でそう呟きながらぎゅっと石塚の手を握った。
「深海君は本当に不思議だ。君に触れられると、自分は人間なんだってつくづく思える」
石塚は言いながら目を開けた。
いつもの冷たい瞳だったが、もう暗くはなかった。
「お前は人間っしょ?何言ってんの?」
「さぁ、何を言っているんだろうね。自分でも分からないよ」
石塚はそっと俺の手を離し、調理場を出て行った。
この仕切られた空間の空気がやけに重く感じ、俺は窓を開ける。外はもう暗闇で雲の隙間に少しだけ欠けた月が見えた。
石塚に触れていた自分の手が、少し痛んだ気がした。
「砂上、屋上行くから何かあったら携帯で呼んで〜」
明日の準備をしている砂上に声を掛け俺は永司と屋上へ上がった。本当はもう帰ろうかと思ったが、まだ何か力仕事があるかもしれない。クラスの男はほとんどが帰ってしまった今、俺はもう少しだけ学校に残ろうと思っていた。
屋上は真っ暗で寒かった。気温はそれほどでもないだろうが、風が吹くと途端に身震いがする。俺は持ってきたパーカーを羽織り、永司と一緒にいつもの場所へ向う。
「誰か倒れてる?」
永司の呟きに驚いて目を細めると確かにいつもの場所に誰かが倒れている。駆け寄ってみると倒れているのは緋澄だった。よりによって着物のままで、しかも明らかに情事の跡があった。
「緋澄!」
抱き起こしてみると、緋澄の身体からふっと立ち込めるような色気を感じた。セックスして間もないのか、少し息が上がり身体がしっとりと汗ばんでいる。着崩れた着物とそこから覗く白い肌、熱い吐息がこの冷気と妙に混ざり合い、緋澄の色気を強調させているようだった。
「お前、誰に何された?!」
こんな寒い中、着物一枚でしかもこんな状態でコイツを放っておくなんて信じられない。レイプされたのかと思って緋澄の身体を調べてみたが、暗くて良く見えないけれど出血はないようだったし殴られた跡もない。
「大丈夫」
緋澄がゆっくりと着物の裾を手で直し呟く。
「大丈夫って、お前こんな所でぶっ倒れてて何が大丈夫だよ」
「倒れてたわけじゃない。余韻に浸ってただけ」
余韻に浸ってたって…。
とりあえず永司が自分が着ていたジャケットを緋澄に羽織らす。緋澄もそれを拒みはしなかったが、まだぐったりとしていた。月光が照らす緋澄の白い肌は、女のように艶かしく身体中に付いた紅い跡を目立たせている。まるで意識的にこの効果を狙ったかのように。
緋澄は永司のジャケットを手で抑え、小さく丸まって目を閉じていた。
「とにかくそんな格好じゃすぐに風邪をひく。着替え持って行ってやるから更衣室でシャワー浴びて来い」
俺は緋澄の手を持ってその細い身体を起こそうとしたが、緋澄はそれを拒み、目を開けて一瞬だけ優しく微笑んだ。
染み込むような微笑みだった。
俺はコイツのこんな笑顔を初めて見た。いつも人形みたいな緋澄の、それは僅かな人間らしさだった。流れてしまう感情が一瞬だけ止まった瞬間だったのかもしれない。
緋澄が少し口を開いた。
しかしそこから言葉は出て来ない。
「なに?」
俺はその細い首筋に付いているキスマークを撫でて訊いてみる。緋澄の綺麗な金髪がさらりと俺の腕にかかった。
「龍司に抱いてもらった」
「……」
「久し振りにした」
「…うん」
緋澄は小さな声でそう言い、もう一度目を閉じた。
緋澄と苅田の間にどんな感情があり、どんな過去があるのか知らない。2人とも話さなかったし俺も訊かなかった。苅田は緋澄を側に置いているが自分は好き勝手に他人とのセックスを楽しんでいたし、緋澄も嫉妬しなかった。互いに互いを干渉しない、だが一緒にいてたまにセックスをする。
たとえそこにどんな感情があろうが、この2人は恋人ではなかった。俺からみても、誰からみても、きっと本人達もそう思っている。
難しいもんだと緋澄を見ながらそう思った。
永司のジャケットを細い指で抑えながら、緋澄は丸まって空を見上げている。チラリと俺を見て「何か話して」と声には出さず口を動かした。
俺は頷き、緋澄の横に座ってその髪を撫でる。永司も俺の隣に座って煙草を取り出し火を点けた。
3人で夜空を見上げる。月の明かりが薄い雲を照らしていた。
「カエルはいつ寝るの?って、昔母ちゃんに訊いた事があるんだ」
俺も永司に続いて煙草を取り出し火を点けた。
「母ちゃんは答えてくれたけれど、俺はその答えを覚えていない。とっても知りたかったし、母ちゃんの説明は面白くて分かりやすくて納得できたのに、俺はその答えを忘れてしまった。だからたまに思い出して今度電話した時に訊いてみようって思うのに、いざ電話で話しているとそんな事すっかり忘れてる。だから俺はいつまでたってもその答えが分かんない。今は別にカエルがいつ寝るのか知りたいわけじゃないけれど、母ちゃんがあの時なんて答えたのか知りたいだけなんだ。だってすんごく面白い答え方をしてくれたから」
俺は煙草の煙を吐き出しながら永司を見た。永司は俺を見ながら微笑んでる。
「あとは、ヤギの乳はどうして牛乳と言わないの?とか、太陽はどうして燃え続けてるのに小さくなっていかないの?とか、モグラは海の夢を見るの?とか、いろいろ訊いたなぁ」
「モグラは海の夢を見る?」
緋澄が小さく訊いてくる。
俺は夜空を見上げ、それから静かに目を閉じた。
「俺は見ると思うよぉ。だって、モグラも昔昔の大昔は海にいたんだもん」
「トウフは?」
「お豆腐も海の夢を見るよぉ。きっとね」
緋澄が手を伸ばしてきたので、俺はその白い手を握った。折れてしまいそうな細くて薄い手だった。
「みんなみんな昔は海にいた。みんなみんな昔は1つだった。でもどうした訳か1つが2つになり、2つが3つになり、60億になり、100億になり、もっともっと増えていって皆バラバラになった。でも、みんな昔は海にいたんだからきっとその記憶はある。だからみんな海の夢をみると思う。モグラもミカンもタンポポも緋澄も俺も永司も、苅田も」
夜空に浮かんでいる雲はどんどん形を変えて流れていく。その僅かに覗く隙間に少しだけ欠けた月が顔をだし、そしてまた隠れてしまう。
月は海の夢を見るのだろうか。
緋澄の手の体温を感じながら、ふとそう思った。煙草の煙が上空へ昇って行き、薄くなり消えていくのを見ながら。
…月だって海の夢を見るかもしれない。宇宙から見える青い地球の海の夢を、永遠と見ているのかもしれない。それは俺達が見る夢とは少し違うのかもしれないけれど。
短くなった煙草を揉み消し、携帯灰皿に入れる。同じく揉み消した永司の煙草も入れてやる。
隠れていた月がもう一度顔を出した。
「1つだったら何を考えているのか分かるのに」
緋澄が消えてしまいそうな声で呟く。
俺はその声につられて緋澄を見る。緋澄はいつものようにぼんやりとしていて、不思議な瞳で夜空を見ていた。
コイツはいつも何を考えているのだろうか。この瞳で何を見て、何を感じているのだろうか。流れてしまう自分の感情を、どうやって繋ぎとめようとしているのだろうか。
緋澄と目が合った。
心底美しいと思える瞳だが、相変わらずそこには何も映っていないように感じた。
「1つだったらよかった」
緋澄はもう一度消えそうな声で言う。
俺はその白い首に付けられた赤い跡を撫でた。
「苅田はどうしてこんなに目立つ場所に跡を付けたと思う?」
俺の言葉に緋澄の瞳がピタリと止まった。
先程あんなに優しく微笑んだ緋澄が、今度は急に泣いてしまうような気がした。
その時、屋上の扉が開いた。
「潤?」
苅田の声だ。
「このおバカ!緋澄ホッタラカシにしてどこ行ってたんだ!!」
俺が怒鳴ると苅田が両手に白いシーツを持って近寄って来た。
「いや、保健医にシーツ借りようと思ったら保健室閉まっててさ。保健医探してもいなかったから職員室行って鍵貸して貰って、まぁウダウダと時間掛かっちまった」
苅田は言いながら持って来た白いシーツで緋澄を包んだ。
「なんでシーツなんているんだよ」
「明日も着物着るんだしよ、シャワー室連れて行くまでタラタラ垂れたら困るだろ?」
「何が?」
「俺の大量の精子」
ニヤリと笑う苅田を見て俺は呆れた。
「お前さぁ、俺達以外の男が先にこの状態の緋澄を見つけてたらどうなってたと思うよ?」
「潤に手出しはさせねーよ」
苅田はシーツに包まった緋澄を抱え立ち上がり、俺を見てまたニヤリと笑った。確かにこの学校の生徒がいつも苅田の側にいる緋澄に手を出す事はないだろう。苅田の怒りに触れる事、それは即座に身体を壊される事に繋がるのだから。
「深海ちゃんもその着物似合うぜ」
苅田はニヤニヤしながら出て行った。
「苅田ぁ、クラスの仕事もそれくらいサクサク働いてねぇ〜!!」
扉が閉まる寸前に思い出したかのように叫んでみたが、
なぜか隣の永司がクツクツ笑っていた。
俺と永司は目を合わせ、ちょっとだけ笑う。
「アイツら、結局愛し合ってんだよねぇ」
寒くなってきたので隣で足を伸ばして座っている永司の膝の上に跨り、その温かい身体にしがみつく。永司の大きな腕が俺の身体を包んだ。
冷たい風が吹いている。
「1つだったらよかった」
永司が俺を抱き込みながら、緋澄と同じ事を同じように呟いた。
「1つじゃん」
俺は永司の深い瞳を覗き込みながらキスをする。
舌を入れて永司の舌を絡め取り、腕を首に回して身体を密着させた。
「1つだろ?」
永司の言葉が気に入らなかった俺はその言葉を撤回させようと何度も軽いキスをしながら訊いてみたが、結局永司は何も言わなかった。