第11章 足りない毛布


「はいはい俺も宇宙人ですよぉ〜。地球人って言うの。ヨロピクね仲良くしてね攻撃してこないでね〜」
「信じてもらえないのは当たり前ですね」
「いや、信じても良いよ?でも質問に答えてね。自称宇宙人さんは何に乗って地球にやって来たの?どうして地球にやって来たの?どうやって来たの?それから、どうして地球人の格好をしているの?」
 川口は微笑したまま答えない。
 俺は本当にコイツはイカれてるのかと心配になった。
「あのさぁ、俺は勉強できないけど、ワームホールとかはくちょう座X−1とか反物質とかなら分かるよ。あ、あともう一個しつも〜ん!宇宙は閉じている?開いてる?」
 川口は答えない。
 俺は足を伸ばしてブラブラさせながら川口の言葉を待った。
 しかし待っても待っても川口は何も言わず、途中で熱いお茶を頼んでそれを持って来てもらって、それからまだ暫く待ってみても俺の質問には何も答えなかった。
「川口さん。アンタ、宇宙人ならそれらしく地球征服とかしちゃったら〜?」
「攻撃力はないのです」
「うわ、ヘボな宇宙人だなぁ。とにかく俺は帰るから、アンタは砂嵐のテレビ見たりして電波拾ってろ」
 これ以上は無駄だと思い煙草とお茶を持って立ち上がった時、ベランダから物音がしたので何気なく窓を見た。ベランダの手摺り、さっきカラスがいた場所に一羽の鳥がいた。鳥は俺の姿を確認し、暗闇の中をまた羽ばたいて行く。
 俺はそれを見てからパタリと扉を閉じた。


 ベッドがある部屋に戻り、昼に読もうと思って出しておいた小説を手に取る。お茶と煙草を手が届く場所に置いて、ベッドにごろりと横になった。
「…とりあえずコレを読んで時間を潰そ」
 N.H.クラインバウムの「いまを生きる」は読んだ事があったが、もう一度読み返そうと思ったのだ。
 しかし小説はなかなか集中して読めなかった。
 川口の事が気になってしかたなかったし、横になって読んでいたせいか肩が凝ってしかたなかったし、腕も疲れた。目で文字を追うだけで内容があまり頭に入ってこない。途中で何度も休憩し、目を閉じたり身体の向きを変えたりしながらページを進めたが、結局本の半分程度を読んだところで諦めた。そしてまた川口の事を考える。何か気になってしょうがない。
 ベッドの上で胸のモヤモヤと戦っていると急に身体を動かしたくなってきたので、足をぐいと上げたり腹筋したりしてみた。それでもまだモヤモヤがグズグズ俺の中にいついている。
 部屋を出て浴室に向った。
 服を脱いで裸になり、石塚がやっていたように両手を広げてそれを見てみる。
 俺の手には何があるのか。何ができるのか。
 川口の手には何があり、何ができるのか。
 浴室に入って熱いシャワーを浴びる。
 さっきからどうも俺はオカシイ。何だろうこの感じ。このモヤモヤ。何か川口と話していて、オカシイのが伝染ったみたいだ。
「あの男は俺と同じ不思議な力があって、そんでそんで……」
 俺は本当にオカシイのだろうか。川口は本当にオカシイのだろうか。人は皆、自分の中に他人には理解できない領域を持っているモノだけれど。
 もう一度最初から考えてみると、俺は何かを間違えたのかもしれないと思った。
 それはテストみたいにバッテンがつくわけじゃないけど、見えないから余計気をつけなくちゃいけなかったんだ。地中を這うモグラ、透明なクラゲ、そんなモノまで俺はちゃんと見ようと思っていたのに。小さなモノを小さな視線で、大きなモノを大きな視線で、様々な角度から見なくちゃいけないと思っていたのに。
 浴室から出ると、いつの間にか新しい下着とパジャマが置いてあったのでそれを身に付け、リビングへ向った。
 川口はソファーで横になっていた。この男は俺が来てからずっとこのソファーで眠っていたのだろうと思った。
「どうしました?」
「お酒ちょうだい。できればウィスキーかブランデー」
 俺が言うと、川口はトレーにウィスキーとグラスと氷を持って来た。
「あっちの部屋で一緒に飲も」
 川口は首を振る。
「私は君に近付けない」
「何もしねぇよ。それに俺はアンタと話がしたい。宇宙の話と世界の話をしたい。アンタの話も聞きたい」
「どうしましたか?突然」
「アンタは『アンタが思ってる本当の事』を話そうとしていたのに気付いただけだ」
 俺は言いながらベッドがある部屋に戻った。
 川口は来なかったので、俺はベッドに寝そべって途中だった本の続きを読んだ。ウィスキーを少しだけ水で割って、それを飲みながらページを捲る。
 人を判断するのは誰なのだろうか。


「深海君」
 部屋の扉が小さく開いた。
 俺はウィスキーを飲みながら扉の方を見る。
 少しの間があって、川口が顔を出す。俺は川口が扉を開くまで、その気配に気付かなかった。
 川口の顔は相変わらず機械のようだが、それでも緊張しているようだった。
「私の話を聞いてくれるのでしょうか?」
「聞くよ。なんでも聞く」
 俺は身体を起こし、枕をクッションにしてベッドに寄り掛かった。ここに座れとポンポンと隣を叩き、川口が近付くのを待つ。しかし川口は扉の前で突っ立ったままだった。
「川口さん。アンタが他人を判断する時、一番気を使うのってどんな時?」
 川口は何も言わずに俺を見ていた。
「俺はね、自分にとってアンタが敵か味方かを判断できなかった。でも、考えてみれば答えは出てたんだよね。何度も言うけど、俺の勘は動かなかった。そしてそれが答えだったんだ」
 読みかけの本を置いて腕を組む。
 川口の瞳は無機質だが、それでも感情はどこかにあるんだ。
「俺はこの状況で判断を誤った。アンタを本物のヤバイ奴だと思った。今まであんなに冷静でいようと思ったのに、たった一言でそれを忘れてしまった。アンタはあの時、本当の事を話そうとしていたのに、それは俺がさせたのに、俺はアンタの話を信じなかった」
「深海君。それは人として当たり前の反応だと思います」
 川口はそこでやっと微笑した。
 良い笑顔だった。
「川口さん、こっち来てよ。俺はアンタの話を聞きたいし、アンタと話がしたい」
「私が自称宇宙人でも?」
「良いよ。アンタが宇宙人でも地球人でも、別に関係ない。それにさぁ、俺はいつも『地球外知的生命体』が存在してるのは当たり前だと思ってるんだ。俺は宇宙の話が好きだから、宇宙に関する本は結構読んでる。宇宙がどんなに広いのかも一応知っている。大体、可能性を否定したらそこには固定観念しかないって事も分かってるつもりだったのにね。失敗失敗だよ。さぁ川口さん。ここへ来てよ。時間なくなる」
「時間?」
「そう。さっきセリが来た。母ちゃんが動いてるんだ」
 川口の身体が少し硬直し、そしてやっと意を決したのか俺の隣に来てベッドに腰掛けた。
 近くで見る川口は思った以上に人間味に欠けているのだが、そのはにかんでいるような微笑だけは本当に穏やかだった。
「んで、川口さんはどこで俺を見つけたの?」
「最初から話して良いですか?」
「いいよ」
 そこから川口は静かに長い話を始めた。それは宇宙人とかの話ではなく、学校の始業式に俺を見つけた事から始まる。
「私はすぐに、君が天使だと分かったよ」
 そう言って川口はまた微笑する。
 川口は俺の予想通り、学校が雇っている警備会社の社員だった。学校に設置してある8つの監視カメラ、正門2個、裏門2個、南北の塀と校庭裏庭に一つずつ置かれているそれらの監視及び夜間の学校の管理をしているらしい。俺が入学してからずっと、川口は監視カメラで俺を見ていた。俺が登校時に何気なく監視カメラに挨拶するのを楽しみにしていたと言う。
 最初はただ、俺を見ているだけだった。一年の時も二年になってからも、ただ学校のある日は俺の姿を探してはそれを眺めているだけだった。永司とどんな関係なのかも薄々感じており、それはそれで良かったと思っていた。
 ところが、川口は帰る事になった。
「どこに?」
「私の星に」
「それ、どこ?」
「私が生まれ育った場所です」
「川口さんはどうして地球に来たの?」
「自分の星で戦争がありました。大きな戦争で、私は逃げなくてはならなかった」
 戦争。逃げなくてはならないような、大きな戦争。
「戦争ってどこでもあるんだな」
「あります。思想や宗教が生まれた時点で、戦争はもう避けられないものですから」
 川口は呟き、話を進める。
 とにかく、帰らなくてはならなくなった。それは戦争が終わり自分の星が平和になったからではなく、帰らなくてはならない事情ができたからだと言う。
 川口は自分の星に帰る前に、俺のモノを何か一つ持って帰ろうと思った。そして俺の部屋に忍び込んで茶色のチョーカーを手にした時、そこに俺の記憶があった。
「つまり川口さんは、サイコメトラーだと?」
「そうですね」
 モノに触れるだけでその記憶が読み取れる能力。
 それを使って川口は俺に関する記憶を事細かに読み取って行く。最初は無くなっても気にならない程度のモノを盗んでそれで終わりにしようかと思ったが、部屋から感じる俺の記憶に興味を持ってしまった。
 そして川口は毎晩俺のオンボロアパートに侵入するようになる。
 例えばベッド、椅子、コタツ、机、箸、茶碗、コップ、歯ブラシ、テレビのリモコン…それらは少しずつ俺の記憶を所有しているのだと言う。しかしそれらは盗撮と同じ、いや、もっとタチが悪い行為だ。川口も次第に自責の念に駆られたが、残り少なくなった地球での生活を考えると止める事はできなかった。
 そして学園祭がはじまる。俺が浴衣姿でウロウロしているのを微笑ましく見ていたようだ。
 2日目も、同じようにただ見ていただけだった。警備の会社はあの日で終わりだったので、俺の姿を見るのもこれで最後だと思ったらしい。
 しかし仕事の帰りに、駅で偶然俺を見つける。
「俺、倒れてた?」
「いえ、倒れる寸前で私が抱きとめました」
 俺はあの時の事を思い出す。
「あの時、子供がいただろ?あの子と話をした?」
 川口が少し首を傾げた。
「子供…ですか?何かいたかもしれませんが、私は深海君の身体の事で頭が一杯でしたからよく分かりませんでした。君は高熱を出し、意識を失っていましたから」
 それから川口は俺をこの部屋へ運び込み、随分と熱心に看病したらしい。汗と雨と泥で汚れた身体を拭き、付きっきりだったそうだ。
「私は確かにストーカーになっていました。深海君の事を知りたいとその一心で君の部屋に忍び込み、君の記憶を盗み見た。熱を出して寝ている君の身体に触れ、夢を覗いた。そして君に足枷をし繋ぎとめた。最後まで君には迷惑な事ばかりしているが、しかし明日でそれも終わりです。許して欲しい」
「許すよ。でももうこんな事しちゃ、メッ!だよ?」
 俺の言葉に川口が笑う。
「そんなにあっさり許してはいけません。私が本物のイカれたストーカー男だったらどうするつもりなんですか?」
 川口の言葉に俺も笑った。
「本物のイカれたストーカーだったら、俺は多分容赦しねぇよ」
 容赦はしないだろう。本物のヤバい奴ならば。川口が明日になっても俺を解放しなければ。
 それから俺達は互いの力の話をした。
 俺の力は曖昧で、他人に与え宥める力の他に、少しだけ他人の感情が読める事、嘘が読める事。そして、勘が良い事。
 川口の力はモノに触れその記憶を読み取るモノ。その中には他人の身体も含まれており、夢で記憶を読むのもその中のひとつらしい。しかしその記憶とはブツ切れの映画のようなモノで、そこには何の感情もないのだそうだ。
「記憶を読んでも、私は深海君を本当の意味で知る事はできません。ですが、私は本当に少しでも天使の事を知りたった」
「俺は天使じゃねぇよ。アホな事考えるし、暴力だって平気で振るうし、人に怪我させても平気だし、汚い事とかズルイ事とかも一杯考える」
「それでも、私にとって君は天使です」
「そういう事言われるのイヤだなぁ」
 天使って何だろうか。よく分からないけど、俺は天使じゃない。
 少なくなったウィスキーをグラスに足してそれを飲み、隣に座っている川口の手に触れてみたが、想像通りそこには何もなかった。
 感情も、温もりも。
「川口さん。俺はアンタが本当は何者なのかなんてどうでもいいんだ。でもさ、なんかアンタを憎めない。実は昨日からアンタの気配をずっと探ってたんだけど、アンタ、俺の煙草買いに行った時以外一回も外に出てないよね。ベランダにも出ていない。それなのにアンタ、ただの一度もトイレに行ってない。俺がシャワーを浴びて浴室から出てみれば、新しい服と下着が置いてある。ずっと不思議に思ってた。でも本当はアンタ、オシッコもウンコもあのリビングでしてるのかもしんないし、ただ気配を消す能力に長けているだけかもしんない。宇宙人とか言ってるけど、本当は催眠術に長けているヤバヤバのストーカーなのかもしれない。でも色々考えても、俺は川口さんの事全然嫌いになれないんだ。アンタが俺を洗脳しているのならそれは見事成功だよ」
 川口は黙って俺の話を聞いている。
「でもさぁ、俺はアンタが本当はどんな人間であっても、人間ではなくても、アンタの手から伝わる感情が何もなくても、それでもアンタの笑顔は好きだ」
「ありがとう」
 川口は目を伏せた。
 シンとした部屋の中で、俺は川口の手を握ったまま横になり、心地良い硬さのマクラに頭を乗せて、川口と同じように目を閉じる。
 一度大きく欠伸をした。
「川口さん、いまを生きる読んだ?」
「読みましたよ」
「アレ、俺も読んだけど、真実の毛布の所が一番好きだ」
 川口の手が少しだけ動いた。
 そこには何もないけれど、俺には何も感じる事ができないだけで、本当は一杯詰まっているのかもしれない。
「俺はミミズを触ってもミミズの感情を読めないが、ミミズが本当に何の感情もないのかと言えば、それは分からない。ミミズにはミミズしか分からない感情みたいなモノがあるけれど、俺にはそれが理解できないだけなのかもしれない。それと同じように、川口さんの感情を読めないのも、川口さんの中にあるモノを俺が理解できない、もしくは触れる事ができないだけなのかもしれない。本当の事は何も分からない。アンタが何者なのかも、多分一生分からないんだと思う。いまを生きるのトッドが叫ぶじゃん?『真実とは、かならず足がはみだしてしまう毛布みたいなもの』だと。なんか川口さん見てるとアレ思い出す」
「私も深海君を見ていると、その台詞を思い出す。私は君が知りたいけれど、君の切れ切れの記憶しか覗く事ができない。そこで君が何を思い、何を感じたのかなんて全く分からない。知りたいと思えば思う程、君は遠ざかっていくような気がする。
私は、自分の生まれた星、記憶の共有によって始まってしまった複雑な戦争、私達生命体の存在、自分の存在、それら全ての答えが君の中に詰まっている気がした。君が全ての答えを握っている気がした。君を理解する事により私は何もかもの答えを理解し、そしてその答えの共有によって自分の故郷の複雑な戦争を終わらせる事ができるのではないかと思った。しかし君は真実と同じように、絶対に私には理解できない」
 川口の話は難しく随分と不透明なモノだったが、それもで俺は自分の中でイロイロなモノが解けて行くような気がした。
 グラスに入っているウィスキーを飲んで聞いていると、アルコールが回ってきたのか少し眠くなる。
「俺の中にはたいしたモンはねぇと思うよ」
「私達は記憶の共有によって皆で世界を共有しようとし、それによって戦争が始まってしまったバカな生き物です。それでも私は自分の故郷を救いたいと思った。
そして、その鍵を握っているだろうと思えた君がまるで天使のように思えた。いえ、今も君は天使だと思っています。深海君の力は私達が欠けているモノそのものなのです。私は全ての答えを君の記憶から探し出そうと思ったが、それにも失敗しました。何をどうすれば良いのか、何がどうしてこんな事になっているのか。何故私は深海君を理解できないのか、何故私達は記憶だけしか共有できず感情を共有できないのか、結局何も分からないままだ。私は毛布が足りてない。私の毛布は足りてない。私の毛布は真実と同じようにどれだけ引っ張っても伸ばしても、全然足りていないんだ」
 川口は最後まで静かな口調だった。
 白い天井に沈黙が過ぎる。
 川口の手は俺の体温で少し温かくなっており、 俺はそれを感じながらもう一度ウィスキーを飲む。
「本当の事って、本当の気持ちと同じみたいなモンだと思わねぇ?」
「そう思います。難しいね」
「うん。難しい。物事も人の気持ちも、いつも足りない毛布みたいだ」
 それは随分ゴタゴタした話だったし、母ちゃんや姉ちゃん永司の事を思うと胸が痛んだが、それでも俺はもう少し川口さんと喋っていたいと思っていた。
 しかし睡魔がやってくる。
 どこかで美しい音楽が響いていた。

「ねぇ川口さん。どうしてコタツで寝ると体調が悪くなるんだろうって思わない?毛布は足りてないと寒いけど、だからってコタツで寝ると体調が悪くなるの。アレ、不思議だよね。足りない毛布が真実なら、コタツは何だろうって思うよ。足りない毛布が人の気持ちなら、コタツは何だろうとも思う。あぁ、俺もう限界。眠くてしょうがないから何言ってんのかも分かんなくなってきた。川口さん。俺の夢を見てもいいよ。でももしかして、川口さんにとって俺の記憶はコタツなのかもしれないよ。…あぁ、それでも本当の事は足りない毛布だから、俺の記憶がコタツなのかどうかは分かんないよね。えへへ、何言ってるんだろ?自分でも分かんねぇ。……んじゃ、おやす…み……」







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