第5章 秘鑰

 30日に真田のお兄さんが帰省し、俺達はお兄さんの車と真田家の車で隣町のスキー場に行った。
 そこは旧式のリフトが二台あるだけのハーフパイプなんてどこにも見当たらないかなり小さなスキー場だったけれど、それだけに客もあまりおらずほとんど俺達の貸切状態になった。だからファミリーコースじゃないゲレンデの端っこに皆ででっかいコブを作る。そんで飛ぶ。飛びまくる。
 一番上手いのは勿論俺。当たり前。当然。自然の然るべき疑問の余地もない結果。
 永司くんはまぁまぁかな。あんまやったことなさそう。苅田くんはデカイ技好きすぎ。まずは基本だよ。暁生くんはムチャしすぎ。見てて怖い。真田さんはアホみたく上手すぎ。でも他の客に迷惑かけすぎ。砂上さんはショートスキー上手すぎ。プロ並。でも皆はショートスキーやらないから、春樹くんいずなんばーわんなの。緋澄くんは…アレだね、アレ。チッコイ雪だるま作りすぎ。
 短いコースだけど幅はあったし、ファミリーコースである下のゲレンデには行かず、真田のお兄さんにワンエイティーを教えたりしてずっと上で遊んでた。すっ転んで背中に雪も入ったし昼にはカレーも食ったし、午後には苅田と一緒に上半身裸になって滑ったりして俺は大満足だった。人が少ないゲレンデ。この時期にはもうそれで充分だ。
 だから日が暮れて帰ろうって話になっても皆なかなか帰ろうとせず、結局は近くの民宿に泊まって明日もう一回来ようって話になった。
 真田のお兄さんはずっと俺達に付き合ってくれて、しかも民宿の手配までしてくれて本当に有難かった。この人は真田のお兄さんなのにも関わらず、とっても人当たりが良くて優しい。温厚篤実って言葉がそのまま当てはまりそうな人で、顔も真田と違って穏やかだった。ずっと真田の面倒を見てきたのだろう。この怪獣ギガの扱い方も手馴れたものだった。

「0時を回ると大晦日になります。大晦日ってなんの日か知ってマスカー?」
 民宿で飯を食い、近くのコンビニで買って来たトランプでカブ大会をやっていた時だ。砂上の一人勝ちがムカついていたけど、もういっちょをしたらまたインケツだったのでもう嫌になった。何回目のインケツかもう数えたくもない。そんでもって、また砂上はカブなんだぞ、きっと。まーたニイサンヨッテラッシャイとかゴロンパーとか言い出すんだぞ、きっと。
「一年の終わりの日」
 砂上は俺の投げ捨てたトランプを見てニコーと笑いながら言う。
「違うわい。永司様の誕生日なんだぞぉ。みなの者、控えおろ〜〜」
 思った通り砂上だけがまたカブで、皆から金を奪い取っていく。
「聞いてんのかよ!」
「聞いてる聞いてる。岬杜君おめでとう」
「ハイハイオメデトー」
「もいっちょオメデトー」
「激しく喜代に金を巻き上げられながらオメデトー」
 こいつらなんて適当なオメデトウなんだろう。
 しかし可哀想な永司くんをナデナデしている俺も、実はロクな誕生日プレゼントを用意していなかったりする。だってクリスマス終わったばっかだし、終わったら終わったで急に長野だし、時間がなくて……もごもご。
 とにかく砂上に金を巻き上げられながら日付が変わるまでトランプをし、31日になるで皆で永司に向かってオメデトー!と叫ぶとその後は遊び疲れたのか知らない間に眠ってしまった。これは失敗だ。だって夜中に民宿を抜け出して永司と愉しい事をしようと思っていたのに。

 永司の誕生日である大晦日は、永司の誕生日として、また一年の締めくくりとしても満足できる一日だったと思う。
 昼間は昨日より更に人の少ないゲレンデで遊びまくり、夕方になって真田の家に戻るとそこで真田家に伝わるドブロクを飲ませてもらった。ドブロク…つまり、密造酒である。山村であるため米が手に入りにくい状態であったはずの真田家が、何故ドブロクを作るようになったのかは分からないが、毎年必ず作っているのだと言う。
 真田によるとドブロクの作り方は案外簡単なものらしい。せいろでうるち米を蒸し、ゴザの上で冷やす。その後酒瓶に移して麹と水を入れる。それから酒の醗酵を促す「モト」と呼ばれるモノを混ぜれば終了。ただし、この「モト」が何なのか真田は分からないと言っていた。どうもこの村には昔からそれ専門に作っている家があるらしい。
 ドブロクを飲みながらバーサンの作った野沢菜をつまみ、この離れでは大宴会が開かれた。真田のお兄さんも加わり、総勢八人だ。時折気を利かせて料理を運んで来る女中さんも苅田に捕まって酒を飲んだりしている。最初は真田の方を伺っていたものの、真田が見て見ぬ振りをしているとなかなかと良い飲みっぷりを披露してくれたりもした。彼女達は基本的に真田を嫌い、真田のお兄さんを慕っているようだった。
 真田が何故ここまで嫌われているのか、俺には理解できない。
 確かにこの女は意地の悪い部分があるし、俺や暁生にも平気で蹴りをいれてくるような乱暴者だし、それに融通の利かない面もある。あと、自分でも言っていたが極論ウンコ女だ。それでも真田は面白いヤツだし、物惜しみしないヤツだし、我侭だけど実は良いヤツだったりする。それは本当だ。
 でも様子を見ていて、女中さん達が嫌うから真田も女中さん達を嫌うのか、それとも真田が嫌うから女中さん達も嫌うのかを考えると、どっちかといえば後者なのかもしれないと思った。

 ドブロクは少し甘かったけれども思ったよりもシャキっとしていて飲みやすかったから、夜も早くから皆は酔っ払いになり、俺はその隙を見計らって永司を誘って外に出る。
 外はこれまで一度も見た事がないような、雪風の世界だった。体についても溶けないサラサラした雪は、空から降って来るのかそれとも雪の上を走っているのか空中をただ舞っているのか分からない。小さな雪は舞い上がり舞踊り、そしてどこかに飛んで行く。ふっと強い風が吹けば積もっていた雪をも掻っ攫って地吹雪となる。そしてまた、雪達は踊りどこかに去って行く。
「軽くジャンプしたら、雪と一緒にどっかに飛んで行けそうだなぁ」
 本当は凍えるほど寒いのだろう。でも酒のおかげか楽しげな雪達のおかげか、我慢できないほど寒くは感じない。
「どこに行くの?」
「そりゃお前、永司くんと一緒に山のてっぺんまで行って、二人で『赤鬼と青鬼のタンゴ』を歌いながら世界を食べちゃう旅!」
 いつの間にか膝まで積もった足元の雪を見ながら永司は笑った。
「世界をどうやって食べるんだ?」
「そりゃお前、雪で覆ってから食べる。ふんがふんがと」
「食べ終えたらどうする?」
 食べ終えたらか。
 うーんと考えながら庭を歩き門を出て、風で吹き飛ばされないように紺色のマフラーを巻き直す。
「食べ終えたら…雪女に頼んでもぉ一回雪を降らせてもらう。んで、今度はかまくら作って二人で遊ぶ。んで、時々かまくらの壁を削いでお餅にしてそれを焼いて食べる」
「それは良いな。是非ともそうしたい」
 永司が笑うとまた強い風が吹き、思わず目を閉じる。
 風は犬の遠吠えのような声を出しながら一瞬で何処かへと去って行き、瞬きしながら目を開ければまた雪がクルクルと空へ帰っていくところだった。
「何故雪が降るんだと思う?」
 同じように空に戻っていくような粉雪を眺めながら、永司が尋ねてきた。俺は自分が嵌めている子供用みたいな、親指だけが離れ他の指はいっしょになっているミトンの手袋に視線を落とし首を捻る。
「クリスマスシーズンになると急に街中にでっかいクリスマスツリーができるみたいに、雪女も冬になると雪を降らせるわけ。せっせとせっせと降らせるわけ」
「仕事みたいに?」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれないけど」
「仕事だったら良い仕事だね。綺麗だ」
「どっちが?」
「ツリーも、雪も」
 確かに粉雪は綺麗だった。
「でも、ツリーも雪も、作ってる本人達は寒くて寒くてしょうがないのかもしれない。本当は寒くて寒くて、自分達が作っているものがどんだけ綺麗なのか知らないのかも。雪女が寒がってるなんてヘンかもしれんけど、雪女って大体淋しそうじゃない?笑顔を振り撒きながら吹雪を降らせてる雪女って想像できんし。だからもしかしたら雪女だって寒いのかもって思う」
 うーんと考えながら答えると、永司は微かに頷きながら「そうだね」と呟いた。
 永司を見上げると、その向こうから雪がハラハラと舞っている。暗い空から舞い降りそして舞い上がって行くこの雪達は、どこか人間の知らない世界からやってきた。それはきっと雪雲から来たんじゃないと思う。なにせ自分達がどこから来たのかすら知らない人間に、雪がやって来る場所なんて分かるはずがない。
「誕生日おめでとう」
 永司はどこから来たのだろうか。
「ありがとう」
 近付いてくる深い瞳に見惚れながらも、口付けられる寸前で永司の口を手で覆う。
 それから片手でコートのポケットに手を突っ込んだけどそこには煙草しかなかったので、もう一方のポケットに手を突っ込む。
 あった。
 それはクリスマスプレゼントとして送ったお揃いのチョーカーに、川口さんのマンションで見つけた石を加えて改良したものと、あとは長野出発の前日に大急ぎで買って来た木箱の金の鍵。
 手渡すと、永司はマジマジとそれらを見て首を傾げた。
「なんの鍵?」
「箱の鍵」
「なんの箱?」
「普通の箱」
 答えてから、我ながらなんてヘンなプレゼントだろうと思ってしまった。時間がなかったのは確かだけど、何故か突発的に木箱を買った。確かに変わった装飾を施した珍しい木箱だけど、恋人の誕生日プレゼントを買うのに思わず衝動買い。でも意味はある。
「……ありがとう」
 永司はどことなく可笑しそうに笑い、俺のオデコにキスをした。
「えっとねえっとねぇ、その木箱に二人だけのモンを入れるわけ。なんか……あの、その、なんちゅーかほんちゅーかひやしちゅーか、人には見せたくない二人だけの大事なモンとかぁ、そんなんを入れるわけわけ。そんでもって、この鍵は二人だけの、大事な大事な鍵なわけわけ。木箱を持って来ても良かったんだけどどうせ持ち帰るんだし、帰ってからのお楽しみってことで今日はこの鍵を渡せば良いかなって思ってですねぇ…………つか正直つまらんもんでスマン」
 上手く言えずにモゴモゴしながら素直に謝ると、永司は更に笑い出す。本当に可笑しそうに、でも凄く嬉しそうに笑うからほっとした。
「秘鑰とは…凄く嬉しい。本当に嬉しいよ。有難う」
「ヒヤクってなに?」
「二人だけの秘密の鍵」
 そうそうそれそれ。そーゆー意味なわけ。
 永司に言われてコクコクと頷きながら、やっぱり永司は何でも分かってくれるんだと思って俺も嬉しくなった。俺はこんなプレゼントって楽しいんじゃないかなぁって思うんだけど、人によっては超ツマランもんだと思うだろうし、永司はどう思うだろうってちょっと心配してたんだ。でも永司はちゃんと喜んでる。分かってくれる。ああ、俺達ってばなんて愛し合っちゃってるの!とか一瞬惚気てみたり。
 鍵は頭の部分の先っぽがワッカになってるだけで何の装飾もされてない、本当にシンプルな小さな小さな鍵だった。でも金色で綺麗。
「木箱と鍵だけのプレゼントって、ろまんつぃっくじゃねぇ?」
「うん。最高に嬉しい」
「ホントォ〜?」
「うん。箱に何を入れるか凄い楽しみ」
 ほんわかした気分でイチャイチャしていると、永司がムンギュと抱き締めてくる。何気に舌を入れてキスしてくる。何気にサワサワしてくる。このままではイカンと思って、フガフガともがいて唇を離すと、精一杯真面目な顔をして忠告しておいた。
「永司くん。お誕生日にこんなことを言うのは何だかちょっとアレな気分なのですが、興奮はしないでいただきたい。キミの股間に厳しくイエローカード」
 ピピピーと言いながらビシと永司の股間を指差す。
「なんで?」
「なんでって、どこでヤんのよ〜?」
「そのへんで」
「……いや、俺スキンとか持ってきてねぇし。その辺でヤルのは良いけど、俺の可愛いオチリが寒さで一夜豆腐みたいになるのはたまらんし…永司くんの元気なソレも、寒さで凍傷になってポロっと抜け落ちると…ちょっとほっとしたりもするけどほんのちょっとは困るかもしれんし。とにかくダメ。帰るまで我慢の子でいましょ〜。分かりました?」
 ギュウギュウと抱き締めて永司から逃げようと、喋りながらジタバタと手足を動かす。
「その問題に関しては前向きに検討し、極力善処するように積極的に対応する所存であります」
 永司の言い方に思わず笑いそうになったけど、問題の永司くんの手や下半身が「その問題」に対し善処しようと積極的に対応しているとはとてもじゃないけど思えない。
 それから俺達はなんだかんだと言いながら粉雪の中で戯れた。


 年越し蕎麦を食べてから、のんびりとテレビを見る。紅白を見るか民放を見るかで揉めながらも、それぞれが思い思いに寛ぐ。そして真田と苅田が火鉢の取り合いをしていたら、いつの間にか囲炉裏の話になった。
 囲炉裏。真田が幼い頃にはまだ残っていたという。
 聞くと囲炉裏は俺達が想像しているものとはかけ離れているようだ。
 まず、煙たい。薪を燃やすのだから当然煙が出る。モクモクと出る。その匂いが服にまで染み付くわ、煙を逃がすための屋根の穴から雪が逆流し部屋に粉雪が舞うことがあるわ、はぜた薪から火の粉が舞い、畳や衣服が焦げまくるわで大変らしい。
 そして何よりも、事故があった。
 炭が赤々と燃え滾る囲炉裏。その部屋にもし幼子がいたらどうだろう。囲いも何もない囲炉裏のその側にまだ足取りもままならない子供がいたら。
 実際、囲炉裏で起こる事故は珍しいものではなかったのだと言う。
 そんな話をしていた時、バーサンが真田を呼びに来た。
 真田は返事をして立ち上がり、掛けてあったコートを羽織って外に出る準備をする。どこに行くのか聞いてみると、俺と永司が行った神社に行くのだと言う。砂上が興味を持ち自分も行きたいと言い出したが、真田は頑としてそれを許さなかった。よそ者である俺達もそうだが、砂上には特に厳しく来るなと念を押す。何故だと食い下がる砂上に、「山姫は女が嫌いだから」等と説明し最後は一人で出て行く。同じ女である真田にそんな説明をされて砂上が納得できるはずもなく、かなり文句を垂れていたのだが、結局初詣はいつの間にか苅田と仲良くなった女中さんに連れてもらって鬼のツノがある寺に行くことになった。
 車を運転しながら女中さんが言うには、この村では年が明けるのと同時に山始をするのだそうだ。ヤマハジメとは、山にはいって儀式的に木を切り山の神に供物を捧げることだが、この村ではその行事を【絶対的に】男が行うらしい。女は山に入ることすら禁じられているそうだ。それは女が穢れているからではなく、真田の説明する通り単に山姫が女を嫌っているかららしい。
「正月早々山に女が入ると、山姫様が怒るから」
 女中さんの説明を聞きながら、真田が食い下がる砂上に言い放った言葉を思い出した。
「喜代。お前にこの村の生活が想像できるか?冬になれば一面恨めしいほどの雪に覆われ畑仕事もでず、家に閉じこもって春になるのを待つ貧しい生活。昔からほとんどの村民は木材の伐採・製材・運材・狩猟など山に関わる仕事をしている。ずっと山に依存し共存している。山姫を自然界の最高神だと尊び畏れている村民がほとんどだ。
お前が山に入るとしよう。だがもし今年の狩猟がずっと失敗続きだったら?伐採の仕事に事故が続いたら?一体村民は誰を恨むだろう」


 鬼のツノがあると言うそのお寺は、思ったよりもずっと大きかった。そして、見せてもらったツノは確かにその辺の河原でよく見かけるオニギリ型の小石…のようだった。
 戻ってみても真田はその夜帰っては来ず、そして俺の初夢は――





 永司と一緒に金色の鍵を見ている。
 指先ほどの小さな鍵で、先が輪になっている黄金の鍵。
 永司と目を合わせてみる。
 ああ。なんて幸せなんだろう。
 満たされている。
 俺は満たされている。
 俺は永司になり、永司は俺になる。
 俺は永司であり、永司は俺だ。
 俺達は互いに互いを巡り巡って、互いに還る。
 俺達はひとつの輪。ひとつの鍵。
 さぁ、箱を開けよう。





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