第5章 恋とはどこからやって来るのだろう


 僕の中の蛆虫はどんどん増えてきたみたいだった。
 奈々実さんは何も言わないけれど、僕は彼女を抱き締めながら常に深海君のことを考える。彼女の部屋に入ると、僕は閉じていた扉を順番に解放していく。
 どうしてだろう。いつから僕はこんな人間になったのだろう。
 家に帰ると酷い自己嫌悪に陥った。

 学校では相変わらず深海君と仲良くしていた。
 彼は一学期が終わる最後まで岬杜君を無視していた。岬杜君はよく学校を休んだけれど、それでも彼はまだ深海君を諦めてはいないようだった。僕は彼等の間に何があったのか知らない。深海君は何も言わなかったからだ。彼は僕を友達と言うけれど、大事な事は…僕にとって大事な事はいつも何も言わない。

 そして夏休みになった。


 僕の家族は毎年夏の休暇にイギリスに住んでいる伯父の家に遊びに行く。しかし今年は父の仕事の都合が悪く、8月の半ばまで待たなくてはならなかった。
 そのかわり僕は毎日夏期講習に行き、その帰りに奈々実さんのマンションへ寄るようになった。彼女はいつもベッドに寝そべって本を読んでいるかテレビをぼんやり見ている。僕達は少し話をして、それからほぼ毎日セックスをした。
 覚えたてのセックスは自分でも分かるほど手際が悪いけれど、それでも彼女は何も言わなかった。僕は深海君を思い出し、丁寧にその身体に口付けをする。
「私はこうしている時が一番好きだわ」
「僕もです」
 奈々実さんが少し息を吐いた。
「和也君と私の好きはいつも違うのよ。私の好きは、貴方の好きよりももっと重大だもの」
「僕の好きだって重大ですよ」
「そんな事はないわ。貴方は誰かと一緒に肌を合わせていなくても生きていけるでしょう?私は違うのよ」
 だったら彼女は誰かと肌を合わせていないと生きてはいけないのだろうか。
 僕は良く分からないまま彼女の中に挿入した。
「どうしてセックスってバカみたいなのに気持ち良いのかしらね」
 彼女が自虐的に笑った。
僕は思う。セックスはバカみたいな事なんだろうか。もし僕が深海君とセックスできたならば、それはとても気持ち良くて……。
「和也君はいつも誰の事を考えてセックスしているの?」
 僕を締め付けてくる彼女は、口元を歪ませて聴いてくる。
「……別…に」
 僕は彼女のように、セックスをしながら会話をする程器用じゃない。最中は深海君の事だけに没頭していたいのだ。
「私も貴方のように恋をしたいわ」
 僕が奈々実さんの顔を見ると、彼女は息を荒くしながら笑っていた。それは冷めた笑い方だったけれど鳥肌が立つような魅惑的なものでもあり、僕は思わず射精してしまった。

 夏休みに入ってからは、本当に毎日のように奈々実さんと会った。一緒にどこかへ出かけたりただ公園でぼんやりしたりして過ごした。公園は日射病になるほど暑いけれど、それでも水場は涼しかった。僕と彼女は二人で噴水の近くのベンチに座り、歴史の話や音楽の話をした。彼女の知識の幅は広くて、まるで深海君のようだった。
「司馬の国盗り物語読んだ?」
 その日も僕達は公園で時間を潰していた。奈々実さんは僕に白いハイヒールを渡し、一人噴水の中に足を入れてバシャバシャと水しぶきをあげて訊いてくる。僕は彼女の笑顔を見ながら答えた。
「読みましたよ。司馬遼太郎の本は全部読んだんです」
「信長が初めて光秀と会った時の話覚えている?」
「そんな細かいところまでは…」
 彼女は僕を見ずに、ただひたすら噴水の中をうろうろと歩き回っている。
「私はあそこの話が好きなの。信長がね、光秀を見て『頭の薄い男だな』って思うのよ。信長は人の身体的特徴に敏感なの。それから『金柑に似ている』って思うの。『あの頭に触りたい』ともね。でも、信長はもう大人だったから我慢するのよ。本当は光秀の頭をするすると触りたいのだけれども、我慢するのよ。私はそれを読んだ時、どうしても笑えてしょうがなかったわ。今でも思い出すと笑ってしまう」
 言いながら、彼女は本当にクスクスと笑っていた。ワンピースが濡れないように両手で裾を持っているのだけれど、笑っている彼女はそのまま口元を手で抑えようとした為、ワンピースの裾が持ち上がって白い下着が見えそうになった。僕は慌てて視線を逸らし、急いで周りを見渡した。幸い誰も見てはいなかった。
「和也君聞いてるの?」
「勿論聞いてます」
「そう。それでね、信長は『近う寄れ』って光秀を呼ぶのだけれど、光秀は一礼して腰を少し上げただけでなかなか進まないの。どうしてだか分かる?」
「礼法じゃないですか?上を畏れて萎縮しているって意味の」
 室町幕府の礼法を思い出し、僕は答える。彼女は異常に目を輝かせて話を続けた。
「そうなのよ。光秀はそのつもりだったの。それなのに、奉行職からの成り上がりだった織田家にはそんな礼法なんてなかったから、信長には全然分からなかったの。それでね、信長は光秀の変な姿を珍しそうにジロジロ見るわけ。元々信長は好奇心が旺盛でしょ?それでついに『お前は足が悪いのか?』って訊いちゃうのよ!」
 奈々実さんはそこで両手を膝について笑い出した。彼女はずっと笑ったままで、そのうちお腹を抱えて笑い出した。僕には何がそんなに可笑しいのか分からなかったけれど彼女が余りにも楽しそうだったから、それにつられて少しだけ笑った。
「ねぇ和也君、可笑しくない?滑稽じゃない?殺す者と殺される者の初めて会った時の会話よ。何でも初めは滑稽なモノなのよ。そうでしょ?そこから愛し合ったり親友になったり憎みあったりするけれど、信長と光秀は『この言葉からもう運命が決まっちゃったのね!』って感じがしない?」
「でもそれは司馬遼太郎が作った…」
「和也君は想像力がないの?」
 奈々実さんは言葉を遮って、僕に手を伸ばしてきた。彼女が余りにクスクス笑うからちょっと戸惑ったけれど、僕はその手を掴んだ。
「――あっ!!」
 手を掴んだ僕を彼女は引っ張って、僕はバランスを崩しそのまま噴水に倒れ込む。冷たい水が身体を覆って僕は一瞬呆然となった。
「想像力がないからそうなるのよ」
 彼女は僕を見下ろしてまた笑っていた。心底楽しそうに、声をあげて笑っていた。そして彼女も自分で噴水に倒れこんで一人で喜んでいた。
 僕はいつも奈々実さんが分からない。彼女は僕の知らない生き物のようだった。
 僕は夏の太陽と重なる奈々実さんを目を細めて見ながら、彼女が僕の恋愛対象になった事を知った。

 恋とはどこからやって来るのだろう。
 深海君の時は知らない間に、奈々実さんとは今日この時から、僕は彼と彼女に恋をしていると気が付く。
 それは不意に僕の心を捉えてしまって、酷く窮屈に僕を束縛する。

 それから僕達は奈々実さんのマンションに行って、いつものようにセックスをした。
 僕が彼女をちゃんと見ながらセックスしたのはそれが初めてだった。
 いつものように彼女の服を僕が丁寧に脱がせ、マニュアル通りに彼女の肌を触っていく。最初は手や足を触って、それから少し乳房を触って、乳首にキスして、陰部を触る。僕はまだ普通の人が前戯にどれくらい時間をかけるのか良く分からないから、とりあえず彼女が「もう良いわよ」って言うまで彼女の身体を触り続ける。
「和也君はどうして私とセックスするの?」
 奈々実さんがぼんやりしながら訊いてきた。
「僕は…」
 何を言えば良いのだろう。僕が彼女を好きになったのは今日、今さっきだ。
「奈々実さんはどうして僕とするの?」
 僕は答えられなかったから、逆に訊いてみた。
「私は和也君が好きよ」
「僕も奈々実さんが好きです」
 意外に僕はあっさり告白した。けれどもこんな言葉はどうにでもとれるような、いい加減なものに感じた。
「じゃ、私達恋人同士なのかしら?」
 僕はこの質問にも答える事ができない。
「奈々実さんはそれでも良いの?」
 だって僕は格好悪いしずるいし。
「それでも良いの?ってなによ」
 彼女は途端に機嫌が悪くなって、僕の手を払いのける。僕は彼女のこんな所に付いていけない。彼女はいつも突然笑い出したり怒ったりするんだ。
 僕は何を言ったら良いのか分からなくなって黙った。暫くお互い裸のまま黙っていた。
「僕は奈々実さんが好きだけれど」
「…そう」
 彼女の「そう」にどんな意味があるのだろう。「だから?」と訊かれたら僕はもう何も言えない。そんな事を考えていたけれど、彼女はそれ以上何も言わなかった。そして、今度は急に優しくなった。僕の性器を初めて口にしてくれたし、僕が驚いてすぐに止めさせようとしてもそのまま導いてくれた。
 僕達はこの日、初めて恋人同士のセックスをした。
 僕は彼女の中に挿入しながら、この魅力的な女性をこの手で本当に捕まえる事ができたなら、深海君への想いは断ち切れるのだろうと思っていた。そしてその時こそ、彼への想いを本当の意味で一生の秘密にできるのだと思った。

 奈々実さんが僕の恋人になってからは、深海君の事を考える時間が極端に減ってきた。それはとても嬉しい事だったし、僕の気持ちは落ち着いたように感じた。


 イギリスへ行く数日前僕は奈々実さんの事を考え、深海君に彼女の事を報告しようと彼を公園へ呼び出した。
 それは僕にとって大事なことだった。
 僕は家で彼を待ちながら心の中の扉について考えた。今日、これは必要ないのかもしれない。僕はもう奈々実さんが好きだし、深海君で自慰をすることもなくなった。もし僕がまだ奈々実さんよりも彼のことが好きだったら、それはそれで今日終わりにしよう。僕は今日、心の扉を作らない。本当の僕で彼に会う。
 そう決めたところで深海君から連絡があった。
 僕は歩いて近くの公園まで行く。奈々実さんと会った場所に奈々実さんに恋をした場所に、僕は初恋を自ら終わらそうと歩いて行く。
 蒸し暑い夜だった。
 深海君は小さなペットボトルを手に持ってベンチに座っていた。僕は彼の隣に座る。奈々実さんと初めて出会った時に座っていた場所だった。
「岸辺聞いてよ〜。俺もう蚊に刺されたんだよぉ。ここに座ってからまだ1分も経ってないのにだよぉ。多分32秒くらいだよぉ。もしかしたら24秒くらいかもしれないよぉ。それなのにど〜してその間に7箇所も刺さなきゃならないの?俺ってば蚊の一族に呪われてる?ねぇどうしてこんなに痒いの?もぉ」
 深海君は僕が座った途端に喋りだした。足をブラブラ振って少し拗ねた口調で話す彼はとても子供っぽく見える。これは彼の魅力の1つだ。僕が笑うと彼もクスクスと笑った。
「深海君は最近何をしているの?」
 僕は彼に訊いてみる。きっとアルバイトをしているのだろうけれど。
「俺は引越しのバイトしてるのよん。 毎日毎日毎日毎日、蟻さんのように頑張って働いてるぜぇ」
 ほらやっぱり。
「あ、んでもこの前永司と海に行った」
――え?」
「永司…岬杜だよ。アイツと海に行ったんだぁ。結構楽しかった」
 僕の心の中にある汚いものがその単語に瞬時に反応した。岬杜君の名前が出るとは思わなかったんだ。ここで君の口から岬杜君の名前が出るなんて思わなかったんだ。
 永司ってなに?どうして永司って呼んでいるの?どうして急に仲良くなったの?君は彼を無視していたじゃない。君は彼の気持ちをずっと無視してきたじゃない。なにがあったの?どうして彼を永司と呼ぶようになったの?君は捕まってしまったの?誰のものでもない君が岬杜君に捕まったの?それとも君が彼の気持ちに応えたの?じゃあどうして僕の気持ちには応えてくれないの?どうして僕の気持ちには気付いてくれないの?どうして今までずっと仲良くしてきたのに、岬杜君なんかよりもずっと仲良くしてきたのに、僕は君の事を何も知らないの?どうして何も教えてくれないの?どうして君は僕の事を、僕の気持ちを何も分かってくれないの?
 ねぇ、どうして。
「岬杜君と仲直りしたの?」
 僕の知らない間に。
「仲直りってなんだよ。俺達は別に喧嘩してたわけじゃねぇよ?」
 彼の事、無視していたじゃないか。僕は何も知らないと思ってるんだね。
「岬杜君ってどんな声なの?僕は彼の声聞いた事ないんだ」
「低くてカッコイイぞ!ホント、どうしてアイツは学校で喋んないのかなぁ」
 即答するんだね。低くて格好良い声なんだね。
「岬杜君とよく遊びに行くの?」
「いや、俺はバイトがあるから」
 アルバイトがなかったら?
「友達になったんだね」
「そだよ」
 深海君はまた即答した。
 その時僕は、彼と岬杜君は特別な関係になったんだと確信した。
 男性である深海君が、男性である岬杜君と特別な関係になったんだ。僕があれほどそれを恐れていたのに、深海君は。
 僕はこの時、奈々実さんの事なんてこれっぽっちも考えなかった。僕の心の中は汚い嫉妬心で一杯だったんだ。深海君を誰にも渡したくない、それだけだったんだ。
 そして自分が深海君に恋をしているのだと、これ以上ないほど強く感じた。
 今僕は心の扉を作っていない。君が僕を見詰めたならば、僕の恋心は君に伝わるのだろう。君は何て言うだろうか。何も言わない?岬杜君の時のように気が付かない振りをする?そしてやっぱり僕を無視しようとするの?
「今年は海外行かないのか?」
 今まで蚊と格闘していた彼が、僕の方を見て訊いてきた。
 僕はなぜかとっさに心に扉を作った。そこに僕の気持ちを強引に押し込めて扉を閉める。
「来週から行く予定だよ。イギリスに行くんだ。お土産何がいい?」
「サンドイッチぃ〜」
 深海君は両手でサンドイッチを持つ真似をして口をパクパクさせた。彼は本当に可愛いんだ。岬杜君だって彼に夢中だもの。
「本当に?」
「嘘。何でもいいよぉ」
「うん、何か珍しいモノ見つけてくるよ」
 僕は普段のように答え、ここで息を吐いた。僕は臆病なんだ。彼に僕の気持ちを知られるのが怖いんだ。
 でも、この時ようやく奈々実さんの事を思い出した。奈々実さんは僕の恋人。僕の好きな人。僕は彼女を裏切っているのだろうか。それとも自分を裏切っているのだろうか。この両方の気持ちはどちらが本物でどちらが偽物なんだろう。それとも両方本物なのか?僕は確かに想像力がない。奈々実さんにもそう言われた。でも、こんな事になるなんて想像できるはずがない。どうすれば良いのだろう。
 僕は一人で誰かに言い訳をしながらぐちゃぐちゃになって考えた。
 とにかく、僕は奈々実さんを裏切るわけにはいかない。だって彼女は僕の恋人だもの。
 彼に彼女の存在を告白しようと思った。
 そしてできることなら彼にこの心の奥に隠した気持ちを気付いてもらって、終わりにしてしまいたいと思った。
 そう思った。
 本当だ。
 僕は長いこと黙っていたけれど、深海君は何も言わなかった。きっと僕から何か話し出すのを待っているのだろう。
 夜の公園は湿気が酷くて陰鬱な感じがした。深海君が空を見上げている。
 何処かでナイターの実況が聞こえた。
「深海君、僕、彼女ができたんだ」
 僕は俯いてそう言った。
 どうしても顔を上げることができなかった。
「良かったじゃん!!俺も本当に嬉しい。今度紹介しろよ」
 深海君の言葉が僕の心に刺さる。
 君は嬉しいんだね。僕に彼女ができても、嫉妬してくれないんだね。
 僕は自分の心に浮かんだこの言葉に苦笑した。深海君がどうして嫉妬なんてする?嫉妬して欲しいと思ったのか。憐れな自分。
 深海君が僕をじっと見詰めているのが分かった。
 憐れな僕はちょっと期待する。
 僕の気持ちに気付いて、彼が優しく抱擁してくれるのを期待する。だって扉は一枚なんだよ。いつもは何重にもしてある扉が、今日は一枚なんだよ。それだけに重い扉を作ったけれど、でも君が本気になれば…。
「僕に彼女ができたなんて夢みたいだ。彼女はすっごく素敵な人でね……年上なんだけど、少女みたいなところがあって、可愛くって、でも聡い人で……本当に奇跡みたいだよ。 応援してくれる?」
 嘘だよこんなの。奈々実さんは確かに素敵な人だけれど、応援なんてしてほしくないよ。嫉妬してよ。そして僕の気持ちに応えてよ。君は岬杜君の気持ちには応えたんでしょ?
「勿論だ!!何でも相談しろよぉ。デートの場所とか、セックスのテクとかぁ…」
「あはは、困ったら相談するよ」
 憐れな僕は笑った。


 深海君はそれから少しして帰って行った。
 僕は小さくなっていく彼の姿を見ながら、今日の自分を振り返る。
 今日は本当の自分で深海君と会おうって思ったのが、つい30分程前だったなんて信じられない。彼の事を振り切ろうなんて考えていたなんて信じられない。僕は結局心の扉を作ったし、それで彼に対する想いを隠した。

でも本当は気が付いて欲しかった。どうして何も気付いてくれなかったの?

 ああ、僕は何を考えているんだろう。何を期待していたんだろう。深海君は何も悪くないのに、彼を少し憎んでいるなんて最低だ。僕が一人で深い沼にはまって一人で足掻いているだけなんだ。一人でもがいているだけなんだ。僕は馬鹿だ。同じ事をぐるぐる考えているだけだ。僕は一体どうしてしまったのだろう。
 彼の姿が見えなくなると、一気に湿気が僕を包んだ。とにかく、今は早くクーラーがきいた自分の部屋に戻ろうと思った。
 そしてベンチから立ち上がろうとした時、何気に足元の小石を拾った。それは普通の小石だった。別に尖ってはいなかったし、小さなただの石だったんだ。
 僕は歩き出す。彼のことを考えながら。
 今日深海君と会ってみて、どうして僕は心を隠したんだろう。どうして本当の僕で向き合わなかったのだろう。振られるのは当たり前じゃないか。それで良かったはずじゃないか。だって僕には奈々実さんがいるもの。
 持っていた小石を手放した。小石は小さな音をたてて地面に落ちる。
 僕は心の扉を作った。だって僕は臆病で卑怯で格好悪くて汚くて。
 俯いて歩いていると、地面にキラキラ光る物があった。何だろうと思ってしゃがんでみる。でもそこには何もなかった。

 僕は心に扉を作った。
 でも僕は、君に気がついてほしかった。
 君の心を惹きたかった。

 振り返ってみる。
 当然だけれどそこに深海君の姿はない。姿はないんだ。当たり前だ。自分で彼が帰って行くのを見たじゃないか。

 僕は深海君が好きです。
 でもこの想いは一生の秘密なんです。
 君に気付いて欲しいと思いながらも、それでも一生の秘密にしなければならないのです。

 もう一度振り返る。
 深海君がいないのを確かめる。大丈夫、いない。彼はもう帰ってしまったんだ。
 地面にキラキラ光る物を見つけて、僕はもう一度しゃがみ込む。でもやっぱりそこには何もないんだ。手で地面を触ってみる。昼の名残か、まだ多少の温もりを残した土と小石があるだけ。
 僕はしゃがんだまま最後にもう一度振り返り、深海君がいないのをしっかりと確かめた。


そして光る地面を見詰めながら、小さくなって泣いた。







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