第5章 大事そうに抱え込んでるモノ

 ゴールデンウィークに何をしていたかと言うと、まずバイト。あとはバイトとかバイトとかバイト、アルバイトとかも。要はバイト三昧だったわけだ。
 受験生になったからといって俺は別に熱心に勉強するわけでもなく、まぁテストがやたらと多くなったので多少は教科書や参考書なんかをチラチラと覗くようにはなったんだけど、やっぱり「がむばって大学受験するぞ」なんてことは思わず、駄目駄目な高校3年生として立派な駄目っぷりを発揮しながら生活を送っていた。
 たまに俺は大人になったらどうするつもりなんだろうと他人事のように思うんだけど、必要以上に勘が良く愛想が良く妙に手先が器用に生まれてしまったので、今までのように「何とかなるだろう」という気がしてしまって真面目に将来を考えることが出来ない。こんなんじゃイクナイな〜なんて、これまた他人事のように思ったりする。でも幾ら真面目に将来の心配をして自分の楽観的な部分を戒めようとしたり、自分の弱さを反省してみても、テストがマークシートだと「ラッキー! 高得点間違いなしっ」と喜んでしまう気持ちは当然のようにあるわけ。あーあ、俺って正直者。
 バイトは去年、アホのように俺をコキ使ったインチキテーマパークだった。もうこりごりだと思っていたのに、「今年もやらないか?」とお誘いの電話が来たもんだから思わずオーケーしてしまったのだ。だってあのドラエモンは話のネタになるもんだから。
 インチキテーマパークは素敵なくらい何も変わってなかった。インチキドラエモンは今年もスーパーサイヤ人並に臭く、重く、動き難く、遊びに来るガキ達は常に俺達「被りモノ係り」を囃し立て時に調子をコイて蹴りをかましてくる。俺達被りモノ係りはそれに堪えながら時折ガキどもの親の目を盗んで反撃し、冷静さを保つ。勿論今年も休憩はなく、俺達はぶっ通しで「サウナde我慢大会」をやらかしたわけだった。
 永司はやたらと大人しかった。そろそろ俺のアパートの方に押しかけて来ると思っていたのに一度も来なかったし、会いたいとか淋しいとか、そんなことすらも言わなかった。それはそれで俺が淋しい。俺は我侭。

【今日バイト中に思ったんだけど、ドラエモンはミーちゃんとセックスするのかな】
【ドラエモンに性器はないと思われる】

 くだらないメールのやりとり。
 もう随分永司に触れてないような気がする。


 真田がまたふらりと遊びに来たのは、ゴールデンウィークが終わってから一週間ほど過ぎた頃だった。暁生がまだ戻って来ないので暇だったんだろう。
 その日の俺は部屋で弾きもしないギターを抱えながら喉が焼けるほど煙草を吸っていたい気分であって、人参はどこだと人の家の冷蔵庫を物色する真田の相手をする気には到底なれなかった。咥えた煙草はまだ灰が落ちるまで充分余裕があるのに、一口吸う毎に煙草を指に持ち神経質に灰皿にトントンと灰らしきモノを叩き落とそうとしている俺は、何を焦っているのか何を苛ついているのか自分でも分からない。一人になりたかっただけかもしれない。
「ヒジキはギターを弾けるのか」
 真田と会話をしたい気分じゃなかったけど、人に話し掛けられて黙っているのも好きじゃない。そもそも俺は、そんなに一人になりたけりゃどうして真田を部屋にあげたんだろ。
「弾けない」
「ダセー」
「ウソ。弾ける」
「ダッセー」
 何だよそれ…と思い苦笑しながら、トントントントンとやってた煙草を灰皿に押し付けた。
「ギター弾く奴は、バカばっかだ」
「そうか」
「そうだ。男のクセに髪を長くしようとするし、音楽が好きなのかと思えば音楽にランク付けをしたりするし、公開オナニー全開だし、それに気付いてないし、難しそうな顔をして演奏してるけど大抵難しそうな顔をして演奏してる自分が好きなだけなんだ」
 真田の脳は思い切った飛躍をしている。まるで「ギターを弾く生徒は不良です」って言ってたカンブリア紀の教師のように。
 それでも俺は、真田のどうしようもないそれらの言葉を結構気に入ってた。
「珈琲を飲むヤツは好き?」
「暁生以外は嫌いだ。珈琲なんて苦いだけだ。珈琲豆に拘る奴はもっと嫌いだ。そんなに拘りたいのならばブラジルに行って栽培すれば良い」
 真田は冷蔵庫の野菜室からいつの間にか発掘した人参を片手にキュウリを取り出し、それをボリボリと貪っていた。腹が減っているらしい。
 俺は一杯になった灰皿を見ながら新しい煙草に火を点けようとしていた。
「努力する奴は?」
「別にどうでも良い。だが自分だけが努力してるとか頑張ってるとか思ってる奴は廃棄処分」
「がははっ」
 それは手から力が抜けてライターが落ちそうになるほど笑えた。
 俺はカテゴリーでモノを見る人間が苦手だ。外国人だから何だとか漫画を読むからどーだとか、勉強が出来るからとかゲイだからとか、男だから女だから、とか。これらを全て先入観で決め付ける人間とは話していてあまり面白くないし、大抵は膝を打つような目新しい意見を聞くことが出来ない。でも真田は好きだ。
 吸おうとしていた煙草を箱に戻してギターを壁に立てかけ、テーブルの上の炭酸が抜けかけているコーラを飲んだら少し落ち着いた。
「なぁ真田ぁ。お前って焼酎好きじゃん? んでさ、真田は、もしかして本当の自分は焼酎なんて好きじゃなくて、焼酎を嫌いにならないように心のどこかで『必死になって好きになっているんじゃないか』ってたまに不安になったりしねぇ?」
「……は?」
 今度は真田が手にしたキュウリと人参を落としそうになってた。
 俺は真田が笑うんじゃないかって思ってたのに、真田は笑わなかった。

 人生って言うモンは、実際いつ何時何が起こるか分からない。
 それは今回たまたま、真田が緑黄色野菜を落としそうになりながら俺を見た時に起こったんだ。
 俺は別に永司のことを考えてたわけじゃないし、失った記憶や真田の夢のことを考えていたわけでもねぇ。例えるなら「思い出せそうで思い出せなかった事を、堤防を嬉しそうに散歩してる白い犬とすれ違った時にふと思い出す」みたいに、この時俺は、手に持ったキュウリと人参を落っことしそうになってる真田と目が合って今まで不思議に思ってたことを突如【飲み込んだ】んだ。
 真田鮎の能力は、『声』と『夢』に関係している。
 永司の能力は真田の夢に関する能力を何らかの形で利用して、現実と結び付けている。
 俺はバカみたいに笑いそうになった。
 素晴らしい。俺、天才すぎ。もしくはスーパーウルトラバズーカバカ。暁生の人生投げっぱなしジャーマンもビックリ。
 【飲み込んだ】ことはこれだけじゃない。
 真田の夢に出てきた、作りたての灰色のコンクリート部屋の夢。その夢に出てきていた「灰みたいにチリチリしてるかと思えばブヨブヨしてるようでもあり腐った巨大な生き物のようでもあって」っていう永司。俺に近付く度に身体が崩れて気持ちの悪い虫が一杯生まれる「怪物のような」永司。腐った巨大な生き物。
 それは間違いなく、俺が人生最大の決断をした時に俺を追いかけてきたモノだ。俺が永司をがむしゃらに殴り、手に噛み付き、永司を振り切った直後に俺を追いかけてきた巨大な生き物。
 俺はアレが怖かった。背後から感じたアレの気配は絶対に人間ではなかった。
 だが、アレは永司だったんだ。
 そして、真田が受け止めろと言っていたのもきっと――――…。

「なにベソかきながら笑ってるんだ。気持ち悪い」
 真田の声が遠くから聞こえた。

 真田が帰ると俺は岸辺に電話をした。
 ただ単に物凄くアイツと話をしたかったんだ。
 岸辺は深夜まで俺の話にとことん付き合ってくれた。
 鍵を無くした話をしたし、自分は決定的な失敗を犯したことも話した。詳しい事は言わなかったけど、岸辺は最後まで親身になって俺の話を聞いてくれたし、ある助言をくれた。



 好きだ好きだと言われ続け、実際相手の気持ちばかりが大きく感じる。でも俺は俺なりに懸命に永司を受け止めようとしてきた。もし本当に好きじゃなかったら、こんな面倒臭い奴とはとっくに縁を切ってると思う。そのくらい永司は厄介だ。
 授業開始直後に行う5分間英単語小テストに全然集中できない俺は、窓の外を眺めていた。5月半ばの4時限目は、高校生が教室から窓の外を見るために存在する時間帯なんじゃなかろうか。
 2年の時はずっと廊下側後方の席をキープしていた俺だけど、3年に入ってからは窓際の一番後方の席にした。ここは授業で当てられやすいことと夏場の直射日光が難点なんだけど、外を見ることが出来るし風に当たることもできる。
 隣の席では永司がいち早くテストを終え、暇そうに頬杖を突いていた。俺と永司を除く生徒達は皆それなりに真剣になってテストを受けているようで、前の席のインチキハーフ川本がシャーペンの芯を折った音まで聞こえてくる。因みに父親は本当にアメリカ人らしい川本が何故インチキハーフと呼ばれるかと言うと、この男は顔と性格は多少アメリカ人の血が入ってるっぽいけれども、この学校では多分アルファベットもろくに言えない真田に次ぎに英語が出来ないヤツだからだ。俺は知っている。川本は俺と同じく英検3級止まりだ。
「終了です。後ろの席の者、テスト用紙を集めて来なさい」
 教師の声で教室の張り詰めた空気が途切れる。席を立って川本のテスト用紙を見るとコイツも俺と同じく随分デタラメな解答であり、しかも空白部分を使って英語教師を口説いているらしかった。川本に「僕のラブレター見ないでヨ」と言われたので、他の生徒のテスト用紙を回収しながら全部読んでやったけど、文章センスだけは確かに日本人離れしていた。キテレツすぎる。
 とても悲しい事を知ってからまだ12時間経ったかどうかなのに、俺はこうやって他人のラブレターを読んで笑っている。
 
 昼休み、メシを食ってから一服するために屋上へ上がったがまだ誰も来てなかった。俺は永司と肩を並べ、青空を仰ぎ飛行機雲を眺めながら煙草を咥える。目を瞑りこのまま寝てしまえば必ず幸せな夢を見るだろうと確信できる天気だった。
 でも俺は眠らない。
「昨日、真田が遊びに来た」
「うん」
「別にこれといった話はしなかったし、これといったきっかけがあったわけじゃないんだけど、俺はずっと引っ掛かってたことに気付いた」
「うん」
 咥えてた煙草をピコピコと上下に振ると、永司が高そうなライターで火を点けてくれる。苦手なんだけど、濃い珈琲が飲みたい気分になった。
「俺がお前から逃げた日、あの時のことがちょっと理解できた。俺がどのお前から逃げたのか、とかね」
「ふーん」
 話には乗らないクセに、永司は真っ直ぐと俺を見ている。俺はそんな永司がとことん気に食わない。試されているような気がして激しく苛つく。
「現実には起こらない出来事が起きた。お前が分裂したり鍵がなくなったり。でも、起きてしまったことだからしょうがない」
「そうなんだ」
「他人事のように言うんじゃねぇよ。これは俺とお前に起きた出来事なんだから、俺とお前で解決しなくちゃいけないんだ。近頃のお前は本当に腹立たしいったりゃありゃしねぇ。俺と生活できなくて辛いんだったらテメーも努力しろよ」
「どうやって?」
「話せよ。何もかも! テメーが大事そうに抱え込んでるモンをちゃんと俺に言えよ。俺はエスパーでも何でもねぇんだから、お前が言わないと何も伝わらねぇんだ」
「言うことなんて何もない」
 一瞬頭が真っ白になって、隣の永司の足を思いっきり蹴飛ばした。でもその後今度は妙に冷静になった。
「座ってて良かったな」
「別に立っても良いけど」
「挑発的な永司君も素敵よぉ」
「有り難うございます」
 怒りで我を忘れることなく、逆に物凄く冷めてる自分がここにいる。俺は自分に感謝しつつ、まだ数口しか吸ってない煙草を消して永司と向き合った。
 永司は冷たく笑いながら俺を見てる。
「あのさ。俺は今、あの期間の話をしてるわけじゃないのね。まぁその話も聞けるもんなら聞きてぇけど、今はお前の気持ちの話をしたいわけ。心の話、精神の話」
「手でも握りますか?」
 絶対に永司は俺から目を逸らさない。口元だけで笑いながら俺を凝視する。
 5月半ばの晴天。風は心地よく空には飛行機雲がだらだらと線を引いていて、校内からは同じ学校の生徒達が健やかに学校生活を送っている音がする。向こうの道路で下水管工事してるおっちゃんや兄ちゃん達は今頃弁当喰いながら機嫌良く猥談してるかもしれねぇし、どこかの芸術家が今この空を見上げて感動して涙を流してるかもしれん。
 そんな5月半ばの晴天の下で、飛行機雲の白い線がこんなにもはっきり見えるっていうのに永司と俺は。
「握らなくても分かる」
「分かるのか。だったらエスパーだな」
 冷えてる頭のまんまで拳を握った。立ってりゃ良かったと思った。
 永司はまだ視線を逸らさない。
 気に入らない。俺は永司の何もかもが気に入らない。こんなに愛した深み瞳が、今は一番気に入らない。
 落ち着こうと小さく息を吐いた時、永司が不意打ちのように俺の手首を握った。身体中に血を流す心臓のように手首を中心に永司の一番強い感情がなめらかに流れ、ざっくりと俺の心に切れ込む。
「だから……」
 永司は感情を殺さない。
 これは意図的。
「だから何で俺に――――…」
 自分の声が震えそうになった時、屋上のドアが開いて苅田と緋澄が顔を見せた。

 息を殺して時間が経過するのを待った。
 緋澄は苅田に凭れ掛かって幸せな夢をみようとすぐに眠りに落ち、苅田は俺と永司の様子を見て何かに気付いたのかニヤニヤしながら食後の一服を、時間をかけて楽しむ。永司はそんな苅田を相手にせず、俺は終始俯いたまま。
 一度真田がやって来て、何かを探すように屋上の柵から身を乗り出して遠くを眺めていたようだが、結局一言も喋らずどこかへ消えた。
 午後の授業の予鈴が鳴ると、俺は顔を上げて永司に「珈琲を買って来て欲しい」と頼み、永司が屋上から消えるとまず大きく深呼吸して真っ直ぐに苅田を見据えた。
「ちょっと聞いてよ苅田。お前の好きなハルコが落ち込んでるんです」
「聞きますとも」
「真田の実家に遊びに行った時、凶暴なモノの話をしたのを覚えてるか? 俺が全部ひっくるめて永司を受け入れようと思うって言った時のこと。永司を怖いと感じることもあるって言った時のこと」
 あれは苅田の忠告だったのだと、今になってようやく理解した。苅田は真田と同じく、死臭を放つ怪物のような永司に気付いていた。
 なんかもう嫌んなる。なんかもうウンザリする。
「覚えてるよ」
「俺はあの時、世界で一番永司を理解しているのは俺であると信じていた。信じたかった」
「違ったのか?」
 苅田は右の眉をヒョイと上げ、余裕を持った笑みで俺を見下ろす。
「違った。俺よりはきっと真田の方が永司を理解してる。口惜しいけど」
「そう言うな。岬杜が悲しむぜ?」
 もう充分悲しませてるような気がする。
 分かってる分かってないのやり取りを思い出し、更に気分が落ち込んできた。俺だけか。俺だけが分かってなかったのか。また俺は自分の力を過信してたのか。
 ふと、きっと真田だったら本当に永司を受け止めることが出来たのだろうと思った。
 ……。
 ……。
「ホント、めっさ腹立つ!」
 大声を出したら眠っていた緋澄が目を覚ました。良い夢を見ていたろうに。
「誰に腹立ててんだよ」
「真田! 永司! 俺! 特に真田!! んだよあのクソ女っ。ぬぁにが『私だったら受け止めることが出来た』だブワァーカ! それは俺にしかできねぇことなんだよ!!」
「良かったな」
「ギャーーーッ!! マジでぽんぽん立ってきた。急に、急激に俺オカンムリ!!」
 アレ以来ずっと溜めてきた苛々が逆ギレという形で爆発した。
 俺は、岬杜永司の恋人であり理解者である。これは絶対に譲れない。死んでも譲りたくない。
 俺が、永司を理解する。
 俺が、永司と苦悩を共にする。
 俺が、永司を救う。
 俺が、
 俺が、
 俺が、永司を受け止める。
 他の誰でもなく、俺が。

 珈琲を買って来た永司が戻ってきた時には、激しく落ち込んで突然怒りだす俺を見て苅田と寝ぼけ眼のままの緋澄が笑っていた。
 俺はというと一人その場で足をバタバタとやらかしながら、錯乱しそうな頭を抱えて真田の文句を言って怒りながら笑ってる。
 自分で分かる。
 俺は今、苅田と緋澄を笑わせる余裕もあり戻ってきた永司の顔色を盗み見る余裕もありどこかとてもクールな状態でありながら、ギリギリの崖っぷち。





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