第4章 壊れたテレビ
3年になって、騒がしくて協調性のないあのクラスメート達はバラバラになった。一番淋しかったのは岸辺と別れてしまったことだが、岸辺は砂上と同じく国立を目指しているのでしょうがない。いつものメンバーで今回俺と同じクラスなのは、永司と緋澄だけ。藤原と入来、堀田と本城などもまた同じクラスになった。
始業式が始まる時間になると早速屋上に上り、緋澄以外は全員ポケットから煙草を取り出して口に咥える。揃いも揃って不健康だけど、アホな高校生らしくて俺はこういうのも良いと思うわけだ。
「身体測定って明日だっけ?」
真田がニヤニヤして訊いてくるので「うん」と答えると、更にニヤニヤと笑い出す。どうも身長を計ることをとても楽しみにしているようだ。
「ヒジキよりデカイかもしれん」
そう言われて気がついたんだが、真田と俺の身長差がほとんどなくなっている。元々数センチ程度の差だったのだが、やっぱり真田に負けるのは嫌なのでちょっとムっときた。
どうでも良い話が続き、そのくだらない時間は始業式が終わるまで止まらない。始業式が終わると砂上を誘って俺と暁生と真田が見つけた美味い立ち喰い蕎麦屋でメシを食い、腹が満たされると永司の部屋で仔猫を眺めて時間を潰した。
その日の晩、真田と暁生はようやく俺のオンボロアパートから撤退した。俺は早速電話で永司にそれを報告する。
「トルチョックバカどもが帰って行ったよ。ちょっと淋しい気もするけどね」
俺の言葉に永司が少し笑う。
胸の空気を入れ替えようと立ち上がって窓を開けると、春というより夏の夜に近い、どんよりとなまくらな風が入り込んできた。深呼吸したい時はこんな生暖かい空気よりも真冬の鋭角的な空気の方が良いなと思う。
永司が何も言わないので、俺はまた口を開く。
「別々に暮らすようになってまだ1ヶ月なのに、こうやって電話で話すことに慣れてきたな」
『俺は慣れない』
「知ってる」
今度は俺が笑う。
「イワシとかイルカとかさ…魚って良いなって思わねぇ? 魚は言葉という形にしなくても近くの仲間に意思を伝えることが出来るじゃん。何か他の手段を使って。俺はお前と話がしたい。どんな些細なことでも。でも全部言葉に代えて口にして伝えなくちゃならないから凄く時間がかかる」
『時間かかっても良いよ』
「それじゃダメなんだよ、きっと。遅い。例えばこうして喋っていても、言葉にして喋っている時点で俺は既に他のことを考えてるから、言葉では追いつかない」
何度か生温い空気を肺に入れて、窓を開けたまま台所に行って冷蔵庫を覗いたけどビールがなかった。買い置きしてある分を取り出してそれを冷蔵庫の中でもよく冷える場所に置いておく。
永司はまた沈黙する。元々口数が多い方ではなかったけど、最近は酷い。永司が何を考えているのか今の俺には見当もつかないところが腹立たしくもあり、哀しくもあり。顔を見て話せないことの欠点は、こういうところなのだ。
「お前が一番安心して眠れる場所って、どこ?」
『お前の隣』
「俺もお前の隣。だから早くその状態に戻さないといけない」
予想通りの沈黙。
「おやすみ永司。明日ガッコーで」
電話を切ってから風呂に入り、さっき冷やしておいたビールを飲んだ。思っていた以上に冷えすぎていて、あまり美味くはなかった。
久し振りに一人の時間を持てたのに何もする気にはなれなくて、見もしないのにテレビをつけて眠くなるのを待った。
今頃永司は俺のことを考えているだろうと思った。そして永司もきっと、今頃俺が自分の事を考えているに違いないと思っているだろうと。俺達はいつだって互いに想い合っている。目の前にいなくても、目に見える形でなくとも、相手の存在とその想いは感じ取れる。そういう存在なのに、そういう関係なのに、俺達は何かが足りてない。
手を伸ばし、充電させておいた携帯を取ってメールを打った。
【お前、淋しくねぇ?】
すぐに返事が来る。
【春樹が思っている以上に、俺は辛い】
辛いだろう。俺が思っている以上に。そして俺はお前が思っている以上に物事を分かっていない。
携帯を持ったままここ最近真田に占領されていたベッドに入り込み、天井を眺めながら指輪のような鍵のことについて考えた。それから永司が頑なに解答を拒否する失った記憶についてと、真田の夢について。山姫についてなど。
眠る直前、もう一度メールを打った。
【もし俺が竜宮上に行くって言ったらお前どうする? お前が行けない場所に行くって言ったら】
この質問の返事はすぐに来ず、朝方になってようやくメール着信音がした。
【一緒に行く。行かせない】
薄明かりの中で光るディスプレイに目を細め、短い返事を読んだ後に携帯を閉じて時間を確認し、もう一度眠ろうと目を閉じた。
どうでも良いようでいて実は気になってた事なんだが、真田と俺の身長差はなくなった。どうしても納得いかなくて二人して何度も測り直したんだけど、何度測っても二人して173.5だった。残念なことに俺は一年間で5ミリしか身長が伸びなかったのだ。1ミリでも勝てたら良かったのにと思ったが、それは真田も一緒だろう。だって目を離すとすぐに踵を上げてズルしようとしてたから。
身長が近くなったこともあって、真田と暁生は更に本物の兄弟のように見える。見た目は勿論、両方バカですぐにカリカリするところも同じだ。この二人は、俺と永司に足りないモノを持っていると思うし、たまに羨ましいと思うことがあるけど、そう思うこと事体が癪だったりもする。
「俺は190目指してたんだけどなぁ」
昼休みに屋上で身長で並ばれた俺が真田と「どっちが足が長いか対決」をしていたら、苅田が咥え煙草でわざと俺と真田に聞こえるように呟いた。なんと言うか、俺は背が高いけど、みたいな、173.5だって別に低いわけじゃないのに「牛乳飲めよ」とでも言われてるみたいな、ともかくその口調はむかちん。
「駅弁は何センチ?」
「188だった」
「なんじゃ。ビーナス・ウィリアムズより3センチ高いだけじゃねーか」
真田の逆襲はなかなか素晴らしく、俺達は笑いながら苅田にトルチョックした。
毎日は楽しいのか苦しいのか一ヶ月前と何も変わってないのか、何だかよく分からないまま過ぎていく。困ったことに、永司と俺の関係は分からない部分が分からないままだ。それでも俺は生きていけるということだけは理解できたけれど。
永司は出会った頃の無口な永司に戻り、俺が笑うとようやく少し笑う。俺が他人と話している時も俺の話を興味深く聞いていて、その内容を忘れない。俺はそれを感じながら、永司との距離を保ち続ける。
セックスはしてない。とてもじゃないがする気にならない。自慰すらする気になれないのだからしょうがないし、そもそもどこか密室で永司と二人きりになるのは絶対に避けたい。だからキスすらしてないんだ。本当に出会った頃に戻ったようだった。
愛し合うって何だろう。
理解って何だろう。
共有って何だろう。
ただ俺は永司に「自分は愛されているんだ」と感じてもらうまで…そう、理解させるのではなく永司がそう感じるまで、辛抱強く待っているだけだった。なのに今は更に事情が悪化してるし、時間が経つにつれ自分が何をしたいのかよく分からなくなってくる。
考えれば考えるほど事態は複雑になるみたいだし、実は全てに意味なんてないような気がしてくる。
新学期が始まり少し経った頃、学校帰りにいつものメンバーで花見をした。
砂上が珍しく塾を休んだので皆でどこか遠出でもしようという話になったのだが、「面倒臭い」だの「人がてんこ盛りの場所は嫌だ」だの「眠くなったらすぐ眠れる場所が良い」だのと各自勝手なことを言い出したので結局俺のアパートの近くの公園になった。酒を買いに行くのはどう見ても高校生には見えないオヤジ面の苅田と、自分の飲みたい焼酎を自分で決めたい真田。後は大人しくお留守番をしながら桜を見ていた。
桜ほど美しい花はないと俺は思う。桜だけは他の花と比べることが出来ない。
「私は今日、何も食べないし飲まないわ」
隣で突然そう宣言されて、俺は意地の悪い笑みを浮かべながらチラリと砂上を見た。
「私はダイエット中なの。いえ、そもそも花を慈しみに来たのに、貴方達のようにやれビールだの焼酎だの肴はスルメが良いだの、そんなのの方が間違っているのよ」
「ぜってー喰わねぇ?」
「食べません。ビールや焼酎やスルメより、喜代は喜代のこの整った身体の方が好きだし大事なの」
砂上はよっぽど自分の身体が好きなようだ。でもそれは実は俺も同じだったりする。俺の身体は非常にバランスがよく、それに関してはしょっちゅう母ちゃんに感謝している。いやきっとそれは俺だけではあるまい。真田も相当自分の身体に自信があるようだし、暁生も多分自分大好きっ子。苅田はムキムキ自慢バカだし、永司だって俺が「永司カッケー」って言うと平然として「うん」と言う。つまり緋澄以外、俺達は揃いも揃ってナルシストってわけだ。ほんとバカばっかり。
俺達の中で唯一自分というものに関心のない緋澄は、たまに匂いを嗅ごうと背伸びをして枝に顔を近づけたりはしていたが、基本的にはただぼーっと突っ立て桜を眺めていた。永司は永司でさっきから少し離れた場所で頻繁に携帯をイジイジしているし、暁生は運動不足解消かストレス解消か空気相手に空手ごっこをして公園に遊びに来ていた小学生をビビらせている。
「また岬杜君と同じクラスになったのね」
煙草を吸おうと砂上の風下に異動し、パーカーのポッケから煙草と百円ライターを取り出した時にそう言われた。
「永司って2年の時も、何をどうしたのか知らねぇけど小細工して俺と同じクラスに入れて貰ったらしいし、まぁ多分今回もそうだろ。アイツ、俺公認のストーカーだから」
「岬杜君って貴方に関してのみ無駄にエネルギッシュよね」
砂上の言葉に軽く笑いながら煙草を咥え火をつけようとしたが、風が吹いてライターの火が消えたのでもう一度付け直す。
砂上とはあの日病院で別れて以来永司に関しての話をしていない。あれからどんな経緯があったのか、どのような話し合いが行われ今現在どのような状態なのか、それらを砂上は全く知らないのだ。知らないけれど砂上は訊いてこない。この辺り、この女は苅田と似ている。
「永司ってさ、本当は俺と同じクラスじゃマズイんだと思うんだ。本来ならアイツってお前とか岸辺と一緒の国立組だろ」
ようやく火の点いた煙草の煙を肺に入れ、くつろごうと足を組んでから永司に聞こえないように多少小声でそう言った。
「本人に言ったら?」
砂上の声がさっきより少し冷たく聞こえた。この辺り、この女は苅田と違う。
「本人に言っても無駄」
「だったら放っておきなさい」
砂上はやっぱり少し冷たい声を出す。どうしてこんな冷たい声を出すんだろうと思ったけど、砂上は何を考えているのかよく分からない女なので考えてもしょうがないっぽい。砂上に比べると、いつも言葉が全然足りてない真田の方がまだ幾分俺と通じる部分があると思えるくらいだ。
まだ長くもなってないのに煙草の灰をトントンと指先で神経質に弾きもう一度口に咥えると、春の風が桜の枝を揺らした。
「岬杜君が本当に進学を重要視してるんだったら、彼は海外…イギリスだっけ? 彼のご両親が住んでいる場所…そっちの方で暮らしてスキップでもして、今頃とっくに大学生よ」
「でも」
「彼は貴方が思ってるほどバカじゃないと思うわ」
「俺だってアイツがバカだとは思ってない。でもアイツ、俺が今からガッコーやめて黒豹探しにジャングル行きますって言ったら付いて来ると思うよ」
「そりゃ付いて行くでしょうよ」
「それって…」
「貴方には貴方の人生があるように、彼にも彼の人生があるの。それを分かっている上で彼はそう行動するんだから、問題はないの」
違うんだ。問題はアリアリで問題だらけで問題で満ち溢れてて。そう言おうと思ったけど、止めた。永司の話を他人とするとどうも疲れる。
煙草の煙を溜息と一緒に吐き出していると、苅田と真田が帰って来た。
花見という宴会が始まると砂上は宣言通り一切何も食べなかったが、途中で喉が渇いたのか烏龍茶を少し飲んでいたようだ。真田と暁生は二人で大声を出しながら公園を走り回りガキンチョ連中を更にビビらせて俺達と同じように花見に来ていたママさん連中から白い目で見られていたし、緋澄は途中で寝るし、永司は無口だし、苅田はセクハラしてくるし、派手に飲んでいたのが悪かったのかトルチョックバカ二人のせいでチクられたのか、途中でパトカーが現れて皆でビールだのスルメだの緋澄だのを抱えてバカ騒ぎをしながら逃げるハメになるし。
まぁ面白かったんだけど。
4月の終わりに暁生が消えた。
その日は天気が良くて無性に澄んだ青空が広がっていた。暁生は午後に屋上に現れた時はもうどうしようもない状態になっていて、俺にバトルを仕掛けてはきたがその後すぐに「どっか行きてぇ」の一言を残してどこかに行ってしまった。
この前途中で呼び戻されたから、またドーラビーラに行ったんだろうか。それとも俺の部屋にいた時によくウラル山脈がどーのこーのと言っていたので、ロシアにでも行ったんだろうか。
真田は俺と暁生がゴタゴタやってる時は笑って見ていたが、暁生がいなくなると昼休みの喫煙タイム以外はあまり屋上に来なくなった。暁生がいないんじゃ授業をサボって遊びに行ったり屋上でゲラゲラ笑いながらエロ漫画を読む気にもならないんだと思う。
俺と永司はメールのやりとりが多くなった。例えば夜、「それじゃオヤスミんこ」と言って電話を切ったその直後3秒以内にメールをする。
【ふぇいんと】
こういうことをすると永司は喜ぶ。
たまに記憶が消えている期間に関することを、ポツリポツリと話す。それはどうしても重い話になりがちで、しかも永司の挑戦的な態度に俺が苛つくというオマケまでついてくる。しかし話が終わって「それじゃオヤスミんこ」をし、歯を磨いてテレビをつけてちょっとだけすぽるとを見て、それからベッドに入って俺はチコチコとメールを打つ。
【きっとおれたち、セックスばっかりしてたからバカになったんだ!】
永司が苦笑してるのが目に浮かぶ。
太陽の中にいる鳥を見てからは、エロい夢は見なくなった。
俺は暁生が隣にいなくても熟睡できるし、目が覚めてからベトベトパンツを見て激しく落ち込むこともなければ、真田に「ヒジキのぶゎかー」と言われなくて済む。
俺は毎日学校へ行って毎日少し真面目に授業を受け、たまに屋上へ行って煙草を吸い、体育では楽しく身体を動かし、そして永司とバイバイして家に戻るという生活を送っている。メシを喰らい音楽を聴き、眠り、好きなヤツにメールを打ってたまにパチンパチンと爪を切る。そんな感じ。
5月の頭。俺はそんな生活の中、とても短い夢を見た。
生き物の気配がしない真っ暗な部屋に、小さな旧式のテレビだけが置いてある。
ブラウン管の光。
何も音が聞こえない。
あまりにも静かで、少し肌寒い。
永司はその部屋で銀色のパイプの椅子に座り、テレビを見ていた。
テレビには眠っている小さな俺が映っている。
夢から覚めると台所に行って水を飲み、ベッドに戻って枕元の携帯を手にした。時間は4時38分。少し迷ってからメールを打ち、送信する寸前にそれを消して永司に電話をした。
コールは3回で繋がる。
「おはー」
『早いね』
永司は眠っていたのか起きていたのか分からない声を出す。
「……突然ですけど、今お前の部屋の掃除って誰がやってんの? 風呂掃除とか」
『木守さんだけど?』
コモリさんは一度も見たことがないけど、俺が永司の部屋に転がり込むまで永司の「生活」のヘルパーさんをしていた人だと聞いたことがある。子供の時から永司の世話をしている、要は岬杜永司お抱えの使用人みたいな人。小柄で無口で掃除が得意な人だと永司が以前言ってた。
「やっぱりそうなんだ」
『何が?』
「いや、朝の4時半に電話しても生活感のない声を出す人は、風呂掃除なんてしないような気がして」
そう言うと永司は少し笑った。どんな笑顔なのか手に取るように分かる。
「もう一度突然ですけど、ちょっと質問」
風呂掃除もトイレ掃除もゴミ出しも自分でやる生活感アリアリの俺は、大きな欠伸をしながらそう言う。永司は声に出さずにうん、と頷く。…確かに頷いてると思う。
「今ちょっと不思議な夢を見てそんで思ったんだけど、もし俺が魔法使ってお前の俺に関する記憶消したらどうする? ある日突然、俺に関する全ての記憶が消えたら」
『消えない。消さない』
「消えたら。俺の存在がお前の中から消えたら」
お前はどうやって生きていくんだろう。
『お前は? もし春樹の中の俺に関する記憶が全て消えたら』
「正直に言ってしまえば、普通に生活すると思う」
『だろうな』
電話の向こうでカタンと音がした。それからドアを開ける音、続いて足音、電気をつける音、目が覚めて何か文句を言っている気難しい猫の声、陽気な仔猫の声。
永司は携帯を片手にリビングへ行き、そこからキッチンに向かっている。
こんなどうでも良い時に自分の心臓の音がかなりクリアに聞こえた。何でだろう。
永司が冷蔵庫を開ける音。すぐに閉まる音。
「何飲むの?」
そう訊ねても返事はない。
考えてみれば、朝の4時半に電話がかかってきて「もし自分の恋人に関する記憶が消えたらどうする?」なんて質問をされたら、俺だってあまりペラペラと話をする気にはなれないだろう。
「あのさ、なんか言いたくなったんだけど」
『俺に関する記憶がなくても普通に生活出来ることを?』
「いやそうじゃなくて」
電話の向こうから聞こえていた音が途切れ、携帯を押し付けているこめかみ部分の脈の音と一緒にまた自分の心臓の音が聞こえ出す。久し振りに酷い偏頭痛が始まりそうな気がした。
「ネットで検索サイトってあるじゃん。んで、例えば人間専用検索サイトなんてモノが存在したとして、そこで【深海春樹に恋をする 深海春樹を愛する 人間】とかってキーワードを書き込んで検索してみるのね。したら、多分一杯出てくると思うわけ。すげー感じ悪いかもだしバカ天狗ちゃん丸出しだけど、ハッキリ言うとワンサカ出てくると思うわけ。お前筆頭に、苅田とか岸辺とかクラスの女の子ちゃん達の名前も含め。んで、次にキーワードを変えて【深海春樹が恋をする 深海春樹が愛する 人間】で検索すると、検索結果は岬杜永司だけなんだ」
『有難いね』
「いやそうじゃなくて」
俺が言いたいのはそうじゃなくて。
電話の向こうでまた物音がし、部屋を移動する音、電気を消す音、ドアを開ける音などが聞こえてきた。
永司は寝室へ戻り、俺のいないベッドに戻る。
「そういうことが言いたかったわけじゃなくて。なんて言うのか、もし俺がお前に関する全ての記憶を無くすとするじゃん。んで、同じ検索サイトで同じように検索してみるの。【深海春樹が恋をする 深海春樹が愛する 人間】ってね。したら、【その検索条件に該当する人物がみつかりませんでした】って検索結果が出ると思うんだ。俺は、これを言いたかった」
永司は何も言わない。
寝返りを打つと、白い壁に落書きがあるのに気付いた。目を凝らしても文字が読めなかったので、ベッドの下に煙草と一緒に置いてあるライターを手にして火を点けて見てみると、クセのある汚い字で「南暁生見参!」と「真田鮎さん上!」と小さく書いてあった。真田の方は多分参上と書こうとしたが漢字が分からなかったのだろう。
いつの間にこんな落書きしたんだろう。何でこんなチッコク書いたんだろうと思っていたら自然と笑みが零れた。
『春樹を愛する人間はいくらでもいるだろうね。どんな状況になろうがそれは変わらない』
ようやく永司が声を出す。
「でも俺が愛するのは永司だけだ。どんな状況になろうが、例え俺がお前の記憶を無くそうが、それは変わらない」
俺はそれに返事をする。
永司が再び口を閉じたので、俺はオヤスミをして携帯を切った。
頭痛が始まりそうだったので目覚ましが鳴るまでもう一度眠ることにしたのだが、俺はすぐにさっきの夢の続きを見ることになった。
生き物の気配がしない真っ暗な部屋に、ブラウン管が破壊された小さな旧式のテレビだけが置いてある。
何も音が聞こえない。
あまりにも静かで、少し肌寒い。
俺はその部屋で銀色のパイプの椅子に座り、壊れたテレビを見ていた。