「イルカの顔を決然と横切る、その宿命的な傷みたいなものだよ」
アルカナはいつものように特等席に座り、いつものように完全無欠の王子様を思わせる仕草で足を組み、いつものようにちょっと芝居がかったふうに両手を広げてからそう言って肩を竦めた。
「俺の傷とあの子の人生を同列にして語るのは止めろよ」
桜もとうに散ったというのに今日はやけに寒くって、両手で布団を掴んで引っ張り、肩と首の隙間をできるだけなくすと深々と溜息を吐く。それから何となく、顔の傷を隠すようにもう一度布団を引っ張り上げた。
「同じことだよ。あの子が今日左足を失うことは既に確定されていた。イルカのその傷と同じように、元々キッパリと決定されていた事なんだよ」
気取り屋のアルカナが、その軽薄そうな態度とは裏腹に優しく諭すような口調で言葉を紡いだけど、その内容はうんざりするほど非情なものだ。いつものことだけど、どうしようもない無力感に襲われる。
そうやって決定されてしまったことを覆すことはできないと知っているし、ソレからは誰がどんなことをしても逃れられないことも分かっている。アルカナが教えてくれるあれこれを変えてやろうとかつての俺は精一杯抵抗し、歯向かい、様々な試みをしたんだ。でも全部駄目で、努力は何もかも無駄な抵抗に終わった。だから今回のこともアルカナの言う通りなんだろうって頭では分かってる。
それでもあの子は、左足を失ったんだ。もう忍として生きていけなくなったんだ。
「くノ一として生きていけなくても、あの子は普通の女の子として生きていける。今後どこかの誰かと結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築くことだってできるかもしれない。何より命は無事だったんだからね」
「それは分かってる。でもあの子は忍になりたくて、誰よりも頑張ってきて」
「じゃあ契約を執行する?」
俺は意地悪なアルカナからするりと視線を逸らし、今日左足を失った元生徒のことを考える。
イリという名のその女の子は、アカデミー在籍時からおっとりとして目立たなくて、成績もあまり良い方じゃなかった。体術も駄目で忍術も駄目で特にこれといって秀でたところのない子だったけど、でもとにかくガッツはあった。凄くあった。だからアカデミーの卒業試験に二度落ちたって下忍試験に二度落ちたって、決して泣きごとを言わずに諦めることなく忍を目指し続けた。率先して居残りして特訓に励んでいたし、往々にしてくノ一のマイナスポイントになりやすい体力のなさをどうにかしようともしていた。
そして今年の春、やっとあの子は下忍になれたんだ。なれたばかりだったんだ。
どれだけ試験に落ちようとも「諦めないよー」と笑って涙を見せなかったイリが、誇らしげに額当てを付けて俺の前でポロリと一粒の涙を零した時は、俺の方がみっともないくらい泣いてしまったくらいだった。あの子がどれほど努力していたか知っていたから、あの子がどれほど忍になりたかったか知っていたから、あの子がどれほど悔しかったか、嬉しかったか、全部分かっていたから。
そのイリが、今日、左足を失った。
毎年下忍になったばかりの者達を集めて大規模な演習をするんだけど、今年はルーキーに緊張感を持たせようと上忍師達がそれを死の森で行った。勿論まだ早すぎると五代目は反対したけれど、下忍には自分達が付きっきりでフォローすること・死の森の中でも比較的安全な場所で行うこと・無理はさせないことを条件に彼等はその反対を押し切ったのだ。木ノ葉崩しで人手不足が決定的になった今だからこそ、即戦力として使えるように厳しく育てようとしていたのだと聞いている。
当然イリもその演習に参加していた。そしてあの子が水を汲みに班から離れた時に残りの下忍が巨大ムカデに襲われ、何の因果か同時刻にイリが大虎に襲われた。担当上忍師が巨大ムカデを殺してイリの元に駆けつけた時、イリは既に左足を失っていた。
発見時は恐怖で硬直していたそうだけど、少しして自分が左足を失ったと理解した時、イリは絶望で半狂乱になったという。
あのおっとりした子が。試験に落ちても「諦めないよー」と笑っていた子が、漸く念願の忍になれた時も一粒の涙を零しただけの、そんな子が、声を限りに泣き叫んで暴れたのだという。
確かにイリは可愛い子だから、すぐに恋人ができて結婚して幸せな家庭を築くことができるかもしれない。くノ一として生きたって、すぐにどこかで命を落としていた可能性があることも分かっている。
でも俺は、あの子が今日どんな気持ちでいるのかと思うと泣けてしょうがないんだ。
「命は無事だったんだ。イルカ、それがどういうことか分かるね?」
アルカナの言葉に頷く気分にはなれなかった。もう何も聞きたくなくて、それを告げるために頭まで布団を被る。
でもアルカナはお構いなしに言った。「今回のことは仕方ない」と。
そして、いつものように締め括る。
「運命なんだから」