饒舌桃色冷蔵庫・後編

 ちょっと待て。スカートを捲り上げたんじゃない、ドアを開けただけだ。しかも冷蔵庫のドアだ。と言うかそもそもスカートってどこだよ、百歩譲って冷蔵庫を擬人化したとしてもこの上のドアはスカートには該当しないはずだぞ、一番下の冷凍室を開けたのならばともかく、いやいや仮に冷凍室を開けたとしても「スカートを捲り上げる」という表現はおかしい、スカートってなんだスカートって、どこだよそれ!
 一瞬のうちに脳内でそこまで突っ込んでから、
「この人、貴方の知り合いか何か?」
 と言うカカシさんの問い掛けに頬を引き攣らせかぶりを振る。俺は「喋るピンクの冷蔵庫」なんて知人も友人もいないし、あえて言うならば見たこともない。初見だ。初対面だ。
「あら貴方、冴えない男ね。モテないでしょう? きっと女の子目当てで飲み会に行っても気付けば周囲は男ばかり、ベロンベロンに酔うまで飲まされて男同士で肩なんか組んじゃって、挙句の果ては変な歌まで歌っちゃうタイプでしょう? 彼女が欲しくてもいつも友達止まりで、ひとり寂しくゴムが緩んだトランクスを部屋に干してるタイプでしょう?」
 スカートを捲り上げられたことに憤慨したのか、それとも彼女のスカートを捲り上げた時にカカシさんが変なスイッチでも押してしまったのか、ともかく彼女は急にベラベラと喋りだし、あろうことかその口撃の矛先を俺にまで向けて来た。俺は彼女のスカートを捲り上げたりしてないにも拘わらずだ。
 失礼極まりないとどやしてやりたいが残念なことに全て図星で思わず低く唸ると、隣でカカシさんがプっと噴きだした。思わず視線を向けたが、カカシさんはすぐさま無表情という仮面を被り「何か御用でもありますか?」みたいに冷ややかな目で見てくる。
 この人と目を合わせるのは大嫌いだ。いつも眠そうなこの人の右目が、俺を捉えた時だけ僅かに吊り上がるところが大嫌いだ。俺という存在を突き放してくるその鋭い視線が大嫌いだ。
 けったくそ悪い。
 プイを顔を逸らし、仕方なしにまたピンクの冷蔵庫に視線を向けた。
「こんにちは」
 自分の意識の中からカカシさんを追い出すため、俺は彼女に話しかけてみた。どうしようもなく苦手なタイプだということは分かっているが、カカシさんよりはマシだろう。受付で培ったコミュニケーション能力をフルに発揮し、紅先生とアスマ先生が解術を成功するまで彼女と一時の会話を楽しもう。今だけだと割り切ればどうにでもなるはずだ。
「良いこと? モテないからって諦めたらそこで試合終了よ。どうせ俺なんか、なんて言う暇があったらレディを喜ばす誉め言葉のひとつでも口にしてみなさいよ、こんにちはだけじゃその辺で鳩と戯れてる枯れた老人と一緒じゃないの。貴方、どうせロクにレディを誉めたこともないでしょう? 同僚の女性が髪を切っても新しい靴を穿いて来ても何も気付かず、毎日毎日『おはようございます』と『こんにちは』を無能なオウムのように繰り返してはゴムの緩んだ色褪せたトランクスを部屋に干す生活からそろそろ脱却なさいよ」
 うるさいうるさいうるさい!
 いや、落ち着け俺。会話を、楽しもう。
 大丈夫大丈夫、マダムシジミの相手もできる俺ならばピンクの冷蔵庫の相手だってできるはず。
「貴方、ゴムの緩んだ色褪せたトランクスをそんなに何枚も持ってるわけ?」
 嘲笑の混じった声で訊ねてくるカカシさんを華麗に無視し、俺はにこやかな笑みを冷蔵庫に向ける。
「目も覚めるようなピンク色のドレスですね。素敵だと思います」
 ピンクすぎるけどな! 目が痛いけどな! なんて本音は封印して彼女の機嫌を取るためにそう誉めてみたのに、カカシさんは俺の努力を完璧に無駄にして言い放った。

「毒キノコみたいな色だね」

 ……。
 まぁ確かに、深夜の森で不気味に発光してそうな色ではあった。警戒色と言っても過言ではない色ではあった。黄色やオレンジの水玉模様でも入っていれば完全に毒キノコに、いや毒キノコ冷蔵庫(ピンクバージョン)みたいになっていただろう。
「いきなりスカートを捲り上げる男は言うことが違うわね。でも、ワタクシがいくら魅力的だからってそんな手で気を惹こうなんて呆れちゃうじゃないの。貴方、いつもいつもそうやって好きな子を苛めてるんでしょう? 子供っぽいったらありゃしないわね。自分を意識して欲しいからって好きな子にツンケンした態度を取って、意地悪な言葉を口にして、本当は気になって気になって仕方ないくせに、俺はお前なんて興味もないし?みたいな顔してるんでしょう」
 カカシさんが明らかに動揺したので、俺は喉の奥でクっと笑う。そしてカカシさんが視線を寄越すと同時にすぐさま無表情という仮面を被り「何か御用でもありますか?」みたいに冷ややかな目で見てやった。
 それにしても、この程度で動揺してしまうということは図星なのか。カカシさんはそういうタイプだったのか。
 子供じみた男だな。フフ。
「そもそもそのファッションは何なの? どうやったらそんな重力から解放された髪型になるの? その口布や斜めになってるそれは何なの? 顔を隠すにしてももっと良い方法があるんじゃなくって? それからみっともない猫背も直しなさいよ、そんなんだから好きな子にも好きって言えずネチネチと厭味ばかりを繰り返す陰険な男になるのよ」
「猫背だから陰険なんですね」
 ボソリと呟いてやったが華麗に無視された。
「大体ね、さっきからずっと待っているけど、貴方は一度もワタクシに謝罪してないわよ。いきなりレディのスカートを捲り上げておいて一言も詫びを入れないってどういうことなの? あまりにも魅力的だったからつい、とか何とか言ってごらんなさいよ。貴方みたいな強引なのか奥手なのか分からないタイプが一番やっかいなのよ」
 彼女の言う「スカートを捲り上げる」行為が、「冷蔵庫のドアを開ける」行為なのだとすれば、カカシさんは現在「スカートを捲り上げっぱなし」ということになるのだが、そこんところはどうなのだろう。
「どういう見解で顔を隠しているのかワタクシは知りませんけどね、そのやる気のなさ気な眠そうな目とその風体とその髪型、おまけに猫背とあっちゃ、いくらワタクシでもコメントできないわ。アドヴァイスの仕様ってものがありませんわ。いきなりレディのスカートを捲り上げる図々しさがあるならせめてシャキっとなさいよ。それに貴方は隠してるようだけど、いつまでも過去を引き摺ってるような陰気臭い顔してなさるわね。どこまでも陰気臭いから、インキンタムシにはお気を付けあそばせ」
 これだけコメントしておいて、コメントできないなんてどの口が……。
 まぁ良い。それにしてもカカシさんは散々な言われようだ。この人の素顔はなかなかのものなのに、正直に言えば美形と呼んでも差し支えないのに、俺ですらその素顔に関しては認めざるを得ないのに、彼女はカカシさんのことなど何も知らないくせに、よくもまぁそこまで言えるものだ。
「ところで、この鏡は何でしょうか」
 何となく話題を変えてみた。
 放っておけば彼女はいつまでもカカシさんを「陰険」とか「陰気」とか「陰湿」とか「陰鬱」とか「根暗」とか「辛気臭い」とか「ホウキ頭」とか言い続ける気配がしたからだ。いや、別に言い続けても俺は平気なのだが、それよりもこの丸い置き鏡。カカシさんが映っているこの鏡。
 カカシさんが彼女のスカートを捲り上げた(ドアを開けた)時からずっと疑問に思っていたのだが、何故冷蔵庫の中に鏡があるのだろうか。
「何でしょうかって……貴方、それ本気で仰ってるの? 冴えない男だとは思ってたけど、いっそ清々しいほど残念なお方でしたのね。貴方結婚しない方が良いわ。ほんと、そのくらい駄目だわ。結婚したら相手のレディが可哀想だわ。見目も良くない、気も利かない、どうせ甲斐性もないでしょうし、一生そのままうだつの上がらない男なのでしょう」
 一刀両断に切り捨てた上に執拗なほど滅多斬りにしてバラバラ死体を製作するような彼女の物言いに、俺は大ダメージを受けざるを得なかった。
 確かに俺は見目も良くないし気も利かないし、挙句の果てに甲斐性もない。
「で、この鏡はなんなのさ」
 しょぼくれた俺の代わりにカカシさんが訊ねる。
「いきなりスカートを捲り上げた貴方までそんなことを仰るの? もうワタクシ、ほとほと呆れ果てましたわ。二の句が告げませんわ。開いた口が塞がりませんわ。スカートを捲り上げて見えるものと言えばひとつしかないじゃありませんこと?」
「つまり、パンツなの?」
「パンティと仰りなさい!」
 物凄いパンティだ。斬新すぎる。
 ピンクすぎる冷蔵庫な彼女のパンティは、冷蔵庫の棚の真ん中部分に置かれてあった。それは彼女のドレスのように真新しく、クラシカルで豪華な装飾を施された真鍮製で、実に美しく、気品があった。
 男という生き物は女性のパンティに強い幻想を持っている。女性には分からぬと思うが、男は一人残らずパンティ至上主義者だ。女性は皆必ずブラジャーとパンティがお揃いになった素敵な下着を身に着けていると決めつけているし、女性が穿くパンティは常にシミひとつない真新しいものであって当然だと思い込んでいる。パンティこそは侵し難い絶対領域だと硬く信じているものなのだ。どうせカカシさんなんかはその絶対領域に侵入しまくっているだろうが、俺のような男からするとパンティと言うものはそれほどまでに至高の存在。
 そういった観点からすると、彼女のパンティは正にパンティの中のパンティなのかもしれぬ。
 この気品、上質な装飾、美しさ、真新しさ。
 男が持つパンティ幻想を具現化したものが、このパンティだと言っても過言ではない。
「素晴らしいパンティです。感動しました」
「あら、有難う」
 素直な気持ちで心から誉め讃えると、彼女は機嫌を良くしたようだった。しかし鏡に映ったカカシさんが眉を顰めて俺を睨んでいるのが見えた。カカシさんに批難される謂れはないのだが。
「じっくり鑑賞させていただいても良いですか?」
「まぁ、この子ったら……でも良いわ。ワタクシ、冴えない男のいやらしい視線にも堪えてみるわ。貴方、女性のパンティを見ることなんて最初で最後かもしれないんだから、じっくりと拝むと良くってよ」
 最初で最後のパンティが鏡とは、俺の人生って一体。
 薄らとそんなことを考えながら、少しだけ彼女の肉体、もしくはおみ足、もしくはスカートの中に顔を寄せてみる。
「女のパンツがそんなに珍しいとは、可哀想な人だこと」
 いつもより若干大きな声でカカシさんが厭味を言ってきたが、相手にするつもりなどなかった。俺は今、彼女のパンティに夢中なのだ。見れば見るほど美しく、上品で、まるで貴婦人のようなこのパンティに。
「ねぇ、女のパンツがそんなに有難いわけ? バッカじゃないの?」
 カカシさんが五月蠅い。
「ねぇ、貴方女のパンツをそんな感心したようにマジマジ見ちゃって、頭オカシイの?」
「五月蠅い男だこと。ワタクシのパンティに見とれるのは当然の摂理。貴方も本当は見たいのでしょう? どこまでも素直になれない情けない男ね。だから好きな人に嫌われるのよ」
 俺の調査ではカカシさんに好きな女性がいるようには見えなかったが、まぁ良い。それよりも本当に美しい鏡……ではなく、パンティだ。
 もっと近付いてみよう。カカシさんの顔は別に見たくない。この美しい鏡に自分の姿を映してみよう。

 ……。
 ……。

 ん?

 角度の問題だと思っていたが、近付いても近付いても俺の顔が映らない。見えるのは、何故かカカシさん。
「これ、どういう仕掛けなんですか? 俺の姿が映らないんですけど」
「はぁ? アンタ、さっきからずっと映ってるじゃない」
 カカシさんが鏡を覗き込もうと身体を寄せてくる。置き鏡はそれほど大きくないので、身体どころか顔まで寄せてくる。近い近い、近過ぎる。その無駄に美形な顔を寄せるのは止めてくれ。
「あれ? 俺の顔が映らない」
「はぁ? 貴方はちゃんと映ってるじゃないですか」
 そこには最初からずっと、今もなおずっと、やけに鮮明にカカシさんの顔が映っている。無表情だったり俺を睨んでいたり不貞腐れていたりするカカシさんの姿が、はっきりと映っているのだ。
「俺は映らない。アンタのその間抜け面はくっりきと映ってるけど」
「私の間抜け面は映ってませんよ。貴方の寝ぼけ眼とホウキ頭は鮮やかなくらい映っておりますけど」
「なに言ってんの! ほら、ここ!」
「だからそこには貴方の顔しか映ってないって!」
 ムキになって喚きながら、くっつきそうになるくらい互いの顔を寄せて鏡を覗き込むと。

「    」

 それまで黙って俺達の会話を聞いていたピンクの冷蔵庫は、笑いながら何かを囁いた。
 それがどんな言葉だったのか分からない。聞き取れなかったから。でも今までの一方的で高飛車な口調とは違い、それは驚くほどあたたかい声だった。
 あたたかくて、やさしい声だった。








 で、瞬きを一度した。したんだろう、多分。
 で、次の瞬間にこれだ。

「なんだってばもう! 俺ってば凄くビックリした!」
「イルカ先生どこ行ってたの? カカシ先生も一緒にいたの? どこ行ってたの? 心配したんだからぁ」
「イルカ、すまんかったな。まさかこんなことになっちまうなんて。いやぁ、流石にちょっと焦ったわ。いのの幻術まで絡んでてよ」
「イルカせんせー、俺の御馳走幻術どうだったー?」
「カカシ、アンタも悪かったわね。ちょっとしたアクシデントでさ」
「もう一度歌おうよ! ハッピバースデートゥーユー」
「念のためにもう一度説明しておくと、これは東の森に生息している珍しい虫であり」

 うん。分かった。
 うん。みんな有難う。
 12人には計画性というものが欠如している、もしくは楽観的すぎる、そうでなければ協調性というものが皆無、あるいは、そのいずれにも該当してしまっている。
 でも良いのだ。俺はみんなの気持ちが嬉しい。
 俺の誕生日を祝おうとしてくれる、その気持ちがとても嬉しい。
 有難う。有難う。
 ありがとう。

 狭すぎる俺のおんぼろアパートに12人、俺を含めて13人。座る場所も皿もコップも全然足りなかったが、それはそれは楽しい時間を過ごさせてもらった。飲めや(ジュースだが)歌えやの大騒ぎをしたし、珍しい虫、うちは家庭農園で採れたトマト、俺へのプレゼントのはずだがまず間違いなく紅先生の胃に消えるだろう高級な酒、花、手作りケーキ等など、本当に色々なものを貰った。
 それに、沢山の笑顔が俺を囲んでくれた。
 両親が亡くなってからもう随分一人でいる。そしてピンクの冷蔵庫が言ったように、俺は結婚しない方が良いのかもしれない。給料は生活費と子供達に奢るラーメン代に消えてしまうから蓄えなんてないし、事実俺は気が利かない。見目もあんまり良くない。だからきっと、これからもずっと独りでいるだろう。
 だが、良い。
 こうして俺の存在を祝ってくれる人がいるならば、それで良い。多くは望まず、こうした人々の気持ちに感謝しながら生きていこう。
「あらやだ、イルカ先生なんで泣いてるの?」
 サクラが心配気に覗き込んできたので、俺はその頭を撫でて笑みを浮かべた。この子はいのと一緒にケーキを作って来てくれた。スポンジ部分は恐ろしくぺっちゃんこで生クリームは溶けたアイスのようだったが、俺にとっては世界一美味しいケーキを作って来てくれた。
「嬉しいだけだよ。みんなの気持ちが嬉しくてさ」
 ありがとう、みんな。ありがとう、サクラ。
「イルカせんせ、改めて誕生日おめでとう! それからね、さっきイルカ先生が消える寸前に、私、誕生日プレゼントしてオマジナイをしたの。凄く効果のあるって有名なオマジナイよ。この雑誌に載ってたの」
 そう言えばあの時サクラは雑誌を持ってニヤニヤしてたな。
「どんなマジナイだ?」
 目に浮かぶ涙をそっと拭って訊ねると、サクラは満面の笑みで俺に教えてくれる。
「恋のオマジナイ。このオマジナイをするとその日の夜にピンクのドレスを着た恋の女神様がやって来て、鏡を見せてくれるのよ。そこには運命の相手が映るんですって。運命の糸が強ければ強いほどくっきりと、鮮明に映るんだそうよ。って、イルカ先生なんでそんな急に真っ赤に…きゃ、カカシ先生が倒れた! なになに、どうなってるの! どうしちゃったのカカシ先生!」


 俺は茹でタコのように顔を真っ赤にしながら、石像のように硬直していた。「カカシ先生が真っ赤になって倒れた!」とか「カカシ、どうしたんだ!」とか「イルカ先生も変になった!」とか色々聞こえたが、とてもじゃないけれど動くことができなかった。
 勿論、動いたらカカシさんが視界に入ってしまうからだ。
 何と言えば良いのか分からないし、どんな気持ちになれば良いのかも分からない。俺とカカシさんは険悪な関係であったはずで、俺とカカシさんの間には荒涼とした大地が広がっていたはずで、俺はカカシさんに会いたくないからカカシさんのスケジュールまで逐一把握しているほどで、それでも何故か顔を合わせてしまうことが多いのだがそうなったらそうなったで俺達はいつも厭味ばかりを言い合って。
 ……いや、認めよう。
 ここは潔く認めようじゃないか。
 俺は、はたけカカシが気になって気になって仕方なかったと!!




 あの時聞き取れなかったピンクすぎる彼女の言葉が、今、ふと分かった。
 彼女はあたたかく優しい声でこう囁いたのだ。

「お幸せに」







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