饒舌桃色冷蔵庫・前編

 ピンクの冷蔵庫を前に、俺とカカシさんは必死に言葉を探している。
 床も壁も天井も一面真っ白のタイルに覆われたこのだだっ広い空間。その完全に意味不明な空間の中央に鎮座するこの完全に意味不明なピンクの冷蔵庫を前に、俺とカカシさんは先程から身じろぎもせず懸命に言葉を探している。
 発すべき言葉、思い浮かべるべき言葉、この場の状況にしっくりくる適切な言葉、驚嘆の言葉、忍としての言葉。何でも良い。何でも良いはずの言葉を、俺とカカシさんはずっと探し続けているのである。驚くべきなのか、それとも敵襲かと身構えるべきなのか、それすらも分からぬままに。


 俺の記憶が正しければほんの数分前までここは、アカデミーで使うプリントや巻物が散乱し脱ぎっぱなしのベストや脚絆などが転がるいつもの雑然たる俺の部屋だった。畳には食べ残した激辛カップラーメンを足で蹴飛ばしてしまった時のシミがあり、壁には火の国銀行木ノ葉支店で貰ったカレンダーがあり、破れた襖をガムテープで補修した跡がある、みすぼらしい普段通りの俺の部屋だった。
 そして俺の記憶が正しければ、俺は今朝生徒に貰った小さなイルカ人形を蛍光灯の紐の先にくっつけていたところだった。わざわざサインペンで鼻に傷を描いてくれたその小さなイルカ人形の背中には紐が付いていたから、どこに飾ろうかと逡巡した後に蛍光灯にくっつけることに決めたのだ。それで、えっさほいさとチマチマくっつけていたのだ。
 更に俺の記憶が正しければ、イルカ人形の紐と蛍光灯の紐を結んだ直後にナルト達がやって来た。ナルト、サクラ、サスケ、カカシ先生。シカマル、いの、チョウジ、アスマ先生。キバ、シノ、ヒナタ、紅先生。彼等が「イルカ先生お誕生日おめでとう!」等と口々に叫びながら、まるで津波のように一斉に押しかけて来たのだ。入るわけがない、入っても座る場所なんてない俺のおんぼろアパートに12人、俺を入れて13人、何が何やら分からぬまま、「ちょ、待った待った! そんなに入るわけねぇって!」と嬉しさ半分、この人数でどうすんだ!って気持ち半分、俺はそう言って。
 サプライズパーティを催そうとしてくれたことに関しては本当に感謝したし、心の底から嬉しかった。泣いてしまいたいくらい嬉しかった。だがしかし12人には計画性というものが欠如していた、もしくは楽観的すぎた、そうでなければ協調性というものが皆無だった、あるいは、そのいずれにも該当してしまった。
 アカデミー教師として一度に複数人の相手をし、見聞きし、対応することに否応なく慣れた俺でさえ、12人全ての言動を把握するのは困難だった。ナルトが「イルカ先生にあげるんだってばよ!」と一目散に飛びついて来て、何かプレゼントのようなものを押しつけようとしたのは覚えているし、紅先生とチョウジが笑顔で何か喚いていたのは見えたし、ヒナタとキバが「ハッピバースデー」と歌いだしたのは確認しているし、サスケが最後におずおずと入って来たことも分かっている。サクラが雑誌を片手にやけにニヤニヤして何か言っていたこともだ。だがそれ以外は何をしていたのか何を口走っていたのか分からない。「イルカ先生これこれ!」とか「これは東の森に生息している珍しい虫であり」とか言われたような気もするが、ともかく俺は12人の唐突な訪問とそのテンションとそのてんでバラバラっぷりに圧倒され、「ちょ、待った待った! そんなに入るわけねぇって!」と言ったのだ。
 で、瞬きを一度した。したんだろう、多分。
 で、次の瞬間にこれだ。

 白くだだっ広い空間だ。
 ピンクの冷蔵庫だ。

 忍として培った冷静な判断力を駆使してここは迅速且つ正確に状況判断を行い、思考を充分に整理し、然るべき後、何故か俺と一緒にこの空間にいる隣のカカシさんに何か言うべきなのだろう。敵襲なのかもしれないし、隣で俺と同じく言葉を探しているらしいカカシさんの様子からしてもこれが異常事態に間違いなさそうなので、それなりの言葉を口にすべきなのだろう。
 だがしかし、俺は依然としてこの状況にしっくりくる言葉を探しだすことはできなかったし、更に言うならばたった一言の感想みたいなものすら思い浮かばせることができなかった。
 ピンクすぎるのだ。
 冷蔵庫が、兎にも角にもピンクすぎる。
 フォルム自体は間違いなく3ドアの冷蔵庫に過ぎないにも拘わらず、傷ひとつない新品のそれは何故かどこか映画に出てくる肉感的な女性を彷彿とさせた。彼女はセクスィな勝負服(ドピンク)を身に纏い往来を練り歩く娼婦のようにも見えたし、はたまた高価なドレス(ドピンク)を身に纏う気位の高すぎる高慢ちきなオペラ歌手のようにも見えた。どちらにしても俺の苦手とする女性であることは間違いない、あまりにもピンクすぎる冷蔵庫だった。
 圧倒的とも言えるピンクだ。

 「……解」
 カカシさんの声に、ピンクすぎる冷蔵庫を前に呆然としていた俺も我に返る。そうだ、これは幻術に他ならない。何しろ俺は確かに自分の部屋にいたわけなのだし、こんな自己主張の激しいピンクの冷蔵庫なんて所持した記憶なぞない。
 目を閉じて印を組みチャクラを集中させ、「解」と呟く。何がどうあれ、これほど呆気に取られ間抜け面を晒していたのに何事もなかったので、敵襲というわけでもないのだろう。そもそも俺のおんぼろアパートに敵が襲撃すること自体ナンセンスである。これはきっと、ちょっと俺には想像もできない何らかのアクシデントが起こったのだろう。
 しかし、目を開けてもそこは変わらず白すぎて広すぎる空間だったし、俺の目の前には女性の自己顕示欲を具現化したようなピンクの冷蔵庫がどっしりと鎮座していた。
「……解…?」
 もう一度、今度は若干の疑問を含んだカカシさんの声がこだまする。俺もまた同じように印を組んで、術の解除を試みる。しかし、居心地の良いあの雑然とした部屋には戻らず、依然として彼女はそこに有り続けた。
 一体何が目的なのかとか一体何故こんな場所でピンクの冷蔵庫がとかそういったことはひとまず置いておいて、俺とカカシさんは顔を見合わせてひとつ頷いた。己の力で解術できなければ互いの身体に触れるしかない。
「触りますよ」
 わざわざ断ってからカカシさんは「やむを得ず」といった感じで俺の肩に手を置いた。カカシさんのチャクラが健康そのものであるこの体内に入り込み俺のチャクラを大いに乱す。だがそれが俺に齎したものは、軽い眩暈のみだった。
 俺は被りを振って、自分達の試みが無駄な抵抗に終わったことを告げた。カカシさんが触れても解術できなかったと言うことは、中忍である俺がカカシさんに触れても同じ結果に終わることは分かっているのだが、念の為にこちらもカカシさんに触れてみる。
「触りますよ」
 同じようにわざわざ断ってから、できるだけ「やむを得ず」といった感じでカカシさんの肩に手を置いた。しかし当然のことながらそれは何の変化も与えることはできなかった。
 俺とカカシさんの間に妙な沈黙が流れる。
 言いようのない、非常に気まずい沈黙だ。
 その如何ともし難い沈黙は、「何らかのアクシデントによって発生したこの状況云々よりも、何故よりによってカカシさんと二人っきりなのか」と言う俺の心境と、それと同く「何らかの(中略)、何故よりによってうみのイルカと二人っきりなのか」と言うカカシさんの心境に起因することは互いに分かっている。からして余計に気まずさに拍車がかかり、沈黙は雪だるまの如くどんどん蓄積していくのである。
 こういった状況においてもなお会話を回避した程、俺とカカシさんの関係は良くない。良くないと言うよりも悪い。悪いと言うよりも大変険悪なのである。
 最初の挨拶からしてカカシさんには良い印象は持てなかった。遅刻はするし態度は悪いし、階級を笠に着て威張り散らすタイプではなかったものの、言動がいちいち鼻に付く上に何かにつけて厭味を口にしてくる。中忍試験の時のあれこれは勿論、それ以外でもこの人は何かと突っかかってくるのだ。しかも、俺にしか分からないような絶妙な陰険さで。
 俺とて良い大人なのだし、受付を担当するようになってからそんな輩を適当に往なすノウハウくらいは身に付けてはいる。しかしこと対カカシさんに関してのみ、そのノウハウを全く活かすことができない。チクチクとした厭味を言われればチクチクとした厭味で返す、下忍になりたてのナルトについて「尊敬するアナタに追いつくぐらいに」なんて言われりゃ、満面の笑みを以てして「中忍・うみのイルカ」の余裕を全力で見せ付けてやる。街中でこの人が視界の端に入っても全身全霊で気付かないフリをするが、目でも合おうものなら第三者には分からないチマチマとした厭味の応酬が始まる。
 俺達はそういう関係なのだ。
「思うに」
 そんな関係のそんな状況の中、重い溜息を吐いてから渋々言葉を発したのはカカシさんだった。
「幻術であることは間違いないと。貴方の部屋に入る寸前に紅がチョウジに食べ物を想像させていたから、おおかたチョウジの妄想を経由して部屋に御馳走が溢れるような演出をしたかったんでしょうね。この目が痛くなるようなピンクの冷蔵庫は、贈り物をしたいというチョウジの気持ちの名残なのではないかと」
「なるほど」
 俺はカカシさんと目を合わさずに済むよう、ピンクの冷蔵庫を凝視して無難な相槌を打つ。
「で、アスマが貴方の部屋を訪問する前から『アイツん家は狭いから余所でやろうぜ』と散々ぼやいてましてね。残念なことに誰も聞く耳を持っていなかったのですが、はやり狭かったじゃないですか。貴方を含めて13人、そんな大所帯が赤貧中忍のアパートに入りきれるわけなかったんですけど」
「あろうことかエリート上忍様までわざわざお越し下さいましたしね」
「行く気なんて全然なかったんですけどね、俺は。子供達に強引に連行されただけですし」
「御苦労様です」
 俺とカカシさんは実に淡々と言葉を交わす。
 毎度のことだがそれは「淡々とつまらなさそうに、尚且つ相手に自分の嫌悪感のようなものをそれとなく示すこと」を競い合っているような会話だった。会う度にこういった会話を重ね続けている俺達に親しみなんてものが生まれるわけがなく、勿論階級を越えた友人関係なんぞも育まれる気配がない。育もうにも種さえ撒いておらんし、俺と彼の間にあるものは捨て去られ痩せ衰えた荒涼とした大地に他ならないのだ。
「良いんですけどね。七班の子供達が喜んでくれるなら、俺はそれで。で、ともかくアスマは狭い狭いとずっと口にしてましたし、実際に貴方のアパートは狭いったらありゃしないし、時空間忍術でも使って部屋にいる者をまるごとどこかに移そうとしたんじゃないですかね。貴方も一瞬、アスマのチャクラを感じたでしょ? ああ、中忍には無理かな」
「はい。高名な上忍様とは違い私はしがない中忍ですので、そういった高等忍術の気配に気付くことはできませんでした」
「あ、そ。とにかくここは、紅とアスマの忍術が複雑に絡み合って出来あがった場所のようです。いのも来る時に一面花畑がどうのこうのと言っていたし、極僅かですがここには彼女のチャクラも感じるので、いのの幻術も混ざっちゃった可能性が高いですね」
 なるほど。
 紅先生はチョウジのイメージを利用して御馳走が盛りだくさんの幻術を作ろうとした。第三者を媒介する幻術はただでさえ複雑になるのに、そこに運悪くアスマ先生の時空間忍術が混じり、更にはいのの幻術まで絡んでしまった。
「みなそれぞれ、良かれと思いしてくれたことですよね。だがしかし12人には計画性というものが欠如していた、もしくは楽観的すぎた、そうでなければ協調性というものが皆無だった、あるいは、そのいずれにも該当してしまった」
「そうなりますね。そしてその結果が、これです」
 カカシさんは再度重い溜息を吐き、暗澹たる仕草でピンクの冷蔵庫を指差した。
 俺とカカシさんの間に横たわる軋轢や微妙な空気など一切気にすることなく、彼女は自分のピンクっぷりを見せ付けるかのように誇らしげにそこに有り続けている。どこにその根拠があるのか甚だ疑問だが、とにかく彼女は自分が誰よりも絶対的優位にあると硬く信じているがの如く、実に堂々とそこに有り続けている。
「ところで、ここには何故よりによって私とカカシさんしかいないのでしょうか」
 俺は彼女のピンクっぷりに若干気圧されながら、素朴で重要な疑問を感情を込めず口にした。
「よりによって俺と貴方が揃ってここにいる理由ですか。そんなもん俺が分かるわけないでしょう」
「上忍様の分析力と観察力を以てしても分かりませんか」
「誰かの嫌がらせじゃなかったら、純粋に運が悪かったとしか。お誕生日だと言うのに災難ですね。貴方、日頃の行いが悪いんじゃないですか?」
「カカシさんもせっかくの休日だというのに災難ですね。日頃の行い云々などと私はあえて言いませんが」
 発言してからしまったと後悔したが、カカシさんは俺の言葉を無視してくれた。
 どうして休日だったことを知っているんだ?
 そう問われれば俺はうろたえてしまったに違いない。まさか「貴方と里中で出くわすのが嫌なので、貴方のスケジュールを逐一把握し、貴方が休暇の日はできるだけ外をうろつかないようにしています」などとは流石に言えないし、ましてや「それでも何故か不思議と顔を合わすことが多いので、貴方の休日の行動時間や行動範囲を調べ上げ、できるだけその時間帯や行動範囲を避けております」なんてことも言えない。
 何せ俺は常に、「はたけカカシのことなんて何とも思ってない。気にしたことなんてない、意識したこともない、興味なんて欠片もない」といった感じに振舞っているのだから。いや、現実に俺はカカシさんに興味なんて欠片もないけれど。
 カカシさんが俺の言葉に疑問を持たなかったことは有難かったが、また沈黙がやって来た。
 何とも微妙な、如何ともし難い沈黙である。
 この真っ白でだだっ広い空間の中央に有るピンクの冷蔵庫を前に、あろうことかカカシさんと二人きり。それだけで俺のライフは削られると言うのに、二人して突っ立っているだけのこの現状が更に何とも言えぬ空気を醸成する。このだだっ広い空間の端と端に移動してアスマ先生と紅先生が術を解除するまで待てば良い話なのだが、それはそれであまりにも大人げない。
 沈黙が苦しい。
 いっそ「腹が痛い」と言って便所にでも隠れてしまいたいが、残念なことにここには扉がない。無駄に広いだけだ。
「冷蔵庫の中に何があるんでしょうね」
 如何にも渋々といった感じで、カカシさんがそう呟いた。あからさまに「沈黙にうんざりしたので仕方なく話しかけてみました」という態度で口調だったので、俺もそれと同じ態度と口調で返事をした。
「秋刀魚は入ってないと思いますよ」
「まぜごはんが入っていますように」
「私としては天ぷらが山盛り入っていたら最高です」
 何でアンタが俺の苦手な食べ物知ってるんだよ!と問い詰めたくなったが、諸刃の剣なので止めておく。因みに何故俺がカカシさんの苦手な食べ物を知っているかと言えば、カカシさんの行動範囲と行動時間を調査していた時にたまたま知っただけである。あの時、俺はカカシさんとの偶発的接触を回避するために念入りにカカシさんを尾行したし、念入りにカカシさんについて調べ上げたからだ。
 それはさておき会話が終わり、また沈黙がやってくる。
 こうなったら修行僧の如く心を無にし、ひたすらにアスマ先生と紅先生がこのこんがらがった術を解除するのを待つしかない。不毛な会話を繰り広げるよりは些かマシだろうし、その方が精神的疲労も少ない。
 ちょっと瞑想しますね、邪魔しないでくださいね。
 そう言う意味を込めて気配を薄くしたところで、それまで隣で漠然と突っ立っていただけだったカカシさんが……恐らく沈黙に耐えられなかったのだろう。この人は普段は若干寡黙な性質のようだが、俺といる時はどうも沈黙を嫌うように見受けられるから……ともあれカカシさんが、突然ぬっと腕を伸ばした。
 俺にではない。ピンクの冷蔵庫にだ。
 そして。
「生首でも入ってたら面白いですね。チョウジの精神鑑定が必要になるけど」
 そんな物騒なことをつまらなさそうに口走りながら、ピンクの冷蔵庫を開けた。
 俺も自然と中を見た。
 何せピンクすぎる冷蔵庫は「注目せよ」と言わんばかりに目の前で自己の存在をアピールしまくっていたのだし、その上俺は今現在カカシさんに視線遣るのを避けている理由としてこのピンクすぎる冷蔵庫に視線を送り続けていたのだから。
 3ドアの一番上、野菜室でも冷凍室でもない部分。
 そこを開けると一瞬冷気が下に向かって広がって。
「鏡?」
 俺とカカシさんがそれに釘付けになった時。



「いきなりスカートを捲り上げるなんて信じられない! 貴方達が女性を見る度に誰それ構わずそうやってスカートを捲りあげてるとしてもワタクシがいくら魅力的だったからと言い訳するにしても、今後はそのような野蛮な行為は一切止めて頂きたいわね!」



 何の前触れもなく、ピンクすぎる彼女が喋り出した。

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