覚(サトリ)は人の心を読むと言われている妖怪だ。こちらが何も考えずにいれば苦しみ悶えて消えてくれるはずなのだが、如何にも人喰いですと言わんばかりの目前の妖怪にそれが通用するかどうかは分からない。忍は物の怪の類に出くわすことがままあるので恐怖に呑まれることはないのだが、ただこの手の人に害を成すモノに関しては実にやっかいなのだ。
恐らく隙を見せれば喰われるだろう。
『恐らく隙を見せれば喰われるだろう、と思っただろう?』
喉を引き攣らせた猿のように覚は笑ってそう言う。そして一歩俺に近付く。
忍の目を持ってしても夕闇に紛れる覚の姿を見定めることができないが、しかしどうしてかその口だけはかろうじて分かる。耳まで裂けた口で、笑うとズラリと並んだ尖った歯が浮かび上がるからだ。
俺は肩の力を抜いて、ひとまず死を覚悟した。覚悟することによって思考を整理し、クールダウンするのだ。
その甲斐あって、死体となって発見された時に恥ずかしくないようにチャックをどうにかせねばならんと思い至り、陰毛を毟って恥ずかしくない姿に戻る。
そして準備が整うと、とりあえずは正攻法でやってみようと結論付けた。
『物の怪は退治もできるが、仕留め損なうと呪いを受けることがある。それは面倒だ、と思っただろう?』
覚が猿のように笑いながらもう一歩近付いた。
その通り、俺は確かにそう思った。物の怪は退治できたと思っても呪いを受けることがあるのでそれは回避したい。
俺は覚と向き合ったまま、隙を見せることなく心を無にする。攻撃されても回避はできるように無心になったまま相手に意識を集中する。
覚はそんな俺を眺めているようだった。そして心を乱すためか山中に響き渡るほどの大声で下品に笑い、目を徐々に光らせていく。
覚の目は血の色だった。その巨体に似合わぬ小さくて丸い目だ。
俺は心を無にし続ける。
しかし覚はそんな俺からすぐに視線を逸らし、俺の背後にいるカカシさんもどき妖怪に向けて口を開く。
『面倒臭いなぁこういう物の怪って。この手の輩の血を浴びるのって臭いし変なコトになること多いし大嫌いなんだけど、でも殺しちゃおうかなぁ。でもイルカ先生いるしなぁ、と思っているだろう?』
はたけカカシもどき妖怪は無心にもなれないらしい。いや俺は無心無心っと。
『イルカ先生って中忍だし、どんくさそうだし、中忍だし、血の噴き出る方向とかにわざと突っ込んで行きそうだしなぁ。それで変な呪いでも貰うと困るし……俺が覚を引き付けておくから逃げろ、とか言えば株が上がるかな? いやでもこの人中忍のくせに無駄に意地っ張りだし、生意気だし、あとイルカ先生って中忍だし、それに中忍だし。と思っているだろう?』
……うぜー。
……いや無心無心。
『どーしよっかなー、面倒臭いなー。いやでもさっきは吃驚したよね。まさかこんなところでイルカ先生のイチモツ見られるなんて思ってもなかったし、ちょっと思わず鼻血噴いちゃったけど……って、あ、おま、なに勝手に人の思考喋ってるの? そんなことしたら俺のはちきれんばかりの煩悩とか妄想とか一途で純粋な恋心とか変態チックなアレコレとかバレるじゃないの。あ、ちょっと止めてよね、駄目駄目、終わり、しゅーりょー! と思っているだろう?』
……。
心なしか覚が若干引いているような気がする。いやそれよりも何なんだ、このまるで本物のようなカカシさんもどき妖怪は。いや本物ならあんなこと言わないよな、まるで俺のこと好きみたいなそんな……いやないない! これはアレだ、カカシさんもどき妖怪が俺の精神を惑わそうとしているな? こいつ、覚とグルってことか。
「はい、次は俺でお願いします!」
それならそれで先手必勝!と俺は勇んで挙手する。
心なしか安堵したように覚が俺に視線を向け、俺の思考を読んだ。
『カカシさんの皮を被った化け物め、生憎だが俺はそんな手には引っ掛からないぞ。お前は知らんだろうがカカシさんは俺のことが嫌いなのだ。いや斬新なパンティを穿いた女神に運命の人とか何とかと言われたことはあるが、俺達は決してそういう、何て言うか、とにかくお前の正体は分かっているからしてカカシさんのふりをするのは止め給え。しかもさっきから聞いていれば何だ。中忍中忍と、中忍の何が悪いか! お前ちょっとここに正座しろ! 化け物といえども木ノ葉の中忍を馬鹿にする者は俺が許さん! ジャズシャンソン歌手ジャズシャンソン歌手ジャズシャンソン歌手、と思っているだろう?』
「何を言ってるのですかイルカ先生! 俺、本物のはたけカカシだし、それに俺はイルカ先生のこと嫌ってなんかいません!」
シュッと、あたかも本物の忍のようにカカシさんもどき妖怪が俺の隣に飛んで来て言い募ったが、しかし俺はそんな手には乗らないのだ。中忍といえども木ノ葉の忍、忍は裏の裏を読め、そんな甘言に騙されるものか。
「ちょっと、イルカ先生ちゃんと俺の話聞いてくださいよ!」
そうやって俺の意識を覚から逸らそうとしているのだと読み切っている。だから俺はカカシさんもどき妖怪なんぞ無視して覚を見上げ続けるのである。
「ちょっとイルカ先生! んもう、ちょっとお前、俺の心読んでよ!」
カカシさんもどき妖怪が怒ったような声を出し、俺の隣で挙手をした。覚はその巨体をもぞもぞと動かして多少躊躇っていたが、カカシさんもどき妖怪がしつこく「ハイ! 次は俺デショ順番的に!」としつこかったので、肩をヒョイと竦めてモゴモゴと心を読み始める。
『俺は俺の皮を被ってますけど、それは化け物ではなく本人だからです! どうして化け物になってるわけですか、一体どんな中忍的思考回路を巡ればそんな解答に行きつくわけですか。そもそもアンタ、チャクラ分からないわけ? いくら俺のことが嫌いだからって俺のチャクラも感じ取れないわけ? 一年前の今日、アレコレあって互いにチャクラを流しこんだこともあるのにもう忘れちゃったってことなら、それは酷いんじゃないの? 仮にも木ノ葉の忍なら覚えておこうよ、そういうの。大体俺なんかイルカ先生のチャクラなら300メートル先からでも……ああそれと、そりゃ今までの俺の態度は悪かったとは思ってますけどね、だからって俺はイルカ先生を嫌ったことなんか一度もありませんから! 嫌いとかそんなわけないっていうか、だって俺はその……ちょっと待って、待て待て。いやその話は良いとして、とにかく俺はですね』
「――ハイ、次俺です!」
話の続きで申し訳ないが、うざったらしかったので途中で挙手してみた。
『あのですね、覚は人の心を読みますが心を読むと言うよりも思考を読んでそれを口にする妖怪なのであって、嘘発見機なわけじゃないんですよ。アンタがいくら妖怪じゃなくて本人だとか俺のこと嫌ってないとか言い募ってもそれが信じると断定する材料にはならんのです。むしろ里の誉れと謳われているカカシさんがその程度のことが分からんわけないのだから、やはりお前は妖怪だとしか思えない。もしお前がカカシさん本人であるならば、人のことを中忍中忍と馬鹿にしておいて自分はそのザマか、ぬゎにが写輪眼のカカシだこのクソッタレ!と言ってやります。生麦生米生卵生麦生米生卵生麦生米生卵、と思っているだ』
「――ハイハイハイ! 次俺!」
カカシさんもどき妖怪が地団太を踏みながら挙手をする。
覚がちょっと待てと言うように片手を上げて呼吸を整え、酷く嫌そうにカカシさんもどき妖怪を見遣った。
『そーんなこと言ったってしょうがないデショ! だったら訊きますけどね、アンタ俺が本物だってどうすれば信じてくれるわけ? 俺が自分で声に出して言ったってアンタ信じなかったじゃないの! 覚が嘘発見機じゃないことくらい俺だって分かってますぅー。けどね、心を読む以上そこに嘘があればどこかにボロがでるもんなの、だから俺はあえて覚に喋らせてるの。て言うかさ、イルカ先生ってそんなに俺のこと嫌いなわけ? 運命の相手のことそんなに嫌いなわけ? そりゃ中忍だって見縊ったのはゴメンだけどさ、俺は素直じゃないからしょうがないじゃん。アンタ先生でしょ教師でしょ、俺が捻くれてることくらい分かるデショ! と、言っているようです』
「ハイ!」
素早く挙手する俺。
『嫌いじゃなけどさ! いや、嫌いじゃないけど。でも今までが今までだったし、アンタ意地クソの悪いことばっか言うからこうなるわけじゃないですか。捻くれてるのはその髪と変な覆面見れば一目瞭然ですけど、だからと言って今までの経緯をもう一度考えてみてください。完全にカカシさんが悪いでしょうに。新設診察室視察新設診察室視察新設診察室しさちゅ』
「ハイハイハイ、ハ−−−イ!」
『悪かったです、ぜーーーんぶ俺が悪かった全て俺が悪かったはいはいゴメンナサイはいはい。でもね、イルカ先生だって酷かったと思うよ? いっつもいっつも俺のこと胡散臭い目で見てさ、厭味ばっかり言ってさ、去年女神に運命の人って言われたのにぜーんぜん嬉しそうじゃないし、俺のこと避けるしさ、そんなんどうやって素直になれって言うのよ。俺ばっかりイルカ先生のこと意識して馬鹿みたいじゃんって拗ねるのも当然じゃない。と、泣きそうな声で申し上げているようだが……』
覚が随分と困惑したように俺に投げかけて来る。それどころか怪しく光っていた赤い目も今は些か同情に傾いているようで、どうにかしてやれよ、みたいな視線で俺を見て来る。
確実にわけが分からない展開になってきているが、ここまできたら行き着く所まで行くしかない。
俺は腹を括り、速やかに挙手をする。
「ハイ!」
『確かに私にも問題があったように思います。胡散臭い格好をしておられるので胡散臭い目でアナタを見ておりましたし、上忍に対して失礼な物言いもありました。ですが斬新なパンティの女神の件につきましては私も何と言う感情を抱けば良いのか分からないと申しますか』
「なんで急に敬語なわけ! そうやって心を閉ざすの止めてよね!」
『最後まで聞け! つまり驚いてしまって喜ぶとかそういう……まぁでも嬉しかったよ! ああ嬉しかったさ! アンタ自分ばっかりって言うけど俺だってアンタのことちゃんと意識して意識しすぎて、つまりこんな状態になったのは互いが意識しすぎたせいなんじゃないのかと中忍の俺は思うわけであってですね、魔術師手術中まじゅちゅし手術中まじゅじゅししゅづつ…好い加減早口言葉言わせるの止めて欲しいのだが。それからそろそろ二人でじっくり話し合ってみてはどうかね。わしはもう帰りたい』
「ちょっと途中で帰るとか止めて。ていうか次俺、俺俺!」
カカシさんは可哀想な覚を帰らせまいとピョンピョン跳ねて挙手をする。
覚は疲れたようで頭の上で腕で大きくバツを作ったが、あまりにカカシさんがしつこいので俺に助けを請うような視線を向けた。
そんな目で見詰められても困る。
それに今帰られると恥ずかしさで逃げだしたくなるから、最後まで付き合って欲しい。
覚はそんな俺の心の声を読んだようで、肩を落としてボソボソとカカシさんの思考を語りだした。
『あ、じゃあイルカ先生と俺ってやっぱ……そ、相思…ぅ愛って言うか、運命の相手って言うか。うん、あ何て言うか俺も今まで素直になれなかったけど、三日前からこのままじゃ駄目だなって思って、勇気を振り絞って今日に向けて頑張った甲斐があったって言うか。いや、ほら。実はどうしても今日言いたいことがあってこうして頑張って付き纏ってたわけなんだけど――……続きは自分で言うが良い』
「あ、ずるい最後まで言ってよね!」
『そういうことは自分の口で言うものだ』
「駄目。無理。お願い言って」
『もうわしは知らん。ほれ、頑張れ』
「えー」
俺をほったらかしにしてカカシさんと覚は何やらボソボソと会話を続けていたのだが、覚がしきりに頑張れを連発すると漸くカカシさんは腹を括った……かどうか知らぬが俺の後ろにわざわざ場所を移動し、それを口にした。
「イルカ先生、誕生日おめでとうございます。もし良かったら俺と付き合ってください――いやでも返事とかいらないから、俺返事なんか聞きたくないから!」
いや返事聞けよ! と思って大慌てで振り向いたが、そこにカカシさんの姿はなかった。
『じゃ、わしは帰る。ほとほと疲れた』
踵を返してヨボヨボと帰ろうとする覚に、どうも失礼しました、ありがとうございました、数日後に俺の生徒がこの山に来るので悪さしないでくださいねー、などと声をかけて見送る。
その後一人山中に残された俺は、時間が経過するにつれて湧き上がる様々な感情の渦にもみくちゃにされて奇声を発し続けるはめになったのだった。
なんてこった。なんて恥ずかしくも嬉しいことになってしまったのだ。
いやそれよりも。
とりあえず返事! 返事言わせろ、はたけカカシ!