今年の野営訓練に先立って里から少し離れた山奥に下見に来ていた俺がそこで何故かはたけカカシと遭遇し「奇遇ですね」と声をかけられ、「なんでこんなところにいるんですか」「任務帰りですけど」「お疲れ様です、早く里に帰ってゆっくり休んでくださいね」「そうですね」「報告書も早く出してくださいね」「それはパックンに頼みました」「報告書はできるだけ御自身で提出するようにしてくださいね」「もっともですね」「では俺は失礼します」などと実に淡々と、実に微妙な空気で会話を交わしてから早や一刻。
もう日も暮れようというのに何故はたけカカシは帰らないのであろうか、何故暇そうな顔をぶらさげて俺の後ろを付いて回っているのだろうか。言外にとっとと帰れと言ってみたつもりだし、俺は忙しいですだから失せろ消えろ、の空気を存分に醸しつつ「では失礼します」と会話を締めたはずなのに、何故そこは華麗に無視してウロウロしているのだろうか。
思いきって暇なんですかと訊ねてみたが「別に?」と返された。完全に暇を持て余した夏休み中のアカデミー生徒みたいになってるくせに、別に?なわけないだろう。馬鹿馬鹿しいと思い放っておけば今度は妙な沈黙が俺の肩にのしかかかる。肩どころか背中か頭やつま先までのしかかっているようだ。酷く動きづらい。嫌がらせか?
そもそも俺とはたけカカシは去年のあの日から、いや何と言うか……まぁ何と言うかサクラの妙なマジナイによって現れた超ド派手ドピンクの喋る冷蔵庫のあの例の件から……まぁ、ゲフン。ちょっとお互い意識し合った時期もあったかもしれないし、ないかもしれない。こう、偶然里の中でばったり出くわしたりするとですね、互いにささっと、こう、何て言うか? 目を逸らしたりして? 受付所で報告書を貰う時に偶然手が触れ合ったりなんかすると「ふぎゃーーーっ!」とか「ひぃいいいッ!」とか互いに奇声を発したりしてですね、ゲフンゲフフン。
とにかく互いに意識し合った時期があるかもしれない。ないかもしれないけどな! だがそんな時期は流しそうめんのようにあっと言う間に終わりを告げ、現在俺とはたけカカシの関係は――。
関係は、一年前と特に変わっていないわけである!
いやむしろ険悪になったとも言える。会えば厭味を口にしていた頃と違い、ここ数カ月などそれすらない。ちょっとでも意識してるみたいに振舞った方が負け、みたく、「はい? はたけカカシ上忍には超興味ないんですが?」みたいな顔をする俺と「なに言ってんの? 俺の方がアンタなんかに興味ないし? マジでいやマジで」みたいな顔をしているはたけカカシ。
そんな状態であり、現在俺達の間には永久凍土が広がっているのである。
いや、広がっていたのである。
過去形にせねばなるまい。何故ならはたけカカシは三日ほど前から何の奇策か突如「あ、イルカ先生ね? あの中忍の人デショ? うんうん、良い人だと思うよ?」みたく振舞うようになったからである。そんな態度を取られれば俺とて「あ、カカシ先生ですね。ナルト達がいつも世話になっております。ええ、怪しい見てくれですが良い方ですよ」みたく大人の対応で接しなければならないわけであり、よって俺とはたけカカシは三日前から何故か気軽に挨拶くらいは交わす仲になっている……気がしないでもない。
とにかくそんないきさつがあって、今日だ。
摩訶不思議なことに俺がこの男に付き纏われているこの状況だ。里から離れた山深いこんな僻地でそんな状況だ。これはなんだ、どんなフラグが立っているのだ、フラグというよりも奇策に嵌っているのかそれとももっと違う展開が繰り広げられる寸前なのか、ええい何でも良い誰かこの男をどうにかしてくれ!
「日が暮れますよ。帰らなくて良いんですか?」
俺のフラストレーションが泥酔した時のゲロみたいに溢れかえりそうになった時、はたけカカシがそう訊ねて来た。それはこっちの台詞だ!
「下見は済んでおりませんのでまだ帰れません。カカシさんこそ早く里に戻って休息された方が良いんじゃないですか?」
「下見って何してるの?」
いやだから、お前は早く帰れ。帰ってくれ。そうじゃないと俺が集中できない。
「三日後に野営訓練がありますので、危険な箇所や動植物がないのか点検しているのです。まだ時間かかりますから、カカシさんはもうお戻りになった方が良いのではないかと」
俺は穏やかな声で帰還を促す。本気でもう消えていただきたい。正直に言えば俺はこの人が傍にいるだけで集中力に欠けてくるし変に発汗してくるし、ともすれば何かの呪いにかかったかの如く手足が痺れ頭がぼーっとする。決して恋の症状ではないのだが、まるで恋の症状のように動悸息切れ眩暈なども併発する始末だ。運命の相手がどーのとか斬新なパンティを穿いた女神の話を真に受けているわけではないが、とにかく駄目なのだ。
「イルカ先生は野宿でもするの?」
「そうなりますね。夜行生物のチェックもありますから」
「へー」
へー、じゃない。先程より更に正直に言えば、何気なく会話しているようでもう俺のポーカーフェイスは限界なのだ。里内ならまだしも、里から離れた山中に二人きりとかもうほんと勘弁してください。何と言うか、もう俺、そっち見れないから! いやなんか、ほんと、もうその綺麗な顔見ただけで心臓が変になって、変になった挙句にぎゃーーー!と叫びつつ平手打ちを炸裂しそうで困るから!
「中忍先生一人じゃ危ないんじゃない?」
中忍舐めるな!
「いや、全然危なくないですから」
俺はギリギリな己の心臓乱れ打ちを感じながらも、穏やかに帰還を促し続ける。駄目だ、このままだと夜になる。運命の人だとされているカカシさんと遂に何らかの展開を巻き起こしてしまう。何と言うことだ、全俺が期待……してねええええ! してないから、ほんと、してないから。なんか心臓ドキドキしているけどこれは違うから。
とにかく去れ、どこかに行ってくれ。俺の心臓のためにどこかに消え失せてくれ。
大体どうして急にこんなことに……こんなんなら「俺たち、互いのことなんてヘソのゴマほども興味ないから」って演技をしていた時の方が余程良かった。俺の心拍数的に。
「日が暮れますね」
カカシさんはのんびりした口調で俺の背後を付け回す。
「それはさっきも聞きました」
「逢魔が時ですね」
「もののけでも出るとやっかいなので、カカシさんはそろそろ里へ戻った方が――」
そこまで口にして俺はある疑惑を抱いた。
このカカシさんはおかしくないか? どうして里に帰らない? どうして俺の背後を付け回す? 三日前に何があったのか知らないが、今までが今までだし例の奇抜なパンティ女神のアレもあることだし、この人だってこんな場所で俺と二人きりで平気なはずがないのに、何故平然としている?
この人、実は……実は……。
「すわ、妖怪か!」
まるで上忍試験に三度落ちた中忍のようなスピードで俺は飛び退き、カカシさんの皮を被った妖怪と距離を置いた。同時にクナイを取り出して念仏を唱える準備もする。気合いで負けてはならないので、下っ腹に力を込めて「喝ッ!」と先制攻撃に打ってでた。
はたけカカシもどき妖怪は驚いた顔をして周囲を見渡しているが、しかしそんな三文芝居に騙される俺ではない。
「カーーーツッ」
念のためにもう一度気を吐いてみた。
「喝ッ! 喝ッ! かーーっつっ!」
万が一のために更に二度三度気を吐いてみた。しかし、はたけカカシもどき妖怪は困惑したような表情を浮かべて周囲を見渡すばかりだ。なんという小賢しさ、なんという図々しさ、よりによってカカシさんに化けるとはおのれ卑怯な。苦手というか何と言うか、もう気になっちゃってしょうがない人に姿を変えて俺に精神攻撃を仕掛けるとはなんと小癪な!
なんとしてもこの不届きな妖怪をとっちめてやろうとジリジリにじみ寄っていると、はたけカカシ妖怪がふと「あ、彼女が妖怪なの?」と俺の背後を見て間抜けなことを言う。その手には乗らん!
だが、ちょっと気になったので振り返ってみた。
するとそこには確かにいた。妖怪などではなく、十二単を身に纏った山姫様が。
「御無沙汰しております」
俺はすっと姿勢を正して一礼し、即座にズボンのチャックを下げてイチモツをポロンともろ出しする。山姫様がお目見えされたとなればはたけカカシもどき妖怪など構ってはいられないし、俺がここに来た本来の目的はこの山姫に逢うためなのだ。
イチモツをもろ出しにしたまま畏まって祝詞をあげ、今年の野営訓練についての毎度のお願いをする。子供達が来ますから見守ってあげてください。中には月経中の女の子がいるかもしれませんが大目に見てください。山の怪に慣れなくてはならないので、害を成さない程度の妖怪をチロっと出没させてくれると嬉しいです。その代わり男は全て山姫様が祀られているお社に向けてイチモツを晒します。などなど。
この山の神は大変穏やかで物分かりの良い姫様なので、今年もあっさりと頷いてくださった。供え物は済ませてあるしイチモツも晒したので問題ない。
にこやかに微笑まれた後、山姫様はふと消える。
よしでは、はたけカカシもどき妖怪との対決を再開しようではないかと振り向くと、その腹立たしい妖怪が何故かイチモツを丸出しにした状態で突っ立っていた。
なんという精神攻撃。俺が好き……じゃないけど全然好きじゃないけど気になって気になって仕方ない男のイチモツをそんな、おま、やめ。
「ちょっと、それ、しまってくれない?」
それは俺の台詞だ! 鼻血を出すな妖怪の分際で!
そそくさと自分のイチモツをしまうと妖怪も鼻血を垂れ流しながらゴソゴソとそれをしまう。なんなんだこの展開は、なんなんだこの無意味に気まずい空気は。
「イルカ先生、あのですね」
「変化を解け、妖怪め!」
しまった毛を挟んだ。
「妖怪ってなに」
「ちょっと待て、まだ休戦だ。ちょっと毛が」
「イルカ先生落ち着いて」
「あでででで!」
「手伝いたいけどそれは手伝えないです! ひとりで頑張ってくださいよ!」
絶対にこれはカカシさんではない。はたけカカシは俺にそんな優しい言葉はかけない。しかしそうやって憤慨すると焦って毛が、陰毛が引っ張られて本気で痛い。
「イルカ先生、イルカ先生」
煩い黙れ俺は今陰毛とファスナーの愛と憎しみのドラマの仲裁をしているんだ邪魔するな。
「なんか来た。また何か来ましたよ」
切るしかない。チンコを傷付けないようにクナイでそっと毛を。そうすることでしかこの愛憎劇を終わらせることはできないんだ。ひとつの結末を迎えるために、俺は心を鬼にして毛を……駄目だクナイが間に入らない!
「なんか来ました。妖怪ってこれのことですか?」
こうなったら毟るしかあるまいに。
中忍といえども俺とて忍、陰毛を十本毟る程度の痛みに堪えられないわけがない。さぁ、勇気を出せ、毟るんだ俺!
「毟ってやる! と思っているだろう?」
頭の上から降って来た声に思わず手が止まった。その声はやけに低くて幾分くぐもっており、頭に変に響いてまるで人間のものではないように聞こえた。
陰毛を掴んだままゆっくりと顔を上げると目の前に見上げるほどの大男が佇んでいる。もう日が暮れてよく見えないが、匂いや気配から間違いなく人外のモノ、しかもソレが息をする度に血腥い臭いが漂う点からしてこれは人に害を成すモノだ。
面倒臭いことになった。
「面倒臭いことになった、と思っているだろう?」
薄暗闇の中でソレが、大きく口を歪ませて笑ったのが見えた。
血腥い、とにかく臭い。コイツは肉を喰う。
「血腥い、とにかく臭い。コイツは肉を喰う。と思っているだろう?」
ソレがまた笑う。
「覚だね」
カカシさんもどき妖怪が言った。
「覚ですね」
俺も同意する。
山姫様が守るのは生徒のみだ、これは俺がなんとかしなくてはならない。
全く何なんだ今日は。