ビールを飲みながらサンマをつついていると、頃合いを見計らってごはんと茄子の味噌汁、それに大根の葉を炒めた副菜が出てきた。どれも俺の口に合う味付けでとても美味しい。毎日イルカ先生の料理を食べても良いなと思えるくらいだ。
美味いものを食べれば体力だけでなく気力も回復するし、食事そのものに対する欲求が増す。疲れているから、そんな気分じゃないからと兵糧丸で済まそうとしなくなる。それは身体が資本の忍にとって非常に重要なことだ。特に写輪眼のせいでチャクラ切れを起こしやすい俺みたいな男にとっては。
「餌付けは成功しましたか?」
黙々とごはんを食べる俺に、イルカ先生が何やら嬉しそうに訊ねてくる。
「一度で餌付けが成功できるほど俺は安い男ではありません」
「知っておりますとも! カカシさんが如何に高貴で高価でアグレッシブでサンマ好きなのかは、カカシさんの熱烈なファンである俺が一番分かっておりますとも! このレジェンドめ!」
俺はサンマは好きだがアグレッシブではない。ビンゴブックに載っている程度で、まだ伝説にもなってない。しかし余計な口を挟まず食事を続ける。
食べているところを物凄い勢いで凝視されているのが気になるけれど、まぁ相手がイルカ先生なので放っておこう。マジマジと凝視しているかと思いきや何故か急にニタニタと笑いだしたがそれも放っておこう、と思ったら今度は目に涙を浮かべて一人で何度も頷いているが、これも特に気にしないでおこう。何を訊いても俺が理解できる言葉が返ってくるとは思えないから。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて静かにそう言えば、イルカ先生は盛大に拍手をした。何の拍手なんだろうか。
「ではこれからカカシさんの記念すべき偉大なお誕生日会、夜の部へと移行します。異存はありませんね?」
「イルカ先生、ごちそうさまでした。ではおやすみなさい」
「このシャイボーイめ。大丈夫です、間違いなく優しくします!」
ぐっと拳を握るイルカ先生から視線を逸らし、立ち上がって洗面所に向かう。イルカ先生はそんな俺の後を付いてきて嬉しそうに俺の周りをうろついていた。そんなイルカ先生の満面の笑みを視界の片隅で捉えながら俺は歯を磨く。
俺の右に行ったり左に行ったりと忙しいイルカ先生。時折鼻息が荒くなったり、顔を真っ赤にさせたりするイルカ先生。歯を磨いているだけなのに顔を赤くする要素がどこにあるのだろうかと俺に強い疑問を抱かせるイルカ先生。本当なら激しく邪魔なはずなのに、どうしてか特に邪魔に思えない謎の存在、イルカ先生。
どれだけ周りをうろつかれようが、うざいと思わない。今も歯を磨くために上げている腕の肘部分に顔を寄せて匂いを嗅がれているが、鬱陶しいとも思わない。これはこういった生き物なのだと俺が認識しているからなのかもしれない。
となると、やはり恋とは違う気がする。たまに「おや? これは恋心と呼ばれるものに似た感情ではないか?」と思うこともあるが、それはきっと勘違いだろう。何か妙な具合に恋と錯覚しているだけに違いない。
口を漱いで寝室に向かう。
勿論イルカ先生も付いてきた。
「俺はもう寝ますよ。後はその辺りで好きに遊んでってください。探検も可です。ただし奥の和室には入らないこと。あの部屋は危険な忍具や巻物が置いてありますから、イルカ先生のような下忍以下の中忍は絶対に入ってはいけません。良いですね?」
「ねこ!」
「コマ」
「まんじゅうこわい!」
「いもむしゴロゴロ」
「ロマンチック夜行列車連続殺人事件! ――ごわ!」
突如始まったしりとりは瞬く間に終わってしまった。面白い人だなぁと思いつつ寝室のドアを開けると、当然のようにイルカ先生も入ってくる。そして俺がベッドの中に潜り込むと、やけに息を荒くさせて手をワキワキさせながら顔を紅潮させた。どうやらこのまま「夜の部」とやらが始まるらしい。
「カカシさん、腹部をクナイで刺されて『うっ』とつんのめり、そのまま倒れた人みたいな体勢をとってください」
「うつ伏せになってくださいって言う方が早いし、分かりやすいですよ」
それでも俺は言われたようにうつ伏せになる。シャワーを浴びてスッキリしたし腹も膨れたし、イルカ先生から祝いの言葉までもらえた。それそろ寝ようと思うのであとは放っておけば良いだろう。俺が寝てしまえばイルカ先生はこの家の探検をするだろうが、和室以外なら別に構わない。
「さっきも言ったように和室は入ったら駄目ですからね? トラップも張ってあって本当に危ないですから。分かりましたか?」
「……フーッ……フーッ」
「返事は?」
「……ファイ」
この人は誰と戦うつもりなんだろうと思いつつ、俺は大きく欠伸をする。息を荒げて何をするつもりか知らないけれど、俺はもう寝るから後は野となれ山となれ。他の人間ならいざ知らず、俺はイルカ先生なら触られても別に嫌じゃない。さっき手を握られた時も正直に言えば嬉しかったし、この人のチャクラは温かくて好きだ。ただし俺に突っ込むことだけは不可とする。
俺が他人に触られても良いと思うことは稀だった。むしろ初めてだった。女を抱く時も極力相手には何もしないようにさせるし、いつもマグロ女を希望する。抱きしめてくる女が多いのでそれを避けるために常に後ろから突っ込むくらいなのだ。
そんな俺が、イルカ先生だけは触れられても良いと思っている。
やはりこれは恋なのでは?
うーむと悩みながら眠ろうと目を閉じる。そう言えば傍に他人がいるのに眠ろうとしていること自体が稀だ。俺はどれだけこの人に無警戒なんだろうと思うと少し笑えた。いや、これはイルカ先生を信じているというよりも、この人になら寝首をかかれても構わないと思っているからかもしれない。
とすれば、俺はうみのイルカという存在に恋どころか愛を抱いているんじゃなかろうか。
ゴクリと喉が鳴った。
自分の思いつきが怖くなる。
「ところでアンタ、さっきから何をしているんですか」
フーッフーッと獣のように息を荒くしたまま、イルカ先生はさっきから両手を俺の身体の上にかざして何かをしていた。目を閉じていてもイルカ先生の気配が濃厚すぎて手に取るようにその行動が分かるのだが、そこにどんな意味があるのか分からないので気になっていたのだ。それは奇妙な儀式のように思えたので尚更だ。
「キエーーー!」
「近所迷惑なので静かになさい」
「……キェー……」
その声は必要なのだろうかと疑問を抱きつつチラリと目を開けイルカ先生を見やると、彼はかざした両腕を大きく広げてそれをゆっくりと動かしているだけだった。
「何をしてるんですか」
「気功です。こうしてカカシさんの疲れを取っているのです。題して『カカシさんの聖なるお誕生日会夜の部・気功でカカシさんの疲れを取り払おう大好きですカカシさん!』の巻です。よろしくお願いします。有難うございます!」
最後のは何に対しての謝辞だろう。
「気功はできるのですか?」
「できませんが、カカシさんに対する愛で何とかします!」
「普通にマッサージしてもらった方が嬉しいんですが」
「ハイ喜んでー!」
イルカ先生が顔を真っ赤にさせながらも瞬時に俺に跨ってくる。こういう時だけこの人は忍者になれるようだ。
イルカ先生の鼻息が更に荒くなった。どうしてそれほど興奮できるのか心底不思議に思う。
「背中を中心に凝りを解してください」
「ファイッ!」
だから、誰と戦おうとしているんだ。
本当に面白い人だなぁと少し笑みを浮かべながら、俺はまた目を閉じた。
その後イルカ先生は「触りますよ」とか「本当に触りますよ、良いですね」とか「知りませんよ、ああ俺カカシさんに触った!」とか「カカシさんのチャクラは綺麗ですね!」とか「カカシさんの背中に触れている……俺、大感動!」とか、大騒ぎしながら背中の凝りを解してくれた。途中であまりにうるさくて注意したが、イルカ先生の興奮は止まることを知らず最終的には「あわよくば結婚して欲しいです!」を連呼していた。
俺はそんなイルカ先生の声とチャクラとマッサージの上手さに様々な感想を浮かばせながら、今日という一日をざっと振り返る。
嫌な日だった。
任務は最低の部類で血をたくさん浴びた。殺す必要性が分からない人間まで殺さねばならなかったし、その他諸々の雑事もうんざりするものばかりを目にした。
でも帰ってみるとイルカ先生が仔犬の姿になって俺を待っていて、誕生日おめでとうございますと祝ってくれた。俺の誕生や存在を祝ってくれた。変な生き物だが、手を握って真摯な眼差しで俺に心からの言葉をくれたのだ。
その時はイルカ先生の声や表情な眼差しに気を取られてばかりだったが、こうして振り返ってみるとそれらの言葉はとても不思議な感じがした。写輪眼のカカシとして今まで沢山の言葉をかけられてきたが、俺の全てを祝うと言ってくれたのはこの人が初めてだ。
俺のすべてを祝うと。
「ねぇ」
向きを反転させようと身体を捻ると、まだ熱心に「俺はカカシさんの熱烈なファンでありまして」とかなんとか喋くりまくっていたイルカ先生が驚いて腰を浮かせた。その隙に俺は仰向けになる。
イルカ先生は驚いていたが、手招きをすると素直に応じて俺に覆いかぶさった。でもまだ距離が足りないので、俺がその首と背中に手をまわしてもっと近くに抱き寄せる。
イルカ先生の顔が近い。互いの吐息がかかるくらい近い。
「……ひ、ひ、ひぎ」
「――妙な奇声は上げないように。この距離です、流石に頭に響くでしょうから」
「ひ、ひ、ひぎぃー……」
変なところで真面目なイルカ先生は、小声で奇声を発した。それからちょっと心配になるくらい顔を赤くし、一気に顔面に十五個の大粒の汗を浮かばせ、もう一度「ふひょーっ」と小さな声で奇声を発すると今度はその大粒の汗を滝のように流した。
面白い人だなぁと思いつつ、首元にイルカ先生の顔を埋めてみる。その途端にイルカ先生の身体が岩のように硬直した。物凄く大量の汗が全身から流れているようで汗臭い。
「ねぇ、俺の身体って血臭がしない?」
「へ?」
「血の臭いが取れてなくない? 小さい頃から人殺しばっかりしてきたから、何だかもう一生取れないような気がしてならないんですよ。どう? 臭い?」
俺はずっとずっと気になっていたことを……今まで誰にも相談できなかったことを小さな声で訊ねてみる。
それはずっと俺が抱えていたどんよりした不安であり、精神に万遍なく広がる重い暗がりでもあった。
「ねぇ、どう? 血の臭いする? 人殺しの臭い、する?」
「しませんよそんなもんッ!」
弾かれたようにイルカ先生が顔を上げ、俺を睨むようにして断言する。見たことのない怖い顔をしていた。
イルカ先生は怒ってる。よく分からないけど、凄く怒ってる。それから、怖い顔をしたまま俺の顔を両手で挟んで続ける。
「アンタね! アンタ、アンタね……カカシさんはね、そんなん――アンタね!」
「はい」
どうしてそんなに怒っているんだろうと疑問に思いつつ続きを待つ俺を、イルカ先生は酷く睨む。殴られるかもしれないって思うくらい目を吊り上げ、ギリギリと歯を噛み締め。
それから急に、また真摯な眼差しを俺に向けた。
もう怒ってなかったし、睨んでもない。
しっかりと俺の頬を両手で挟み込み、真っ直ぐで揺るがない眼差しを俺に向けている。
そしてイルカ先生は、そのままきっぱりと言った。
「あんだけ時間をかけて洗ってもまだ血の匂いが気になるなら、これからは俺が洗ったげます。アンタに付いた血は全部、俺が洗い落してやる!」
嗚呼、俺はこの人と本当に結婚することになるだろうなと、俺は妙に予感めいたものを感じた。
同性婚は認められていないし、はたけの血を絶やすことになるんだから里の上層部だって黙ってないだろう。それでも俺はきっとこの人と結婚するんだろうなと、本当にそう思ったのだ。
里が何を言おうが、「ぴゃーーー」とかって摩訶不思議な叫びを上げるこの珍妙な生き物と会話が成立するわけがない。だったら交渉は全部この人に任せてしまえば良いんだ。上層部は思う存分イルカ語に頭を抱えれば良い。
そうこうしている間に、俺はぼんやりと色褪せた腐りかけの日常から脱出しよう。そして何の脈絡もなくしりとりが始まったり、自分の家の中に突如飲食店が開店する面白おかしい日常を堪能しよう。
「ねぇイルカ先生。今日からアンタは『はたけカカシの熱烈なファン』じゃなくて『はたけカカシの熱烈な恋人』になってよ」
「ハイ喜ん……でえええええええええええええ?!」
またまた真っ赤になったイルカ先生の身体をクスクスと笑いながら抱き締め、俺は色彩を取り戻した新鮮な人生の第一歩を踏み出す。