「うみのー。受付のお前がなんでこんなトコにいんだー」
「サケヤ上忍、俺はアカデミー教師でして、受付はお手伝いで入ってるだけなんですよ」
「うみのー。アカデミー教師のお前がなんでこんなトコにいんだー」
「色々事情があったんですよ。察してください」
俺は苦笑しながらサケヤ上忍の頭に包帯を巻く。
ここに来てから何度も同じことを言った。奈良隊長は俺の赴任を随分訝しんでいたけれど、書類と俺の「事情があった」という言葉で渋々納得したようだし、他の者もそう言うとそれ以上は追及しなかった。アカデミー教師が戦場に赴くことがあっても戦線に回されることなど滅多にないし、あるとしたらそれは懲罰だからだろう。
「んだよお前、里の運営費ちょろまかしたんかぁ?」
サケヤ上忍だけはそう突っ込んで来るが、軽口を叩いているだけで真意を知りたいという気持ちなど微塵も感じられない。面白がっている風を装っているが、皆から少し距離を置かれている俺を気遣っているように思えた。
「俺はそんなことしません。とても……個人的なことです」
「あー、女関係か。まぁ理屈じゃどうにもならんもんよ、恋ってやつぁ。ここは激戦地だからキツイだろうけど、頑張って生き伸びろよ」
「女関係でもありません。でも里のために頑張りますよ」
恋を、したかった。でも俺は恋をする前に死ぬ。せめて里のために少しでも働き、死ぬ。死ぬ間際はきっと男を呪って死ぬ。
「なんかあったら俺に言えよ」
サケヤ上忍は少しだけ声を低くしてそう言った。俺はその優しい人の頭に包帯を巻き終え、有難うございますと感謝を述べる。サケヤ上忍は自分の黒い髪の上に巻かれた包帯を少し気にしながら、この戦は長引くかもしんねぇから、と小さな声で付け足した。
最初からここは激戦に、そして長期戦になるだろうと言われていた。敵国は大金を注いで霧隠れの忍を大量に雇っていたし、現地の人々も怨恨が溜まりすぎていた。それほどここは長いこと争い合ってきた土地なのだ。かつてこの地で繰り広げられたいざこざを全て生徒達に教えようとしたら、それだけで歴史の教科書は一杯になってしまうくらいに。何せ俺が生まれる前どころか、木ノ葉が創設されるずっと前からここは泥沼の戦争を続けているのだから。
勿論何度も休戦はあった。それでもすぐに再戦されるのは宗教問題が絡んでいるからだ。つまりここは勝っても負けても遺恨が残る極めて不毛な戦場であり、完全に火種を消すには敵の、一般人を含めた敵の完全な殲滅しかなかった。
勿論綱手様も奈良隊長もそれを望んでいない。しかし宗教が絡む以上手の打ちようがないのが現状だ。だから余計に長引く。
「うみの。テメー包帯巻く程度でどんだけ時間くってんだ」
不機嫌な声が外から聞こえ、俺は腰を上げる。サケヤ上忍はあからさまに眉を顰めた。
「じゃ、俺行きますね」
頭を下げるとサケヤ上忍はもう一度、なんかあったら俺に言えと心強い言葉をくれる。本当に優しい人だと思う。
テントを出ると小隊長が腕を組んで俺を睨んでくる。
この人はカゴタという名の上忍で、どうやらあの男と以前揉めたことがあるらしく矢鱈と俺を敵視している男だった。何せここに赴任して来た俺を見て、開口一番「写輪眼のオンナか」と吐き捨てたくらいだ。自分が周りからそんな目で見られていたのかと驚いたが、それよりも俺は被害者なのにと思わずにはいられなかった。オンナではなくあの狂人の被害者だと、お前とあの男に何があったのか知らないが俺が一番の被害者だと叫びたくなった。
とにかくカゴタは俺を敵視し、懲罰として戦場任務に回されたと周囲に思われている俺に厭味を言ったり、くだらない雑用を無闇に押し付けたりと毎日俺苛めに精をだしていた。小さい男だと思う。いや、それよりもあの男のせいで死ぬ間際まで馬鹿げたことを言われるのが腹立たしい。こんなところまで来てあの男に苦しめられると思うと、ほとほとうんざりする。
本当に、殺したかった。これほどまでに殺意を抱いたことはなかった。九尾に両親や大切な人を奪われた時なんかよりも、ずっと禍々しくて頑なな憎悪と殺意だった。それに九尾の件は自分の中で区切りを付けているのに対し、この憎悪と殺意は一生消えることはない。
それほどまでに憎い。あの男が憎い。俺にここまで醜い殺意と憎悪を抱かせたあの男が憎い。
前線に回されてから三日ほど経ったある日、俺は山中副隊長に呼び出された。いのいちさんに会うのは久し振りだし、見知らぬ外周りの戦忍が多い中、俺を気にかけてくれた人に会うのは嬉しかった。もうすぐ俺は死ぬから、最後の挨拶になるんだろうなとぼんやり思った。
副隊長のテントに行き、うみのですと名乗る。入りなさいと中から声がして、俺はそこに足を踏み入れる。俺達が寝起きしているテントよりも一回り大きなそこはとても綺麗に片付けられており、机の上には花まで活けられていた。そういえば「いの」の家は花屋だったなぁと思い出す。いのいちさんも花が好きなんだろう。
「何があったのかね?」
いのいちさんは、まずそう問うた。
「色々事情がありました。察してください」
俺は決まり文句のようにそう答えた。どう想像されても良い。サケヤ上忍が言っていたように女関係で刃傷沙汰を起こしたとか里の運営費を横領したとか、そんなことを勝手に想像してくれて良い。ただ、教え子に手を出したとかそんなんは流石に嫌だなぁと思ってちょっとだけ苦笑した。
「私の手紙は届いていたかね?」
「手紙?」
「私は君に三通手紙を書いている。それは届いているかね?」
届いていない。いのいち上忍からは最後に受付で会った時以来何の音沙汰もなかった。
「返事がないので心配して、式を送ったこともある。それは?」
届いてない。いのいち上忍の式が途中で無くなるなんてことはありえない。上忍の式なのだ。下忍が作るようなすぐに雨で駄目になったりチャクラが切れたりする式ではないのだ。
となると、誰かに揉み消されたとしか思えない。勿論その誰かとはあの男に決まっている。あの、俺を付け回し俺を性玩具にしていたあの屑。俺をここまで汚し俺を死に至らしめるあの屑。
「これは私の責任であるようだ」
いのいち上忍は重く溜息を吐いて項垂れた。
「副隊長には何の関係もありません。私がここに来たのはそれなりの理由があるのです。手紙や式のことは……心当たりはありますが、それも副隊長には何の責任もありません」
全てはあの男。あの男のせいだ。全部全部全部!
「すまない」
いのいち上忍は俺を見詰めて小さな声で謝った。それがどういった意味の謝罪なのか分からず、俺は困惑する。式や手紙のことならいのいち上忍に罪はない。
それでもいのいち上忍はもう一度俺にすまないと言った。世の中の咎を全部背負ったような、怖いくらい沈痛な面持ちで。いや、その表情は沈痛な面持ちと一言で片づけられるものではない気がした。とても大切にしていた仲間を目の前で突然喪ってしまったかのような。……そう言えば前にも一度この人のこの表情を見た気がする。
「君と奴の間に何があったのか、君が何故ここに来たのか。それを思えば全ては私の責任だろう。あの時私は上に報告すべきだった。しかし、奴の」
「ちょっと待ってください、何の話ですか?」
「カカシだろう? 君を追い込んだのは」
いのいち上忍は疑問の形を取りながらもハッキリと断定している口調でそう言った。
カカシ。
はたけカカシ。
何故その名がこの人の口から――あの時? あの時……そうか。
「貴方は俺の記憶に何を視たのですか」
場合によっては本当にこの人の責任か。この人はあの男の異常性を知ってそれを放置していたというのか。何かあったらすぐに言え? 言えるわけない! 俺は脅されていた! あの屑に、あの屑に、リョウを殺す、子供達を殺す、大切なものをみな奪うと言って脅されて、そしてずっと俺は好き勝手に身体を弄られ、苦しんで!
怒りに我を忘れ罵声を浴びせかけた時、鋭い警笛が鳴った。
「――敵襲!」
よりによってこんな時に、奇襲!
「配置に戻れ、必ず生き残れ! 話はそれからだ!」
必ず生き残れ? 馬鹿か。
そう吐き捨てる寸前で何とか思いとどまり、テントを出て走る。俺はここに死にに来た。彼がどんな話をしようとどんな記憶を視たのであろうともう関係ない。俺はあの男によって穢され、もう駄目になった。俺の魂は憎しみで真っ黒になって、もうどうしようもないところまで来てしまった。殺したくて殺したくて仕方なくてそれでも殺せなくて、俺はここに死にに来たんだ。生き残るつもりなど微塵もない。
敵の奇襲で木ノ葉は大きく崩れつつあった。誰も彼もが応戦するのに精一杯で焦っている。大所帯だから余計混乱し、一人、また一人と仲間が倒れていく。それでも一度引いて態勢を整えるという奈良隊長の指示は行き渡っていたし、弱い者から先に徐々に撤退しているようだった。
俺はカゴタ小隊とサケヤ小隊と一緒に殿に付いた。逃がすまいとする敵を蹴散らし、撤退すると見せかけてトラップを張りまた戦う。中忍の身に殿は流石に荷が重く、ああ、ここで死ぬんだなと思った。本望だ。こうして里の仲間を一人でも多く助けるために死ぬのなら、ナルトもサクラもサスケもその他の子供達にも「イルカ先生は里のために戦って死んだ」と思われるのなら、本望だ。
クナイを避け忍刀を躱し、術から逃げる。それでも敵の追撃は凄まじく、俺はボロボロになる。
同じく殿を務めていた小隊の中の一人がやられた。
「うみの、お前、やれるか」
瀕死の仲間を背負ってカゴタが言う。
「やれます」
「こいつを医療班のところに連れて行ったら必ず戻る。それまでなんとか持ちこたえろ」
分かりましたと答えた。
カゴタが消えると当然のことながら状況は更に厳しくなった。一人二人討ち漏らし、それでも必死で戦う。討ち漏らす数が増え、一緒に殿を務めているサケヤ班にも負傷者が出る。緊張と酷使で膝が笑い、クナイを握る手も痙攣が始まった。いや、何よりもチャクラの残量が厳しくなっている。
トラップを使ったり大きな術を使って時間を稼いでも、すぐに敵はやって来た。死神の鎌が光っているのが見えるようだ。もうすぐ俺もあの鎌で刈られるのか。そう言えばカゴタが遅い。
「うみの、退け!」
遠くで声がした。その声に従い後方に下がろうとした時。
妙な術を使われ、酷い眩暈を感じた。
幻術だと思っているのに解除できない。何人殺しただろうか、もうそろそろ死んでも良い頃か、でも最期にこの敵だけは殺しておこうか。眩暈がする。血を出し過ぎたか、それともこの幻術のせいか。
「――死ね」
一人の女が、俺にクナイを突き刺した。どうしてか時間が止まったように感じられ、クナイの切っ先が胸の肉を裂いてそのまま強引に押し入ってくるのがハッキリと分かった。眩暈を感じ丁度足元がふらついたので、急所から少しズレているのが笑える。ちゃんと刺せば良いものを、なんて中途半端な位置に。ああ、でもこれで死ねる。
「お前も死ね」
最期の力を振り絞って、女の首を掻っ切る。ぱっくりと裂けた首から滑稽なほど血が噴き出し、俺は血のシャワーを浴びる。人の血液は温かく、俺はそれを感じながらゆっくりと倒れる。そう言えば、カゴタは結局戻って来なかった。アイツは俺のことを嫌っていたから、きっと俺を殺したかったんだろう。俺があの男を殺したかったように。
殺したかった。本当に。
あの男を殺したかった。
「はい、トドメ」
「捨てておけ、どうせ助からん。それよりも敵を追え」
敵の声と足音。それから、悲鳴と怒声、血の噴き出る音、人間が死ぬ音。凄い量だ。何人殺してる?
――悲鳴と怒声? 誰が誰を殺してる?
「イルカ先生!」
チャクラが流れてくる。誰のチャクラだ? これは誰の声だ? 分からない。でも傷口に止血剤を詰めているのは分かる。痛みもないのに、そんなことばかり分かる。
目は開かない。でも音だけはいやに鮮明に耳に届く。
「イルカ先生、死なないで!」
泣き声。誰の? 生徒? それよりも俺は死にたいんだから余計なことはしてくれるな。この上なく迷惑なんだ。
なんだ、何をするんだ? 肉と毛の感触。大きな身体、温もり。この匂い、犬?
「イルカ先生を運べ。命に代えてもこの人を守り抜け! お前らが全滅しようとも、この人だけは絶対に守れッ!」
泣き声。
本当に、助けてもらうのは迷惑だ。ここに打ち捨てておいてくれ。
文句を言おうと重い瞼を僅かに開ける。
「やっと解放してあげられる! やっとこの人を自由にしてあげられる! 俺は、この人を、解放して――」
俺の目に映るのは、俺が最も殺したかった銀髪の男で。
その男は、滂沱の涙を流しながら嬉しそうに笑っていた。ガタガタと震えて泣きじゃくりながら笑っていた。
やっぱり狂ってるんだ。
「愛してる愛してる愛してる。本当に好きだった、本当に好きだった本当に……アンタのことが好きだった。ごめんね一杯ごめんね。でももう終わるから。全部終わるから!」
終わる? 何が?
俺はお前を殺したい。
「行け! 絶対にその人を殺させるな、命に代えて守り切れ! 行け!」
泣き喚く男の命に従い、俺を乗せた犬が走り出す。
男はそれを見て泣きながら狂喜し。
たった一人で敵陣の中に嬉々として乗りこんで行く。
そこで俺の意識は暗闇に飲まれる――。