キノコの傘の上で二人で寝転び、月のない夜空を見上げながら新しい友達とおしゃべりをするのは楽しかった。虫の声も森の音も、もう全然気にならない。二人でくっついてひとつの毛布を分け合い、はみでた足が寒いからと互いの足をからめたりした。
「ねぇイルカ。さっき思ったんだけどさ、イルカのお父さんって、イルカのこと最後まで信じてたんじゃないかな」
そろそろ眠くなってきた頃、カカシが俺の髪を指でモジモジしながらそんなことを言い出した。
「そんなわけない。父ちゃんは、俺が女の子をいじめるような奴だって思ったから俺を殴ったんだ」
「違うよ。たった一晩だけど、俺はイルカはそんな奴じゃないって分かった。信じることができた。それなのに、イルカのお父さんがイルカを信じきらないはずがないんだ」
「だって!」
「最後まで聞きなよ。きっとイルカのお父さんは、イルカの様子を見てこれは何か事情があるなって察したんだよ。でも、それこそ話に決着を持たせなくちゃならなかった。大人はみな、随分感情的になってたようだからね。だからイルカに合わせて一芝居打ったんじゃないかな?」
思わぬカイシャクに俺は目を見開いた。それは……本当によそうがいのカイシャクだ。そんなこと思いつきもしなかった。
「だって考えてみなよ。この季節に水遊びなんて無理があるし、ひとりの女の子だけをそこまでビショ濡れにさせるなんて理由があるに決まってるじゃない。うみのさんならその時点で大体察してたと思うよ。それにイルカは気に入らないからって苛めをするような子じゃないのに、変な嘘まで吐くんだもん。うみのさんはそれ以上話がこじれないように、一芝居打ったとしか思えない」
「父ちゃんのこと知ってるのか?」
へんな口ぶりだったので、そうやって訊いてみた。
「知ってる。あの人は智将だよ、絶対に芝居だったんだよ」
「なんで知ってるんだ?」
「任務で一緒だったことがある」
見栄っ張りのカカシは、どうやら自分が忍者だというセッテイで通すようだった。バカだな、こんな小さな忍がいるわけないのに。
でも父ちゃんのことは、確かにカカシの言う通りかもしれない。あの時、父ちゃんはあの場をおさめようとしてくれたのかもしれない。日向さんのオシッコの件について俺が口を割らない以上、あの時はもうどうしようもないジョウタイだったし。
「うみのさんはイルカを信じてたよ。イルカがうみのさんを信じなかっただけ」
カカシの言葉がグサリと胸につきささる。
えらそうなこと言ってたのに、俺が『信じる』ってことをできてなかったのかもしれない。
「信じるってむずかしいな」
俺はすなおにハイボクをみとめた。
「難しいね。とても難しい」
オバケのカカシは、さみしそうな声でそうこたえた。
それから二人で口を閉じて、ちょっとだけしんみりした。
森が音を立ててもオバケのカカシが隣にいるんだからもう怖くないけれど、正直に言ってしまうと急に父ちゃんと母ちゃんが恋しくなってしまった。まるで小さな子供みたいに。
「俺、家に帰ろうかな」
「ん、そうしな」
「カカシは成仏できそうか?」
「成仏なんかしないよ。俺は死んでないもん」
まだ自分の死をみとめられないみたいだなと思い、俺はあわれなカカシをぎゅっと抱きしめてやった。
「ねぇイルカ。俺たちの未来にはこの先、辛いことや苦しいことがたくさん待ち受けていると思う。人生ってそういうものだから。でも俺、今日のことは絶対に忘れないよ」
カカシはそう言って、俺のことを抱きしめかえしてくれた。
毛布はひとつだけど、二人でいると温かい。長みみうさぎの枕を二人で分け合って、目を閉じる。
なんだかぐっすり眠れそうだ。
「イルカ、ありがとう。今日はとてもたくさん、とても大切なことを学んだ」
オバケのカカシはやさしい声でささやいて、ずっと俺の髪をなでていた。
次の朝に目を覚ますと、オバケのカカシは消えていた。
オバケなんだからしょうがないけど、俺はすごくさみしいって感じた。アイツは良いヤツだったし、せっかく友達になれたのにって。
朝ごはんをひとりで食べると荷物をまとめてキノコの森を出る。その時に大きな声で「カカシ、成仏しろよ!」って叫んでやった。友達だからこそ、成仏を願わなきゃならないんだ。うん。
それから木ノ葉にもどると、俺は父ちゃんと母ちゃんが待ち受けている自分の家に帰った。もちろん大説教をくらったけど、それは俺を心配してひとばんじゅう泣きぬれていたらしい母ちゃんのことを思えば、甘んじて受け入れるしかない。母ちゃんごめん。
俺は大説教をくらいながら、父ちゃんの超高速オウフクビンタを五十発くらいくらった。これは俺がよそうするに、母ちゃんを泣かせたぶんが三十発、父ちゃんのクナイをかってに持ち出したぶんが二十発だろう。
そう、日向さんのことは入ってない。
「それから昨日の件だがな。イルカ……男が意地になる時は、何かを守る時だな?」
大説教が終わったあと、超高速オウフクビンタで顔がパンパンになった俺に、父ちゃんはきびしい声でそうしつもんした。きびしい声っていうのは説教の時の声とはちがう。そういうんじゃなくて、すごく大事なことを言ったり話し合ったりする時の声だ。
俺はせすじをしゃんとして大きくうなずき、父ちゃんをにらむように見すえて答えた。
「男がイジになる時は、なにか大事なモンを守る時だ」
父ちゃんはぐっと俺を見る目に力を入れたけど、俺は正々どうどうとして腹に力をこめた。
本当は言いたいことがたくさんあった。男がイジになる時は、自分の誇りを守る時と、人を守る時と二通りあることは知っている。だから父ちゃんに『イルカは自分の誇りを守るために女の子に水をぶっかけた』なんてかんちがいされたら、たまったもんじゃないからだ。
でもいろいろ言いたいのをぐっとガマンして、俺は父ちゃんを信じることにした。こういう時はいろいろ言っちゃいけないんだ。いろいろ言ってしまったら、全部が全部、かるがるしいものになってしまうから。俺のイジも、父ちゃんを信じるって気持ちも。
「よし」
父ちゃんは俺を見て力強くうなずいた。そのキッパリしたもの言いと俺を見る自信のこもったまなざしで、俺は父ちゃんに全部伝わったことをリカイした。たったこれだけのやりとりで、俺と父ちゃんは分かりあってしまったのだ。
父ちゃんは昨日のことにかんして、カクニン作業をしたにすぎない。つまり、父ちゃんは俺を信じてくれていたし、オバケのカカシの言う通り昨日は芝居をしたにすぎない。
ものごとをおさめるために、そして俺が守りたかったものをキチンと守りぬくために。
とてもじまんげな気分になった。あんなことがあっても父ちゃんに信じきってもらったことは、ふんぞり返りたいくらい誇り高い気持ちになれたんだ。
ただその日の夜、ちょっとふしぎなことがあった。
俺がパンパンにはれたホッペを氷で冷やしながら『キノコの森で会ったオバケのカカシ』の話をしていたら、父ちゃんと母ちゃんのようすがひどくおかしくなったんだ。母ちゃんはほとんど泣きそうな顔で俺を見るし、父ちゃんはなぜか怒ったみたいな顔をしはじめるしで、本当にイミが分からなかった。だから俺は話をとちゅうで終えて、自分のへやにひっこむしかなかった。
そんで、夜中にベンジョに起きた時だ。
どこかから父ちゃんが俺をよんだから行ってみたら、父ちゃんはえんがわでお酒を飲んでいた。それで俺を膝にのせて、オバケのカカシの話をしろと言ってきた。怒られるのかなぁって思いながらも俺がカカシとのあれこれを語っていると、急に父ちゃんが俺を抱きしめたんだ。全身のホネがバラバラになるんじゃないかって思うくらい強く、長く、ばくはつ的に。
父ちゃんの体はすごく熱くて、どうしてか小さくふるえていた。こきゅうもヘンになっていて、泣いているのか怖がっているのか怒っているのか、俺にはハンダンできなかった。ただ父ちゃんは、本当にばくはつしちゃいそうな何かを、ひっしでとどめているんだってことは分かった。
だからホネがバラバラになっちゃうかもって思いつつ、俺は「痛い」とか「苦しい」なんて言わずに父ちゃんの好きなようにさせておいた。
空気がつめたく、いやにさむい夜だった。
空にはハリガネみたいに細い月が、いじわるそうに浮かんでいた。それにふしぎなことに、今日は任務に行っていたはずの父ちゃんから線香のにおいがしていた。
次の日から俺はアカデミーにもどった。日向さんが俺の顔を見るやいなや「ごめんね」って泣きそうな顔で言ってきたから、俺は「おう」とだけ返しておいた。それだけでじゅうぶんだ。
その後も何度か家出をしたけど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、俺は大人になっていった。
カカシが言っていたように、未来には辛いことや苦しいことがたくさん待ち受けていた。九尾の事件もあった。たまらなくなって、赤ちゃんみたいに泣いたこともある。
でもそういうことを積み重ね、乗り越え、やりすごし、必死になって少年時代を終えていったんだ。
そして大人になるにつれ、ちょっとずつ、ちょっとずつ、俺はオバケのカカシのことを忘れていった。