春日美代 木乃実和歌 土岐浦涼子 瀧野梨香 本城寿美 堀田皐月
第1章 5月の私達
春日美代
春日は同じクラスの深海春樹が好きだった。
可愛く笑うこのクラスの人気者は、誰にでも優しく、そして元気一杯の男子だった。顔も格好良いし、性格も明るい。すらりとした手足、褐色の肌と引き締まった筋肉がほどよく付いている身体、サラサラした黒い髪にアーモンド型の黒い瞳、そして子供のような笑顔と時折見せる大人びた表情。
春日は深海が大好きだった。1年の頃から大好きだった。
でも、1年の終わりに告白して、フラれている。
「ゴメン」
その時深海は片手を上げて謝るポーズをし、サラリと春日の告白を断った。なんの躊躇もなく、そして告白時の妙な重々しさもなく、言葉通りサラリと春日の気持ちを断った。
確かに深海は人気があり、女の子からの告白にもそれの断り方も随分慣れている様子だった。春日は別にこれといった特徴もない自分が深海と付き合えるとは思っていなかったのだが、ただ自分の気持ちを伝えたかったのだ。
そして、案の定あっさりと深海にフラれた。
しかし春日はその時、深海にフラれてショックだったわけではなく、何故か更に深海を好きになった。
(深海君はきっとまだまだ格好良くなるわ)
春日は自分の瞳を覗き込む深海を見ながら、真剣にそう思った。
「美代ちゃん、帰ろう」
放課後、春日の友人の木乃実がいつものように席にやって来る。彼女は春日の幼馴染で、そばかすだらけの顔をした背の低い生徒だった。
「和歌ちゃん、深海君見て見て!」
春日が指した方向は廊下側後方の深海の席だ。深海は秋佐田と将棋を指し、上を向きながら将棋の駒を額に乗せて両手を胸の前で組み、何やら怪しげな呪文を唱えているところだった。
「深海君、また負けてるのかな?」
木乃実がクスクス笑いながら言う。
「深海君っていつも面白いよね。アレ、何のお呪いなんだろうね」
春日は深海が何をしていても可愛く感じるのだ。
木乃実和歌
学校の帰り、木乃実は春日の家に遊びに行った。
春日にいれてもらった熱いコーヒーを飲みながら、木乃実は考える。
(どうして深海君は美代ちゃんの告白を断ったのかしら?)
木乃実は不思議でしょうがない。
確かに深海を狙っている生徒は沢山いるが、しかしその中でも春日は充分可愛らしかった。白い肌にピンクの唇、少しクセのある肩までの髪と大きな瞳。自分とは違い、少々しもぶくれの感があるにせよ春日は充分可愛い。
(深海君は、きっと美代ちゃんの事を何も知らないんだわ)
木乃実はそう思う。深海が春日をフった理由はそれしかないと思っている。
部屋の片隅にある金魚鉢を見ながら、木乃実は3年前の夏祭りの夜を思い出した。
あの夜、木乃実と春日は浴衣を着て縁日に行った。前日に降った雨のせいか、蒸し暑い夜だった。
屋台を見ながら歩いて行くと、春日が金魚すくいをやりたいと言った。木乃実は金魚なんていらないけれど、それでも春日がやると言うので、自分も一回だけやってみようと思った。
春日はすぐに網を破いてしまい、金魚すくい屋のお兄さんに2匹だけ赤い金魚を貰った。
「和歌ちゃん。がんばって!」
隣で春日が両手を組み、声援を送ってくれる。木乃実は春日が黒い金魚を狙っていたのを知っていたので、自分もそれを狙った。
子供用プールみたいな中で泳いでいる金魚達。その中から隅にいる小さくて黒い金魚を見つけて、網を入れる。左手のカップを近づけて、そこに移すように黒い金魚をすくった。
「和歌ちゃん凄い!」
春日が喜んだので木乃実はもう一匹黒い金魚を狙ったが、網は破れてしまった。金魚屋のお兄さんに赤い金魚を2匹もらい、木乃実と春日は立ち上がる。
「これ、美代ちゃんにあげる」
黒い金魚が入った自分のビニール袋を差し出しだすと、春日が驚いて首を振った。
「和歌ちゃんが捕ったんじゃないの」
「いいの。私は金魚いらないし」
自分の部屋には熱帯魚の水槽がある。
「いいの?」
「いいよ」
木乃実は自分のビニール袋を渡し、嬉しそうな春日を見てまた歩き出した。
祭りの帰りに、お店の人がいない屋台にたむろしている若い少年達を見た。
彼等は7.8人で、年齢は15〜18歳程度。感じが悪い様子で、道行く人々は皆彼等を避けて歩いていた。木乃実は彼等を見ないように道の脇を通る。春日が気にしているようなので、彼女の浴衣の裾を引いて人ごみの中を進んで行った。
彼等の下品な笑い声がする。それは周りの人間を意識した、『力』を誇示するような笑い方だ。木乃実は彼等の方を全く見ず、なかなか進まない春日の浴衣のすそをもう一度グイと引く。
「やめなさいよ!」
突然春日の大きな声が辺りに響いた。
木乃実が驚いて春日の浴衣の裾を放すと、彼女は少年達の方を見てもう一度大きな声で言った。
「やめなさいよ!!」
木乃実が少年達の方を見ると、そこには箱に入った小さなウサギ達が小さく震えていた。髪を赤く染めた1人の少年は、右手に一羽のウサギ、左手に小さなナイフを握っている。
木乃実は春日の手を持ち、強く引っ張った。
(こんな奴等に関わったらいけない。何をされるか分からない)
しかし強く引っ張っても春日は動かない。
「やめなさいよ!!」
春日はまた同じように叫んだ。
周りの人間が、シンとして少年達を見ていた。当の少年は、呆気にとられたように春日を見ている。まさか自分が、こんな中学に入ったばかりの女の子に怒鳴られるとは思っていなかったのだろう。
「やめてよ」
春日が小さく言う。その声は震えていて、大きな瞳は涙で濡れていた。木乃実は、春日が彼等を怖がっている事を知った。しかし、それでも彼等に「やめなさい」と言える彼女を心底尊敬した。
春日の涙のせいかそれとも大きく強い意志をもったその声のせいか、周りの大人達も彼等から視線を外さずキチンと注意を始め、彼等はつまらなさそうにその場を離れて行ったのだった。
「…美代ちゃん」
あの日、自分は何もできなかった。彼等を見ないように歩いたし、それに見たってきっと何も言わなかった。
「美代ちゃん」
「なに?」
私なら、「やめなさいよ」なんて言えない。きっと絶対言えない。
「頑張ってね」
木乃実の言葉に、春日は首を傾げつつも頷いた。
木乃実は思う。
深海君は美代ちゃんの事を何も知らないに違いない、と。
瀧野梨香
瀧野は今日も自分の長い髪を左手で弄んでいた。
腰の少し上まである黒い髪は彼女の自慢だったが、それは確かに同じクラスの楠田の髪と比べても遜色がない程美しかった。
彼女が髪を伸ばし始めたのには大きな理由がある。
彼女の身体は、あまりにも痩せすぎているのだ。
食べても食べても太らない体質の人間はいるが、彼女は物をあまり食べる事ができない体質だった。胃が小さいのか、それとも元々の体質なのか、とにかく瀧野は人一倍食べるのが遅く、そして小食だった。そのため身体はあまりにも細く、瀧野は自分の身体を恥じていた。
だから、最初はこの身体を少しでも隠そうと思い伸ばし始めたのだ。
しかし瀧野の髪は烏の濡羽色のように美しく、誰もが彼女の髪を誉めだした。そして瀧野は自分の髪が好きになり、身体の悩みも少し楽になった。
「お腹空いた?」
土曜に友人の土岐浦と映画を観に行った帰り、そう訊かれた瀧野はコクリと頷いた。食べるのが遅い瀧野は人と一緒にモノを食べる事を極度に嫌っていたが、それでも土岐浦とは一緒に食べる事ができた。何故なら土岐浦は、「スープが冷めるよ」とも「ご飯が冷えるわよ」とも「ねぇ、まだ?」とも言わないからだ。勿論「早くして」とも言わないし、「どうしてもっと普通に食べる事ができないの?」とも訊いて来ない。
土岐浦は瀧野が食べている間も何一つ文句のない顔をするので、瀧野は自分のペースで食べる事ができるのだ。
どの店に入ろうかと迷っていると土岐浦が「ここは?」と指差す。そこは小奇麗な店のようだったので瀧野は頷いて扉を開けた。
店の中に入ってメニューを見る。
土岐浦は決めるのが早いけれど、瀧野は遅い。うだうだと考えながらメニューを見て、ミックスサンドとホットコーヒーを頼んだ。
「岬杜君、最近学校にちゃんと来るよね」
待っている間、瀧野が左手で髪を弄びながら言う。
「そうね。瀧野さん嬉しいでしょう?」
「嬉しいわ。岬杜君を好きになったからって、学校へ行くのがこんなに楽しみになるなんて何だか不思議な気分」
両肘をテーブルについて岬杜の話をする瀧野は、傍から見ても本当に楽しそうだ。
岬杜は文句のつけようがない。人と接しようとしないその態度も、クールさも、彼の個性だった。瀧野だって最初は噂で伝わってくる岬杜を雲の上の存在だと思っていたのだ。しかし、2年になって初めて同じクラスになり、初めて近くで見る岬杜は想像以上の存在だったのだ。それは、瀧野の「理想の男性」すら軽く超えていた。
「岬杜君って、最近深海君と仲が良いみたいだよね?深海君は岬杜君の声、聞いた事があるのかしら?」
岬杜は誰とも話さないのは有名な話だ。態度は別に高飛車なふうでもないのに、彼は誰とも口を利かない。
「岬杜君は深海君と出会ってから少し変わったわ。今度瀧野さんも話し掛けてみたら?」
「そんな勇気ないわよ。それより、彼は深海君と出会って変わったの?」
「私は変わった気がするわ」
どこが?と訊こうとしたところで、ミックスサンドが運ばれてきた。
瀧野は話を止めて「いただきます」を言ってから、なるべく早く食べようとトマトとレタスが挟んであるのに手を伸ばす。土岐浦はいつも何も言わないで自分が食べ終わるのを待っていてくれるけれど、それでも瀧野は気になっていた。
彼女は気にしすぎている。
が、彼女は他人から「トロクサイ」と思われているのを知っていたし、そして、自分のその「とろくささ」により他人に負担を掛けるコトを気にしているのだ。
土岐浦涼子
土岐浦は目の前でミックスサンドを食べている少女を見ながら、食後に運ばれてきた香の良いホットコーヒーを飲んでいた。
(たったこれだけのモノなのに)
目の前で瀧野が小さく口を開けて、パンを噛んだ。
(もっと大きく口を開ければすむコトなのに)
瀧野は小さな口で食べ、ゆっくりと、そして何度も咀嚼する。口の中のモノを嚥下すると、今度はまるで深呼吸するかのように数回息を吐く。食べるという行為があたかも大仕事のようだ。
(とろくさい子)
それは土岐浦の本心だった。一緒にいて、何度もそう思ってきた。けれども土岐浦は瀧野と一緒にいる。
今日も明日も明後日も。
きっと。
1年の時に初めて瀧野と同じクラスになった。瀧野は俯きがちな少女で、常に1人だった。
学校のcafeで、たまたま隣になった時の事である。
土岐浦が数人でランチを食べていたら、たまたまその時の友人が瀧野に話し掛けた。瀧野は微笑みながらも友人の言葉に応え、今度一緒に遊びに行こうという話になった。瀧野はその誘いに、はにかみながらも頷いた。
そして次の日曜に、瀧野は来た。
自分達は普通に歩いているのに瀧野は何故か遅れまいと必死で、土岐浦は彼女が最初から気になっていた。
そして、お昼に食事をした時だ。
瀧野が頼んだメニューが、よりによって最後に運ばれてきた。彼女は彼女なりに必死で食べていたけれど、やはり料理は中々減っていかない。瀧野以外のメンバーが食べ終えた時でも、彼女の料理は5分の一も減っていなかった。
「ふぅ」
その時誰かが何気に溜息を吐く。
同時に瀧野の顔色が変わった。
別に瀧野に向かって嫌味で溜息を吐いたわけではない。彼女達は瀧野と初めて食事をしたのだし、他人の食事のスピードをわざわざ気にする人間などあまりいないものなのだ。にも関わらず、瀧野は途端にフォークを置いた。
「ごちそうさま」
土岐浦はその震える声を聞きながら、瀧野が今までどんな事を言われて育ってきたのかを知った。
土岐浦が瀧野と一緒にいるのは、同情心からか。
いや違う。
瀧野は瀧野で、良い所が沢山あった。
決めるのに時間がかかるが何でも自分で決める事ができる子だったし、土岐浦と価値観や嗜好、好みが似ていた。物事を落ち着いてしっかりと考えているようだったし、第一優しい子だった。土岐浦は瀧野が持つ様々なコンプレックスよりも、彼女の良い部分をもっと見たかった。
(とろくさいけれど)
土岐浦はコーヒーを混ぜたスプーンを見ながら、少し微笑む。
(……それくらいじゃ嫌いにはなれないのよね)
瀧野とは価値観が似ている。良い所も沢山知っている。そして、滝野は土岐浦が自分で選んだ友人なのだ。
「岬杜君って、以前はもっと無表情だったのよ」
サンドウィッチを食べている目の前の少女を見ながら、土岐浦は話だす。彼女は昔、岬杜と同じクラスだったのだ。
岬杜の話を興味深そうに聞いている瀧野を見ながら、土岐浦は心の中で苦笑した。
(この子が岬杜君への想いを打ち明けた時、どうして私は――)
瀧野と土岐浦は価値観や嗜好、好みが似ている。
そう。
瀧野は何も知らないけれど、土岐浦も岬杜が好きだった。
本城寿美
本城は同じクラスの堀田が大嫌いだった。
成金っぽくて、下品で、嫌味な感じがして、それでいて本城の事を嫌っている堀田が大嫌いだった。持っている鞄も財布も悪趣味だ。
「皐月さんおはよう。今日の化粧は何センチ?」
朝一番に嫌味を言ってやる。
「あら本条さんおはよう。今日の化粧はアナタの情と同じ位薄いわよ」
朝一番から嫌味を返される。
(このクソ女!)
本城はこの堀田皐月が嫌いでしょうがない。自分が親にせがんでバッグを買ってもらっても、次の日に彼女は更に良いバッグを持ってくる。私よりブスなくせに、私よりスタイルが良い。私よりバカなくせに、私より友達が多い。そう思っている。
本城は、体育の時間に堀田と同じチームになったのがイヤでしょうがない。
「ちょっと本城さん。ボール見えないの?ボール」
ちょっとサーブが入らなかったくらいで、嫌味を言われる。
「ちょっと皐月さん。ボール見えないの?ボール」
相手のレシーブミスを、すかさず突っ込んでやる。
「あ、苅田君」
堀田が運動場を見て呟いたので、本城は慌ててその方向を見た。けれどもそこには、苅田の姿どころか誰一人として見えない。堀田がフフンと癪に障る笑い方をしているのが聞こえた。
本城は、ほんっとに堀田が嫌いなのだ。
堀田皐月
堀田は同じクラスの本城が大嫌いだった。
成金っぽくて、下品で、嫌味な感じがして、それでいて堀田の事を嫌っている本城が大嫌いだった。持っている鞄も財布も悪趣味だ。
「皐月さんおはよう。今日の化粧は何センチ?」
朝一番に嫌味を言ってくる。
「あら本条さんおはよう。今日の化粧はアナタの情と同じ位薄いわよ」
朝一番から嫌味を返してやる。
(ばーか)
堀田はこの本城寿美が嫌いでしょうがない。自分が親にせがんで時計を買ってもらっても、次の日に彼女は更に良い時計をしてくる。私よりデブなくせに、私より顔が良い。私より友達が少ないくせに、私より勉強ができる。そう思っている。
昼の休憩時に堀田が深海に話し掛けたら、どことなく本城がやって来て会話に加わってきた。
「深海君。今度どこかに遊びに行きましょうよ!」
堀田が深海を誘うと、本城が深海の隣の秋佐田を同じように誘っている。
「ねぇ深海君、秋佐田君も苅田君も緋澄君も、今度皆で何処かへ行かない?」
勝手に話を仕切りだした本城を見て、堀田は彼女の足を踏んでやった。
放課後、堀田が帰ろうと廊下を歩いていると、本城が後ろからやって来た。
「皐月さんって、深海君と苅田君両方狙ってるの?」
「狙ってるって何かしら?アナタ、男の子と話している女の子を全員そんな目で見ているの?」
堀田の言葉に本城はムっとしている。
「…低俗だわよ」
堀田が追い討ちをかけると、本城が一旦後ろを振り返り何かを確認してから呟いた。
「なによ。皐月さん食事のあとに爪楊枝でシーシーしてるクセに」
(してないわよ!!)
大声を出しそうになったけれど何とかそれを飲み込み、堀田自身も後ろを振り返った。
(誰もいないわね…)
確認してから、余裕な顔をして言ってやった。
「本城さんこそ、鼻かんだ後にティッシュを広げて中身を確認もしたりしてるクセに」
本城が顔を真っ赤にして睨んでくる。
「皐月さんって、寝ながら『ぷ〜〜スカッ』ってオナラするらしいわね!」
「本城さんこそ、『ハーックション!!っんたらこんたらこりゃ〜!!』って変なくしゃみをするらしいじゃない!!」
「堀田、本城!ばいばいぶー!」
『へ?』
思わず本城と声を合わせてしまった堀田は、2人を追い越して行く深海を見てポッカリと口を開けた。
「あ、あ、深海君ごきげんよう!皐月さんもごきげんよう!おほほほほ」
すかさず言う本城に合わせて、堀田も
「おほほ、深海君、本城さん、ごきげんよう!また明日!おほほほほ」
と、必要以上に大きな声を出して迎えの車に乗り込んだのだった。
(深海君にあの下品な会話を聞かれたかもしれない!これもあのクソ女のせいだわ!!)
堀田は、ほんっとに本城が嫌いなのだ。
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