吊り橋の上で
秋佐田鉄雄
暇だった。
何もかもがつまらなかった。学校もツレも女も、何もかも。毎日が同じように過ぎていく。つまらない、何の刺激もない毎日が。
その日も暇潰しになるような事は何もなく、毎晩蒸し暑い夜の街をダラダラと歩いていたら声を掛けられた。
「貴方、お金欲しくない?」
女の声に自然に振り返る。別に金なんて欲しくはなかったし、あえて言えば普通の高校生よりはずっと持っているのだが。
女は2人いた。2人とも腕を組み、まるで品物を見るような目で俺を見ている。背が高いほうの女は全身真っ黒な服を着ていて、もう1人は靴とベルト以外は真っ赤な服を着ていた。どちらも俺より年上のようだ。
「良いバイトあるわよ。どう?」
赤い服の女が言う。
俺は興味もなかったのでそのまま立ち去ろうとした。
「セックスするだけでいいんだけどな」
思わず振り返ると、赤い服の女はニヤリと笑って紙切れを差し出した。
携帯番号が書いてある。
「貴方、男の子とセックスできる?」
男?
「……腐れ女か」
俺は紙切れを破きながらその場を去った。
俺はホモじゃねぇ。
そんなに溜まってもいねぇ。
女だったらいくらでもいる。
何か楽しいコトねーかなと思いながら俺はブラブラと歩く。
それから一週間たった。
俺は相変らず暇で、相変らずつまらない生活を送っていた。学校でチンタラ授業を受け、メシを喰い、たまに女を抱いて家に帰って寝る。それを繰り返す。
クラスの奴には興味がなかったが、唯一俺の後ろの席の深海春樹とは話をした。
深海は笑顔の可愛い奴だった。いつも笑っていて俺を和ませる。しかし俺は深海とはツルまなかった。深海といつもツルんでいる苅田龍司が嫌いなのだ。苅田は常に人を見下すような笑い方をする奴だった。
「深海ちゃん、午後からどうする?」
昼の休み時間に、俺と深海が将棋を指していると苅田がやって来た。
「う〜ん。あのねぇ……うんとねぇ……」
深海は持駒を手の中で転がしながら何か言っている。今は俺が有利な状況なので、深海は次の1手に集中しているようだった。
「深海、次はお前の好きな体育だぜ?」
俺がそう言うと深海は「だったら勿論出席するぜぇ〜!」とか言いながら、手に持っていた桂馬を使った。俺の駒の動きを封じる中々良い手だ。
「深海ちゃんもしかして飛香落ちでやってもらってる?」
覗き込みながら言った苅田の言葉に、深海は少々ムっとして口を尖らせる。俺は深海のこうゆう子供みたいな表情が好きだ。
「だって秋佐田強いんだもん。俺、最初は2枚落ちでも勝てなかったんだよぉ」
そうなのだ。2年になって初めて深海を知り、席も並んだしで俺達は仲良くなった。深海は可愛い奴で俺がこのクラスで唯一心を許せる人間だった。深海の家に遊びに行った時偶然将棋盤を発見し、俺達は将棋仲間にもなった。この学校で将棋が指せる人間は少なく、俺は暇潰しに良く深海と将棋を指すようになった。しかし深海は俺より断然ヘタクソで頻繁に「待った」をかける。駄目だと言っても、俺は深海の「お願いお願い〜!」攻撃に弱く、何度もやり直すのだがそれでも深海は負けていた。仕方ないから2枚落ちで相手をするようになり、最近ようやく飛香落ちになったのだ。
「深海ちゃん、助けてやるよ」
苅田がそう言いながら深海の後ろに回る。どうやら参戦するらしかった。
苅田は深海よりずっと上手く俺は苦戦したが、大嫌いなコイツには負けたくなかった。苅田はニヤニヤしながら深海を後ろから抱き込み、ゴツイ手で深海の身体をベタベタ触りながら駒を進める。俺はそれがどうしても許せない。俺の可愛い深海が汚されるように見えた。俺は苅田を睨みながら手を進める。
「詰みだ」
結局俺が勝った。最後は俺と苅田の勝負になっていたが、深海はそれでも楽しそうに笑って見ていた。
俺がいつまでも深海の身体を抱いている苅田を忌々しく思いながらじっと睨んでいると、苅田がそれに気付き、挑発するような目で俺を見ながら深海の肩に口を寄せて軽く噛む。
「…最悪な奴」
深海はそんな苅田の行為に慣れているようで平然として駒を片付けているのだが、俺は我慢できなくなって聞こえるようにそう呟いた。それでも苅田は俺を見ながらニヤニヤ笑い、そして見せつけるように深海の綺麗な首筋にじっくりと舌を這わせた。
苅田は本当に最悪な奴だった。
俺は本気でコイツを殴ってやろうかと思った。
「苅田ぁ、お前俺の友達に喧嘩売ってんの〜?」
険悪な俺達を無視して駒を片付けていた深海が、ひょいと苅田を見る。
「秋佐田が俺に喧嘩売ったんだぜ?」
苅田がちょっと心外そうな顔をした。
確かに俺が先にコイツを睨んだんだ。
「秋佐田は俺の友達だよ」
「関係ねぇな」
「関係無いの?あ、そう」
深海の顔は笑っていたが、冷えた目をして苅田を見ていた。暫く2人はお互いを黙って見ていたが、やがて苅田が深海の髪をくしゃりと撫でて教室を出て行く。
俺は正直、深海が俺の味方についた事に満足していた。
そして苅田を黙らせる事ができる深海を尊敬した。
「秋佐田ごめんねぇ。苅田っていつもはあれほど嫌な奴ではないんだけど」
更衣室で着替えていると隣で深海がそう言った。
「深海が謝る事じゃないだろ」
俺も上着を脱ぎながらそう答える。
「苅田は普段人をからかう事はあっても、無闇矢鱈に人を挑発する奴じゃないんだけどなぁ〜」
深海は言いながらジャージを穿く。
俺は苅田がムキになった理由が分かっていた。今まで薄々感じていた事だが、今日それを思いっきり確信した。
俺達は、徹底的にソリが合わない。
それはどうしようもない事だった。例えどんな些細な事でも、俺は苅田がやることなすこと全てが気に入らない。そしてそれはアイツも同じだと思う。別に俺達の間に何か特別な出来事があったわけではない。ただ単に、お互いの存在が許せないのだ。
「秋佐田まだムカツいてんの?」
俺がイライラしていると、深海が上着を脱ぎながら訊いてきた。深海の身体は綺麗に焼けていて、そのサラサラした黒い髪と調和している。
「深海はなんであーゆう事されても平気なんだよ」
「だって別にあれくらい良いじゃん?あれ以上は何もして来ないしさぁ」
「アイツ、バイなんだろ?お前気をつけろよ」
深海はちょっと笑ってロッカーをゴソゴソやっている。
「秋佐田、苅田は両刀だけど強姦魔じゃないぜぇ」
「俺は深海が汚されるみたいで嫌なんだよ」
「苅田のことバイ菌みたいに言うなよ」
「別にバイだからどうとかって言ってるわけじゃねぇぞ」
深海が「駄洒落みたいだ〜」とか言いながらケラケラ笑った。
予鈴の鐘が鳴る。
深海は大急ぎで着替えようとした為か、一回目は服を裏返しに着て二回目は後ろ前反対に着て、只今三回目だ。
俺はこうゆう子供みたいな深海が大好きだった。
1人でわぁわぁ言いながら体育用のシャツと格闘している可愛い深海を見ていると、先程の苅田の表情が浮かぶ。アレは心底ムカツク顔だった。
「深海、首洗ったか?」
俺が言うと、やっとまともにシャツを着た深海がクスクス笑う。
「お前本当に苅田嫌いなんだなぁ」
「大嫌いだ。アイツも俺が大嫌いだと思うがな」
「困った人達ですね〜」
そう言って更衣室のドアを開けようとする深海の腕を、俺は咄嗟に掴んだ。
深海が驚いて俺を見る。苅田の顔がチラついた。
「どした?」
この深海を汚す苅田が憎かった。
「……消毒してやるよ」
俺はそう呟くと、自分よりも10センチ程背の低い深海を抱き寄せ、屈んでその綺麗な首筋に口を寄せた。深海の髪からは清潔な匂いがし、俺は苅田がしたようにその肩に軽く歯を立てる。腕を掴んで手首まで撫で、俺は深海の肌の感触を覚える。深海の手はまるでそこから力が溢れ出ているような不思議な感じがした。
肩から舌を這わせたまま首筋を上って耳元までゆっくり舐め上げる。なぜか俺は止まらなくなって、片手をシャツの中に潜り込ませ深海の背中に、その吸い付くような肌に自分の身体が反応しそうになった。
「秋佐田ぁ。お前、自分の大嫌いな苅田と間接キスしてるって分かってる?」
きょとんとしていた深海が、急にクスリと笑いながら言った。
「うげ!そうだった!!」
叫んだと同時に本鈴が鳴ったので俺達は騒ぎながら運動場まで走った。
走りながら、俺は深海とならセックスできるだろうなと思っていた。
その日の夜、ツレと遊びに行ってつまらない時間を過ごし、家に帰ろうとした時にまたあの女2人組に会った。
ウンザリする程暑くて、脳味噌がボケるんじゃないかと思う程暇な夜だった。
「あら、また会ったわね」
この前赤い服を着ていた女は黒いスカートと赤いシャツを着ていて、黒い服の女は黒いチャイナ服を着ていた。
「どう?バイトしてみない?」
赤い服の女が今日も俺を誘う。
無視しようかとも思ったのだが、何となく立ち止まる。
「可愛い男の子よ」
可愛い男の子……か。
俺はその時深海の笑顔を頭に思い浮かべた。
深海の首筋に舌を這わせた時、俺の身体は確かに反応しかけた。苅田が深海に対してどのような感情を持っているのか知らない。だが俺は苅田があのような行為をするのが許せない。俺の可愛い深海を汚すのが許せない。そう思った。
「本当はもう役決まったんだけど、私本当は貴方がいいのよ」
赤い服の女は言う。
「俺が勃たなかったらどうすんだよ」
「その時は諦めるわ」
俺は考えた。別に金が欲しいわけじゃない。しかしもう決まっている相手役の男から、俺がその「可愛い男」を奪ってやるのも面白い。そう思った。
俺はどうしようもなく暇だったのだ。
「一度その『可愛い男の子』を見てみたいけど」
もしそれが深海に似ていたら、この怪しいバイトを受けるのも面白いかもしれないと思う。
「駄目よ。彼の顔が見れるのは契約が決まった子だけ」
横から黒いチャイナドレスを着た女が口を開く。この女の声は初めて聞いた。
「俺にも好みがあるんだよ」
「駄目。だけど彼はイイわよ。それは保証する」
黒いチャイナドレスの女はキッパリと言う。
俺が考えていると赤い服の女がこの前と同じ紙切れを寄越した。
携帯番号が書いてある。
「実は時間がないのよ。期限は明後日までだからそれまでにヤル気がでたら連絡して」
俺はその紙切れを見ながら2人の女を見た。
「その、もう決まってたって言う役の男ってどんな感じの奴?」
「どんな感じって?」
驚いた表情で赤い服の女が訊く。
「俺より背が高いか?」
「…少し高いかな」
「ピアスしてる?」
「してたような気もする」
少し離れた路上で、俺と同年代の奴等が喧嘩を始めていた。複数での喧嘩だから随分派手に見える。
俺はホモじゃない。でも深海に似ている男とならヤレるだろう。そしてその「既に決まっている相手役」が苅田に似ている奴ならば余計だ。
「もし俺が勃たなかったら本当に知らねーぞ」
「勿論それはしょうがないわ。でもホント可愛い子よ」
前方で騒ぎになっている喧嘩は、一方の矢鱈と強い一人の男の出現によって形勢が逆転しようとしている。
俺はそれを見ながら貰った紙切れを小さく畳んだ。
「そのバイト、受けるぜ」
俺の言葉に2人の女はにっこりと笑った。
結局それから少し話をし、互いの携帯番号を確認し合い俺達は別れた。2人ははしきりに「ブチしないでね」と繰り返していた。
バイトは今度の土曜から日曜にかけて。24時間だそうだ。
どんなバイトかは大体察しがつく。多分ホモの裏ビデオだ。やばいバイトかもしれないが、暇潰しできて話のネタにもなりそうだ。大体男と絡むにしてもAVに出演するなんて面白そうだし、それに本当にやばそうな雰囲気だったら殴ってでも逃げればいい。
携帯番号は知られたが、それだけだ。
それにその「可愛い子」が深海に似ているのならそれでいい。もし似てなかったら勃たないだけだ。
俺はそう思っていた。