目覚めれば朝だった。永司が俺の髪を撫でている。
「おはよう」
優しく挨拶してくる永司に、俺は思わず見惚れてしまった。
もしかして、こいつずっと起きてたとか?
だったら何か照れるなぁと思いつつ、今日のバイトを思い出した。
「今何時?」
「5時半」
身体を少し動かすと、まだ身体に異物感があるようだった。
「岬杜、俺の服は?」
「名前」
ちょっとむっと来た。
「永司くぅ〜ん、いい加減にして欲しいわぁ」
俺はにこやかに微笑を浮かべつつ、かなりイラついた声を出した。
「名前呼んで。あと、意識的に俺を消さないでくれ。この2つを守ってくれたら春樹の言う事何でも聞く」
永司は真面目な顔で言う。
俺が永司の事を…永司の存在自体を意識の中で消そうとしていた時、こいつはきっと滅茶苦茶ショックで辛かったに違いない。半ば正気を失うほど思いつめていたんだし。
「分かった。永司ぃ、シャワー浴びるから服出しといて」
「身体大丈夫か?」
ゆっく〜り身体を起こしてみると、まぁ変な場所が痛かったしその奥のほうも痛かったのだが、予想していたほどの辛さはなかった。永司が前戯に時間をかけてくれたのが良かったのだろう…か?俺にはよく分からんのだが。
「大丈夫みたい」
眠い目を擦っていると、永司の身体に目がいった。昨日は最初バスローブを着ていたし、裸になった時には真っ暗だったから見えなかった。コトが終わった後は俺の意識が朦朧としていた。しかし今まじまじと見てみると永司の身体は予想以上に素晴らしかった。苅田よりは細いのだが、それは何をやってもこれ以上筋肉が付かない俺にとっては理想の体形だった。
「何?」
「凄い身体してるねぇ。苅田の身体も凄いけど、永司も凄いよぉ。何の格闘技やってたの?」
「一応一通りは強制的に習わされた」
一通りってどんなだろうか?俺は武術の心得がない。喧嘩は独学で覚えた。格闘技は他人が使うのを見て覚え、小説や雑誌、漫画、ゲーム、映画にテレビ、出てくる格闘技の中で、自分に合うモノ、現実的に使えそうなモノは独自で研究してモノにしていったのだ。研究に実験体は必要だったが、それは向こうからノコノコやって来た。俺は売られた喧嘩は絶対に買うのだ。そして俺はどんどん強くなった。軽量級の俺は、初めこそ体格の違う喧嘩慣れした人間が複数で来た時には苦戦した事もあったが、それでも負け知らずだった。
「そう言えば何で肝臓効かないのぉ?特異体質?」
「リバーなんて急所だぞ、メチャクチャ効いてたさ。ただ、絶対顔に出さないって意地になってた。 あんなに的確に急所責められたらやばかったから」
「なぁ〜んだぁ」
何だか笑えた。コイツが痩せ我慢してたなんて、妙に笑える。覗き込んで見てみると、確かに身体中痣が出来ていた。肝臓付近は大変な事になっている。内臓のダメージは直ぐに復活しないはずだ。それなのに、こんな身体でコイツはセックスしたのかと思うと呆れてしまう。
ついでに俺の両腕も凄い痣になっていた。永司がそれに気付いてゴメンと言いながら腕にキスをした。
「春樹の身体も素晴らしいな」
「俺は少し細いからなぁ、攻撃力が軽くなっちまう。もう少し肉付けたいけど、何でかこれ以上筋肉付かないんだ」
「付けなくてもいい。付くのが難しい場所の筋肉までちゃんと付いてる。
美しいよ、野生の獣並だ」
「それは苅田だぁ」
「アイツは虎。春樹は黒豹」
「お前は?」
「俺は黒豹に魅入られて何とか生け捕りしようと目論む村人の一人。ただ他の村人とは違って実際捕まえた」
永司が口の端を上げてニヤリと笑う。初めて見るその笑い方に、こいつマジカッコエエなぁと思いつつも、同時にカチンときた。
「ムカツク言い方だなぁ、俺はお前のモノじゃねぇからな。それと、今度もう一回勝負しろよ、俺はあんなの納得いかねぇ!」
「ヤダ。もう絶対しない。それに屋外じゃ春樹にはかなわねぇ」
ふむふむ、こいつ分かってるじゃねぇか〜と妙に感心してニヤけてしまった。
それから俺はシャワーを浴び、服を着て永司と一緒に朝食を取った。ジャムが付いたトーストを頬張りながら、この部屋の事を訊いた。
広いのだがあまりにも殺風景なこのマンションは、永司が自分で購入したモノなのだそうだ。どれだけ小遣い貰ってやがんだと呟いたら、「株で儲けた」と言っていた。俺とは住んでる世界が違うらしい。何だかムカムカしてコーヒーが飲めないから代わりに出して貰った牛乳を飲むと、永司の単車で家まで送ってもらい、用意をした後、今度はバイト先まで送ってもらった。単車は青いハーレー・ダッビッドソンだった。「無免だろう」と言うと(何せ大型だし)、「大丈夫だ」と返事をされた。何が大丈夫なのか良く分からん。
引越しのバイトが始まるといつもより下半身に力が入らないのが悔しくて、心の中で何度も永司と永司のデカマラに悪態を付きながら仕事をした。
夕方バイトが終わるとくたくたの身体を引きずり、家に戻った。何も作る気にならなかったので、近くのコンビニで弁当を買って食べていると携帯が鳴った。
「春樹、終わった?」
強姦魔の永司だ。
「ん。お前の所為で仕事辛かったんだぞぉ」
「ごめん、お疲れ。明日何時?」
「今日と同じ」
「起こそうか?」
「ん、頼む」
電話を切ると笑えて来た。何だよ今の会話は、恋人同士みてぇじゃねぇか!仮にも昨日派手に戦って拉致られて強姦されたのに。
昨日のアレは強姦なのか和姦なのか…。
クスクス笑いながら俺は眠りについた。
翌日から朝6時に携帯で起こされ、仕事が終わるとまた携帯が鳴る、そんな日が5日続いた。携帯の充電を忘れていて電源が切れ、一度だけ遅刻しそうになったが。
バイトは何も考えずに荷物を運ぶだけの、俺にピッタリの仕事だった。滑らない軍手をはめてダンボールを運ぶ。右利きの俺は、『右手は伸ばして右端の上、左手は左端の下』と、教えてもらった通りに持てば、どんなに重くても大概の荷物は落とさずに運べる。箪笥や洗濯機は挟んで持つのだが、これはなかなか技術と根性がいる。普通では無理なのだ。使う筋肉が普段の生活で使うものではない。紐を上手く使って持つ人もいる。最初は正社員の女の子が俺と同じ重さの荷物を持っているのを見て、かなり驚いたものだ。
バイトは楽しかった。ただ、今は夏。想像したよりもハードだったのは事実だ。
俺はその日あったバイト先の出来事をうだうだと電話先の永司に話しながら、その日もコンビニの弁当を食べながらビールを飲んでいた。
「春樹、明日休みだろ?」
その突然の言葉に俺は思わず福神漬けを吹きだした。口の中に入っていた飯粒が気管に入りげほげほむせる。
「げほっぐほっ!何でお前そんな事知ってんだ!!」
はっきり言って知られたくなかったのだ。会ったらまた抱かれそうで、しかも俺も抵抗出来ない…ってか、抵抗しそうにないような気がして。
「もうそろそろだろうと思って」
「いや、違う。明日はバイトだ」
「うん分かった。動揺して咽る春樹も可愛い」
永司の言葉に思わず脱力してしまう。
「お前ってさぁ、のほほんとした顔して隠し球が得意な本木みたいな奴だな」
「いや、キャッチャー見ないで投げるくせに勝ち星あげる岡島みたいだと言ってくれ」
…全然意味分かんねぇ。俺が滅茶苦茶言ったのに対抗して変な事言ってる永司は、何やら一人でくつくつ笑っていた。
「お前どんな顔してそんな科白言ってんだぁ〜?」
「カッコイイ顔」
こいつ何かイメージ変わってきたよなぁと思いつつ、横に置いてあるビールを飲む。
「来んなよ」
「行く」
「俺は逃げる」
「俺は捕まえる」
馬鹿馬鹿しくなってきたので、携帯を切ってやった。
ベッドにごろりと寝転ぶと、酔ったのか笑えてしょうがなかったので、クスクス笑いながら眠りについた。
次の日は目覚めれば10時過ぎだった。俺は元々朝弱い。今はバイトが早いのでがんばって起きているのだが、本当は辛かったのだ。まだねたりない身体を起こしてシャワーを浴びる。
さっぱりして冷蔵庫の麦茶を飲むと携帯が鳴った。ディスプレイは岬杜と出ている。
どーっしよっかなぁ〜。
俺はニヤニヤしながら携帯を見詰めた。呼び出し音が止まり留守電に入る。
「春樹、出ろ」
ムっとした。何だそりゃ。それから永司は黙って電話を切った。
来るつもりだな。
俺は即行で服に着替え、家を飛び出した。永司のマンションからここまで、単車で10分強。余裕余裕と思いながら、腹が減ったのとりあえずマックに行こうと歩いていると、聞いた事がある単車の音に振り返ると慌てて走り出した。
それは、永司のハーレーだった。
「げっ!!」
向こうは俺を追い越すと俺の前で止まり、半ヘルを取って俺に投げて寄越す。
「おはよう、春樹。海行こう」
「絶対嫌!」
「じゃぁ、川行こう」
「馬鹿者!」
永司は笑っていた。それは俺がいつも引っ掛かっていたあの笑い方じゃなく、
本当の笑顔だった。
「お前俺の言う事何でも聞くって言ってたなぁ」
「聞く」
「俺は今日、一人でいたい」
メットを返すと永司の瞳が少し揺れた。
「じゃぁ、キスさせて」
「アホか」
「手でいい」
仕方なく手を出すと、永司が俺の手の甲にキスをした。
――その瞬間、俺の中に不思議な感覚が沸いた。
永司は手を離すと、「また電話する」とだけ言い残して去って行った。
俺はその後メシを食い、CDと本を買いに行き、何もする事がなくなったので結局家へ戻った。何せ級友は海外だ。苅田もいなかった。
心が何やらうるさく騒ぐ。でも俺はそんなの無視して部屋の掃除に精を出す。ゴソゴソやりながらも何せ気になって仕方ない。いやいや気のせい気のせいとブツブツ言いながら掃除をする。
が、結局俺は溜息と共に永司に電話を入れた。夕方の5時過ぎだった。
1コール半で出たのでちょっと笑えた。
「来い」
「どこ?」
「俺ン家」
携帯が切れると10分待たずに永司の単車の音がした。
それから俺達は永司のおごりで焼肉を食べに行き、大量に酒を買って家に戻った。
家に入れると、永司は随分熱心に俺の部屋の持ち物を見ていた。砂上といい永司といい、金持ちのクセに俺の部屋を不躾にジロジロ見る。困った奴等だ。普通の部屋だと思うんだがなぁ。
「何だよぉ、珍しいモンなんかないと思うぞぉ〜」
俺が笑うと永司は真面目な顔をした。
「俺、初めて春樹の部屋入れてもらった。苅田や緋澄、岸辺も砂上もその他の奴等もこの部屋に来てたみたいなのに」
「そりゃ、お前をこの家に入れたら襲われそうだったからなぁ〜」
俺が笑って言うと、永司も苦笑していた。御名答って事だろう。
俺はビールを飲み、永司は買って来たバーボンを飲んで、二人で格闘ゲームをした。永司はこんなゲームやった事なかったので俺はストレス解消して楽しんだが、次第にコツを覚え始めたようで結構盛り上がった。
床に座っていたので、腰が疲れてきた俺が隣のベッドに座る。コンコン腰を叩きながらビールを飲むと、不意に床に座っていた永司が俺の素足の左足を軽く持ち上げた。
……足の甲への、深くて長いキス。
俺はその瞬間、昼間の手の甲へされたキスを思い出した。
ゴクリと喉が鳴る。
ざわざわと背筋に快感が走る。
それは昼間感じたモノよりも、もっとずっと激しい感覚だった。
――征服感――
意識した途端、俺は激しく欲情した。俺はこいつに限って言えば確かにヤられる方だ。しかし、俺はこいつを征服している。
「永司、来い」
俺の声を聞いて、永司は俺を見上げながら口の端を上げて笑った。
その顔に俺はまた欲情する。
――征服している。
でも、征服されている――
「俺は明日バイトだ。無茶するな」
「仰せのままに、春樹様」
完全には真っ暗にはならない俺の部屋でセックスをした。前回のようにトリップはしなかったが、永司とのセックスはやはり恐ろしい程感じた。勿論痛いのだが、その痛みを忘れる程の快感があった。
そして今回も、やはり自然なセックスだった。俺は嫌悪感もなく恥じらいも無く永司に抱かれ、喘ぎ声を上げながら身を捩り2人で絶頂を極めた。
次の日の朝永司にバイト先まで送って貰い、やはり辛い1日を過ごした。でも今回は自分から誘ったのだ。文句も言えない。
あぁ、ケツが変な感じだぁ〜。
自分で誘ったとは言え、やはり永司と永司のデカマラに悪態を吐きながらやっとの思いで一日を終えた。
夜、携帯が鳴ると思わず文句を言ってしまった。しかし永司は笑っていた。
俺は休日に会うのは止めようかと真剣に思ったのだが…
俺は結局永司と会った。
そしてセックスをした。
俺はたまに携帯の充電を忘れる。バイト中に電源が切れた時は、家に帰っても永司からの「御疲れ様コール」が無くて不審に思い、そこでやっと自分の携帯が切れているのに気が付く有様だ。そんな時は、連絡取れなくて永司は心配しているだろうか?等と考えてしまう。そして実際、永司は夜もう一度掛けて来て「何かあった?」と訊いて来るのだ。俺はそんな時どうしても笑ってしまう。充電切れてたぁと言うと永司は安心する。
俺は永司のペースに嵌っていた。その自覚はあった。
8月の初めに岸辺に呼び出された。
バイトが終わるとチャリで岸辺の家の近くまで行き、携帯を鳴らす。それから待ち合わせの公園まで行き、途中にあった自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながらベンチに腰掛けた。
「今年は海外行かないのか?」
岸辺はもうとっくに海の向こうだと思っていたんだ。
「来週から行く予定だよ。イギリスに行くんだ。お土産何がいい?」
「サンドイッチぃ〜」
「本当に?」
「嘘。何でもいいよぉ」
「うん、何か珍しいモノ見つけてくるよ」
岸辺はそこで口を閉じてしまった。
何かを言いたいから、聞いて欲しいから俺を呼び出したんだろう。だから俺も黙った。
夜の公園はムシムシしていて、蚊も飛んでいる。空を見上げても街灯で星が見えない。
どこかでナイターの実況が聞こえた。
「深海君、僕、彼女ができたんだ」
岸辺は俯いてそう言った。
照れているのか、顔を上げなかった。
「良かったじゃん!!俺も本当に嬉しい。今度紹介しろよ」
岸辺はやはり俯いていた。
なんだか違和感があったので、気になってその厚いメガネの奥にある瞳を見てみる。正面から見てないから分かりづらかったが、何かを隠しているように見えた。
「僕に彼女ができたなんて夢みたいだ。彼女はすっごく素敵な人でね……年上なんだけど、少女みたいなところがあって、可愛くって、でも聡い人で……
本当に奇跡みたいだよ。応援してくれる?」
「勿論だ!!何でも相談しろよぉ。デートの場所とか、セックスのテクとかぁ…」
「あはは、困ったら相談するよ」
岸辺は笑った。
蒸し暑い夜だった。
こんなに一緒にいても、俺にとって永司がどんな存在かは分からなかった。
セックスの度に耳元で囁かれる言葉。
「好きだよ春樹。好きだ」
「春樹、愛してる」
「春樹春樹……春樹」
俺は何も考えたくなかった。
それでも新学期が始まる頃には、永司は俺の隣にいて当たり前の存在になっていた。