異形の者
深海春樹 岬杜永司 真田鮎
話は、冬休みが始まった今日の昼、俺達いつものメンバーがどこかに旅行に行こうと話をしていた所から始まる。
永司のマンションに7人。ゴロゴロと寝転びながら真田とシューティング・ゲームをしている暁生。永司の隣に座っている苅田。その足元の白い絨毯の上でぼんやりしている緋澄。俺と一緒にメシの準備をしている砂上。
「芸者が一杯いるような観光地でいいんじゃねぇの?」
リビングから苅田の声が聞こえた。
「俺は雪山を登りたい」
暁生の声。
「私はのんびりと温泉が良いわ」
隣の砂上が、大鍋の中に水を入れ火にかけながら言う。俺はというと、熱湯で皮を剥いたトマトと透明になるまで炒めた玉葱とニンニク、ローリエ等々でトマトソースを作っていた。
「深海ちゃんはどこが良いんだよ」
苅田に尋ねられ、何処でも良いと答えた。俺はそんなことより冷凍庫にあった挽肉を見て呆然としていたのだ。挽肉があると知っていればミートソースが作れたのに!とか、そんな感じで。
砂上が冷蔵庫を開けて中を物色し、中からキュウリやらレタスやら青じそやら貝割れやらトマトやらを取り出してサラダを作りだした。
「砂上。緋澄がいるから、豆腐もサラダに入れてやってくれ」
こっそり言ったつもりだったのに、暁生がそれに反応。
「俺だっているんだぞ。ジャガイモも入れやがれ!」
「私のニンジンも入れるべきであろうが」
「俺、肉たっぷり」
「……とーふ」
「トーフは入れるらしいぞ」
「贔屓だ!」
「ジャガイモ入れろ!」
「ニンジンはその3倍入れろ!」
「生ハムとかも入れてくれよ」
「…とーふ」
「だからトーフは入れるらしいって!」
「ヒーーキだーーーッ!!ヒジキは贔屓してるぞーー!!」
五月蝿い奴等を無視して、挽肉を冷凍庫に戻した。それから市販のドレッシングを好まない永司の為に、ごま油と醤油と酢とかもう適当にゴチャ混ぜてドレッシングを作る。
「大体ニンジンよりジャガイモの方が美味い」
「暁生は天下の馬鹿者だ。ニンジンの美味さを知らんとはオヌシは人生の大半を損しているコトになるのだぞ」
「肉が一番美味かろう」
「黙れよ苅田。この筋肉マン3世」
何時の間にやら話は旅行の行き先ではなくなっているようだったが、俺はとにかく料理を続けていた。沸騰した湯にパスタを入れたり、皿を出して準備をしたりと。
大体皆、最初から旅行に行く気はなさそうだった。ただ、「今年も三が日は親戚の挨拶回りの接待だ」「毎年やってくる正月という行事を家族で過ごすのもつまらない」「喧騒を逃れるため海外へ行くのも面倒」「どこへ行っても人、人、人。だったらいっそこの部屋で三日三晩飲み明かすか」「それだったらいつもと一緒」…などなど、適当に喋っていたら、何時の間にやら皆で旅行という話になっていたのだ。
しかしそれはいつまで経っても具体案が出ず、どうもやる気…と言うか、行く気を感じない。きっと皆、適当に喋っていただけなんだと思う。例えば行く気もないのに旅行会社の店先などに並べられてあるパンフレットを持って来て、見た事もないような色の海の写真を眺めつつ「こんな場所に行ってみたいな」と言い合うように。
砂上が作ったサラダにドレッシングをかけ、時間キッカリに湯からパスタを掬い水を切ってトマトソースをかける。
「できたぞぉ」
俺と砂上で細々と用意をして食事の準備を整えた時は、話は「苅田はプロレス界に入るべきか否や」なんてモノになっていた。旅行はどうなったんだ、旅行は。
トーフサラダを小分けにしてやって配ってやり、いただきますを言ってから各自昼メシを喰い始める。暁生と真田が勝手に冷蔵庫から俺の(永司の)ビールを取り出して飲みだしたので、それにつられるように昼間っから皆で酒を飲み始めた。なんて不健康なのだろう。しかも真田と暁生にいたっては、メシを食いながらゲームをしようとしている。寝っ転がってビールを飲もうが肘をついてメシを喰おうが構わんが、俺がわざわざ作ったトマトソースをゲームをしながら食べるなんざ許さん。キチンと味わいやがれと文句を言いながらテレビの電源を消すと、2人はしぶしぶコントローラーを手放した。
「そういや、深海ちゃんと真田は実家に帰らないのか?」
緋澄のサラダの豆腐以外を食べ終え、パスタをグルグルとフォークに巻いている苅田が訊いて来た。俺と真田は他県に実家がある。永司もそうだが、コイツは帰る気がなさそうだった。大体コイツの実家って何処なのだろう。
「俺は平気。真田は?」
「ん」
真田が素早く答える。「ん」では分からんが、多分「平気」と言いたいのだと思う。真田はどうも早く食べて早くゲームの続きをしたがっているようだ。だからキチンと味わえっての。俺のとまとそーす。
「んで、苅田は全日か新日かどっちがイイんだよ」
トマトソースで口の回りを赤くして暁生が訊いている。また話が苅田のプロレス就職になりそうだと思い、結局旅行と俺のトマトソースの味はどうなんだとブツブツ思いながらパスタを食べていた。
「だから勝手に俺をプロレスラーにするなよ」
「お前、苅田建設継ぐの?」
「アレは兄貴が継ぐ」
「んじゃ、オメーはレスラーになれ。天職だ」
「イヤ」
「ヒール役とか似合うだろうな。名付けて『性欲骨太』…牛乳みたいだな。『魔人バイ』…うーんイマイチ。『何でも挿入』…いや、『変態勃起』…あーーもういいや。全部ひっくるめて『性欲変態骨太挿入』だ。よし、これに決定な」
暁生の言葉に当の苅田は、緋澄の皿に手を伸ばしパスタを巻きながら軽く首を振った。
「俺はな、暁生。産まれ落ちた時から『愛の伝道師』ってリングネームなんだよ」
思わず苅田の呟きに爆笑した。苅田は確かにある意味愛の伝道師だ。
「んで、どっか行くんじゃねぇの?俺はボードが出来る所が良いんだけど」
笑い終わったところで話を戻してみる。
「んじゃ、スイス」
「俺、パスポートないんすけど」
俺の学校は修学旅行がないから、俺はパスポートがない。こんな学校だから修学旅行は何処に連れて行ってもらえるのだろうと入学当初はワクワクしていたのだが、なんと修学旅行自体がなかった。それどころか他の学校ではよくある「林間学校」とか「なんたら体験学習」とかもない。なんにもない。学校行事は文化祭のみ。あとはマラソン大会があるとかないとか。修学旅行がないのは、この学校の生徒には必要ないからかもしれない。そんなもんなくても、しょっちゅうウロウロ旅行しているような連中ばかりだから。
「温泉が良いわ。お肌に良く効く温泉」
一人のんびりとパスタを食べている緋澄の横で、砂上がまた同じ事を言う。
「んじゃ、温泉があって芸者が一杯いて雪山に登れてボードが出来る所を探す事にする。それでいいな?賛成するヤツは右足を上げろ」
なんだか随分適当に言う暁生だが、コイツの父親はホテルをいくつか持っている。結局南グループのホテルか、もしくはそのツテで探して決定しそうだった。
「うぃーす」
苅田、ビール片手に軽く右足を上げる。
「はーい」
砂上、スカートの裾を気にしつつも元気良く右足を上げる。
「……」
まだ一人でパスタを食べている緋澄に代わって、苅田が左足も浮かせる。
「……」
「ほ〜い」
俺もボードが出来ればなんでもイイやと思っていたので、永司の分も含めて両足を上げてヒョコヒョコと曲げたり伸ばしたりを繰り返す。
「異存がないようなので決定だな。おい、真田。ゲームの続きをしようぜ」
暁生が食べ終えた皿をテーブルに置いてゲームのコントローラーに手を伸ばす。とにかくゲームがしたいらしい。皆も別になんでも良くなっているようで、それぞれ食後を寛いでいた。
「やじゃ」
ようやく話が纏まった所で、真田の不機嫌そうな声。
「何がイヤなんだよ。分かった。お前、また俺に負けるからイヤなんだろ。でもこのゲームはお前がやろうって…」
「雪山もスキーも温泉もイヤじゃ。そんなんだったら帰省するのと一緒じゃ」
「そりゃ温泉街はみんな同じようなモンだけどよ…つか、真田の実家って温泉街なんだっけか?」
「別に温泉街ではない。温泉があるだけだ。スキー場もあるぞよ」
ブツブツと不満げな真田。
「真田、お前の村にゃ温泉もスキー場あるのか。いいなぁ」
「スキー場も温泉も村のモノではない。真田家のモノだ」
皆一斉に真田を見た。
真田の口調は、まるでスキー場と温泉くらいはどの家庭でも持っているであろうとでも言うような、まるでスキー場と温泉を洗濯用柔軟材や冷蔵庫の中にある脱臭剤と同列に並べているような、とにかくそんな口調だったのだ。
「お前ン家、個人でスキー場経営してんの?」
真田の家は金持らしいから、ありえない話ではない。
「違う。でも大きな温泉があるぞ」
よく分からない。そりゃ一体どんなお屋敷なのだ。
「真田ン家って、旅館かなんかか?」
興味ありげに苅田が身を乗り出して訊ねる。
「いや。私の実家は旅館ではないが、実家のすぐ下に分家があっての。そこで叔父が旅館を営んでおる。温泉もあるし、ウチの山は真田家のスキー場じゃ。だからわざわざそんな所に行きたくはな…」
「行きてーッ!!」
「行きたいわッ!」
真田の言葉を最後まで聞く前に、俺と苅田と暁生と砂上は叫んだ。
そんなこんなで酷く嫌がる真田に無理を言い、俺達はなんと明日から真田の実家に行くことになったのだ。なんとも唐突な話である。
でも激しく行ってみたくなったんだ。自分とよくツルんでいる仲間。しかも、一風変わったキャラ。ソイツが生まれ育った村…そう、街ではなく町でもなく「村」。別に村が珍しいわけじゃないけど、信州の山奥にある小さな村に真田の家があって、んでもってその村の山に真田家の温泉や個人のゲレンデもあるらしく…となると、もう何だかわけ分からんくて想像できなくて。いや、想像してみるとむっちゃ楽しそうだし。あとあと、よく分からないヤツの家に「お泊り会」するって時はいつも、高校生になっても、多分社会人になっても何だかワクワクするもんなのだ。
とにかく5人が帰ると俺は服やらボードやらを纏めて明日の準備をし、旅行中はあの5人がいるのだからできないであろうと思われるセックスをした。旅行の予定は一応、年を跨いで3日までだったから、一週間はセックスできないことになる。3時間で精子が溜まると予想される苅田はどうするんだろうと思うのだが、とにかく俺的問題は永司だ。だからたっぷりとセックスをした。明日辛いのは俺なんだけど、俺もしたかったんだ。
たっぷり時間をかけて、たっぷり前戯をして、たっぷり挿入してもらって、そして時間をかけてたっぷりと精子を出した。そして、俺はそのまま温かい泥の中に沈み込むように眠りについた。
不思議な夢を見た。
黄金に輝くライ麦畑に子供の俺がいる。
時折身体を撫でていく風が前髪を掻き揚げるようにして通り過ぎていき、金色に光るライ麦達を軽くしならせていく。まるで風の足跡だ。
空はいつか見た空のように、どこまでも青く広がっている。
それはこれ以上ない「空の色」だ。
キモチイイ。
そう思っていると、ふと、誰かに呼ばれているような気がした。
耳を澄ますと、風の音。
ライ麦畑達が穂を揺らして歌っている。
でも、やはり誰かが俺の名を呼んでいる。
子供の俺は歩き出す。
何故永司がいないのだろうと思いながらも、俺はその声が気になってしょうがない。聞いた事があるこの声。
誰だろう。何故俺を呼ぶのだろう。
気持ちの良い風を縫うように歩いて行くと、遠くに森が見えた。
ライ麦畑に森がある。見た事がある森だ。確か以前来た時も……。
「なんだったけぇ?」
小さな俺は声変わりをしていないようだ。その容姿に合う幼い声で独り言を口にしながら歩いて行く。
「なんだっけぇ〜のたりらりらァ」
適当な歌を口ずさみながら歩いて行くと、森がだんだん近付いてくる。俺が歩いて近付くと同時に、森そのものも俺に向かって近付いてくるようだった。
小さな森だった。
まるで…
「まるで……なんだろ?」
上手く言葉が出てこず、うーんうーんと悩みながら森に近付く。
森が近付くにつれ、俺の名を呼ぶ声がはっきりと聞こえてくる。
「はぁ〜〜〜〜いっ!」
誰かが何度も自分の名を呼ぶので、俺は手を上げてフリフリしながら大きな声で返事をした。
風が俺の声を運んで行く。どこまでその声を運ぶつもりだろう。世界を一周して、二周して、三周して、星の王子様が椅子を少しずらせば何度でも夕日を見る事が出来たように、俺は走れば何度でも自分の声を聞く事ができる気がした。
また、誰かが俺の名を呼んでいる。
その声が気になってしょうがないから、俺はやっぱり森に向かって歩く。
ふと風が止んだ。
ライ麦達が歌うのを止めて、黙った。
ざく、ざく、ざく、と、自分の足音。
森に生えている木々の葉まで見えた所で、森が宙に浮かんでいるのに気がついた。
子供の俺は急に怖くなる。
さっき大声で返事をしたのを思わず後悔した。
【あの森に近付いてはいけない】
誰かに言われた。
昔々、遠い昔、誰かに言われた。
でもやっぱり誰かが俺の名を呼ぶんだ。
俺はその声が気になってしょうがない。
恐怖よりも、その声の方がよっぽど重要な気がした。
【あの森に行かなくてはならない】
昔々、遠い昔、誰かに言われた。
だから俺は歩き出す。
平原に現れたその小さな森の手前に、赤い橋が見える。
ざく、ざく、ざく、と、自分の足音。
森に近付く。
森は宙に浮いているわけではなかった。
子供の俺はビクつく自分の身体を手で摩りながらもう少し近寄ってみる。
やはりそうだ。
その森は、宙に浮いているのではない。その森の周りに、深い溝があるのだ。
怖気づく身体が前に進もうとしない。
ズリズリと足を地面から離さず、少しずつ滑らすようにして進んでみると、そこがライ麦畑の終わりである事が分かった。
ここは、ライ麦畑の終わりにある崖。
ここから落ちると、もう二度とライ麦畑には戻れない。
身体を伸ばして崖の下を覗き込んでみると、想像通りそこには何もなかった。
あるのはどこまでも続くような暗闇と、絶壁の中から駆け上ってくる風の音だけ。
立ち止まって赤い橋を見てみる。
それは神社なんかでよく見かける、半円の形をした木の橋だ。
ライ麦畑とこの森を繋いでいる。
赤い橋に向かって歩き出す。
俺の名を呼ぶ誰かの声が、大きくなった。
橋を正面から見てみる。
どこにも鳥居はないけれど、この橋を渡った森の入り口に狛犬が見える。
向かって右の狛犬は大きな口を開いている。向かって左の狛犬はしっかりと口を結んでいる。
あぁ、やはり神社なのだと思った子供の俺は、橋を渡ってみようと思った。
「春樹ッ!」
突然後ろから永司の声がし、振り返ったところで夢は終わる。