俺は信じない。
嘘だと分かっているから。
貴方はまるで一流ブランドの広告。計算し尽くされた完成度で俺の目を惹き付けるけれど、俺は騙されない。
貴方はまるで出来過ぎた映画の主人公。印象的な台詞を口にして俺の耳を惹きつけるけれど、俺は騙されない。
どんなに見目が良くたって、どんなに効果的な言葉を使われたって、俺は信じない。
愛しい。可愛い。綺麗。大切にする。
そんな言葉を囁かれても、そんなふうに触れられても、俺は信じない。余裕たっぷりのスカした上忍様を、俺は信じない。嘘だと分かっているから。
俺と貴方の関係はテーマパークのお化け屋敷。虚構しかない偽物だらけの空間で、そうと分かって愉しめば良いだけの関係。そうと分かって愉しんで、終わってしまったら見向きもされないお化け屋敷の関係。終わってしまったらもう二度と訪れない、忘れ去られるだけの関係。
ただ問題は、俺はお化け屋敷なんて好きじゃないってこと。信じたふりをして、そんな関係を愉しむことなんて真っ平ごめんだってこと。
だから貴方は一人で虚構しかない偽物の世界を愉しんでいる。俺を誘惑し、俺に囁き、俺を抱き、あたかもそこに本当の愛があるかのように振舞って愉しんでいるだけ。
凡庸すぎる俺は貴方にとって面白いものなのだろう。だから手を出した。好奇心で手を出した。普段は見向きもしないアトラクションにふらりと立ち寄りそこを何故か気に入った貴方は、偽りだらけの言葉を駆使して俺に手を出し続けているだけ。どうせすぐに飽きるくせに。
「愛してますよ」
俺を抱く度にそう囁く貴方の声は、一時的だからこそ真摯。
「大好きですよ」
そう囁き俺に触れる貴方の指は、一時的だからこそ優しい。
「大切にするよ」
まるで本当に恋をしているような目で、貴方は俺に虚構の世界を見せる。ここにおいで、ここは愉しいよと。難しいことなんてどうだって良いじゃないと言うみたいに。
俺を恋人ごっこに誘う。
「イルカ先生、気持ち良い?」
貴方の声は優しい。いつでも優しい。でも俺は騙されない。
俺を抱くだけ抱いたら、貴方はまた帰って行く。余裕たっぷりの、スカした上忍様の顔をして。貴方を信じない俺を見て、時に苦笑を浮かべ、時にわざとらしい溜息を吐き、時に諦めの表情を浮かべ。
それも全て演技だと、俺は見抜いている。
俺は信じない。
嘘だと分かっているから。
貴方はまるで夢そのもの。いつかは覚めることを知っているから、俺は眠らない。
貴方はまるでゲームそのもの。自分の心を操るなんてできないから、俺は参加しない。
どんなに、どんなに優しくされたって、俺は信じない。
最初に唇が裏切った。
俺の唇は貴方の唇を愛した。その薄く冷たい感触を愛し、口付けを強請るようになった。貴方の唇から紡がれる見え透いた嘘まみれの言葉を、嫌気が差すほど甘く魅惑的で、誰にでも囁いているだろう貴方の詐欺師的な言葉を、真っ先に信じた。信じて、そして愛した。
唇は馬鹿だ。唇はこんなに単純なものだから、人は口付けが好きなんだろう。
次に指が裏切った。
俺の指が、貴方の指を愛した。俺よりも長く、細く、美しい指。俺の指は貴方の指に触れたがるようになった。貴方の身体に触れたがるようになった。その白く冷たく美しい身体に触れると、俺の指は微かに痺れて悦びを俺に伝えた。俺の指は貴方と指を絡めることを愛し、そして貴方を信じた。
指は馬鹿だ。馬鹿な指は貴方に縋り付く。
次に裏切ったのは背中だった。
貴方の腕が俺の背中に巻き付く度に、俺の背中は嬉しそうに仰け反った。貴方が俺の背中に口付けを落とす度に、その感触を逃すまいと全力を注いで感覚をそこに集めた。貴方の手のひらが俺の背中を滑る度に、その偽りの優しさに騙され、貴方を愛した。
胸も、脚も、俺を裏切った。
腕も、首筋も、頬も瞼も裏切った。
身体は愚かだ。貴方を信じ、貴方を愛する俺の身体は、救いようもなく愚かだ。
快楽に流され、それを何か別のものと錯覚しているのだろう。貴方があまりに熱心に俺の身体を大切にするふりをするから、それが心地好かったのかもしれない。貴方を愛するなんて愚かすぎるのに。貴方を信じるなんて、浅はかすぎるのに。
けれど俺は信じない。身体が貴方を信じても、俺は信じない。
どうして飽きないのだろう。
貴方はいつまでこのお遊びを続けるつもりなんだろう。何故そんなに俺を見詰めるのだろう。何故そんなに悲しそうに微笑むのだろう。何故いつまでも俺の髪を撫で続けるのだろう。何故帰り際にそんな表情をするのだろう。
もうそんなに優しく俺に触れなくても良い。貴方の虚構は完璧で、俺の身体は貴方を心底愛している。それで良いじゃないか。貴方はどうしてそれで満足しない?
そうか、言って欲しいんだ。このお遊びに俺が本当に付き合うまで、貴方は満足しないんだ。
じゃあ、言う。言うから、早く飽きてくれ。虚構と分かって愉しむインチキな愛は、嫌いなんだ。
「好きです」
ああ、吃驚してる。
「好きです」
ああ、更に目を大きく見開いた。驚いた? 嬉しい? 今度は俺と貴方で、まるで真実のような愛と恋人関係を作り上げていくのですね。でもそれはすぐに終わる。分かってる。お化け屋敷な関係はもうすぐ出口、まさに今、クライマックス。
なのに。
どうして貴方はそんな顔して笑うんだろう。いつも美しい貴方がそんな顔をするのを、俺は初めて見ましたよ。大体その表情は笑ってる……と言って良いのかな。
よく分からない。
もうそろそろ眠ろうかと思っていたのにノックの音がして、俺は重い腰を上げて玄関に向かった。
こんな時間に俺の家に訪れる人物は、緊急の事態でなければまず貴方だ。
ほら、やっぱり。
任務明け、そのままで来たんですね。凄い返り血ですよ、まずは風呂に入ってください。足、ふらついてますね。走って来たんですか? 息上がってますけど。とにかく肩貸します。いやその前に、貴方病院行った方が良いのでは? それ全部返り血ですよね? 怪我あります? とにかくまず風呂に。 何ですか? 任務明けで興奮してます? その返り血の量からして、相当殺伐とした任務だったんでしょうし。分かりましたから、まず風呂場に行ってください。ベッドが汚れます。
俺は甲斐甲斐しく世話を焼き、まるで本物の恋人のような態度と口調で貴方に接する。
「ねぇイルカ先生。里は俺が死んだら、結構痛手だよね?」
「何を急に。痛手どころじゃありませんよ」
「里のために、俺は生きていた方が良いよね」
里のために、写輪眼は必要だ。貴方の腕も貴方の名前も貴方自身のカリスマも、貴方は全部必要とされているだろう。
「そりゃ死なれたら困りますよ。どうしたんですか? 怪我でもしてます? 医療班の手配でもしましょうか?」
俺が式の用意をしようとすると、貴方は腕を伸ばして強く俺を拘束する。いつもは優しく、不必要なほど優しく俺に触れる貴方が、痛くて呻き声を上げてしまうほど強く俺を。
貴方は俺の身体を抱き締め、俺の首筋に顔を埋める。
血の臭いが酷い。一体どれだけの人間を殺せば、これほど血まみれになるのか。
「ねぇ、誕生日おめでとうって言ってくれない?」
貴方は掠れた声で、どこか自嘲を含んだ声でそう言う。
「え?」
「誕生日おめでとうって。それだけで良い」
誕生日だったんだ。今日、貴方誕生日だったんですか。事前に教えてくれれば、何か用意したのに。本当の恋人みたいに、もっと喜んで迎えて、何かプレゼントのひとつでも贈ったのに。まぁ良い。気の利いた、如何にもそれらしいことを言ってみよう。
俺はまだ息の荒い貴方の背中に手を回し、トントンと叩いてやる。誕生日だから、こんなに急いで帰って来たのか。そこまでしなくても。ああ、でもいつものこと。
俺は言葉をかけるつもりで口を開く。唇は喜んで貴方の誕生日を祝おうとする。
けれど、貴方はたったこれだけの沈黙に堪え切れず。
「嘘でも良いんだ。心なんてこもってなくたって良い。ただイルカ先生にそう言ってもらえるだけで、俺はあと一年は生きていこうと思えるから」
貴方の声は、みっともないくらいに震えていて。
どうしてだろう。みっともないくらい掠れてて、震えてて、弱々しくて。自嘲っぽい響きも含んでるのに、そこには隠しきれない切実さが確かにあって。
「嘘でも良い。全然平気。だから言って。お願い。俺の存在を、言葉だけでも祝って」
血にまみれ、血にまみれ、貴方はそれでも走って帰って来た。言葉だけでも俺に祝って欲しくて。嘘でも良いと。
どこまでが本当?
どこまでが嘘?
貴方の言葉は、全部嘘じゃなかったのか?
だってあり得ないだろう。何故貴方ほどの人が俺に手を出す? 可愛いって? 綺麗だって? 誰が!
俺が愛しいなんて、そんなことあり得ないだろう? 好きだなんて、あり得ないだろう? 貴方の噂は聞いている。しょっちゅう耳にしたさ。誰にも本気にならないって、有名だ。そんな貴方が俺に。止めてくれ。止めてくれ。俺は信じない。貴方を信じたことなんて一度もない。
「お願い。イルカ先生、お願い。言葉の上だけで良いんだ。祝って。お願い」
血にまみれ、血にまみれ。
貴方は震えてそう懇願する。弱々しく。
ああ、貴方を愛している俺の身体が、手がつけられないくらい泣きだした。
羨ましいほど素直な俺の身体は貴方を抱き締める。力一杯抱き締める。
俺の心は置いてけぼりだ。信じるなんて。貴方を信じるなんて。
そんな怖いこと、俺にしろって言うのか?
もうすぐ日付が変わる。貴方は息を切らして走って来たのに、もうすぐ貴方の誕生日が終わる。
誰よりも臆病で怖がりで、自分ばっかり大事にしてる俺の心はもしかして、毎日毎日貴方を絶望させてきた? 会う度に貴方を苦しませてきた? 貴方の心を切り刻んできた? 心を血まみれにしてきた?
でも怖い。貴方を信じるのが怖い。俺は自分勝手で、自分しか大切にしてない。
貴方を愛し、信じている俺の身体が俺を詰る。怒鳴る。泣き喚く。
この人はとても俺を大切にしてくれたのに!と。
もうすぐ日付が変わる。貴方は息を切らして走って来たのに、もうすぐ貴方の誕生日が終わる。
誰か俺に勇気を。怖がりな俺に勇気を。卑怯者の俺に、幸福を信じ愛を与え合う強い勇気を!