岬杜永司 深海春樹
「ところで春樹、首と背中のキスマークは誰に付けられたんだ?」
午前中に岸辺と会いじっくり話し込んで和解した土曜日の昼間、永司の部屋でのんびり麦茶を飲みながら吉本新喜劇を見ていた俺は、
突然のその言葉に2.5メートルくらい飛び上がった……気がする。
キスマーク?そんなの知らない。覚えもない。
「どどどどど、どの辺?」
「ここと、ここ」
永司は俺の右後ろの首の付け根と、肩甲骨の間を指した。
「し、知らない!ホント知らない!昨晩オマエが付けたんじゃないのか?」
「違う。昨日帰って来てすぐ春樹にシャワー浴びせただろ?あの時に気付いたから」
なんてこった。それじゃ誰なわけ?
俺はちょっと、いや相当ドキドキした。こう、なんて言うのか、「新妻にシャツのキスマークを指摘されたサラリーマン」的気分を味わった。違うんだ、それは電車の中で……なんていい訳できないのが困る。
ってか、何考えてるんだ俺!!
言い訳云々より本当に覚えがないんだ!何でこんなに焦らなくちゃいけないんだ!!
「俺、ホント知らないもん」
本当に知らんモンは知らんぞ!って感じで口を尖らせながら永司を見た。永司は俺を見てクツクツ笑っている。
「ありゃ?からかったのか?」
「違う。本当にあるよ。でもいい。春樹が忘れたのならもういい」
いいのか?
いいのか永司?
俺は気になるぞ。誰だ俺の身体にそんなモン付けたのはっ?!
「嫉妬しないのぉ?」
「嫉妬した。今も少ししてるよ。でも、もういい」
永司が俺の髪を撫でた。
その手は永司の優しい感情を伝えてきて、俺ってばこんなに愛されちゃってるんだなぁ〜等と思ってしまう。
いやいや、今はそれどころじゃない。キスマークなんて知らんぞ!
「何か良く分かんないんだけど、俺の身体に勝手にマーキングしやがってさぁ。誰だよ、マジで。ぜってー許せねぇ」
俺は麦茶を飲みながらブツブツ文句を言った。
実は何かとてつもなく大事な事を忘れているような気がするのだが、それがなんだか分からない。首まで出てきているのだが、そこから出てこないので変にムズムズする感じだった。
「春樹はキスマーク付けるの嫌がるね。俺も一回付けて怒られたし」
そうなのだ。初めて永司に抱かれた時、コイツは俺の身体に数え切れんばかりの痕を残した。もう、本当に恥ずかしくなる程濃い痕だ。俺は昔からキスマークを付けるのも付けられるのも大嫌いだったので、その後永司に散々文句を言った。「俺はお前のモンじゃねぇぞ」と言いながら。
「永司にならいいよ。今は付けられたいし、付けたい」
あぁ、永司なら良いさ。どこに付けられても平気さ。例え口にするのも憚れるような恥ずかしい場所でも平気。もうケツだろうがマラだろうがタマだろうがノープロブレム。でもケツはともかくマラには付かないだろうし、タマは痛いかもしれんが。
ちょっとお馬鹿な事を考えながらも、俺はニコニコして永司を見た。
永司は「嬉しいよ」と囁きながら俺にキスをする。
最初は軽いキスだったのが次第に深いキスに変わり、永司の手が俺の身体を探り始めた。俺はその手を掴む。だって昨日アレだけヤられたから、もう当分したくなかったのだ。
しつこいようだが俺は淡白。
「ピピーッ!この先は立ち入り禁止地区になっております。岬杜永司君、速やかにお立ち去り下さいませ」
「何で?」
「昨日一杯したろ?俺、もう当分したくないもん」
「マジ?」
「マジだもん」
永司はがっくり項垂れて「当分って…春樹の当分って……」とか何とか言っている。永司も可哀想かもしれんが、ここで同情して流されてしまったら俺の下半身だって可哀想な事になるんだ。
永司は諦めて溜め息を吐きつつ煙草を吸おうと手を伸ばしたのだが、箱が空になっていたので書斎に取りに行った。バージニアだ。
昨日俺が永司に火を点けたバージニアをやってから、永司はセッタを全部捨ててしまった。「これからバージニアにする」と言って。そんなコトはどうでもいいコトだろうと思うのだが、永司は堅く心に決めてしまったようだった。今日の朝、セッタを丸ごと1カートン捨てて。別に捨てなくてもいいだろうよ…と思うのだが、とにかく永司はサクっと捨ててしまい朝からずっとバージニアを吸っていた。元々セッタに拘りがあったわけではないらしい。海外にいる時はその国の銘柄を吸っていたようだし。
「考えてみればキスマークの犯人は春樹の性格を良く分かっていたんだな」
新しい煙草を持って来て、封を切りながら永司は言う。
「何がぁ?」
「ご丁寧に春樹が見えない場所に付けたんだ。嫌がるの知ってたから」
俺は麦茶を飲みながら考えた。
そうだな。俺が嫌がるの知ってたからわざわざ肩甲骨の間なんて変な場所に付けたんだ。そんな場所俺には見えんしな。
しかし両方とも付きにくい場所だろうからよっぽど強く吸ったはずなのに、俺に覚えがないのはどうしてだろう。
俺はさっきから喉まで出かかっている人物の名前をどうしても思い出せない。
俺の性格良く知ってる人間。そんで最近俺とセックスした人間。
最近セックスした人間?
俺、最近したっけ?
してないぞ。
葉子さん?
いや違う。葉子さんはそんな痕付ける人じゃない。
……。
……。
…………ん?
「ぐはぁーっ!!」
俺は2メートル位離れたテレビまで麦茶を噴きだした。
「どうした?!」
「ぐほっげほっ!げほほっ!」
「大丈夫か?」
「ダイジョウ…げほっ!」
気管に入った麦茶が苦しい。永司が俺の背中を擦ってくれる。あぁ嬉しい。こんな時でも永司の手から愛情が伝わってくるぜぇ〜。
なんて思ってる場合か俺!!
「ええええ永司。俺、犯人思い出した…」
「もういいよ。痕が残ってるって事は最近なんだろう。それなのに春樹に忘れられてる相手なんか興味ないし」
違う。忘れていたわけじゃなくて。
昨日のオマエのセックスが激しかったから、ちょっと度忘れしてて。
「あのね、怒んない?」
「もういいってば。ごめん、俺が変な事言ったから…」
「いや、俺の口から聞いといたほうがオマエの為なんだ。アイツ性悪だからオマエに何言うか分かんないし」
ここで永司の顔色が変わった。
因みに俺はもうとっくに「グリコのマイルドカフェオーレ」みたいな顔色になっている。(意味分からんかもしれんけど、とにかく日焼けした顔がちょっと白くなってると想像して欲しい)
「あのね。昨日色々ありすぎたからさぁ……忘れてたってか、セックスしたわけじゃないから思い出せなかったってかさぁ……」
アイツのテクに翻弄されまくって痕付けられたコトにも気付きませんでした!なんて口が裂けても言えないなぁ。
「セックスしてなくてなんでそんな場所にキスマーク?」
「途中までしたってか、しかけったってか…」
永司の目が怖いぞ。
どうしよう。
「怒る?」
「春樹には怒らないよ。でも相手の名前聞きたくないな。もしかしたら俺、ソイツ殴るかも」
ひーーーっ!
「虎」対「帝王」の喧嘩なんざ見たくねぇっ。オゾマシイ。
でもでもアイツはホント性格悪い時があるし。
永司の事からかって変なコト言う可能性大だし。
でもでも永司は以前「アイツが春樹にべたつく度に頭がおかしくなりそうだった」とか何とか言ってたし。大体永司と俺が途中でこんがらがったのもアイツが絡んでたから、その事についても何か思う所があるかもしれないし。
でもでもでもでも俺としたらこの2人のバトルはやっぱり見たくないわけだし。
「永司、結局何もなかったんだ。頼むからアイツ殴んないで」
「なに?春樹の大事な人?だったら殴らないよ。でももしアイツだったら殴る」
……。
アイツって、誰?
アイツってやっぱアイツ?
でもアイツは大事だよ。まぁ友達よりもっと深い関係、つまり親友だ。俺の事を本当に可愛がってくれてるし。
「俺も本当は言いたくないんだ。でもアイツ、さっきも言ったように性悪なトコあるからオマエの事からかって変なコト言うかもしんない。その時オマエがブチ切れて喧嘩になったら、もう誰にも止められなくなる。自衛隊呼ぶハメになりそうだよ。それにオマエ等が本気で闘りあったら普通の怪我じゃすむわけないし……」
「分かった。もういいよ」
ここまで言えば誰だか分かるに決まってる。永司と対等に喧嘩できる相手なんて俺以外にはアイツしかいないし、永司のテンパッた目が雄弁にそれを物語ってるわけで…。
母ちゃん怖いよぉ〜。
俺がビクビクしていると、永司はすくりと立ち上がって充電していた携帯に手を伸ばした。
――ピピピ。
あぁ母ちゃん、これが世に言う修羅場ってヤツですか?
それとも修羅場一歩手前ですか?
「苅田?……岬杜だが」
キャーーーッ!!
「いいか良く聞け。深海春樹は俺のモノだ。もう二度と手出しするな」
はい。俺は岬杜永司のモノです。
だからもう携帯切ってくれぇ〜。
「五月蝿い。昨日深く愛し合ったんだよ。オマエの時代はもう終わりだ」
はい。なんだか分かんないけど、苅田の時代は終わりました。
「保護者とか言うんだったら手出すな」
それもそうだぞ。
「なに?春樹が誘った?そんな事はどうでもいい事だ。オマエはもう二度と春樹に触れるな」
うわ、俺が誘ったってバレちまった!
「春樹の性感帯?そんなコトは俺が一番良く知ってるんだ。教えてくれなくて結構」
……あ?オマエ等何話てんの?
「とにかく春樹に手を出すな。以上」
永司はやっと携帯を切った。
なんだか良く分からなかったが、
とにかく苅田と永司の血湧き肉踊るバトル(?)はないようだ。
良かった。
でも正直、ちょっと見てみたかったかも。これって怖いもの見たさって感じだな。オゾマシイもの見たさ。いや、実際やられると困るんだけどさ。
今頃になってやっとテレビが麦茶で汚れている事を思い出し、綺麗に拭き取る。コップに新しい麦茶を入れ、俺はそれを飲んだ。
「永司って、苅田とはホント喋るなぁ」
まだ携帯をむっとしながらも見ている永司を見ながら、俺はそう言った。永司は俺以外の人間と会話をしない。しかしその中で唯一の例外が苅田だ。
「実は……」
永司が俺を見た。
「ん?なんだぁ?」
俺も麦茶を飲みながら永司を見る。
「俺の親父と苅田の父親は知人なんだ」
…………へ?
「ぐほっげほっ!げほほほほっ!」
今度は2メートル位離れたテレビまで麦茶を噴き出すことはなかった。しかしこの意外な事実に、やっぱり麦茶は本来通るべき食道には向かわず気管支に流れ込んでしまった。
「春樹?」
「ダイジョウ…げほっ!」
本日2回目だぞ。苦しい。
「なにそれ?だってオマエ等全然そんな…ゲホゲホッ」
永司がまたもや背中を擦ってくれる。
「俺も苅田も最近まで知らなかったんだ。きっかけは俺達の名前。司るって漢字の話だよ」
「あ、そんな話したなぁ確かにぃ〜ゲホゲホ」
「実際俺の親父と苅田の父親は知人だが、仲が悪いそうだ。2人ともウチの学校の同級生だった。高校生の時1人の女性を取り合い、まぁ2人して見事玉砕したらしいが、とにかくその頃から仲が悪かった。それから2人同時期に結婚して同時期に子供ができた。俺の兄貴と苅田の兄」
「ん?永司って兄弟いるんだ」
カッコイイんだろうなぁ、やっぱり。
「いる。名はカナメ。必要の要の字だ。苅田の兄の名は…」
「知ってる。シュウ兄さん。崇拝の崇の字。苅田家で唯一寡黙な人だ」
あの人と苅田が兄弟なのが不思議に思うほど寡黙な人。
「そう。この2人が生まれた時、どちらが立派な名前かで随分揉めたらしい。くだらないだろ?そして次に生まれたのが俺と苅田。まず苅田が生まれ、龍、つまり権力を司る人間になるように龍司と名付けられた。そして俺はそれに対抗できるよう、永遠を司る人間になるように永司と名付けられた。俺達は互いに自分の名の由来を知っていた。だが、そこに父親同士の意地やくだらない対抗心があることは知らなかった。先にその事を知ったのは苅田。自分の父親と名前のコト話している時に俺の名前がでたらしい。岬杜の名が。それに反応した苅田の父親が、『岬杜家の人間には絶対負けるな』とかなんとか言ったそうだ。そこで突っ込んで理由を尋ねると、この話がでてきたってわけ」
「ちょっと待って。オマエ等父親は子供の名前1つで揉めてるような関係だったのに、オマエと苅田が同じ学校だったの知らなかったのか?」
だってそうだろう?
そんなんだったら全てに対抗心を燃やして、ひっきりなしに「アイツには負けるな」とか言われててもおかしくないのに。
「俺が生まれてからは、俺の父親は仕事が忙しくなって海外を飛び回るようになった。苅田の父親とは疎遠になったそうだ」
変なの。そんなモンなんかな?
普通だったら……。
「それ、ウソじゃない?」
「俺もウソだと思う。本当はいまだに連絡取り合って、変なコトで言い合いしてるんだと思うよ。でも互いに子供には何も言わないでおこうと協定でも結んだんじゃないか?巻き込まないように。それなのに、苅田の父親が口を滑らせた。俺が親父に確認を取った時も随分あっさり全部認めたのは、先に苅田の父親から連絡があったんじゃないかと思ってる」
オモシロイ。
オモシロすぎる。
世の中って広いようで狭い。
「永司の父親ってオモシロイ」
「俺の親父は無口な人なんだ。それなのに苅田の父親とは随分良く喋るみたいだな」
「んじゃ、オマエが苅田とよく喋るのは遺伝だな」
変な遺伝。
俺がクスクス笑うと永司はムっとした。
「俺はあんな奴と会話したくないぞ。この話をしていた時だって、春樹が嫉妬して大変な目に合ったんだからな。まぁ、嫉妬する春樹も可愛かったが」
恥ずかしい事言うな!
でも、あの時屋上でそんな会話していたのか。
随分楽しそうだった…。
「知らなかったなぁ。まぁ俺には関係無いって言えば関係ないけどさぁ」
「俺がこの話を知ったのは、春樹が俺から離れる寸前だったから言う機会がなかった。苅田が何故言わなかったのかは分からない。苅田は春樹が好きだった。緋澄とはどんな関係か知らないが、それとは関係無しに春樹を愛していた。だから俺達を掻き回したかったのかもな。アイツ性格悪いし。俺が学校休んでた時も、アイツ、俺の事で春樹を煽ったんだろ?春樹の携帯で連絡してきた日、アイツここに来て随分いろんな事話していったよ。アイツはアイツで複雑な気分だったみたいだ」
いろんな事話してったって、どんな事だろう。
ちょっと気になる。
俺が苅田にマジ蹴り入れた事も言ったんだろうな。
俺も複雑な気分だ。
「苅田は永司のコト随分気に入ってたし、口説いてもいいかって俺に訊いてきたんだぞぉ?それに苅田は『俺は岬杜に深海ちゃん取られても平気だったし、むしろ岬杜応援してた』
って言ってた」
「アイツは本気で俺を口説いてはこなかったよ。俺も考えただけで気持ち悪い。それとその『取られても平気』云々の科白は半分本当で半分嘘だな。俺を応援してた奴がなんで春樹に手を出す?その辺だよ。アイツが複雑な気分だったみたいだと言ったのは」
苅田、オマエは俺には理解できん。
良く分かんねぇぞ。
「とにかくキスマークの犯人が苅田と判明した今、それをそのままにはしておけない」
「……へ?」
それから永司は俺の抗議を無視し、俺の身体中に痕を付けた。
苅田が付けた場所には、その上から念入りに痕を付けた。
勿論それだけで終わるわけもなく、結局俺達は真昼間からセックスに突入したわけで……。
それでもって、夜は夜で永司に言いくるめられヤられしてしまって……。
次の日の朝、余りにも身体中が(特に、それこそ口では言えないような場所が)痛かったので散々文句を言った後、俺は「1ヶ月セックス禁止令」をだしてやった。
永司は暫く氷のように固まっていたがしょうがない。
俺は放心状態の永司を無視して、新聞の見出しの「衝撃激写!!戦慄の心霊旅館と炎上UFO!」に胸をときめかせているのであった。
おわり