第13章 お前の中にある全部を


「何も言うなよ」
 気が付いた永司を腕で抱え込んで、何か言われる前にこう言った。
 永司は目を細めて俺の姿を確認する。大きく息を吸い込み、そして俺を思いっきり抱き締めながら息を吐いた。
 永司の身体は少し震えていた。
「永司。まず最初に訊きたい。お前は俺の言う事をちゃんと信用するか?」
 頭を抱えていた腕を外して、今度は両手で永司の顔を挟む。真正面から見詰め合って、その茶色の髪を撫でた。
 永司は返事をしない。
「俺はあの人を最後まで信用しなかった。あの人が何を言いたかったのか、何がしたかったのかは理解できたし、あの人の核となる部分は信用できたけど、でもそれ以外の部分は最後まで曖昧なままだった。あの人も『信じて欲しい』なんて言わなかったし、俺も曖昧な部分はそれはそれで良いと思っている。でも永司。お前と俺の関係はそれとは全然違うよな。俺はお前を信じてるし、俺達は信じ合わないと始まらない。違うか?まず相手を信用しないと、何も始まらないだろ?」
 永司はずっと俺を見詰めていた。暗い部屋の中で永司の瞳だけが異様な熱を持っているようだった。
「信じる」
 永司の低い声。
 俺は両手で整った顔を挟みながら額をコツンと当てた。
「あの人は川口さんって名前で…」
「もう良いよ」
 永司は首を振りながら俺の身体を抱き締める。
「でも、何があったか知りたいだろ?」
「今は何も頭に入ってこない。それに、俺は春樹が無事に帰って来てくれただけでいいんだ」
 静かな部屋の中に、永司の低い声だけが響いていた。
 永司の身体はずっと小刻みに震えているが、それはその深い瞳と同じように熱を孕み激しさを抱え、俺を飲み込もうとしているように感じた。
 俺を見詰めている永司の喉が鳴る。
「あんな事をしても許されるのなら、俺だって春樹を閉じ込めてやりたい。この部屋に閉じ込めて繋いでおきたい。誰にも触らせたくないし誰にも見せたくない」
 永司の手がゆっくりと動き出し、俺のシャツの中に忍び込んでくる。素肌に触れる永司の指は俺の脇腹を撫でて背中に向かい、そこから優しい愛撫が始まった。
「俺が無事に帰ってきただけでいいって言ったじゃん」
「それとこれは別だ」
 身体をなぞる指が服を剥ぎ取っていく。
 永司の身体は激しさで一杯なのに、その指はいつも優しく俺を愛撫する。
 身体を浮かして服を脱ぐのを手伝うと、俺も永司の服を脱がせた。
「久し振りだし色々あったしで、なんか緊張するかも」
 いつまでも震えている身体を抱き寄せながらそう言うと、永司が少しだけ笑った。
「俺も緊張してきた。でも確かめさせて」
「何を?」
「春樹が俺の腕の中にいるって事を」

セックスとは何か?
『ねぇお兄ちゃん。セックスとは何だろうと考えた事はある?人は何故愛する者と身体を繋げようとするのか考えた事がある?』
あの子供はその答えを知っているのだろうか。

「ねぇ永司。真実は足りない毛布だと思わない?」
「どうだろうな。でも俺は真実なんていらない。欲しいのは深海春樹だけだ」
 俺の背中に触れるその指先がヒタリと肌に吸い付き、そこから滑るように下へ向い、焦らすようにまた上へ登ってくる。
「とにかく、今は春樹を抱いていたい」
 永司はそう言うと身体を起こし俺の上になった。それでも躊躇うように俺の首元に頭を埋め、大きく呼吸して自分の身体の震えを止めている。
 どうして永司はこんなに俺を大事にするんだろうと思った。ヤりたいのなら多少強引にでもヤればいい。こんな時ぐらい無茶をしったって構わないのに。
「好きだよ。もう切ないくらい好きだよ。苦しいくらい好きだよ。張り裂けそうなくらい好きだよ。好きだ好きだ好きだ好きだ」
 言葉を吐けば吐くほどその身体は震え、そして俺の中に痛い程の感情が流れてくる。
「俺も永司が好きだ」
 ポツリと呟くと永司は顔を上げて俺を見詰めた。
 永司は一度目を閉じ、俺の頬に手を添えるとそこで数秒止まる。そして何かを振り切るように目を開け、俺に噛み付くような勢いでキスをした。
 入り込んで来る舌が俺の舌を絡め取り貪る。何度もキスをし何度も永司の唾液を飲み干し、そしてまたキスをした。永司の手は俺の身体を足の先から手の先まで確かめるように撫でていき、それが終わると今度は舌先が同じように身体中を這う。
「……ちょっ」
 なんだかまた怖くなったが、永司は止めない。
 足の付け根を這う舌と、胸に触れる指。永司によって導かれる久々の快感に、俺の身体は次第に熱を持っていく。
 ペニスに絡み付いてくる唾液を含んだ舌がゆるりと動き、後ろに触れた指がぐいと押し入って来る。どこに力を入れて良いのか分からないその感じに足がピクリと動いた。ぐいぐいと入って来る指がピタリと止まり、そこから緩やかな振動が始まる。舌先で辿って行く微かな感触と後ろから伝わる指。
「永司」
 呼ぶと永司が舌で舐め上げながら登ってくる。
――ん」
 胸に軽く歯を立てられ、じんと痺れた先にまた舌先で責められる。
 身体の奥からジリジリと湧き上がる性欲を感じた。
「…永司」
 もう一度呼ぶと、永司はまた舌を這わせながら登ってくる。
 それが首で止まり、今度は歯を立てられる。
 後ろに冷たい感触がし、そこから圧迫感と共に滑り込むように指がもう一本入って来た。
 永司がまた登ってくる。
 耳を舐められ、熱い息を感じた。
「ここだろ?」
 低い囁きにゾクリと身体が震えた時、入っている2本の指がそこを押す。
――あっ」
 腰がビクンと跳ね、身体が勝手に逃げ出す。
「ここ」
 永司は同じように囁きながら俺の身体を楽しむ。
 自分の身体の中がドクドクと熱くなるのが分かり、そこから生まれる疼きに身を捩じらす。それでも永司は俺を離さず、全身を使うようにして俺の身体を焦らして苦しめる。
 永司はまるで俺の身体を中から隅々まで調べ上げ、どこでどんな反応をするのかを確かめているようだった。
 耳元から聞こえる永司の息遣いと自分の呼吸が速くなり、後ろを掻き回す指がもう一度そこに触れる。
――…ッ」
 もうイキそうなほど強い感覚に身体が勝手に仰け反り、 手で永司を押しながら上にずり上がった。
「逃げるなよ。ここだろ?」
 同じ場所を何度も擦られ、俺はまた身体を捩じらせ永司から逃れようとする。
「逃げるな」
「俺だって逃げようと…してるわけじゃねぇ」
そう言いながらも身体は勝手に動く。
「春樹はいつも俺から逃げる。でも逃げたきゃ逃げればいい。俺は必ずつかまえる」
 後ろから指が抜かれ、足を抱えられた。
 熱い感触がして、永司が入ってくる。
「痛ッ!」
「力抜いてくれ」
「抜けれない。待てッ――…」
「止まらねーよ。今までどれだけ我慢してきたと思う?どれだけ…」
 永司が逃げる俺の身体を押さえ付け、それでもゆっくりと侵入してくる。それはいつもより少し強引で、いつもの数倍攻撃的な感情があった。優しくしよう優しくしようと無理をしている、しかし歯止めがきかなくなっている、そんな永司。
 しかし俺の身体はそれを拒みながらも受け入れ、痛みと同時にその快感を思い出す。
 手を伸ばすと永司が俺に軽くキスをし、ゆっくりと動き出す。持ち上げた足首に口を寄せ足先まで舐め、指に舌をねっとりと絡ませた。身体の奥がその感触に何とも言えぬ快感を覚えぞろりと蠢くと、それが伝わった永司がまた足の指に舌を絡ませる。
「好きだよ」
 永司の呟きが聞こえた。
 俺の身体は永司のリズムと共に小さく揺れる。後ろからやってくる快感はぐいぐいと身体を押し寄せ、蕩けるような熱さと抜け落ちるような腰の疼きで俺の思考を壊して行く。
「んッ…ん」
 熱い。
 熱い。
 永司から伝わるモノ全てが熱い。
「あ、ああッ」
 性器に触れられ、また奥がぞろりと動く。
 永司が俺の髪を撫で、瞼にキスをした。
「春樹、もう痛くないか?」
「痛く…ない」
 性器の先を中心に指が触れる。
「奥まで入れるよ」
 奥まで?
 ふと目を開けると、永司と目が合った。
 性欲で揺れるその瞳を見て、俺も今こんな目をしているのだろうと思うとまた身体の奥が蠢き、それと同時に永司が深くへと入ってきた。
――ん、ァ、……んんッ!!」
 一番奥まで入っていたと思っていたのにそれから更に奥まで入れられ、俺の身体は永司で一杯になる。それは永司に全部支配されたような感覚だった。
 永司はそこからじっくりと俺の中を掻き混ぜる。そのゆったりとした動きに俺の身体までが大きく動いているみたいだ。
 それは全身の力が抜けるような凄い快感。
 手を伸ばして永司を呼び、自ら舌を出してキスをせがむ。
 もっと唾液を、もっと快感を…。
「気持ちイイ?」
 もっと。
「……ん」
 もっと。
 答えると性器を触る手が動きを激しくした。
 身体ががくがく震えだし、熱くなっている身体が更に熱くなる。
「気持ちイイ?」
「……ん…ぁ、ああっ」
「イイは?」
「ぃ……んっ…い」
 それはどこまでも続く快感。
 身体の中で大きくなりもっと大きくなり、どんどん膨らんで行く快感。
 永司が俺を抉る。
 そのひとつひとつの行為がいつもより激しい。
 でも俺の思考は永司のセックスでドロドロになる。
「春樹、毎日抱かせろよ」
「する、毎日する、毎日抱かせてやる――……」
 永司の呼吸が荒くなって俺の呼吸と混じった。
 身体にグッと力が入り、俺は一瞬このまま永司と永遠にセックスしたいと思った。
「…永司永司…ぁ――永司ッ!!」
 全身が快感で一杯になり、俺は永司の腕と背中にしがみ付いて射精した。



 黄金に輝くライ麦畑にいる。
 子供の俺が、見渡す限りのライ麦畑にいる。
 俺、今何してたっけ?
 首を傾げながら空を見上げると、そこには雲ひとつない嬉しくなるような青空だった。
 永司がいない。ここは俺のライ麦畑じゃないはずなのに、永司がいない。
 どうしてだろうと思っていると、どこかで誰かが俺の名を呼んでいるのが聞えた。
 辺りを見渡したけれど、よく分からない。
 でも、誰かが俺を呼んでいる。
 どうしようか迷ったけれどそのうち永司が来てくれるだろうと思って、俺はトコトコと歩き出した。
 誰かがまた俺を呼ぶ。
 誰だろうかと思いながら、俺は声がする方へ向って歩く。
 どこまでも続く青い空を見上げながら歩いて行くと、遠くに小さな森が見えた。
 どしてライ麦畑に森があるんだろう。
 子供の俺は森に興味を持ち、走って行く。
 俺を呼ぶ声はどうやらあの森から聞こえてくるみたいだった。
 走っていると後ろから子供の永司の声がした。 立ち止まり振り向くと、永司が駆け寄ってくる。
「春樹、どうして動いたんだ!! ここへ来た時は勝手にウロウロしちゃ駄目だって言ったろ!!」
 強い口調で叱られ、子供の俺はちょっとシュンとなった。
「でも誰かが…」
「もう今日は帰りなよ」
「でも…」
「駄目だ」
 子供の永司は俺を抱き締め、手で俺の目を覆った。
「春樹、大好きだからね」
「うん。俺も永司大好き」
 また誰かが俺の名を呼んでいるのが聞えた。



「…あッ……はぁっはぁっ」
 ドクドクと血が流れる音がする。
 まだ中に永司がいた。
「あれ、…なに?」
「どれ?」
 息を荒くした永司が訊いてくる。
「ライ麦畑の中に、あった森」
「なにそれ」
 なにそれって、永司は見えてないんだ。俺の中に入ってきた時はお互い分かったのに、どうしてだろう。
「お前の、ライ麦畑に行った」
 俺の中から永司が性器を抜いた。その感触に息を飲み身体の熱が引くのを待つ。
「どんなトコだった?」
「綺麗で、空があまりにも綺麗で、そんでライ麦畑はホントに黄金に輝いてて、暖かポカポカで、ちっこい永司がいて、そんで誰かが俺を呼んでて、そんでそんで、森があった」
 まだ息が弾んでいるので上手く喋れない俺を、永司が優しく撫でてくれる。
 ちょっとだけ、2人で息が整うまで待った。
「それで、俺は子供なの?」
 落ち着いた後永司が訊いてくる。
「子供だった」
「大人みたいな子供」
 そう言うと永司が笑った。 「それは、どんな俺なんだろうな」
 小さく俺にキスをする永司は、もういつもの優しい永司だった。俺の頬に、瞼に、額に、鼻先に、そして唇に何度もキスをする。
 永司の身体はもう震えてなかったし、その手は優しさで溢れている。
 それから俺達は暫くお互いの身体に触れ合い、肌の感触から髪の感触から手足の感触、声、唇、吐息、身体の細胞の隅々まで探るように確認し合った。
「いつものお前に戻った」
「春樹が戻ったからな」
 永司が真剣な瞳で俺を見詰める。
 そうだ。コイツは俺がいないと駄目なんだ。
「お前には本当に心配かけたな」
「それは春樹のせいじゃないだろ」
 永司の指が熱を下げきってないこの身体に触れているのを感じながら、俺は川口さんの事を思い出し、そしてあの時の永司の瞳を思い出す。
「……お前、あの時ヤバかった」
 言うと、その指がピクリと動いた。
「うん」
「苅田がいなかったらやばかったろ」
「うん」
「駄目だぞ、あーゆうの」
「分かってる。ゴメン」
 永司は俺に執着しすぎている。
 でも永司は自分でそれを分かっているから、あの時ピッキングができて自分を止める事ができる苅田を呼んだのだろう。自分でも、何をしてしまうか分からなかったに違いない。
「永司の中には、俺にとことん優しくする永司と、大人みたいな子供の永司と、ヤバい永司と、すけべぃ永司と、神経質な永司と、カッコイイ永司と、あと、まだまだ一杯いる」
 俺の身体を弄るその指に、手で少し抵抗しながら俺は話を始める。
「お前の中には何があるのかと、時々酷く気になる時がある。お前の中から伝わる感情はどれも激しくて難しいモノばかりだから俺には理解できないんだ。でも――」
 俺は永司の心臓に手を置く。
「永司、想像してみ?色紙があんの。ありとあらゆる色の色紙がそこ等中に散らばってんの。それからその折り紙を、全部滅茶苦茶細かく切るわけ。いろんな色の折り紙が細かくなってそこ等中に散らばってるの、想像できた?」
 永司が笑いながら目を閉じる。
「できた」
「んじゃ、それを箒かなんかで集めてさ、集めた所を両手一杯に掴んでオニギリ作るみたいにギュウギュウと握り潰して」
「やったよ」
「んじゃ、そこで質問。そこから見える色は、何色?」
 目を開けた永司がまじまじと俺を見る。
「いろんな…色?」
「うん、イロイロな色。一杯あって俺も上手く言えない。それと同じように、永司の中にいるありとあらゆる永司の事も同じように俺には上手く言えない。でもさぁ、永司。俺は全部のお前が好きだよ。どんな色の永司も好きだ。本当は人の中にあるのは色紙みたいなのじゃなくて、色が混ざる絵の具みたいなのかもしれないし、色が混ざりそうで混ざらない…これは例えが見つかんないや……とにかく、もっと別なモンみたいなのかもしれない。でも、とにかく俺は全部の永司が好きだ。お前の中にある全部をひっくるめて、受け入れようと思う」
 永司の瞳が揺れている
「ありがとう」
 静かに呟き微笑むその笑顔に俺は心底見惚れてしまう。見詰め合っていると、その視線だけでまた身体が疼いてくるようだった。
 川口さんは、永司も渡れない河と登れない山の向こう側にいる人間だと言った。でも俺達は一度溶け合った事がある。ずっとずっと奥の方で、俺達はひとつになった。渡れない河と登れない山の向こうに永司がいるのだとしても、その世界は俺の世界と繋がっている。
 俺はそう思う。


 永司は俺を抱き締め、汗で湿気った背中を撫でていた。
「お前、全然寝てないだろ。平気?」
「平気」
 背中を撫でる手。
「ホントに平気か?」
「平気だよ」
 その言葉を聞き、俺は安心して永司の唇に舌を這わせた。舐めるように味わい、それからもっと深い口付けをする。
 足に当たっている永司のペニスに触れるとそれはすぐに勃起した。
 驚いている永司の耳元に口を寄せ、さっき自分がされたように熱い息を掛けながら囁く。
――ヤリ足りねぇ」
 すぐさま永司が身体を起こし、上に乗って俺の髪をかきあげた。
「待ってたぜ」
 永司がニヤリと笑って言う。
「何を?」
 髪をかきあげている永司の手に自分の手を添え、訊いてみる。
「春樹様の発情期」
 永司は言いながら左の口端を上げ笑う。
 久々に見るその笑い方と欲情に燃える瞳を見て、また新たな熱をもつ自分の身体を感じる。俺は永司の手を自分の口元に持っていき挑むように笑いながらその指を舐めた。
 俺の身体を抱える永司の瞳と全身からは、いつも焼け切るような包み込むような恐ろしいような愛情で溢れている。
 相反するモノを同時に持つその瞳と身体。
 それでも。

 永司。
 俺はお前の全てを受け入れてやる。







end




novel